今までの話を (ウェーバー)社会学 で検討してみる 林晋
「いままでの話」とは? 現代のIT特にWEBの空間で起きる人間とコンピュータやネットとの関係を見た。 アマゾン、グーグル、SNS Web2.0という考え方: 特に参加, パーティシペーションの概念。 その中で、特に「人間と機械(コンピュータ)」の関係に注目し「部品としての人間」という見方、おおげさに言えば「思想」を示した。 そして、そういう思想はバベッジという19世紀の蒸気コンピュータの発明者による「経済学・経営学・生産工学の著作」にすでに明瞭に存在することをみた。そして、その後前の歴史に次の二つをみた: 後:バベッジの経済学はマルクス経済学に反転的に継承されている。特に「部品としての人間」は疎外論に継承されている 前:バベッジの経済学のルーツを遡れば現代資本主義のルーツともいうべきアダム・スミスにまで行き着く。
「部品としての人間」のポイント1 何の部品? まとめてシステムとでも呼ぶしかない。 機械の部品とみるのは狭すぎて苦しい。 SNSの場合は「ネット=社会」。 アマゾンの場合は機械のようなFC Web2.0の場合はWWW、ネット ドプロニーの場合はプロジェクト。 バベッジ、スミスの場合は会社?しかし、社会も! マルクスでは社会 まとめてシステムとでも呼ぶしかない。 しかし、会社、プロジェクト、学校、なども「小さな社会」と考えれば「社会」といえなくもない。
「部品としての人間」のポイント2 部品は感情を持っている。 メトロポリス:疎外されている。苦しい。悲しい。 北京五輪入場式の人間シリンダ:参加している。楽しい。名誉だ。 Web2.0: もっと繋がりたい。もっと認知されたい。 もっと参加したい。自分の情報を提供してグーグルからもっと情報をもらおう。V.S. 隠したい。怖い(例:プライバシー)。 どちらにしてもネットやケータイのない世界なんてありえない! マトリックスのスパイ: この世界(マトリックス)にいると楽だ。自分の電気エネルギーを提供するだけで良い夢をみることができる。外の現実世界なんて… メトロポリスの労働者のように強制されて参加しているのではなくて、部品がシステムに積極的に参加してくれることがシステムの立場からは望ましい。(反乱やサボタージュは困るので!) 参加の原動力は報酬・強制・教育・道徳・倫理・宗教… 感情 アダム・スミス「道徳感情論」
ヴェーバー社会学:まずその人から Max Weber: Maximilian Carl Emil Weber (21 April 1864 – 14 June 1920) ヴェーバーがより正確だが,面倒なので,以下,ウェーバー. ドイツの社会学者。社会学の祖の一人とみなされることも。初期は経済史の研究者だったとも言えるし、それが社会学者としての仕事にも反映されている。ヴェーバーの社会学は、ほとんどが歴史社会学。政治学者とされることもある。 マックス・ウェーバーも弟のアルフレート・ヴェーバーとともに、ワイマール期の政治など(たとえばワイマール憲法草案への寄与)にかかわったことが知られている。 19世紀終わりから20世紀最初(大体第一次大戦まで)にドイツ語圏の哲学を席巻した新カント派の思想家の一人として扱うケースが多い。 ウェーバーを例外として新カント派は長く忘れられていたが最近再注目されつつある。
ヴェーバーという人(2) 第2次世界大戦の後、特に冷戦に関連してマルクスの対抗馬、近代化・資本主義化推進の理論的柱として看做されていた時期が長い。 今でもお年寄りに聞くと、そういう反応になる。大塚史観というのが流行った時期があり、それにより刷りこまれている。 しかし、冷戦終結ころから、ウェーバーの読み方が変わった。ドイツではポイカート、日本では山之内靖などが近代化を運命と見つつ、それを批判的に見つめた人としてウェーバーを解釈しなおした。この講義でのウェーバー理解はそれに基づいている。未だに古い見方は支配的だし、この転換の前と後ではウェーバーは別人のようみえるので注意。 「ウェーバー近代への診断」 1994,デートレフ・ ポイカート (原著1989) 「マックス・ヴェーバー入門」(岩波新書)1997,山之内靖
ウェーバーの社会学思想、その主著 主著(有名な著書という意味) Wikipedia より 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik und der ‘Geist’ des Kapitalismus) 1904-05 『職業としての政治』(Politik als Beruf)(講演) 1919.01.28 第1次大戦後(18年11月終結)の混乱期の講演。次の講演とともに大変有名。 『職業としての学問』(Wissenschaft als Beruf)(講演) 1917.11.07の講演。 『経済と社会』(Wirtschaft und Gesellschaft) 遺稿, 奥さんなどが編集。異なる版あり。 この中に大変著名で講義でも使う「合理的行為の分類理論」がある『社会学の基礎概念』 を含む。単独で岩波文庫になっているが、殆ど誤訳に近いので、これは読まない方がよい。 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(Die ‘Objektivität’ sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis)
経歴 日本語の Wikipedia の経歴 独逸語の Wikipedia の出版リスト(時間順) 関係したもののみ 1894年 30歳の若さでフライブルク大学の経済学正教授に。 1896年 ハイデルベルク大学に招聘される。 32歳 1898年 実父との確執から神経を病み、大学を休職しサナトリウムで静養。 34歳 1903年 病気のためハイデルベルク大学の教職を辞して名誉教授となる。39歳 1904年 ようやく病気から癒え、新たな学問活動を再開。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表。セントルイスの万国博覧会の際に開かれた学術会議への出席のためアメリカに旅行し、そのついでにアメリカのプロテスタント諸派を調査。ヴェルナー・ゾンバルトやエドガー・ヤッフェらと共に、「社会科学・社会政策雑誌」(Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik)の編集に従事し始める。 この療養期間、イタリアに旅行。「死ぬほど働かない生き方」を見たと思われる。 そして、そこを契機に、マルクスの経済学的な社会の動因で説明できない、「プロテスタントの倫理」のような宗教などの根源的な人間感情、しかも社会的な感情が社会とその歴史に落とす影を理解したといわれている。