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1871年(明治4年)7月14日 700年余り続いた封建制がクーデタによって郡県制へ.

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1 1871年(明治4年)7月14日 700年余り続いた封建制がクーデタによって郡県制へ

2 廃藩置県 日本全国が新政府の直轄地となった! 261全ての藩が 一斉に廃止され県となる それぞれの県を治める県知事は中央政府が任命

3 クーデタの主導者 薩摩 長州

4 廃藩置県が起きた要因 ①国際的契機(外圧) 先進列強との接触 維新政権の持つ矛盾の拡大 連合政権(国内的)と唯一の主権者(対外的)
 連合政権(国内的)と唯一の主権者(対外的) 統一国家の必然性 ②内部矛盾(内圧) 維新政府の持つ矛盾した要素 幕藩的分権的要素 中央集権的要素

5 疾風迅雷の廃藩置県 国内外の矛盾は これで一先ず解決!? 社会科教育専修 2年 小坂晃子

6 幕府を弱体化・国家意識を高める作用をもたらす
列強の接近 1792年 ロシア使節ラクスマンが根室に来航 外国船が相次いで日本近海に出没 1825年 異国船打払令 幕府を弱体化・国家意識を高める作用をもたらす アヘン戦争後、清国がイギリスと結んだ不平等条約(南京条約)に対する心配 1842年 薪水給与令

7 ペリー来航と不平等条約 鎖国政策から開国へと転換 1853年 ペリーが軍艦を率いて浦賀沖に現れる 翌年日米和親条約を結ぶ
イギリス・ロシア・オランダとも同様の和親条約を結ぶ 1858年 日米修好通商条約に調印 オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結ぶ(安政の五カ国条約) 鎖国政策から開国へと転換

8 開港と尊王攘夷 攘夷論+尊皇論⇒尊皇攘夷論が生まれる 海外への金貨の流出を防ぐために金貨の品質を引き下げる 貿易による輸出超過で物価が上昇
物価上昇に 拍車をかける 攘夷運動が起こる一因に 攘夷論+尊皇論⇒尊皇攘夷論が生まれる

9 幕府の財政困難 幕府の収入源 直轄領(約500万石)からの税金 主要鉱山からの収入 賠償金の支払い 武器や軍艦の購入
財政圧迫 だが 収入を増やしたくてもできない! 幕府の支出に国防費はない 直接課税が不可能な体制

10 幕府は 実質的に存在していた! 大政奉還と慶喜の思惑 1867年10月14日 徳川慶喜が大政奉還の上表を朝廷に奏上 朝廷に政治を任せても
諸大名の筆頭として 権力を握れるはずだ 幕府は 実質的に存在していた!

11 江戸幕府の終結・新政府の樹立 王政復古の大号令 1867年12月9日 御所を武力で封鎖し宮中を占領 王政復古の大号令が発せられる
小御所会議で徳川慶喜に辞官納地を命じる処分が決定される 江戸幕府の終結・新政府の樹立

12 戊辰戦争勃発 江戸で薩摩藩浪士の攪乱工作が行われる 徳川方:薩摩藩を討つべしという強硬意見 1868年1月3日 鳥羽・伏見の戦い
戊辰戦争の勃発 新政府軍「官軍」 vs. 旧幕府軍「朝敵」

13 新政府の動き 鳥羽・伏見の戦いの直後 各地方に鎮撫総督や追討総督を派遣 西日本は1ヶ月以内に平定される 新政府軍は江戸に向かって進軍
1868年4月11日 江戸無血開城 戦いはなお関東以北で続けられる

14 旧幕府軍の抗戦 開城後も旧幕府軍の抗戦が続く 上野彰義隊 奥羽越列藩同盟 会津藩・庄内藩・仙台藩・米沢藩など 1869年5月18日
函館五稜郭の戦いで降伏 1年5ヶ月にわたる内戦が終結 度重なる戦闘に疲弊し、旧来の圧政や戦火を 批判する農民を中心とした一揆や打ちこわしが頻発

15 領地の没収 新政府は108万3400石余りの直轄地を獲得 藩名 旧石高 没収石高 仙台 625,600石 345,600石 会津
280,000石 米沢 180,000石 40,000石 庄内 170,000石 50,000石 その他21藩 1,065,800石 367,800石 合計 2,321,400石 1,083,400石 新政府は108万3400石余りの直轄地を獲得

16 新政府の直轄地支配 西日本 比較的容易 長崎・京都・大阪・大津・府中などに 裁判所を設置 東日本 いろいろな困難が伴う
旧幕府や反政府諸藩への処分によって得た 直轄地は総督府軍が平定 ②諸藩に民政取締りを任せる ①裁判所・鎮台の設置

17 諸藩に民政取締りを任せる方策は木戸孝允の発案
ひとまず人心が落ちつくまでは、占領地を大藩か中藩の取締りにまかせ、兵力を配置することが必要だ 治安の安定 県の設置 財政基盤の速やかな確保

18 府藩県の三治 地方制度 1868年閏4月21日 政体書制定 府 藩 県 西日本 2,3ヶ月のうちに順調に府県が開設
西日本 2,3ヶ月のうちに順調に府県が開設   京都裁判所⇒京都府  大阪裁判所⇒大阪府   兵庫裁判所⇒兵庫県  大津裁判所⇒大津県   奈良県・堺県・久美浜県(中国地方)                          などの設置

19 東日本 西日本と府県の設置過程が異なる 関東 江戸鎮台の設置 知県事の任命 江戸鎮台の廃止 江戸→東京に改称 県の開設 東北
東日本  西日本と府県の設置過程が異なる 関東 江戸鎮台の設置 知県事の任命 江戸鎮台の廃止 江戸→東京に改称 県の開設 (品川・日光・葛飾など) 東北 諸藩の民政取締り 県の開設 (石巻・福島・ 九戸・酒田など)

20 戊辰戦争の爪痕 ・軍事費の支出 ⇒諸藩の財政を急速に悪化させる ・大規模な戦闘 ⇒民衆の生活を苦しめ、国土を荒廃させる
   ⇒諸藩の財政を急速に悪化させる ・大規模な戦闘    ⇒民衆の生活を苦しめ、国土を荒廃させる ・封建制的な身分関係や門閥の軍事的な無能さが   明らかとなる 政府首脳の間に、封建制に変革を加えようとする動きが強まる

21 大久保・木戸の間で版籍奉還が具体的な課題となる
版籍奉還を目指す動き ①薩摩藩 寺島宗則 ②長州藩 木戸孝允 藩主島津忠義に意見書を提出 岩倉具視・三条実美に版籍奉還の必要を建言 藩主毛利敬親に言上 大久保・木戸の間で版籍奉還が具体的な課題となる

22 ③姫路藩 酒井忠邦 1868年11月 版籍奉還を願い出る 朝敵藩とされた汚名を挽回したい! 姫路藩の動きに目をつけたのは・・・ 版籍奉還を全国諸藩で 実施すべきだ

23 薩摩・長州・土佐+肥前の提携 1869年1月14日 薩長土の代表が集まる 薩摩藩 長州藩 土佐藩 おおよそ合意し肥前藩にも伝えられる
諸藩の中でも有力四藩から奉還する形式

24 四藩主の上表 1869年1月20日 四藩主が版籍奉還の表を上奏 毛利敬親 島津忠義 鍋島直正 山内豊範 各藩も追従して奉還を願い出る
だが 政府の真意を 正しく理解していなかった!

25 巧妙なトリック ・・・・・・抑臣等居る所は、即ち天子の土、臣等牧する所は、即ち天子の民なり、安んぞ私有すべけんや、今謹で其版籍を収めて之を上る、願くは、朝廷其宣に処し、其与ふ可きは之を与へ、其奪ふ可きはこれを奪ひ、・・・・・・ 版籍を返上しても改めて政府から再交付される! 強力で統一的な支配を求めるようになっていた

26 版籍奉還断行への壁 ①封建制度の改革に不満をもつ守旧派 政府首脳が批判・攻撃される 今日殺さるる歟、 今殺さるる歟と覚悟
⇒暗殺する攻撃まで発展

27 ②奉還後の知藩事の任命 藩主の任用をどのようにするか 世襲 or 非世襲 漸進的 急進的 非世襲として守旧的な部分は削除

28 版籍奉還の実施 1870年6月17日 版籍奉還の奉請が勅許される 藩主→知藩事 知藩事と家臣との君臣関係を否定 諸藩の領有地
1870年6月17日  版籍奉還の奉請が勅許される 藩主→知藩事 知藩事と家臣との君臣関係を否定 諸藩の領有地 →知藩事が天皇の土地を   管轄する「管轄地」 政府が全国すべての土地人民の所有者であると制度的に確認させた

29 全国政権としての機能を担わなければならない!
政府の抱える矛盾 版籍奉還 政府は国内的・対外的にも唯一の主権者 現実は・・・ 約860万石 政府が財政基盤とする直轄地 全国約3000万石のほぼ1/4 限定された直轄地を基盤としながら 全国政権としての機能を担わなければならない!

30 財政逼迫に悩む政府 政府は不換紙幣である金札を大量に発行 臨時歳出による赤字財政を補うため 1868年・・・約2400万両
1869年5月までで約4800万両にのぼる 極度のインフレと価値の下落 外国側から厳しく追及され貿易・外交面での危機をもたらす

31 開明派の台頭 大隈重信が財政政策を担当 開明派の若手官僚が集結 民部省・大蔵省の合併 急進的な集権・統一政策が進められる
府県からの租税徴収に対し厳しい姿勢 諸藩に対する統制・管理の強化

32 東北地方を中心に国内は大規模な凶作に直面
抵抗する農民 1869年 東北地方を中心に国内は大規模な凶作に直面 被害が最も大きな地域では作柄の平均が15% さらに 贋悪貨幣が横行し経済混乱を引き起こす それでも民部・大蔵省は増徴政策を強行 農民闘争が激化

33 政府分裂の危機 地方官の民部・大蔵省批判 木戸が大隈を参議に昇格させる提案をする 大久保・広沢・副島・佐々木の四参議が辞表を提出
民部省と大蔵省を分離することで府県との確執をなくしたい

34 民部省と大蔵省の分離により急進的施策が一歩後退
政府分裂の危機 地方官の民部・大蔵省批判 木戸が大隈を参議に昇格させる提案をする 大久保・広沢・副島・佐々木の四参議が辞表を提出 民部省・大蔵省の分離に合意します・・・ 民部省と大蔵省の分離により急進的施策が一歩後退

35 小藩の解体 負債にあえぐ藩は 全国諸藩の35%にのぼる 1870年に入ると・・・ 藩体制の維持が困難となった一部の藩が廃藩を願い出る
戊辰戦争後藩財政が極度に悪化 年間歳入の約2倍以上の借金 兵器の調達・出兵の経費 凶作・物価騰貴

36 「藩制」の制定 1870年9月 「藩制」を公布 ・藩を石高に応じて大中小に分ける ・藩高の10分の1を知藩事の家禄とし、残額の
10分の1を海陸軍費とする (海陸軍費の半分を海軍資金として政府が徴収) ・俸禄の与奪や死刑の断行は朝裁を請う ・歳入歳出の明細書を毎年5月に提出 郡県制の徹底と藩を府県と同質化させるための三治一致を推進した方策

37 府藩県三治体制の枠内で中央集権化を進めようとしていた
政府首脳の将来構想 ①岩倉具視「建国策」 王土王民論 税制・兵制・司法の統一的な支配を確立 10万石以上の藩を州、1万石以上を郡と称する ②広沢真臣「山口藩宛意見書」 封建制の因襲を打破することが急務 「真成郡県」 府藩県三治体制の枠内で中央集権化を進めようとしていた

38 「尾大の弊」 政府の中央集権化構想 「藩制」 「建国策」 「山口藩宛意見書」 有力藩の存在が障害となる 郡県制の大成

39 鹿児島藩 政府 政府の進める中央集権化 藩政のあり方 凱旋兵士

40 凱旋兵士 政府 藩政のあり方 政府の進める中央集権化 膨大な数にのぼる兵士の 扶助を優先した藩政改革を行う 強力な軍事力を持つこととなる

41 山口藩 奇兵・干城・遊撃・整武振武・鋭武・健武 など 諸隊 藩当局が簡単に制御できないほど強くなる 凱旋兵士が引き起こすであろう弊害をあらかじめ除いておこう 兵士を政府の常備兵とするよう建白

42 諸隊を解散して常備隊に編成替えを行う 除隊兵と脱走兵による一大暴動に発展 脱走兵は遊撃隊出身者などが主 政府に批判的な攘夷論者が中核
脱退騒動 脱走兵は遊撃隊出身者などが主 政府に批判的な攘夷論者が中核 政府から人民の末端まで至る 改革は漸進的な集権主義で 進めなければ・・・

43 藩力動員へ向けて 鹿児島・山口両藩の緊密な連携 政府改革の断行 鹿児島藩に対する不信 政府の自立性が阻害されるという危惧
説得 鹿児島藩に対する不信 政府の自立性が阻害されるという危惧 三職会議で政府改革についての承認を獲得

44 岩倉勅使の下向 島津久光・西郷隆盛が政府への姿勢を転換 ①政府改革の気運が伝わりその 可能性が現実化してきたと確信
  可能性が現実化してきたと確信 ②膨大な数にのぼる凱旋兵士の   扶助を根本的にやり遂げるため 岩倉具視を勅使として鹿児島へ下向 西郷を上京させることに成功

45 高知藩が鹿児島・山口両藩とともに政府改革に参画することを求め、同意を獲得
政府改革へ向けた有力藩の協力体制ができる

46 鹿児島・山口・高知三藩に対し、兵を徴して親兵とし、兵部省に属させることが命じられる
三藩親兵の結集 鹿児島藩兵を御親兵として朝廷に献ずるつもりでごわす 御親兵は藩兵ではないので 何かあれば薩摩守に弓を 引くことになりますよ? よかでごわす 鹿児島・山口・高知三藩に対し、兵を徴して親兵とし、兵部省に属させることが命じられる

47 反政府運動の弾圧 不穏な動きを見せる反政府運動 不平士族や脱籍浮浪者が反政府行動を 顕在化させる 政府転覆計画がすすめられる
1871年正月8日 反政府分子が広沢真臣を暗殺 政府は弾圧に乗り出し、親兵による政府の軍事力を飛躍的に高めた

48 政府内の空転 大久保と木戸の対立 強力な行政主導型 制度論 木戸の参議就任 西郷も参議に就任するという形で解決 制度取調べ
意見が対立して結論が出せずに終わる

49 藩論の変化 有力藩で「廃藩」に向けた動きが表面化 徳島藩 藩を廃して州を設置しその中に数県を 設ける 鳥取藩
府藩県がそれぞれ異なっている現状を 批判し、郡県の実行が急務であると建言 熊本藩 官制改革の実施と人材の登用が急務 名古屋藩 全国を84の州にして太政官が統制

50 「大藩同心意見書」 有力藩の建言 「藩制」布告による諸藩の藩政改革徹底 政府への政治的参加を求めた 「大藩同心意見書」
藩名を廃して州・郡・県の三つを置く 郡県の体裁を明らかにする 東京に州庁を建て、旧藩庁を合併  など18カ条 外圧の危機と藩財政を維持するための徴税が困難となっていた

51 書生論の台頭 1871年7月初旬 廃藩置県を断行すべしという 突き上げが生まれる 封建制を廃し、郡県の治を布かねばならぬ 「天下の大勢」
鳥尾小弥太 封建制を廃し、郡県の治を布かねばならぬ 「天下の大勢」 最初に木戸に廃藩断行をせまり、 次に西郷に持ちかければよいだろう まず井上に話して、井上から木戸に話して策略してもらってはどうか

52 今日の話を聞いてもらえなければ頸を頂くか刺違える決心です
私の素行のことか? 国家の大事です 藩を廃して県を置くという議論だろう 木戸を説得していただけますか? 「妙案」だ。西郷と大久保の考えはどうだ?西郷とも相談してみるがいい。

53 封建を打破し郡県の治を布かなければなりません。廃藩置県に着手されてはどうであろう?
それはよか。承知したが木戸の意見はどうか? それはよか まずあなたのご意見をお聞きしたい 吾輩のほうはよかでごわす 血をみる騒ぎになりますよ?

54 クーデタへの合意 廃藩断行を前提とした鹿児島・山口両藩実力者の密議が行われる

55 クーデタの主導者 薩摩 長州

56 クーデタへの合意 廃藩断行を前提とした鹿児島・山口両藩実力者の密議が行われる 障害に対しては兵力を動員してでも鎮圧する 廃藩の発表は諸藩の知事の上京を待たず迅速に一斉に発令する 知事は廃藩の発令後上京を命じる 廃藩が断行できないなら全員で辞表を提出する 廃藩断行の決意は三条と岩倉にも伝えられる

57 廃藩置県断行 廃藩置県断行 1871年7月14日 鹿児島藩・山口藩・佐賀藩・高知藩 版籍奉還 名古屋藩・熊本藩・鳥取藩・徳島藩
郡県樹立の建議 先に廃藩置県の勅語が宣される 在京中の藩知事が呼び出される

58 「朕惟フニ更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ト対峙セント欲セハ、宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セムヘシ、朕曩ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ、新ニ知藩事ヲ命ジ各其職ヲ奉セシム、然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ、何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ、朕深ク之ヲ慨ス、仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス、是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂無カラシメントス、汝群臣其レ朕ガ意ヲ体セヨ」 廃藩置県の意図

59 国家的課題:万民を保全して諸外国に対峙する
「朕惟フニ更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ト対峙セント欲セハ、宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セムヘシ、朕曩ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ、新ニ知藩事ヲ命ジ各其職ヲ奉セシム、然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ、何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ、朕深ク之ヲ慨ス、仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス、是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂無カラシメントス、汝群臣其レ朕ガ意ヲ体セヨ」 廃藩置県の意図 国家的課題:万民を保全して諸外国に対峙する

60 国家的課題:万民を保全して諸外国に対峙する
「朕惟フニ更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ト対峙セント欲セハ、宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セムヘシ、朕曩ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ、新ニ知藩事ヲ命ジ各其職ヲ奉セシム、然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ、何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ、朕深ク之ヲ慨ス、仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス、是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂無カラシメントス、汝群臣其レ朕ガ意ヲ体セヨ」 廃藩置県の意図 国家的課題:万民を保全して諸外国に対峙する 有名無実や政令多岐の弊害をなくす

61 寝耳に水の出来事 官民何れも非常に驚愕し、その驚愕の為め反抗の勇気も没却せられたる程 知藩事は対応措置をとるどころか、
茫然自失の状態で廃藩置県を受け入れる 戊辰戦争後の藩財政の悪化+農民一揆 廃藩を受け入れざるをえない状況に追い詰められていた

62 廃藩置県後の動き 廃藩置県の断行はとくに危惧された騒乱を引き起こすような事態には至らず 様々な改革が行われる 士族の解体が進む
国民皆兵の徴兵令 秩禄処分 廃刀令 後に士族反乱へ

63 伊藤博文『日の丸演説』 1871年(明治4年)12月14日 岩倉遣外使節団が サンフランシスコを訪れた時に開かれた歓迎会において
英語で行った演説

64 岩倉遣外使節団 右大臣岩倉具視を特命全権大使とする総勢100人を超える使節団 ①条約締結国への国書の 奉呈 ②条約改正の予備交渉
  奉呈 ②条約改正の予備交渉 ③先進国の近代的な制度・   文物の調査と研究

65 Within a year a feudal system, firmly established many centuries ago, has been completely abolished, without firing a gun or shedding a drop of blood. These wonderful results have been accomplished by the united action of a Government and people, now pressing jointly forward in the peaceful paths of progress. What country in the middle ages broke down its feudal system without war?

66 数世紀にわたって強固に続いてきた日本の封建制度は、一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずして、わずか一年以内に撤廃すことができました。この驚くべき事実は、政府と人民との共同行為によって達成されたものであり、両者は今や一致団結して平和の道を進みつつあります。他のいずれの国が、戦争なくして中世の封建制を打破することができたでありましょうか?

67 誇張と事実 「一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずして、」 外国との局地戦 長州征討 戊辰戦争
「他のいずれの国が、戦争なくして中世の封建制を打破することができたでありましょうか?」 「欧州でこんな大変革をしようとすれば 数年間戦争をしなければなるまい」 廃藩置県

68 参考文献 『廃藩置県』松尾正人/中公新書 「廃藩置県政治過程の一考察」原口清/名城商学:第29号別冊
『明治維新と文明開化』日本の時代史21 松尾正人/吉川弘文館 『国史大辞典』 「廃藩置県の政治的潮流」松尾正人/歴史学研究:第596号 『幕末史』半藤一利/新潮社 『日本の200年 上』アンドルー・ゴードン/みすず書房  『サムライと英語』明石康/角川oneテーマ 『諸説日本史B』 山川出版社 国立国会図書館HP「近代日本人の肖像」 2011.7/21・11/16


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