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冷戦期における東西対立とその終焉 米ソ・二大陣営の対立 熱戦の回避、軍拡競争、核の均 衡、 平和共存の大枠、 民族独立の運動・戦争と局地的戦争.

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1 冷戦期における東西対立とその終焉 米ソ・二大陣営の対立 熱戦の回避、軍拡競争、核の均 衡、 平和共存の大枠、 民族独立の運動・戦争と局地的戦争

2 世界平和のための国際連合の設立 – 米英ソを中心とする連合国の共 通目標・・・領土不拡大、民族自 決、貿易の自由化、社会保障の充 実、軍縮、国際平和機構の樹立。 – 1945年4月、国際連合結成、 50カ国が参加 –1971 年当時、 117 か国 –2010 年現在の加盟国は 192 か国

3 国際連合の構成 アメリカ、イギリス、ソ 連に、中国、フランスを 加えた常任理事 国・・・・拒否権を持つ 国々(大国優位)。 中国 …1971 年までは台 湾・中華民国 その他の平等な権限を持 つ数多くの国々

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7 政治的・軍事的・経済的分裂の 拡大 西側、1949年、北大西洋条 約機構≪ NATO ≫の結成 東側、1955年、ワルシャワ 条約機構

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9 ソ連の原爆実験成功 49年8月 毛沢東率いる中国共産党が、 アメリカの支援する蒋介石の 国民党との内戦に勝利。 – 49年10月、中華人民共 和国、創立。

10 アメリカは水爆開発へ 核独占を打ち破られ、 「中国を失って」、 軍事戦略の見直し。

11 アメリカ占領下の日本 当初、民主主義的憲法制定、 – 民主主義的諸改革(軍国主義打破、財閥解体、 農地改革) しかし、冷戦、ソ連圏との対抗、中国革命への 対抗 – 48年10月、アメリカの国家安全保障会議 は、いわゆる「逆コース」の政策へ。 民主化の推進を中止。経済復興優先。戦争 犯罪者の公職追放の解除。

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13 ベトナム民主共和国 インドシナ共産党指導者ホー・チ・ミン フランスの復帰の備え、 共産党を解党し、農地改革などの急進的 改革を避け、非共産党員を閣僚に登用 民族統一戦線政策

14 アメリカの介入 ベトナム南部に復帰したフランスを後押し 第一次インドシナ戦争 ホー・チ・ミンは、 中国・ソ連に接近 朝鮮戦争・・・中国は、ベトナム民主共和国 支援へ

15 ホー・チ・ミンの路線変更 「中国モデル」へ 共産党をベトナム労働党として復活さ せ、 地主から土地を取り上げる農地改革を 強行 1954 年 5 月 ベトナム軍が、フランス軍の 拠点ディエンビエンフーを陥落させる。

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17 ジュネーブ和平会談 1954 年 7 月 ジュネーブ協定 北緯 17 度線で、南北に二分。 ベトナム民主共和国軍は、北に引き上げ る。

18 ベトナム南部 アメリカ 親米的ゴ・ジン・ジエムを押し立て、 ベトナム共和国を樹立。 ジエム政権・・・農地改革で土地を得た農民 から土地を奪い返し、反対勢力を厳しく弾圧 ベトナム労働党・・・南部における武装闘争 を開始。 1960 年 12 月 南ベトナム解放民族戦線結成。

19 仏教徒の焼身自殺 抑圧的ジエム政権に対する民衆の反発・ 抵抗 僧侶が抗議の自殺 ジエム政権の支配 … 行き詰まり

20 アメリカの軍事介入 軍事顧問団派遣 南ベトナム政府軍指導 解放戦線との戦い … 封じ込めを図った。 南ベトナムでは、クーデターが繰り返さ れ、 戦況は不利になるばかり

21 トンキン湾事件 1964 年 8 月 2 日、アメリカ艦隊が北ベトナ ムによって砲撃されたとする「トンキン 湾事件」が勃発。 ( 1971 年、アメリカ国防総省秘密報告 書で、この砲撃は実際にはなかったこと が明らかにされた・・・・つまりは、陰 謀) アメリカの北爆開始

22 ホー・チ・ミン・ルート 地図参照 北ベトナム⇔ラオス⇔南ベトナム 密かに徒歩で、南ベトナム解放戦線に 戦時物資補給 アメリカ軍の北ベトナムへの侵攻を回避 するため・・・朝鮮戦争の場合、アメリ カ軍が反撃・鴨緑江まで進撃。

23 南ベトナム解放戦線の攻勢 南ベトナムの政府軍への大打撃 ついに、 65 年 7 月、アメリカは戦闘部隊の直 接投入を決定。 戦争は一気に拡大。 アメリカは、最大時 54 万人の米軍を投入。 73 年まで 8 年間、戦う。

24 アメリカの作戦 中国の介入を回避するため、北ベトナムへは 侵攻せず。(朝鮮戦争との違い) 「南ベトナムでは勝ち目がないと悟らせる作 戦」 ・民間人の大量虐殺・・・ソンミ村 ・枯葉剤の大量散布 ・第二次世界大戦期に全世界で投下され た 何倍もの量の爆弾投下

25 北ベトナムの抵抗力 集団農業方式による民衆の結束 防空体制の確立 ソ連や中国の援助、アメリカをはじめ世界のベト ナム反戦運動 → 北ベトナムは、大量の物資や兵士を南ベトナム に送り出し、南ベトナムでは、解放戦線が、民兵と 主力軍部隊の戦闘を組み合わせて戦い、米軍を圧迫。 ・ 68 年 1 〜 2 月、解放戦線の全土での大攻勢(テト 攻勢)・・・一時、アメリカ大使館占拠。

26 アメリカの態度変化 「アメリカはベトナムではもはや勝てな い」との認識の広がり 68 年 3 月 31 日、ジョンソン大統領は、北爆 の部分停止を表明。南ベトナム軍の強化 と米軍の撤退を進める。

27 ニクソン・ショック アメリカの膨大な負債(戦費) ・・・ドルでの支払い ドルの信認低下 紙幣のドルではなく、その金との交換の 拡大 ・・・・アメリカから金の流出 → ドルと金との交換が出来なくなる 兌換停止・・・ブレトン・ウッズ体制 の崩壊

28 アメリカの各個撃破の政策 ソ連と中国への接近・・・穀物輸出や技 術提供 … 緊張緩和を図る。 ・・・その見返りとして、ベトナムへの支援 を抑制させる戦術。 アメリカと中国の接近・・・中ソ対立の 激化

29 戦争継続の一方で和平交渉 一方で、南ベトナムでの戦闘継続、北ベ トナム港湾に対する機雷封鎖、爆撃 他方で、和平交渉 73 年 1 月 27 日、パリ和平協定の締結。 米軍の撤退と米兵捕虜の釈放。

30 73 年 10 月石油ショック 世界的経済不況 アメリカの経済援助に支えられていた南 ベトナム経済は破綻。 南ベトナム政府軍は雪崩を打って敗走。 75 年 4 月 30 日、南ベトナムに、臨時革命政 府が成立。 南北統一

31 アメリカの敗北 合計 300 万人の兵士を投入。 6 万人弱の死者。 多数の肉体的精神的障害者。 犠牲となったベトナム兵・・・ 120 万〜 170 万 人。 民間人を含めると犠牲者は膨大な数に。 不発弾の大量残留。 枯葉剤の残留・・・・奇形児が多数生まれる。

32 ベトナムの自決運動の世界的影響 先進諸国を含め、世界各地で、 人種・エスニック少数派の差別撤廃の運 動を激励。 世界各国での反戦・平和運動の高揚


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