「障害受容」から考える リハビリテーションでの セラピスト-クライエントの関係

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「障害受容」から考える リハビリテーションでの セラピスト-クライエントの関係 第1回日韓障害学研究セミナー -障害アイデンティティの差異の政治学- 20101126 於:場所はどこ? 田島明子 

自己紹介 作業療法士として働いて17年(臨床15年、教育2年目) ・ セラピストとしての振る舞いの違和感の答えが障害学に ・ セラピストとしての振る舞いの違和感の答えが障害学に 本日の報告内容:『障害受容再考』(三輪書店)という自著の一部の紹介 はじめまして。田島明子と言います。このたびは、韓国障害学研究会で報告させて頂ける事を大変光栄に思っております。どうかよろしくお願いいたします。  さて、今日は、30分という短い時間のなかで、私がこれまで行ってきた研究の中核となるような部分についてお話させて頂きたいと思っております。  私は、ずっと、リハビリテーションの仕事をしてきました。作業療法士というんですけれども、もちろん韓国にも作業療法士という職業はあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。質疑応答の際にでも、ぜひ韓国での様子を教えて頂ければ有り難いです。 ・少なくとも日本では、これまで、リハビリテーションと障害学は、端的に言えば、反目するような関係にあったと言えると思います。特に障害学のなかでは、リハビリテーションは批判の的になってきたわけです。(河口さんのOTジャーナル)  しかし、私はセラピストとして働いてきましたが、働いているなかで、セラピストとして振る舞いに、違和感を感じことがあったんです。その違和感について、言語化してくれたといいますか、答えを教えてくれたのが、障害学だったと感じております。 ・今日はそのことについて、私のこれまで行ってきた研究とも深く関係しますので、お話をさせていただきたいと思っております。 それで、今日はですね、昨年、三輪書店、という出版社から、『障害受容再考』という本を出版して頂いたのですが、今日、お話させて頂くことは、その本の中核となる内容、ということにもなります。

『障害受容再考』の章立て  第一章 なぜ「障害受容」を再考するのか …1  第二章 日本における「障害受容」の研究の流れ …13  第三章 「障害受容」は一度したら不変なのか …37  第四章 南雲直二氏の「社会受容」を考える …61  第五章 臨床現場では「障害受容」はどのように用いられているのか …95  第六章 「障害受容」の使用を避けるセラピストたち …113  第七章 教育の現場では「障害受容」をどのように教えればよいのか …131  第八章 「障害受容」から「障害との自由」へ――再生のためのエネルギーはどこに? …147  補遺 …187  おわりに …205 ・まず、『障害受容』という言葉ですけれども、韓国にも存在していると、ひぎょんさんからは、伺っておりますけれども、これからお話させて頂くことは、リハビリテーションの臨床場面で、この『障害受容』という言葉がどんな風にセラピストによって用いられているか、また、その用いられ方によって、セラピストと対象者の関係性に、どのようなみえざる力学が存在しているかということを明らかにした、という内容になっています。 ・この本の章立てで言いますと、5、6章あたりの話をさせて頂きたいと思います。 ・『障害受容』という言葉なんですけれども、そもそも、なぜ、私が、この「障害受容」という言葉にひっかかりと言いますか、疑問を持ったかということなんですけれども、私が作業療法士の養成校を卒業しまして、ある福祉施設で勤め始めたんですけれども、そこでは障害を持っている方の就労支援なども行ってます。ご本人が勤めたいというと、「障害受容」できていない、と言われてしまうわけですね。先の言葉としては、「障害を受容」して、一般就労するという希望は持たないで、福祉的就労をしましょう、という含みがあるわけですね。「障害受容」の言葉や、言葉の使われ方を聞いたときに、対象者の希望をかなえようとするのが支援のはずなのに、それを支援というのかなと、率直に思いました。そのような理由から、障害受容という言葉に、ずっと引っかかりを持っていたわけです。

臨床現場では「障害受容」は どのように用いられているのか それでは、内容についてご紹介していきたいと思います。本でいいますと、第5章のとこです。

反省的態度のみで終結しない「仕掛け」があるのでは? ・「障害受容」の使用に対する批判的言説 南雲直二,1998,『障害受容-意味論からの問い-』,荘道社. 上農正剛,2003,『たったひとりのクレオール』,ポット出版.                      ↓ 専制的・押しつけ的 反省的態度のみで終結しない「仕掛け」があるのでは? ・まず、これまでにも、リハビリテーションや障害児教育の分野において、『障害受容』という言葉の使用に対する批判といったものは、すでに存在していたということを確認しておきたいと思います。例えば、南雲直二先生や上農正剛先生が書かれた本などがあります。 ・それらの本では、『障害受容』という言葉の使用が、「専制的」であるとか、「押し付け的」である、というような、批判がなれていました。 ・ただ私自身は、臨床をやってきましたので、臨床家としての視点もありまして、臨床場面での『障害受容』という言葉の使用には、反省すればなおる、というような問題ではない、反省的態度のみでは終わらないような、なにか「仕掛け」があるのではないか、と感じてきました。 そこで、この研究では、そうした「仕掛け」についての考察を行うことを目的としまして、『障害受容』という言葉の、臨床での使用状況について臨床で働く作業療法士の方にインタビューを行いました。

対象者 作業療法士として臨床で働く7名 選定方法:無作為に選出せず、第39回OT学会において筆者の発表に関心を持ってくださった方、養成校時代の友人、友人からの紹介により選出 専門領域、経験年数が重ならないよう配慮 →人数、選出方法等鑑み、本結果が必ずしも実際の臨床を一般化できてはいない ・対象者ですけれども、臨床でOTとして働く7名です。 ・選出方法ですけれども、無作為に選出はせず、学会で知りあったり、友人や友人を介して、選出をしました。 なぜ無作為に選出しなかったか、ということなんですが、この研究の問題設定として、臨床実践についての批判的な検討を含み持っていましたので、無作為に選出したところでインタビューに応じてもらえない可能性が考えられたこと、また、できるだけ正直に現状や心情を語ってほしかったということがあります。 ・というわけで、人数、選出方法等を鑑みまして、この研究の結果が必ずしも実際の臨床を一般化はできてはいないと捉えております。今後の課題というふうに考えております。

対象者内訳 仕事内容(資料①) ・対象者内訳は、表のとおりです。(経験年数、性別、インタビュー日時、インタビュー時間を記載しております)。    対象者内訳  仕事内容(資料①) ・対象者内訳は、表のとおりです。(経験年数、性別、インタビュー日時、インタビュー時間を記載しております)。 ・あと、対象者の仕事内容につきましては、お手元の資料にありますので、ご確認いただければと思います。別紙の用紙にありますので、そちらをごらんください。資料①になります。

インタビューの方法 1)あらかじめ作成した調査票を元に半構造的に実施 2)質問項目 一般情報:①現在、過去の仕事内容 ②勤務年数、  一般情報:①現在、過去の仕事内容         ②勤務年数、  障害受容に関して:①職場での使用頻度              ②誰がどのように使用するのか              ③その言葉による変化              ④障害告知について              ⑤「障害受容」についてどのように習ったか ・インタビュー方法については、PPTの方に記載したとおりですので、説明は省略します。

分析方法 1)逐語録より、「障害受容」に関して述べられているものをすべて抜き取り、カード化 2)各事例ごとに内容が類似するカードを集め、それぞれにカード番号と見出しをつけた。 3)重複する内容のカードは省略したが、各事例のカードから得られたすべての結果を反映できるよう、文章を組み立てた。 ・分析方法についてはPPTに書いたとおりです。

結果1 ・職場での「障害受容」という言葉の使用頻度ですが、これは4件法で(しばしば用いる、ときどき用いる、ほとんど用いない、まったく用いない)答えていただいた結果です。 ・ここに書かれていないMさんは、入職後3年ぐらいは用いていたんだけれども、今は用いていない、ということで、Iさんについては、病院と更正施設両方を経験されているので使用の差異について重点的に伺いました。

結果2 ・で、ときどき用いているというSさん、Oさんの職場での使用状況ですが、細かいところは各自ご覧いただくとしまして、いくつか注目していただきたいところがあります。 ・まず注目されるのが、Sさん、Oさんとも、「回復期のリハビリテーション」を行っているところだということですね。 ⇒次スライド それで、戻りますが、「回復期のリハビリテーション」というのは、その機能から見ても、「回復アプローチ」「代償アプローチ」の両方を、対象者の方の回復の具合によって使い分けることが求められるわけですが、こうした「回復アプローチ」「代償アプローチ」の移行に立ち会う機能をもっている臨床の場で、「障害受容」という言葉が用いられる傾向があるということが指摘できると思います。 ・もう1つは、「どのような事象に用いるか」というところなんですが、「機能回復への固執」ということが1つと、セラピストの主観に着目するなら、セラピストの意図やプランの到達へ向けての阻害感があるということがわかりました。

急性期 回復期 維持期 ・回復アプローチと代償アプローチ ・回復期リハビリテーションとは?   急性期  回復期  維持期 ・回復アプローチと代償アプローチ 韓国でも、リハビリテーションに、発症時期からの期間で、分け方があるのかどうかはわからないのですが、日本で主流な分け方として、急性期、回復期、維持期、というふうな分け方をします。回復期というのは、急性期を抜けて、回復が期待できる段階というような位置づけです。逆に言いますと、機能回復ができるか、できないかの分かれ目といいますか、それが見えてくるのが回復期、ということにもなります。 ・もう1つ、リハビリテーションには、日本では、アプローチ方法が大きくみて2つあります。1つが「回復アプローチ」、2つめが「代償アプローチ」なんですけども、その違いは、回復アプローチは、機能を正常に戻す、近づけるための訓練で、代償アプローチは、機能が回復難しかった場合に、機能を補うような方法を考えるアプローチです。具体的には、脳卒中になって右片麻痺になったときに、これまで右手で使用していた食事用具を、左手で行えるようにする、といったことです。 ⇒前スライドへ

考察 能力認識のズレ感 目的遂行の阻害感 障害受容 ・「専門性」の肯定化 ・多様ははずの障害観(感)が「能力」へ収束 回復アプローチ 代償アプローチ 能力認識のズレ感 目的遂行の阻害感 ・「専門性」の肯定化 ・「専門性」の予定調和的遂行への期待感 ・多様ははずの障害観(感)が「能力」へ収束 ・以上の結果から、障害受容という言葉の使用には、次のような図式が描けると考えます。まず、対象者とセラピストの間に「能力認識のズレ感」がある、ということです。それが、セラピストの「訓練の進行が妨げられている」という主観的な「苦労感」を引き出したときに、障害受容(ができていない)という言葉が用いられる、ということです。 ・こうした図式から導きだされるいくつかの問題点を指摘したいと思います。 まず、「能力認識のズレ感」というのが引き金になっているということで、これはリハビリテーションにおけるアプローチ法との関連で、本来であれば多様性に満ちた障害観(感)というものが、能力に着目した障害観(感)へ収束していかざるを得ない部分があるということが1つ、それと同時に、目的遂行の阻害感というのは、逆に言えば、「専門性」の肯定化ということと、「専門性」の予定調和的遂行への期待感、というのが発生する、ということで、つまり、「障害観(感)」「専門性」の押し付けが、「障害受容」という言葉の使用によって発生するということではないかと私は「仕掛け」というものを考えました。 ・「仕掛け」ということですが、アプローチ法の円滑な遂行ということを巡って、「障害観」「専門性」の対象者への押し付けということを背景として、障害受容という言葉が用られる、という一連のプロセスが明らかになったのではないかと考えます。 障害観(感) 専門性 障害受容

「障害受容」の使用を避ける セラピストたち   「障害受容」の使用を避ける セラピストたち  次に、「障害受容」という言葉を用いない、というセラピストの人たちも少なくなかったということも、1つ、着目すべきことだと思いますので、そのようなセラピストに、「障害受容」という言葉を用いない理由、「障害受容」という言葉のイメージなどについて伺いましたので、そちらを見て行きたいと思います。

結果4 【Yさん】 Yさんの場合、「専門性」と「対象者の気持ち」が対立的な位置関係になくて、Yさんのなかでは「対象者の気持ち」を基点として「専門性」が構築されていることがわかります。だからといって、すべての支援過程で「対象者の気持ち」が優先されるということではない。時には、専門的見地から対象者にとって不利益と判断される行動には、専門性が活かされる。そういう場面は、「障害受容(できていない)」と表されるような場面でもあるが、Yさんの場合は「専門性の予定調和的遂行への期待感」がなく、むしろ、Yさんはそうした状況に直面したときに、「再三働きかけるしかない。訓練をやり過ぎることもマイナスだからってことは、何回でも、横にくっ付いて疲労しないようにずっと「その辺でもうやめませんか」と言うしかない」と言います。 【OKさん】 受容している/していない、とはっきりと分けられるものではないのに、「障害受容」という言葉は「完璧すぎる」イメージがある。 例えば「障害個性」論という考え方がある。それは「リハビリテーション」「治療」において、障害が「治すべき」対象として位置づけられ、障害/健常と二分化されてしまうことへのアンチテーゼであり、障害を肯定する意図が含まれている。障害カテゴリー自体が社会文化的な構築物で、障害/健常の線引きは、普遍なものではない。「受容」にしても、障害と障害のある人との1つの関係を表す言葉にすぎない。しかも「受容」という言葉には「どのように」が抜け落ちている。「個性」として「受容」するのか、あるいは「受容」しなくてもいい、というあり方を望む人もいるかも知れない。そもそもこの言葉は障害当事者「の」ことを言っているのだから、その人が決めればいいと言える。そのように考えると、「障害受容」という言葉そのものに、押しつけ的な意味内容が含まれていて、しかもそれは障害を持つ当事者に対して、「リハビリテーション」「治療」の求める理想的で完璧な像にすぎないと言える 【MIさん】  MIさんは、「障害受容」の状態へ対象者を持っていこうとする志向性そのものに対して懐疑的でした。それには、「障害受容」=「あきらめ」という印象が影響しているかもしれない。「あきらめ」とは、「できる/できない」の設定が他者によってなされて、その評定を動かし難い事実として本人が「受容」したときに生じる心境だととらえるなら、こうした障害観の押し付けは、セラピストの対象者への能力評定という作業を通じてなされることになる。MIさんは、「障害受容(できてない)」とするときの、こうした一連の能力をめぐる障害価値の押し付けに対して否定的イメージを持っていると考える。

結果5 ・とはいえ、Yさん、MIさん、OKさんとも、「障害受容」に対して否定的な見方をしつつも、「障害受容」は支援の目的であるとも語っていた。その目的とは「楽にいられる」ことである。つまり、障害にとらわれ、つらい気持ちになるのなら、障害へのとらわれから自由になって、「楽な気持ち」になれることがよいと思っているわけです。それが(最終的な)支援の目的だと言っていました。

障害との楽な関係(障害へのとらわれから自由になる) =『障害受容』???× =『障害との自由』○ 『障害受容』と『障害との自由』の2つの異なり :「志向性」 『障害受容』→社会適応へと志向する概念、能力主義的障害感と共鳴、障害の否定性を障害を持つ人に内在化させるほうに働く 『障害との自由』→障害へのとらわれから自由に。多様な障害観(感)が展開される自由、能力主義的な障害観(感)(障害の否定性)は否定される :「他性に対する(肯定的)感覚」 『障害との自由』:他性・障害に対する肯定的感覚がある ここで確認しておきたいことは、「障害との自由(楽にいられる)」は、「障害受容」とイコールなのかどうかということだ。 ・私は、次の2つの理由から、それは一緒ではないのでないか、と考えました。 ●「志向性」 「障害受容」→「社会適応」へと志向する概念であって、そのため、社会が持っている「能力主義」的な価値観と共鳴しているといえると思う。障害を持つ人を「社会適応」する方向にリハが働きかけるときに、「障害受容」という言葉は、障害を持つ人に対して、能力主義的障害観、障害の否定性を内在化させようとする圧力になるのではないか。 「障害との自由」→障害へのとらわれから自由になる、とらわれる必要がなくなること、とも言えると思う。多様な障害観(感)が展開される自由とも言えると思う。そういう意味では、能力主義的な障害観、障害の否定性からの自由とも言えるのではないかと。能力主義的な障害観からの自由というのは、障害価値の肯定のために、あるいは、とらわれからの自由のために、確保されるべき自由ではないかと思う。逆に言えば、「障害との自由(な関係)」のために、能力主義的な障害観は否定されるべきではないかと思う。 ●「他性に対する(肯定的)感覚」 セラピストが、すでにリハビリテーション文化のなかにある「障害受容」という言葉を、自らの感覚を便りに拒絶する感覚と地続きなのが、「楽にいられる」、『障害との自由』ということではないかと。それがもう1つの異なりではないか。つまり、それが、「私」の感覚から生じているということである。その感覚は「障害の否定」を肯定しなかった。なぜなら、「障害の否定」の肯定が「私」を不快にさせるから。「障害」を「制御できないもの(他者)」とするなら、その感覚は、「他性」に対する感覚だと言えるのではないか。『障害との自由(な関係)』ということのなかには、他性に対する肯定的な感覚が前提にあるような感じがする。

まとめ ①「障害受容」そのものについて ②「障害受容」の使用法 ③「障害受容」の方法論・支援論 ・語感 ・志向性のなかに「障害の否定性」が含まれてしまうことの違和や不快 ②「障害受容」の使用法  ・専門性の遂行を優位に置いていること、その位置から、専門的障害観・能力主義的障害観(障害の否定性)を対象者に内在させようとする圧力の存在 ③「障害受容」の方法論・支援論  ・リハのアプローチ法と「障害受容」の支援法との関係が不明確  ・「障害受容」の支援法そのものの方法論が不明確 まとめとしては、 1つは、「障害受容」という言葉そのもの、用い方の志向性に、障害の否定性が含まれてしまっていることの違和感とか不快感とか、といったものを、実はセラピスト側でも感じる人が結構いたということ。 2つめは、「障害受容」という言葉の臨床での使用法として、専門性の遂行がまず重要な位置にあって、能力的な観点から障害を見るという、障害を否定する見方を対象者に内在化させようとする圧力がある。 3つめは、「障害受容」がリハビリテーションで大切で、支援の目的だというんですけれども、にも関わらず、「障害受容」のための支援方法は明確でないし、回復アプローチ、代償アプローチなどのリハのアプローチ法と、「障害受容」の支援法との関係もよくみえていない、という問題状況があることがわかった。 これまでの日本のリハビリテーション学の成り立ちをみますと、「障害の価値」という重要な観点が抜け落ちていたと感じております。そのことに気づかせてくれたのは、障害学であり、立岩先生の著書だったりしたわけですけれども、今後は、私自身は、障害学を基盤として、障害・存在を肯定できることを前提とした、リハビリテーション学、あるいは、作業療法学の再構成・再構築といったことをやっていきたいと思っております。 ・臨床の作業療法士7名の協力によりインタビュー調査を行うことができ、臨床における「障害受容」の使用状況について明らかにすることができた。また、「障害受容」に対する作業療法士自身の違和や不快、否定的イメージや肯定的イメージを知ることができた。その結果は、私にとって、ある意味予想どおり、ある意味意外なものだった。予想どおりだった部分は、使用のされ方、である。これは、私が臨床に入って違和を感じた用いられ方と同じであった。意外だったことは、「障害受容」という言葉を用いたくないというセラピストが多かったこと、それには、この言葉に対するその人その人が感得する違和や不快が原因としてあったこと、また、この言葉は、使用されていないにもかかわらず、否定・肯定両方のイメージを携え、個々のセラピストの脳裏に生き続けていること、であった。それは確かに私にもある。つまり、臨床で使用したいとは思えないのだが、しかし捨てるわけでもなく、どこに位置づけたらよいのかがよくわからないのだ。やはり悪いイメージもあるがそれは使い方が悪いだけで、使い方を改良さえすればこの言葉自体が悪いわけではないのではないかと考えたりとか、この言葉についてはすっきりとしないものがたくさんある。インタビューの結果は、割合多くのセラピストが、やはりこの言葉に定位しない、収まりの悪さを感じていたことを明らかにしたように思う。