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メディア社会文化論 2014年10月23日
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3. メディアの定義と諸相 3.1 メディアの辞書的定義のいくつか
3. メディアの定義と諸相 3.1 メディアの辞書的定義のいくつか 3.1.1稲葉三千男の定義① 二通りの「メディア」 1)神と人の媒介(垂直方向) 2)人と人との媒介(水平方向) (『コミュニケーション事典』(1988、平凡社)の「マス・メディア」の項目)
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3.1.1稲葉三千男の定義② 1)神と人の媒介(あるいは媒介に必要な媒介項)・・・媒介項は<みこ><霊媒><預言者>など・・・(以下、後藤の補記)異質的な媒介をする媒介・・・異質なままだとメディウム。他方、媒介項を飛び越えて、直接媒介可能と考えるとミッテルに
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3.1.1稲葉三千男の定義③ 2)人と人との媒介(あるいは媒介に必要な媒介項)・・・媒介項は送り手と受け手との中間にあるもの・・・同質的な媒介をする媒介・・・ミッテルの媒介、媒介物はメディウム 2-1)媒体材料 (例)音波に対する空気、文字に対する紙 2-2)媒体材料に情報が加えられたもの (例)新聞、雑誌、パンフレット、レコード、映画、ラジオ、テレビ
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3.1.1稲葉三千男の定義④ 「媒体media(メディウムの複数形)とは,もともと<中間にあるもの>または<中間>を意味した.神と人との中間にいてなかだちをする<みこ><霊媒><預言者>なども含まれる」(稲葉 )・・・1)の方に相当するメディア この「神と人との中間」にいるものという部分を「送り手と受け手の中間にあるもの」とよみかえて、稲葉は議論していく。
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3.1.1稲葉三千男の定義⑤ 「対面集団face to face group内での会話や音楽会場での演奏などだと、空気が音波のメディウムで、手紙や遺言状だと紙が文字のメディウムである」。さらに印刷術の発明にともなって「新聞、雑誌、パンフレットなどの印刷物が」最初のマス・メディアとして登場する。つぎにレコードや映画が登場するが、これらはいずれも「物体として持ち運びができるという意味でパッケージ型である」。
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3.1.1稲葉三千男の定義⑥ 他方ラジオやテレビはパッケージ型ではない。またフィルムや電波の情報を再生するための再生装置は「送り手と受け手の中間にあるもの」であるので、マス・メディアに含めうるという。さらに「マス・メディアがマス・コミュニケーションとまったく同義に使われることも少なくない」。
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3.1.2上田修一の定義 1)メディア=媒体 2)メディア=従来からのマス・メディア 1)2)共に「情報を運ぶ乗り物」
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3.2メディア概念の諸相1 メディア・・・表層、表象・・・例、「流行は時代を表すメディア(鏡)だ」
表現・・・「芸術作品は作者の心を表すメディア」「時代の空気を表すメディア」・・・マクルーハンはじめ、芸術畑の人がメディア論に Mediate「媒介する、取り持つ」・・・ならば酒、カラオケ、ゲーム、美味しい食事、夜景、格好良い車も「メディア」?!!飲みュニケーション
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メディア概念の諸相2 たいこ持ちや仲人・・・メディアの典型とも コミュニケーションの究極は性愛?(齋藤孝『コミュニケーション力』)
人を表すメディアは?・・・服装、表情、顔、スタイル、容姿 そもそも人(というか動植物)・・・遺伝情報を選ぶ(運ぶ)ためのメディア
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メディア概念の諸相3 人の中枢は脳、その脳を模したコンピュータ・図書館もメディア
そもそも先述の、服装、表情、顔、スタイル、容姿を「メディア」という語で表すのが適切?→表現?サイン?
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3.3メディアの対概念の多義性1 メディアの対概念は?・・・典型は「情報」 マクルーハンなら「メッセージ」
では「メッセージ」とは何?・・・思考、情報の意味・・・解釈を伴う(情報は解釈を必ずしも伴わない・・・データ概念にも近づく)・・・コード(文法)理解必須、コンテクストも。 解釈なき情報はありうるか否か?そもそもそう考えると情報は「もの」なのか・・・やや疑問
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3.3メディアの対概念の多義性 ・・・ただし読まれない情報はあるし、先述の物財の情報性も
→読み取り機械の保管の問題とも関連する。読み取りするリーダとデータ双方を保管する必要性(実際、図書館・資料館の大きな課題) ・・・読み取る側も読み取られる側も双方メディア(→マクルーハンのメディア概念の重層性に)
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4.メディアからマス・メディアへ 4.1中井正一のメディア論、マクルーハンのメディア論の纏めと、マス・メディア論への視座(示唆) 4.1.1マス・コミュニケーション論とマス・メディア論(そもそもはあまり分けて専門家も使っていないと思われる)
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4.1.1マス・コミュニケーション論とマス・メディア論
マス・コミュニケーション論の大きな問題関心・・・受け手の主体性をどう捉えていくか? べき論(Sollen)・・・メディア・アクセス権の主張、公共圏、コミュニティ・メディア論 (CATV、死語となった「ニューメディア」論)・・・受け手の主体性をいかに確保していくか 実態論(Sein)・・・効果論研究や「利用と満足」研究・・・受け手が本当に送り手のいいなりになっているのか?
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マス・メディア実証研究の主流 -効果論研究
1)弾丸理論・皮下注射モデル・・・ナチズムやオーソン・ウェルズ「火星人襲来」が背景に 2)限定効果説 カッツ&ラザースフェルト マス・コミュニケーションの二段の流れ仮説 「オピニオン・リーダ」「小集団(準拠集団)」 3)強力効果説(2.に較べて相対的に「強力」という意味)新しい効果論
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強力効果説についての主な2つ 3)強力効果説 3.1)アジェンダ・セッティング(議題設定機能)仮説 3.2)沈黙の螺旋状階段 の2つが有力
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3.1)アジェンダ・セッティング(議題設定機能)仮説
アジェンダ・セッティング・・・議題設定機能 マス・メディアは議題(イッシュー)の提示に大きな機能/イッシューの賛否には影響与えない(「強力」効果論といっても・・・) しかし 賛否に関係ないとはいえ、実質ある事柄の賛成派・反対派のいずれかに利することに
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アジェンダ・セッティングでの「強力」になる実例
1)女系天皇・女性天皇をもう政治課題にしないとの安倍元首相(当時)の意向→メディアが受け取る→報道を減らす→結果的に、女性天皇に反対する自民党の一部勢力の意見に有利な状況を作り出す (あるいはもう少し最近でいえば)小沢元民主党幹事長の在日外国人参政権を与える意向も
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2)憲法改正論議・・・従来、国会において議論すらタブーであった→今はそれを議論すること自体は与野党共に合意→議論する中で、(社民党、共産党を除いて)与野党共に改憲そのものも(9条に触れるか否かは別にして)否定はしない(テレ朝の姿勢)
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3)日本の核兵器保有・・・憲法同様、論じること自体がタブー→北朝鮮の核保有という事態→核保有の是非を論じることそのものは国会においてもマス・メディアにおいてもタブーではなくなってきている。
政府や与党が、アジェンダを決めていき、それに大手マス・メディアが追随している現状があるように思われる。
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万年野党と思われた民主党政権が出来た ←「政権選択」が、アジェンダに。 それを防ごうと麻生太郎は「政権選択よりも政策を」と叫んだが。 どちらに入れるべきかはマス・メディアは語らない/だけど「政権選択」がイッシューに→民主党政権の芽が出る
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3.2)沈黙の螺旋状階段仮説 サイレント・マジョリティ 黙っている多数派と、饒舌な少数派 見かけ上の多数派はどちら?
人は孤立をおそれる動物(ノエル・ノイマン)
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効果論→マス・メディア論、メディアの棲み分けの議論
[べき論]・・・大資本によるマス・メディアVS 小資本による地域メディアという対立図式 あるいは不特定多数への新聞VS 多様の少数者への出版といった図式 公平原則のある放送(義務としての公平中立)VS 義務ではなく自由だが公平中立を主体的に(信用と売れ行きのため)標榜する新聞VS 自由かつ中立性も気にしなくて良い出版
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このような中において、携帯やネットといった新しいメディアはどのように位置づけられるのか?・・・そもそもワンセグに代表されるように、こういったメディアの分類そのものを無効にするのが、携帯やネットであるともいえる(マルチメディアの一つの意味)
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→限定効果論は「パーソナル・メディア(会話)vsマスメディア」という図式を前提に
ネット社会のネットはパーソナル?マス?(有馬哲夫・早大教授)(放送法か通信制度かいいずれの統制の下に置かれるべき存在かという問題にも照応)
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[実態論] 効果論・・・それぞれの時期における主流のメディアが会話との比較対象とされ、調査対象に 理論枠組上はメディアの区分(どれが良いかといったべき論のような)はない・・・(マクルーハンとは違って、というか)
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しかし限定効果論-「べき論」としてあった受け手の主体性-を実証レベルで再認
他方、児島和人「パーソナル・インフルエンス再考」 「べき論」の方の機能の棲み分けに当然、人々への効果・影響の内実も関わってくると考えられる可能性がある
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4.2.2 マクルーハン、中井の示唆と受け手の双方向性
双方向性・・・マクルーハン、中井ともに重視。しかしマクルーハンは解釈の自由から来るもの(文学研究がもと)。中井も印刷本の解釈の多様性。 対等性と双方向性 ミッテル・・・対等性・水平性 メディウム・・・垂直性 垂直性に対する水平性
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http://www. geocities. jp/m_ikinobu/kyoudokenkyu/kaihou22
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〔メディウムの媒介〕 垂直性(神と人)(死者と生者)(後世の人へのコミュニケーション)(貴族と平民)(知識人と大衆)etc次元の異なる者相互が交わらずに場所・領域としてのみ存在している状態 (それら相互に動き・交流があればミッテル) 透明でない媒介
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〔ミッテルの媒介〕 対等性と双方向性 interactivity 透明な媒介 1)基本的に次元の同じ者のやりとり 2)次元の異なる者を同じと見なして行うやりとり(『土曜日』) しかし次元の本来違うものが対等性を発揮しようとするから、その壁こえのエネルギーが意味を持った。(以下は後藤の見解・・・今は逆。単なる水平性の増加としての対等性)。
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現代では、情報媒体の相対的な稀少性の減少も背景に(「委員会の論理」の「印刷される論理」)
→複製の場(機会)、発言の場が電子情報のように媒体の稀少性の低い局面では、増えてくる。
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5.時間の流れのなかにある言葉を記録する媒体としての紙
〔紙切れから本へ〕 稀少材としての木簡、石・・・永遠に残るような言葉、墓碑銘のようなもの。 恐らくは、時間の流れの中にある存在を悠久の時間の中に位置づけようとする試み。 紙の発生・・・でも当初は重要な手紙と記録に。 一枚物の紙・・・散逸する可能性のあるメモや通知文
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非常に大ざっぱに分けると 本(写本)・・・時間性の(時間的延長を意識したという意味であり、タイムリーであるという意味ではない、というかその反対の)メディア 来世(あの世)や後世(未来のこの世)を意識 そもそも人類の歴史の大部分・・・平均寿命、今より遙かに短い・・・来世を意識 近代・・・科学合理性の支配・・・大半の人々、来世を信じえず。代わりに後世を意識
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現代のみ(それも科学の恩恵を受け、平均寿命も長い先進国の現代人のみ)・・・来世も後世も信じず、現世のみを重視する・・・地球を消費の対象としか考えない(cfハンナ・アレントの発想)
近代の本(=印刷本)・・・時間性とともに空間性の(空間的広がりも意識した)メディア 現代の本(印刷本)・・・空間性のみのメディアとなりつつある(消費物になりつつある)
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函入りハードカバー→函なしハードカバー→ソフトカバー(単行本)→文庫本・新書本
・・・本の形態の軽装化・・・長時間の保存に耐えうることを意識しない形態に。
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マクルーハンと中井正一の印刷本(印刷メディア)への評価①
マクルーハンの評価・・・このような印刷本の空間性(広い地域に流布させる)を表音文字の普遍性に還元して批判 文字文化の問題(抽象的であり、広範囲に及ぶ支配の道具になっている)を、写本より活字本は強化
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マクルーハンと中井正一の印刷本(印刷メディア)への評価②
中井正一の評価・・・印刷本・・・複製可能、商品・・・写本より一方向的。しかし多様な解釈の可能性。目の見える関係での合評会・相互討論(後藤のコメ・・・書き込みすれば大量の「異本」の流通とも捉えうる)→逆に双方向性への兆しにも
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「委員会の論理」(1936) (中井正一の戦前の代表作)
「いわれる論理」・・・ギリシアの問答法(弁証法)。(vs文字・・・奴隷のフェニキア人の専有物)・・・双方向 「書かれる論理」・・・中世の写本・・・教会が文書を独占。聖書の解釈権を独占・・・一方向 「印刷される論理」・・・近代の印刷本・・・大量の複製・・・それ自体は一方向・・・しかし多様な読み方・読書会等を通じて多様な解釈・・・双方向性の復活
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『美学入門』(1951) (中井正一の戦後の代表作)
映画・・・カットとカットをつなぐ言葉(「・・・である」「・・・でない」「・・・かも知れない」「・・・に違いない」等々)がない。 →受け手が想像力で補ってつないで読みとる →受け手の主体性を喚起 ・・・マクルーハンの低精細度の議論(低精細度→受け手が補う)に似つつも、より精緻。
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少し文脈を切り離した(つなぐ言葉「繋辞(繋詞)」は「文脈」を指示)理解を可能に。(花壇を椅子とみなすような機能概念的把握)
すべてを「即」でつなぐ日本的な思想(西田哲学)等を意識している(鶴見俊輔)
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ここで・・・各メディアの関連付置 -時間性、空間性を軸に
←より時間性(垂直性) より空間性(水平性)→ 写本 印刷本 雑誌 新聞 ラジオ(ライブだとより右に) テレビ 電子メディア(双方向性の典型)
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比較的左側の媒体もそもそもは、より左に対して速報的(空間的)媒体だった・・・
雑誌は本よりは速報的であるし、個人的であるし(journal はフランス語の日記の意味、また日誌の意味も)、新聞は(「新」しく「聞」くnewspaper ということからも、新しい事柄・「ニュース」を伝える「紙」媒体)である。 その「新聞」という速報的メディアに本来あった速報性のお株を奪うのが、ラジオやテレビであるといえる(もちろんさらにネット)。
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6.本(書籍) 6.1本の存在論-本の垂直性 本の垂直性(後世を意識した媒体性)・・・その垂直性を強く示すのもの
過去には写本(cf中井正一「委員会の論理」1936)がその典型かと(稀少資源の紙に書かれた媒体)。 現在は、本の市場の外にある図書館もその垂直性がありうる。 (公共図書館の無料原則の潜在的な理由であるかも・・・門外漢の呟きだが)
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垂直性と物神性 本の物神性・・・このような本の垂直性と随伴して(平行して)本の物神性というものが生じてくる。 「本は踏むべからず」 反対に
プリントアウトした資料・・・使わなくなったら裏紙はメモに 古新聞・・・ちり紙交換、ゴザ、レジャーシート
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物神化(フェティシズム) 下着フェチ、脚フェチ・・・下着、脚によって本来性欲が充たされるわけではない。
貨幣へのフェティシズム・・・貨幣を万能の価値のように崇めること。本来、単に労働時間の記録・証明。労働時間の交換の媒体。 物神化(フェティシズム)=本来崇拝すべきものでないものを、神のように崇めること
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本のフェティシズム① 本のコレクション、つんどく・・・読まれてなんぼのものなのに
蔵書・文庫・傷めずに読む(書き込み厳禁)→一つの図書館の源流か 物神化していない現実・・・ 単にテープやマイクロフォンがなかった時代、著者の声や考えを記録したものにすぎない面も(子曰く・・・筆記者としてのプラトン)
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本のフェティシズム② 1.本を踏むべからず →知-集合性の証としての本への尊敬の念を、子どもに植え付ける。集合性への畏れ、おののき
2.行間を読め 読書百遍、意自ずから通ず。 →ある種の「全体性」が本にはあるとみなされる。
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本のフェティシズム③ 作者の単なる「部分」ではなく、「部分」でありつつ「全体」を象徴するものとして捉えられる。本当は作者の考えの一プロセスを示すものに過ぎないのに。 3.「人間書物」という言い方。ミハイル・イリーン( )『書物の歴史』 これは逆にいえば、知恵者の人間よりも、書物の方が 本来上という意識があることがうかがわれる。
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本のフェティシズムの理由 1.宗教上の教典や歴史、特に正史が紙(あるいは紙の前史となる文字の記録媒体)の利用をかなり独占 ▽昔のヨーロッパの大学、神学部中心。 日本でも鎌倉五山、京都五山は学問の中心、bible は語源的に本の意味もある。the Book は「聖書」の意味にも。 神学や仏教哲学が学問・哲学の中心であった。修道院の図書館の姿にみられるもの
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2.従来の本・・・聖書、歴史書・・・集合性の証し(デュルケム)
▽現在の本 でも 内なる他者性を含める・媒介性(矛盾するものを媒介し=結びつけつつ、体系づける) 少なくとも、本の素材となった雑誌や新聞の記事や著者のメモ(書き下ろしの場合)の作成にかかった時間よりも遙かに多くの時間が1ページに投入される。
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▽労働価値説的にも、雑誌や新聞よりも価値がある。
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3.本の物神性の背景としての、言葉の物神性 ▽「神は細部に宿る」 ▽「人生は一行のボオドレエルに若かない」 4.蓄積的で精査されて作られる情報源であり、更新がしづらいだけに、普遍的真理が盛り込まれていると考えられる可能性が高い。 ▽ネット情報の反対の正確
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6.2出版社の二つの仕事 「本屋」という言葉の二義性、多義性 出版屋さん?書店さん?場合によって印刷屋さん、製本屋さんとも
現在の出版社の主な仕事 ・・・雑誌作りと本作り(ただし双方はだいぶ違う)
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「書き下ろし」という言葉 従来「書き下ろし」は、本の帯の謳い文句・売り文句 普通、本は書き下ろしではなく、雑誌・新聞の連載で書かれる。
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雑誌の編集部員の二つの機能 雑誌作り・・・新聞作りと本作りの中間的性格 編集部員が新聞同様自分で記事を書く場合 (記者的機能)
編集部員が外部の寄稿者の原稿を割り付けていく場合(編集者的機能)
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大手出版の商社的機能 大手出版社 編集や雑誌制作の何割かは子会社や別会社に(外注・アウトソーシング)
自分たちは実質、名前を貸したり、販売網を提供したりするだけという場合もある。 雑誌でも記者的機能はしなくなる(外注ゆえ) 商社的機能
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本のみの出版社 本のみの出版をする会社 ほとんど人員を要さずに、大きな仕事
全国的に良く知られているところでも、社員数名も・・・採用は一社当たり10数年に一度 本作りは、電話一本と人脈があれば出来る 窮極の外注産業・・・文章は作家先生や有名教授。版下作りは版下屋さん。印刷は印刷屋さん、製本は製本屋さん、表紙デザインはデザイナー。
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昔は、印刷屋と出版屋と本屋(場合によっては版画屋、画家、作家)がある程度、同じ人物や企業によって担われていた
↓ 分業化 本屋で多様な意味に
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(出版社をはじめ)全てのマス・メディア産業
商社的機能(編集者的機能の窮極) 記者的機能(自前でものを作る) 企業の大規模化 現代に近づくにつれて 記者的機能→商社的機能
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記者的機能は非分業に近い 商社的機能は分業 よって現代になればなるほど前者→後者に マスメディア企業が大規模になればなるほど 前者→後者に(編集プロダクション・制作プロダクション)(発掘!あるある大事典の納豆騒動)
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6.3出版物の販売 委託販売(岩波を除き) 書店は出版物の陳列棚・・・買い取らない 短いサイクルで流れていく(児童書は例外)
委託販売で売れ残った出版物・・・取次店経由で出版社に返品・・・3-5年のスパンで倉庫に保管(在庫は課税の対象に。税法が本を物神化しているようにも思われる)・・・倉庫で3-5年経ったもの・・・裁断・・・古紙市場に
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6.4出版物の特徴 互換性が効かない→ブランド忠誠心(特定の著者・特定の出版社だから買う・読むという人が多い)が強まる(後藤将之)
放送にはない特徴 新聞は放送と出版の中間 代替可能性に対する代替不可能性 ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』
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商品とは?1/3 出版物は商品性が多少弱い情報商品かもしれない では、商品とは?
価格の付いているものは全て商品?→違う、でも我々の日常感覚はそう。(政府刊行物は例えば、商品ではないが、定価はついている)
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商品とは2/3 商品・・・資本を富ませるもの・利潤をあげるもの 資本家(株主)に配当を得させ、しかも資本を自己増殖していくもの
なぜ自己増殖するか・・・労働者に払う賃金以上に資本の側が利益を得るから 資本は、自己増殖すること(儲けを得ること)を自己目的とする
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商品とは3/3 要は商品は理想や価値よりも利益を優先する(「資本の無方向性」)
情報財のほとんどが商品であること・・・資本の自己増殖という目的のために、情報の中身が歪められる虞が常にある。 大量生産のもの、流通の速いものほど、利益至上主義になりやすい(商品性が強い)
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本と商品性 逆にサイクル長く(紙は長持ちする「酸性紙?」)、多品種少量生産の情報媒体である本は、こういう商品性はやや弱いといえる。
とはいえ、現実の書店は委託販売→サイクル速い→図書館の意義(流通は短い本を、紙という媒体の寿命に相応しく、長くする)
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ともあれ、大半の本は商品であるということに注意を要する。
そして図書館の資料の大半は本であり、本の大部分は商品である点には、留意を要する。 商品でない本・・・政府刊行物、非売品、自費出版など。政府刊行物以外、商品になりえた本より二級品(格下)のイメージもある。
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素人の男女より、モデルはイケメン美女揃い
だけど、性格はきっと悪い お袋さんの家庭料理より、レストランの食事は舌に愉しい だけど、外食ばかりする人は早死にする
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商品は非商品の同類より絶対、質は上。 だけど歪みがある
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