日本文化史Ⅱ-城下町の研究 大阪教育大学 国際センター 城地茂 佐賀藩 日本文化史Ⅱ-城下町の研究 大阪教育大学 国際センター 城地茂
佐賀藩の基本資料 外様 大広間詰 城主 肥前国佐賀 37万5000石 戦国大名、龍造寺家の家老。 鍋島勝茂は関ヶ原の戦いで西軍(反家康)
藩士の構成 ①旧主龍造寺一族の藩政への関与 龍造寺一族は健在、重臣。 ②手明槍 勝茂は、50石以下召上 ③地方知行制 家臣は知行地 ①旧主龍造寺一族の藩政への関与 龍造寺一族は健在、重臣。 ②手明槍 勝茂は、50石以下召上 ③地方知行制 家臣は知行地 長崎警備、開明性進取性 鍋島直正(閑叟)は開明君主 藩政改革の成功→西南雄藩
歴代藩主 勝茂(かつしげ)〔従四位下・信濃守、侍従〕 光茂(みつしげ)〔従四位下・丹後守、侍従〕 綱茂(つなしげ)〔従四位下・信濃守、侍従〕 吉茂(よししげ)〔従四位下・丹後守、侍従〕 宗茂(むねしげ)〔従四位下・信濃守、侍従〕 宗教(むねのり)〔従四位下・丹後守、侍従〕 重茂(しげもち)〔従四位下・信濃守、侍従〕 治茂(はるしげ)〔従四位下・肥前守、左近衛権少将〕 斉直(なりなお)〔従四位下・肥前守、侍従〕 直正(なおまさ)〔従四位下・肥前守、侍従〕 直大(なおひろ)〔従四位・信濃守〕
佐賀城 龍造寺氏の村中城 慶長7(1602)年、本丸の建築 慶長16(1611)年完成。 江戸時代に建設=平城 石垣は天守閣のみ、濠と土塁 享保11(1726)年本丸再建。 天保9(1838)年、鯱の門完成。 明治7(1874年)佐賀の役。
佐賀城下町の構成
有田焼(伊万里焼) 朝鮮・李参平=秀吉の朝鮮出兵 オランダ人、ヨーロッパに輸出
佐賀錦 江戸の末期、佐賀藩の婦人の手芸 錦織物で、第九代夫人「柏岡公」の発案
佐賀の文化人(藩主に仕える) 『葉隠』(1716年) 山本神右衛門常朝(1659‐1719) 「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」 鍋島光茂に山本常朝が仕えた
佐賀の文化人 (下級藩士から総理大臣へ) 大隈重信(1838-1822) 早稲田大学創設者 地方知行制 家臣の多くは知行地を持つ 大隈重信(1838-1822) 早稲田大学創設者 地方知行制 家臣の多くは知行地を持つ 農村の豪農の勢力
結 論 自作農と武士(前期) 葉隠 城下町の成立・商業の発展 地主層と小作農 下級武士としての大隈重信
参考文献 『江戸300藩便覧』「佐賀藩」http://www.asahi-net.or.jp/%7Eme4k-skri/han/kyushu/saga.html 『ウキペディア』「佐賀城」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%9F%8E