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Published byあかり ゆのもと Modified 約 8 年前
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第一章 金融とは 1-1 金融の機能 直接金融・・・接金融は、資金不足部門が発 行する直接証券(負債)を資金余剰部門が直接 購入し、自らの金融資産として保有することを 意味する。 間接金融・・・金融機関が資金不足部門 の発行する直接証券を購入し、これに要する資 金を金融機関自身の発行する間接証券(負債) の売却によって創出する機構を意味する。
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1-2 金融ビックバン 日本で 1996 年から 2001 年度にかけて行われた 大規模な金融制度改革をいう。 この時期に銀行など金融機関の「護送船団方 式」を崩壊させるような改革が進行し、その後、 2002 年以降には、銀行業・保険業・証券の各代 理業解禁など規制緩和が進行したことから、こ れらの時期を分けて、 2001 年度までは「第 1 次」、 2002 年度以降を「第 2 次」と分けて指す 事もある。 1986 年にイギリスのロンドン証券取引所で行 われた証券制度改革が「ビッグバン」と呼ばれ たことにちなんでおり、「日本版ビッグバン」 とも言われる。
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第二章 日本の貨幣の歴史 1-1 おかねの始まり 昔は、自分の物と他人の物とを交換して、欲し いものを手に入れていた。しかし、物々交換に はお互いの希望が容易に一致しないなどの難点 があった。 ( 1 )誰もが欲しがるもの ( 2 )収集・分配でき、誰もが納得できる値打ち の大きさを表現できるもの ( 3 )持ち運びやすく、保存できるもの これらの条件を持つ、布、穀物、砂金などの 品物が交換の手段として使われるようになった。 これを物品貨幣という。中国の殷・周の時代に は、宝貝が物品貨幣として使用されていた。お 金に関係のある漢字に貝のつくものが多いのは そのためであ る。
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1-2 日本貨幣の始まり 中国では西暦 621 年に「開元通宝」とい う優れた貨幣が造られ、遣唐使などによっ て日本に伝えられた。 この開元通宝をモデルにし、和銅元 ( 708 )年に造られた「和同開珎」が日本 最古の貨幣とされていたが、さらに古い 7 世 紀後半に造られたとされる「富本銭」が奈 良県明日香村の飛鳥池遺跡で見つかった。 富本銭は以前にも平城京跡や長野県高森町 などで出土しており、まじないに使われた 銭として考えられていた。富本銭が日本最 古の貨幣かどうか、さらに研究と調査が進 められている。
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1-3 渡来銭の使用 10 世紀末からの約 200 年間は、米や絹などの 物品貨幣が利用され、平安末期になると、農業 生産力の向上や経済の広域化により、金属貨幣 に対する需要が高まり、中国等との貿易を通じ て流入してきた貨幣(渡来銭)が日本国内でも 使われるようになった。 渡来銭だけでは貨幣が不足していたことから、 室町時代になると、渡来銭をまねた私鋳銭(鐚 ( びた ) 銭 ( せん ) )が大量に造られた。
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1-4 領国貨幣の登場 16 世紀に入ると、商工業の発展にあわせて貨幣 の需要が増大し、一方、戦国大名は軍資金の調 達や家臣への報奨物として金銀に目を向けた。 このため各地の戦国大名は領内の鉱山を開発し、 独自の金銀貨を鋳造するようになり、これらの 領国貨幣は、その後徳川幕府が鋳造した金銀貨 が全国に普及するまでの間、約 150 年にわたっ て流通していた。豊臣秀吉が鋳造させた貨幣の 多くは恩賜・贈答を目的としており、なかでも 「天正長大判」は世界最大の金貨として有名。
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1-5 江戸時代の貨幣制度 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は貨幣制度の統一 に着手し、慶長 6 ( 1601 )年に慶長金銀貨を発行した。 銭貨については、寛永 13 ( 1636 ) 年、三代将軍家光 の時代に「寛永通宝」が造られた。寛文 10 ( 1670 ) 年には渡来銭の通用が禁止され、貨幣制度は完全にわ が国独自のものになった。この金・銀・銭、3種の異 なった貨幣からなる貨幣制度を「三貨制度」という。 一方、 17 世紀初め頃、伊勢山田地方の商人の信用に 基づいた紙幣(山田羽書 ( はがき ) )が出現し、やがて 各藩でも領内で通用する藩札(紙幣)が発行された。 幕府による三貨制度と、各藩における紙幣の分散発行 が併存するという、江戸時代独特の幣制ができあがっ た。
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1-6 明治維新と通貨制度 明治新政府は当初、通貨制度を整備するまで のゆとりがなかったため、幕藩時代の金銀銭貨 や藩札をそのまま通用させる一方、通貨不足解 消のために自らも太政官札や民部省札などを発 行し、さらには民間の為替会社にも紙幣を発行 させた。このため、各種通貨間の交換比率が非 常に複雑になり、また偽造金貨、紙幣も横行す るなど通貨制度は混乱をきわめることになる。
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1-7 日本銀行の設立 明治 10 ( 1877 )年の西南戦争の勃発に伴い、戦 費調達のため政府紙幣や国立銀行紙幣が増発さ れたことから、激しいインフレが発生した。こ うした状況は厳しい財政緊縮と紙幣の回収整理 により収束され、兌換銀行券の一元的な発行に よって紙幣の乱発を回避し、通貨価値の安定を はかることの必要性が認識され、明治 15 ( 1882 )年、中央銀行としての日本銀行が設立 された。日本銀行券は、明治 18 ( 1885 )年に銀 貨と引換えのできる兌換銀券として、はじめて 発行された。国立銀行紙幣と政府紙幣は明治 32 ( 1899 )年に通用停止となり、わが国の紙幣は 日本銀行券に統一された。
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1-8 戦時中、戦後の通貨 昭和 17 ( 1942 )年の日本銀行法制定により、日本銀行は兌換 義務がなくなり、日本銀行券から兌換の文字が消えました。 これによって日本は金本位制から管理通貨制度へ移行しまし た。管理通貨制度とは、正貨(金等)を準備して紙幣の額面 価値を保証しなくても、最適と思われる通貨量をきめて、通 貨量を管理・調整できる制度で、今日も政府・日銀によって おこなわれています。 戦時体制下の昭和 13 ( 1938 )年には、通貨需要の増大に対処 するため「臨時通貨法」が制定され、金・銀・銅以外の新し い素材の金属によって補助貨幣が発行できるようになりまし た。 昭和 21 ( 1946 )年、わが国は戦後激しいインフレに見舞われ たため、「新円切り替え」がおこなわれ、新しい紙幣が出回 るまでの間、応急処置として旧札に「証紙」を貼って通用さ せました。 昭和 25 ( 1950 )年には新しく千円札が発行され、以降紙質の よい、多色刷りの紙幣がつくられるようになりました。 今日ではクレジットカードの普及や電子マネーの発達などに よって、貨幣も新しい時代を迎えています。
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