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チベット問題 井上奏汰.

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1 チベット問題 井上奏汰

2 チベットは、チベット自治区と四川省・青海省・甘粛省・雲南省の一部として組み入れられ、現在では中国の一部になっている。
人口:600万人 宗教:チベット仏教 経済:農業・畜業 識字率25%

3 ダライ・ラマとは チベット仏教の象徴 モンゴルの称号で「大海」を意味し、歴代の転 生者は、慈悲の観音菩薩、チェンレンシの化身 とされる
ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャツォ)          お告げにより14世に選ばれる

4 チベットの歴史 紀元前127年:初代チベット王がチベットを治 めはじめた 1949年:毛沢東による中国全土開放宣言 1951年:17ヶ条の強要 1952年~1959年:抵抗運動(大虐殺) 1959年:ダライ・ラマ14世亡命(インド北部へ)

5 17ヶ条 「中央人民政府は、中華人民共和国の領土と主権を統一し、国防を維 持し、チベット民族とチベット人民を開放し、中華人民共和国の大家 庭に復帰させ、国内における他の各民族と同じく民族平等の権利を持 たせ、その政治経済、文化、教育の事業を発展させるため」 チベットは中国の一部である

6 大虐殺 10000人 20,000人 5,500人 17ヶ条が強引に結ばれ、事実上併合へ カンロ地区の反乱(カンロの虐殺)
 1952~1958年: 統一抗中ゲリラ組織によるカム反乱(20年戦 争)  1954~1974年:     殲滅、20,000人逮捕 第二次蜂起 1957~58年:     青海省の虐殺  1958年:      殲滅、チベット人・モン ゴル人の遊牧民50,000人を逮捕、拘留中に 23,260人が死亡 10000人 20,000人 5,500人 110,000人

7 ラサ蜂起 チベット自治区の中心都市ラサで、1959年3月 10日に反中国・反共産主義の民衆暴動が勃発
      ラサ蜂起 チベット自治区の中心都市ラサで、1959年3月 10日に反中国・反共産主義の民衆暴動が勃発 ダライ・ラマのインドへの亡命によりこの戦争 は2日で終了したが、800発の砲弾や、虐殺によ り、約86,000人のチベット人が死亡したとさ れている。

8 120万7387人 1950~1976年の間の犠牲者数は、次のように推 定されている
「173,221人」のチベット人が、刑務所もし くは強制収容所で死亡。 「156,758人」が処刑死。 「342,970人」が餓死。 「432,705人」が戦闘もしくは暴動中に死亡。 「92,731人」が拷問死。 「9,002人」が自殺。 以上、合計 120万7387人

9 現在の問題 中国文化・宗教の弾圧強要 チベットへの中国人移入 核廃棄物の投棄 人権問題
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10 人権問題 中国思想に反する者の逮捕 ダライ・ラマへの忠誠心の覆い隠し 拷問・虐殺 子孫繁栄の抑圧 健康管理・就学環境の抑圧

11 中国による拷問・虐殺や、ダライ・ラマ批判・中 国思想の強制に耐えられず、焼身自殺をして抗 議する人が増加しており、国際的に注目されてき ている。


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