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1891濃尾地震                                                                                                       ↑錦絵 愛知県岐阜県震災義援金一覧表 香朝筆(岐阜市歴史博物館蔵)

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1 1891濃尾地震                                                                                                       ↑錦絵 愛知県岐阜県震災義援金一覧表 香朝筆(岐阜市歴史博物館蔵)

2 1891濃尾地震 1891年(明治24年)10月28日の早朝、岐阜県・愛知県を中心に大きな地震がおきました。この地震は日本の内陸部で発生したものとしては最大級の規模(M8.0)で、死者7273名、全壊建物14万棟という大被害を生じました。名古屋をはじめ都市部では文明開化の象徴ともいえる洋式の煉瓦建造物の被害が目立ちました。また、震源にあたる根尾谷では大きな断層崖が現われました。これを目のあたりにして、当時東京大学教授で地質学者の小藤文次郎(1856~1935)は地震の原因は断層の急激な運動であると確信をもつに至りました。

3 甚大な被害 濃尾地震は,現在の岐阜県本巣郡根尾村付近を震源として1891 (明治24) 年に発生しました.地震の規模を示すマグニチュード [注1] は最大級の8.0でした.この地震によるゆれは東北地方南部から九州地方にまでおよび,左図のように,とりわけ震源地に近い岐阜県や愛知県を中心に震度6~7という激しいゆれが記録されました. [注1]   地震波の最大振幅,周期,震源の深さなどから公式に基づいて求める値で,値が1.0異なると約30倍の違いがあります.ゆれ方の強弱を示す震度とは明確に異なる数値であることに注意する必要があります. アンケート調査結果をまとめた濃尾地震の震度分布

4 濃尾地震による死者は7,273名にも達しました.倒壊した家屋は,左図のように『根尾谷断層』に沿う帯状の地帯と濃尾平野一帯で高い割合を示しました.濃尾平野では,震源地や断層線沿いから遠く離れていたにもかかわらず,軟らかい地盤にともなうゆれ方と関係して被害が大きくなり [注2] ,建物ばかりでなく交通機関や河川の堤防などにも甚大な被害が及びました. [注2]   固い岩盤中では短い周期の (ガタガタとゆれる) 地震波が,軟らかい地盤中では長い周期の (ユラユラとゆれる) 地震波がそれぞれ卓越して伝わる性質があります.後者が共振すると建物などの破壊につながるゆれ方をするため,被害が大きくなります. 濃尾地震の激震域における住宅被害率

5 未曾有の震災被害 震源地の根尾  濃尾大地震は根尾谷を震源地として発生した。このときできた根尾谷断層は地表面に現れたものだけで全長80キロメートルに及んだ。根尾谷の水鳥(本巣市根尾)には、最大で垂直に6メートルのずれが生じた。垂直方向に50センチメートルのずれを生じた阪神・淡路大震災の断層(兵庫県北淡町)と比較するとその規模の大きさが想像できる。  根尾の山々は、この地震のため崩落したり、山肌が一瞬のうちにはぎ取られ、木が1本もなくなったところが多かった。さらに崩壊した土砂が根尾川をふさぎ、湖ができたところもあった。また深い谷に沿って延びる道路もあちこちで寸断され、その谷に架かる橋も落下したりした。

6 岐阜市とその周辺   岐阜市周辺の本巣郡、山県郡、羽栗郡(羽島郡と羽島市の一部)、中島郡(羽島市)、各務郡(各務原市)でも岐阜市同様多くの死傷者や家屋の被害を出した。中でも震源に近い本巣郡北方町では全壊家屋が82パーセント、山県郡高富村では99パーセントを越えた。また、羽栗郡笠松町(笠松町)同竹ケ鼻町(羽島市)では岐阜と同じように火災が発生し、ほかの町村に比べても人口の割には死傷者の数がきわめて多かった。

7 大垣町とその周辺 西濃地方では、大垣町の被害が特に大きかった。また、木曽三川の輪中地帯に位置する下石津郡高須町(海津町)、安八郡今尾町(平田町)、同郡墨俣村(墨俣町)などでも倒壊家屋や死傷者が多く出た。  大垣町では、全壊家屋が3,356戸、半壊家屋が962戸を数え、全半壊家屋が実に全戸数の93パーセントを越えた。そのため家屋の下敷きになって死んだりけがをしたりした人が2,000人を越えた。大垣でも、岐阜などと同様地震に伴って町内の四方から火が出て、倒壊した家屋の下になって逃げ出せずに焼死した人も数多く出るなど被害をいっそう悲惨なものとした。

8 県内そのほかの地域  以上紹介してきた以外の地域でも、大なり小なり震災のための被害をこうむった。中でも比較的被害が目立ったところは、加茂郡、可児郡、土岐郡で、概略は次の通りである。遠隔にもかかわらずこれらの地域の被害が多かったのは、震源から延びる活断層上やその延長線上にあったためであろうと思われる。 多治見や土岐では、死者こそ出なかったが、建物の被害や陶磁器の損害が大きかった。 死 者 負傷者 全 壊 半 壊 加茂郡 17名 149名 913戸 2,078戸 可児郡 11名 38名 379戸 494戸 土岐郡 16名 109戸 196戸

9 当時の写真 ↑岐阜市金津廊の惨状(岐阜市歴史博物館蔵)

10 ↑大垣郭町(岐阜県図書館蔵)

11 ↑長良川堤防の崩壊「1891年の日本の大地震」(岐阜県歴史資料館蔵)

12 ↑長良川鉄橋の被害「1891年の日本の大地震」(岐阜県歴史資料館蔵)


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