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新興帝国主義諸国(日・独・伊ファシズム諸国)と旧帝国主義諸国の相克の狭間で。 自由・民主・平和・民族独立の世界史的達成過程の諸問題

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1 新興帝国主義諸国(日・独・伊ファシズム諸国)と旧帝国主義諸国の相克の狭間で。 自由・民主・平和・民族独立の世界史的達成過程の諸問題
二つの世界戦争と ソ連「社会主義」の実験 新興帝国主義諸国(日・独・伊ファシズム諸国)と旧帝国主義諸国の相克の狭間で。 自由・民主・平和・民族独立の世界史的達成過程の諸問題

2 主要参考文献: ソ連崩壊後、歴史の見直し作業・論点:
 R.W.デイヴィス著・富田武・下斗米伸夫・永綱憲治訳『ペレストロイカと歴史像の転換』岩波書店、1990年。  同著・内田健二・中嶋毅訳『現代ロシアの歴史論争』岩波書店、1998年(原著、1997年)  溪内謙『歴史の中のソ連社会主義』岩波ブックレット、1992年。  E.ホブズボーム著河合秀和訳『極端な時代-20世紀の歴史』上、下、三省堂、1996

3 はじめに 前航空幕僚長論文の問題点 辞職せざるを得なかった誤った認識とは? 参考資料・・・朝日新聞記事(配布)
正確な歴史認識を蓄積していく必要性。

4 問われていること: ソ連「社会主義」体制はいつ、なぜ、 生まれたのか?
崩壊したのは、いつ? なぜ?   ある世界的な社会体制の生成・発展・没落の総過程を世界史の中で把握する。   60分間の講義は、その刺激剤ないしきっかけの提供。 

5 次の発言は誰のものか? 「正直だが非常に頭の切れるスターリン」

6 先取りした結論 ボリシェヴィキ革命・・・帝国主義戦争への反対、平和とパンを求める国民大衆の切実な希望を実現
帝国主義・植民地主義反対の勢力の結集 (帝国主義・植民地主義の世界的敗退の一歩ごとに、地球から列強の帝国主義・植民地主義が追放される段階に応じて、ソ連型社会主義の成立根拠は失われた。)

7 J・サミュエル・ウォーカー著・林義勝訳 『原爆投下と    』彩流社、2008年9月25日刊。 非常に面白い本。ぜひ一読を。 P.82 7月13日、「天皇は『勝利への好機』を利用するため戦争継続を望んでいることを表明していた。彼は中国で新たな攻撃を仕掛けるという提案を支持したのである。」 P.126 「天皇は8月7日朝、アメリカが原子力兵器で広島を壊滅させたことを知り、ひどく狼狽した。・・・東郷外相に次のように語った。『そのような新型兵器が出現したため、戦争継続はますます困難となった。・・・したがって、わたしの望みはできる限り早期に戦争終結に関する協定を結ぶことである。』」 「しかし、原爆投下の悲惨な知らせでさえ、彼にポツダム宣言に基づく即時降伏を決断させるには不十分だった。」

8 ソ連社会主義の 社会帝国主義への変容 第二次大戦においてナチズム打倒(民主主義実現・帝国主義打倒・人種主義打倒)で東欧全域を勢力下に置く・・・ソ連型社会主義の強制・・・なぜ? 社会主義から社会帝国主義への変化     東欧諸国・諸民族の抑圧    ソ連帝国・・・軍事力による支配・・・なぜ?

9 そもそも、社会主義とは? ソ連の社会主義は? 対抗概念・・・資本主義 ソ連の現実は?実際には? 私的所有の廃止、しかし、出来上がったのは?
     対抗概念・・・資本主義 ソ連の現実は?実際には?   私的所有の廃止、しかし、出来上がったのは?      国家所有・集団所有の体制   国家や集団を支配する勢力(ソ連共産党と国家官僚)の独裁体制・・・・自由と民主主義の欠如。

10 しかし、 なぜ、ソ連型独裁体制は、70年間、存続しえたのか?
世界の帝国主義体制の悪夢 その存続の度合い その存続の真実味の度合い 民衆の認識の度合い 平和の実現の度合い

11 国民社会主義 ナチス(Nazis)も、正式名称は、国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei ナチスの対抗概念(反ソ・反英米)    ・・・ユダヤ的金融資本(反英米)、       ユダヤ的ボリシェヴィズム(反ソ)

12 国家社会主義 ビスマルクの政策は、国家社会主義Staatssozialismus・・・国家による保険制度
 資本主義による諸弊害の国家による克服策

13 レーニン率いるボリシェヴィキ ロシア社会民主労働党の左派で、「多数派」の意 1912年 党として独立。
1912年 党として独立。 第一次大戦中、戦争反対、自国政府の敗北、戦争の内乱への転化を主張。 1917年 十月革命を主導。 1918年、党名をロシア共産党(ボリシェヴィキ)と改称。 後、ソ連共産党。

14 ボリシェヴィキが政権を握ったのは、なぜ?
1917年2月革命(西暦3月12日)政権は、平和を実現したか? それとも戦争を継続したか?

15 政権を握ったボリシェヴィキ・ソヴィエトに結集した労働者・農民・兵士が直面したことは?
ブレスト・リトフスク講和  その条件は?   帝国主義とは? ドイツと講和を結んだことにより、連合国は革命政権に対して、どうしたか?

16 ブレスト・リトフスク条約 1918年3月3日に、ブレスト・リトフスクにおいて、ドイツおよびその同盟国とソヴィエト政権の間に調印された単独講和条約。 ロシアは、ポーランド、リトアニア、エストニアなどの主権を放棄し、フィンランドより撤退し、。ウクライナの独立を認めるなど、約320k㎡の地域を失い、別にドイツに賠償金支払いを約した。(ドイツ革命の勃発により、破棄された)  (『山川 世界史小辞典』…歴史用語に関する説明について、以下も同様)

17 内乱と干渉戦争 国内の反革命勢力(反ソヴィエト、反ボリシェヴィキ、反労働者・農民の勢力) 連合国による干渉 日本のシベリア出兵
   日本のシベリア出兵    干渉戦争に関する地図

18 戦時共産主義 1918年-1920年 経済的崩壊が進む中で、戦闘に総力を動員するため、 中小工場の国有化 強制的穀物調達 貨幣の役割の縮小
賃金の現物給与 中央集権的食糧配給 全般的労働義務制

19 新経済政策(ネップ) 1921年3月 ソ連で採用された経済政策。 戦時共産主義の政策であった穀物の徴発制を廃止。
1921年3月 ソ連で採用された経済政策。 戦時共産主義の政策であった穀物の徴発制を廃止。 食糧税制・・・農民の手元に残る穀物の自由処分 私的商業、小企業の開設を認める。    →小農経営の復興

20 世界的革命情勢の消滅と 一国「社会主義」体制の構築
世界の主要資本主義国が戦後復興から相対的安定期へと向かう。( 年) 火種を残しながら、国際平和体制の構築へ    国際連盟   その間隙を縫って、ソ連は、近代化政策・工業化政策・農業集団化政策

21 近代化・工業化の条件は? 近代的生産とは? 工業化とは? 近代的生産形態・・・大工場制度 近代資本主義のシステムがそれを実現。 産業革命
近代的資本・賃労働関係の形成 一方における生産手段の集積(資本形成)と他方における賃金労働者の形成。

22 ソ連邦に、近代化・工業化の条件は成熟していたのか?
ロシア工業化の進展度合いは? いわゆる「資本の本来的な原始的蓄積」の必要性。  資本は単なる「節約」、「勤勉」によってできるのではない。・・・暴力性 農村民からの生産手段の剥奪過程      イギリスの暴力的エンクロージャー

23 近代化・工業化・軍事力の構築なしに外からの侵略に立ち向かえない。
帝国主義の膨張政策の現実      ヴェルサイユ体制の現実      日本の中国侵略・勢力拡大 それを正当化理由とする工業化・農業集団化の強制・・・・国家主導 スターリン体制の成立

24 スターリン体制 少数者による多数者への強制と独裁の体制 プロレタリアート独裁 ソ連共産党独裁
 ・・・世界の帝国主義が生み出した怪物・・・東のビヒモス  西のビヒモスは? ナチス・ヒトラー独裁体制

25 日本の帝国主義膨張政策 第一次大戦中の21か条要求・・・1914年、対独宣戦布告、山東半島に出兵。 1915年1月、袁世凱政権に対し、
  ①山東省のドイツ権益の日本への譲渡、②関東州の租借期限および南満州鉄道、安奉鉄道の権益期限をさらに99年延長すること。南満州および東部モンゴルにおける日本の独占的地位の承認。③漢冶萍煤鉄公司の日華合弁。④中国沿岸の海湾島嶼の他国への不割譲、不貸与。⑤中国中央政府への日本人顧問の招聘、武器購入、鉄道敷設についての勧告。25回の交渉の後、5月に最後通牒を発して受諾させた。

26 関東軍 日露戦争によって獲得した関東州と南満州鉄道の守備や諸権益確保を目的とした駐屯軍。
1919年天皇直属の司令部が旅順に置かれ、対ソ防衛の役割を担う。 武力を背景にたびたび中国の内政に干渉し、28年の張作霖爆殺や31年の満州事変勃発などの謀略を企てた。

27 ヒトラー・ナチスの政権掌握 ヒトラー・ナチ党の基本戦略 世界恐慌・・・アメリカ発・・・資本主義のバブルとその崩壊
アメリカ依存のドイツ経済への打撃 ドイツの経済恐慌の深刻さ 政治危機・・・安定した多数派政府を形成できない。 ヒトラー・ナチ党の躍進(選挙結果を参照) 同時に、ドイツ共産党の勢力拡大(選挙結果を参照) 中間諸政党・既成保守政党の没落 保守政党と極右のナチスの連合政権が成立。1933年1月

28 ナチスの一党独裁制構築と 再軍備・4カ年計画
国会放火 即刻共産党の仕業と断定して、弾圧 ワイマール憲法の停止・大統領令 1933年3月選挙結果 全権委任法・・・国会の権限・機能の廃止

29 世界経済恐慌から日独伊防共協定 日・独・伊の膨張政策・侵略政策の段階的進展 日本・・・満州事変(1931年9月18日)→満州国
   日本・・・満州事変(1931年9月18日)→満州国         建設(1932年3月)→日中戦争(1937年7月)盧溝           橋事件から。    イタリア・・・エチオピア侵略(1935-1936年)    ドイツ・・・オーストリア編入・ズデーテン併合(19         38年9月のミュンヘン協定)→チェコ侵        略・・・ボヘミア・モラヴィア保護領  スターリン体制による疑心暗鬼(大粛清)・軍事力増強の必然性

30 満州事変 1931年9月18日の柳条湖事件から32年3月の満州国建国までの期間における日本による中国東北部、内モンゴル東部への武力侵攻.
満州における反日運動の激化は関東軍になんらかの対策を必要とさせ、関東軍は奉天(瀋陽)工鍵の柳条湖付近の南満州鉄道を爆破. 張学良軍のしわざとして奉天城およびその周辺を攻撃占領. 翌日には全満鉄沿線から張学良軍を駆逐.ついで、吉林など各地に進駐. 国際世論悪化…リットン調査団…その到着前に満州国樹立.

31 盧溝橋事件 1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった、日中戦争の発端となった事件。盧溝橋付近で深夜演習中の日本軍は、中国軍から射撃を受けた。日本側は中国側の陳謝と将来の保障、責任者の処罰などを要求。停戦協定が成立。しかし当時の緊迫した日中間の情勢のなかで近衛文麿内閣は派兵を決定。ついに現地解決の線は崩れ、全面戦争へと拡大(1945年まで)

32 日ソの激突・・・ノモンハン事件 1924年モンゴル人民共和国、成立。安全保障をソ連に依存。
日本の満州国建設(1932年3月)・中国東北部支配の拡大強化。 これに対応して、ソ連もシベリアの軍事力増強。モンゴル支援強化。 1939年5月 小競り合いから、本格的戦争へ。 日本軍の壊滅的敗北・・・1939年9月、休戦協定。 1940年、ほぼソ連・モンゴルの主張する国境線画定。 ソ連が戦利品とした日本軍の銃火器は、のちに対独戦争で、ドイツに抵抗するパルチザンの武器となる。

33 ヒトラー・スターリンの不可侵条約 スターリンの思惑・・・東(対日・シベリア)西(対独・ヨーロッパ)二正面戦争を回避
ヒトラーの思惑・・・東(ソ連)西(英仏)二正面戦争の回避 1939年8月・・・・秘密議定書による勢力圏分割(二つの大国による弱小国・少数民族の抑圧体制)・・・ 独ソの大国の犠牲となった国々は?

34 ドイツのポーランド侵攻 ヒトラーの準備命令は、1939年5月(9月1日までに攻撃準備を完了せよ)
開戦のきっかけも、ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒで作り出す。 ポーランドの安全保障を約束していた英仏の対独宣戦布告。 ヨーロッパにおける戦争。

35 ナチスドイツの電撃戦勝利 デンマーク占領 ノルウェー占領 オランダ、ベルギー、フランスの占領 ユーゴスラヴィア、ギリシャの占領
英(および仏亡命政府)---徹底抗戦 戦争の長期化ー総力戦化

36 ヒトラーの対ソ攻撃への転換 表面上、対英攻撃に全力 背後で、ソ連攻撃の準備 1940年12月18日 バルバロッサ指令
1940年12月18日 バルバロッサ指令    「1941年5月15日までに、対ソ奇襲攻撃の      準備を完了せよ. 短期電撃的にソ連を蹂     躙せよ」.   1941年6月22日、対ソ奇襲攻撃開始.

37 スターリン-ソ連国家指導部への情報 ヒトラー-ドイツのソ連攻撃に関する情報 各方面から 日本で諜報活動をしていたゾルゲからも.
 各方面から  日本で諜報活動をしていたゾルゲからも. スターリンやソ連国家指導部は信用せず 「デマ情報に分類」 ヒトラーの奇襲攻撃は成功      緒戦段階のドイツ軍の大勝利、しかし、・・・

38 ゾルゲ関連主要文献 日本の中国侵略・対ソ侵略問題と国際スパイ事件  NHK国際取材班・『国際スパイゾルゲ』・・・ゾルゲ電報をソ連崩壊後現物で確認。  リヒアルト・ゾルゲ著勝部元・北村喜義・石堂清倫訳『二つの危機と政治-1930年代の日本と20年代のドイツ』御茶ノ水書房、1994年。  尾崎秀美『ゾルゲ事件 上申書 』(岩波現代文庫) 尾崎 秀実 (文庫 /2)  尾崎秀実『愛情は降る星のごとく』(新編 愛情はふる星のごとく (岩波現代文庫) 尾崎 秀実 今井 清一 (文庫 /4)  尾崎秀実時評集 日中戦争期の東アジア (東洋文庫) 尾崎秀実 米谷 匡史 (単行本 /3/11)

39 ソ連赤軍の抵抗-反撃 緒戦の壊滅的敗北にもかかわらず、 ソ連赤軍の猛烈果敢な抵抗. Cf.ゲッベルス日記
     Cf.ゲッベルス日記   急速に拡大するドイツ占領地域・・・統治・支配の困難化・・・・治安平定部隊(アインザッツグルッペ)のユダヤ人殺戮  8月前半までに、ドイツ国防軍の被害増大  41年8月中に、ドイツ国防軍の精鋭部隊は甚大な損傷を受ける.

40 東部戦線でのソ連の被害・ドイツの被害 1941年12月11日、ヒトラーの対米宣戦布告・・・国会演説より
1941年12月1日までに、ソ連の戦時捕虜、総数380万6865人を手にいれ、2万1391台の戦車、3万2541門の大砲、そして1万7322機の飛行機を破壊ないし戦利品として没収した、と。 東部戦線で、ドイツの戦死者16万2314人、負傷者57万1767人、行方不明3万3334人、と。

41 スターリン体制は正当化の根拠を獲得 ナチスドイツの侵略の現実 広大なソ連地域の占領支配の現実
スターリン体制を構築してきたことの必要性-不可避性が立証された、ことになる. 大祖国戦争---侵略者ナチス-ドイツに対する全国民的戦い-自由と独立の戦い-民主主義の戦いの要素.

42 日本は南進政策を本格化 1941年7月の御前会議 南北二正面作戦 実際には、南進政策 アメリカとの対立激化 対米戦争への道
 南北二正面作戦    実際には、南進政策 アメリカとの対立激化      対米戦争への道 1941年12月8日(現地時間、7日)    真珠湾攻撃 軍事同盟の約束に従い、ヒトラーは対米宣戦布告 文字通りグローバルな世界戦争へ.

43 ホロコースト政策への画期 ホロコースト:狭義では、ヒトラー第三帝国のユダヤ人大量殺戮
しかし、「すべて焼き尽くす」という意味合いでは、原爆投下も. 真珠湾攻撃-世界大戦への展開 ヨーロッパ-ユダヤ人絶滅政策への画期 アメリカ合衆国の原爆開発への画期—ナチス-ドイツの原爆開発への恐怖

44 日独伊と米ソ英仏との全面対決 真正面からの対決は、1942年1月から。 日本は、日清戦争でアジアの大国・清国と、
      日露戦争で大国・ロシア帝国と、       第二次大戦で世界強国の米英、そ        してソ連、中国と戦争した. アジアと日本に未曾有の大被害

45 連合国の理念 大西洋憲章 ヤルタ協定 ポツダム宣言

46 大西洋憲章 1941年8月、戦争拡大の危機を前にアメリカのローズベルト(フランクリン)大統領とイギリスのチャーチル首相が、大西洋上で会見し共通する諸問題を討議し、その際発表された宣言. 全8か条からなり、領土不拡大、民族自決、貿易の自由と拡大、労働条件と社会保障の改善、海洋の自由、軍備縮小、平和機構の再建を主張. 42年1月、この憲章に基づく連合国共同宣言. これらに基本理念に基づき、国際連合が成立.

47 ヤルタ協定 ヤルタ(ソ連クリミア半島)会談 1945年2月4-11日---米英ソが戦後体制-戦後処理を決める.
ヤルタ(ソ連クリミア半島)会談 1945年2月4-11日---米英ソが戦後体制-戦後処理を決める.  ドイツの非軍事化、戦争犯罪人の処罰、米英ソ仏の4カ国による分割占領管理.国際連合設立のための連合国会議の招集、ポーランドや中欧、バルカン諸国の将来などについて話し合った. ドイツ降伏後2-3ヶ月以内にソ連が対日戦争に参加すること、その条件として南樺太返還、千島列島引渡しなどを決めた(秘密協定). ソ連は、39年の独ソ不可侵条約の秘密付属協定で併合したポーランド東部を保持. ポーランドは西部でドイツ領が代わりに補償された.(ポーランド領の西方への移動)

48 1945年5月8日 ドイツ、無条件降伏 1945年4月30日、ヒトラー、ベルリンの総統大本営地下壕で自殺. 5月8日 無条件降伏
1945年5月8日 ドイツ、無条件降伏 1945年4月30日、ヒトラー、ベルリンの総統大本営地下壕で自殺. 5月8日 無条件降伏 7月16日 原爆実験成功(アメリカの原爆開発過程・投下指令).

49 ポツダム会談 会談(1945年7月17日ー8月2日)  米英ソ首脳会談(アメリカ、トルーマン;イギリス、チャーチル、途中からアトリーに交替;ソ連、スターリン) 議題:    無条件降伏したドイツに対する処理方針      非ナチ化、非武装化、米英ソ仏による分割占領と共同      管理方式     日本に対する降伏条件と戦後日本管理方針の決定.  東欧問題をめぐって米英とソ連の間に見解の相違が明確化.  戦後処理全体の相違.→ 冷戦体制へ 

50 ポツダム宣言 会談中の7月26日発表.米英中3国の宣言.(8月、ヤルタ協定に従い対日参戦したソ連も、宣言に参加)
日本の軍国主義者と戦争指導勢力の除去 日本の軍事占領 日本の主権を本州、北海道、四国、九州と連合国の決定する島嶼に限定. 戦争犯罪人の処罰 日本の民主化に対する障害の除去. 実物賠償 軍需産業の禁止 8月10日、ポツダム宣言受諾を申し入れ、 同月14日、無条件降伏.

51 後進帝国主義諸国の非帝国主義化の実現 冷戦体制・・・それぞれの陣営内で経済復興・発展
後進帝国主義の第二次大戦による撃滅・・・その帝国主義の論理の否定・矛先は、古い帝国主義諸国・古い植民地主義諸国へも向けられる。 しかし、戦勝国の非帝国主義化、非植民地所有国化は60年代までかかる。        戦勝国の問題性(帝国/帝国主義/植民地主義)の克服に半世紀必要.   「社会主義」を掲げるかつての旧植民地・従属国=開発途上国の(人々の)奮闘。 戦勝国は、互いの原理を正当化。      冷戦体制・・・それぞれの陣営内で経済復興・発展 1989年ベルリンの壁崩壊(東西ドイツ分裂国家の成立した1949年から40年目). 東西ドイツの統一(1990年10月) ソ連東欧(その社会システム)の崩壊---二つの世界戦争の結果の最終的な基本的払拭   基本的に平和的な形態での「社会主義」体制の民主主義体制への転換   それを可能にした第二次大戦後、半世紀の平和と民主主義のレベル・成熟度。


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