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平和学 Ⅰ 戦後平和構築と和解.

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1 平和学 Ⅰ 戦後平和構築と和解

2 「戦後和解とは何か」 概要 「平和のために過去を忘れない」? 戦後和解とは何か 講和と戦後平和構築の歴史 東京裁判と日本の戦後和解

3 「100年後の再会」

4 山梨学院大学国際会議 「ポーツマス講和から100年」
相違点「歴史をどう読むか」 和解の代償? 中国社会科学院 湯重南教授の見解   「中韓は日露和解の犠牲となった」 韓国国民大学 金栄作教授の見解   「中国も韓国支配をもくろんでいたのでは」 ロンドン大学 イアン・ニッシュ教授の見解   「 ポーツマスはサンフランシスコとは違う」 合意点「平和のために過去を忘れてはならない」

5 ??? なぜ私たちはそう考えるようになったのか
「平和のために過去を忘れてはならない」 ??? なぜ私たちはそう考えるようになったのか

6 「戦後和解」とは何か 1. 定義 戦争が終わって平和が戻ってきた後も、戦争という過去の忘却を否定しようとする観念は、一定の時代と社会を背景に生まれてきた歴史的現象である。戦後和解とは、一定の歴史的現象のなかで浮上してきた政治的課題である。 戦後和解の目的は、偏見の払拭と相互理解の促進を通した、様々なレベルでの国際交流の調和と柔軟性の醸成にある。 戦後和解は、民主的な社会を土壌として、双方向の努力と歩み寄りによってはじめて遂行されうる文化創造的な課題である。 戦後和解とは、修正できない過去を踏まえて未来を見据え、あるべき未来を担保として現在に生きるわれわれが決意する妥協と譲歩である。

7 「戦後和解」とは何か 2. 復讐と和解 この講義では、戦後和解を、第二次大戦の旧敵国間に、平和回復後ないしは講和後、なおわだかまる感情対立の解決ないしは緩和と定義する。 和解の対義語は復讐である。復讐は和解よりも自然で強い衝動である。

8 「戦後和解」とは何か 3. キーワードの整理 国家・戦争・戦後平和構築など、今日の国際体制はヨーロッパを起源とする。⇒西欧の講和の歴史をひもといてみる キーワード: 講和/平和/和解=peace 和解=reconciliation/復讐=revenge 戦後和解=postwar reconciliation 正義/正義の女神/裁き=justice  戦後平和構築=postwar peacemaking

9 平和=忘却 近代以前においては、講和と同時に、戦争中の悪行を全て忘れ去ることが常であった。忘却こそが、戦後の平和を強化するために最善の策であると考えられていた。

10 講和と戦後平和構築の歴史 1.神の御前での講和
古代: 戦争の歴史は、勝者による敗者への復讐の歴史 キリスト教と従軍という矛盾:正戦論の誕生 近代以前の講和の特徴   ① 神の御前で、戦争が双方にとって悲惨であったことを認め、戦争という過去の罪をともに告白し、ともに赦しを乞う。   ② 神の御前で、「恒久の平和…不滅の平和と友好」を誓う。   ③ 神の御前で、戦争中の悲惨でおぞましい出来事を、講和とともに忘却することを誓う。   ④ 最終的(絶対的)正義(=裁き)は神が行う(という了解)。

11 講和と戦後平和構築の歴史 2.忘却と赦し 1713年ユトレヒト講和条約
 「双方に不滅の恩赦があるべし、そしてかつての戦争中、双方に対して、あらゆる場所に おいて、あらゆる手段によって犯された敵対行為にあたってなされた、あらゆることがら の忘却があるべし。」 1763年パリ講和条約   「いまや終わりを告げた戦争の、開始以前および以後になされ、あるいは犯されたであろう、一切の事柄すべての忘却があるべし。」

12 講和と戦後平和構築の歴史 3.譲歩と和解 ヴァッテル(1714~67)の見解
  「厳密で厳格な正義の原則にのっとって条約を作成したなら、平和は成就しないだろう。……被った損害に対して、正当な見積もりをまとめあげるなどということが、はたしてできるものだろうか? 流された血、失われた多くの命、家族にもたらされた悲嘆に、どんな代償を支払うことができるだろう?……我々は、とどのつまり、平和の回復をひたすら心に銘じ、そうした有益な目的に向けて、恒常的に努力していかなければならない。唯一頼みとするものは、双方の主張と悲嘆とを折り合わせることであり、到達し得る限り公正な合意によって和解することにあるのだ。」

13 講和と戦後平和構築の歴史 4. 平和≠忘却 18~19世紀にかけての変化⇒揺らぐ<平和=忘却> 変化をもたらした4つの要素:
講和と戦後平和構築の歴史 4. 平和≠忘却  18~19世紀にかけての変化⇒揺らぐ<平和=忘却> 変化をもたらした4つの要素:   世俗化・民主化・ナショナリズム・国際法 ① 戦争で最も被害をこうむる者たちの政治的地位の向上 ② 講和に際して政治家が世論に敏感になる~メディアの発達 ③ 新しいタイプの戦争・新しいタイプの兵士~戦死者の哀悼 ④ 国際法と戦争の人道化~<文明国>は野蛮な戦争を嫌悪    ⇒戦争中の軍隊の行動が講和に影響を及ぼすことに・・・

14 講和と戦後平和構築の歴史 5. 忘却から戦争犯罪裁判へ
講和と戦後平和構築の歴史 5. 忘却から戦争犯罪裁判へ 20世紀 2つの世界大戦と<講和=忘却>の破綻   ① かつて講和にあたって裁きと正義は神に託されたが、第二次世界大戦後は戦勝国が敗戦国を裁いた。   ② かつて政治家は神にアピールしたが、いまや世論にアピールするようになった。 ●新しいタイプの戦後平和構築の特徴   ①世論へのアピール、過去の忘却の否定、恒久平和や親睦の強調   ②3つの特徴を具現化するものが戦争犯罪裁判の開廷   ③勝者の正義と再教育を敗者に受容させることが、真の戦争の勝利を意味するようになった。

15 「靖国問題」の起源? 敗戦国 戦勝国 <線引き>と<バランス>による戦後平和構築(イメージ) 関係修復 加害者に騙された者 =被害者
  加害者・侵略者   =戦争犯罪人    「邪悪」 加害者に騙された者    =被害者  「再教育の対象」 関係修復 侵略を受けた被害者 敵の残虐性の犠牲者     「正義」 敗戦国 戦勝国 ●戦争犯罪裁判に対する反対理由:   勝者による敗者への復讐の典型・旧敵間の憎悪をむしろ長引かせる・・・ ●同、支持理由:   法の支配の確立、再犯の防止、復讐の抑止、即決処刑をさけて敗戦国指導者が   殉教者として扱うことを避け、戦勝国指導者への崇敬を促す。記録を残す・・・

16 東京裁判と日本の戦後和解 1. 日本とドイツの異なる戦後
東京裁判と日本の戦後和解 1. 日本とドイツの異なる戦後 ドイツへの高い評価と日本に対する厳しい評価 ドイツによる戦後補償とナチス裁判の続行   ⇒<線引き>と<バランス>による戦後和解政策の展開 戦争犯罪裁判における勝者と敗者の<正邪>の一致 ナチスドイツ=侵略者・犯罪者 戦勝国=解放者・裁き手 ユダヤ人…=犠牲者・被害者 (日本の場合?)

17 東京裁判と日本の戦後和解 2. 拒否される歴史解釈の多様性
東京裁判と日本の戦後和解 2. 拒否される歴史解釈の多様性 「史実」を踏まえた演説への非難「1988年イェニンガー議長辞職事件」   イェニンガーの演説は史実をふまえたものであったが、その基調には「歴史を善と悪に二分することはできない」とする認識 があった。内外のジャーナリズムは、彼の演説を「ヒトラー崇拝」「反ユダヤ主義」に根ざすものとして、一斉に批判した。

18 東京裁判と日本の戦後和解 3. 日本に対する<線引き>と<バランス>
東京裁判と日本の戦後和解 3. 日本に対する<線引き>と<バランス> 1945年7月ポツダム宣言(米・英・中)   六 …日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は、永久に除去せられざるべからず。   一〇 吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加えられるべし。   〔注=「厳重なる処罰」はstern justice〕     ⇒ 東京裁判・BC級裁判の開廷

19 東京裁判と日本の戦後和解 4. 日本に対する<再教育>と<裁き>
東京裁判と日本の戦後和解 4. 日本に対する<再教育>と<裁き> アメリカによる<線引き>と<再教育>   日本国民を<欺いた者=戦争犯罪人>と<欺かれた者=一般国民>に線引きし、前者を処罰し、後者に真相を教え、勝者の戦争目的とその正義を受け容れさせる

20 東京裁判と日本の戦後和解 5. 対日裁判の問題点
東京裁判と日本の戦後和解 5. 対日裁判の問題点 近隣諸国との関係修復からみた問題点   ①東京裁判でデザインされたのはもっぱら日米の関係修復であった。アメリカは「真珠湾」を重視した。 ②日本の戦争が「侵略戦争」として裁かれるならば、それは、近隣諸国に対する植民地侵略ではなかったか。だが、裁判当時は、植民地主義は「国際犯罪」とはみなされていなかった。 ③東京裁判の主たる判事国は植民地宗主国で、旧植民地代表の意見が反映されることは少なかった。 ④東京裁判の開廷期は中国内戦とほぼ一致していた。東京裁判の判事席についたのは中華民国の代表であった。 ⑤日本の植民地であった地域の人びと(朝鮮人・台湾人)はむしろ裁かれるべき対象とみなされた。

21 東京裁判と日本の戦後和解 6. 混乱する<線引き>と<バランス>
東京裁判と日本の戦後和解 6. 混乱する<線引き>と<バランス> 冷戦がもたらした友好   ①<線引き>不能な日本人とわだかまる憎悪   ②変質する東京裁判の意義   キーナン首席検察官「侵略謀議のかどで裁判にかけられるものがあるとすれば、それは日本の裕仁天皇ではなく、スターリン・ソ連首相である。ヒットラーとスターリンが世界制覇謀議者だったことは、東京裁判の結果、証拠歴然となった。」(『毎日』1950年2月4日) 被爆体験と冷戦がもたらした使命   ○敗戦国=日本が、戦勝国=核保有国を監視する(⇔ドイツの場合)

22 おわりに 残された近隣諸国との関係修復


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