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大学院国際開発研究科 国際開発専攻 大坪ゼミ 修士2年 趙 玲
中国の経済開発について 大学院国際開発研究科 国際開発専攻 大坪ゼミ 修士2年 趙 玲
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中国の概要 公式の名前:中華人民共和国 国旗と国章: 人口:13億 面積:約960万平方キロ 宗教:仏教・イスラム教・キリスト教など
行政区分:23の省(台湾省を含む)、5つの自治区、4つの直轄市、および2つの特別行政区
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中国の概要 民族:漢民族以外、55の少数民族が公 式的に認定されている
民族:漢民族以外、55の少数民族が公 式的に認定されている 回族、ウイグル族(維吾爾族)、モンゴル族(蒙古族)、チワン族(壯族) 、チベット族(蔵族)など
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中国の概要 政体:人民民主共和制 議会:全国人民代表大会 主要な産業:繊維、食品、化学原料、機械、非金属鉱物 通貨:人民元
為替ルート(今日): 100円=約6.38元 1ドル=約6.89元
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中国の改革開放 1978年末に開催された 改革開放の総設計師:鄧小平 中国共産党第十一期三 中全会から始め、中国 は経済建設に指導方針
1978年末に開催された 改革開放の総設計師:鄧小平 中国共産党第十一期三 中全会から始め、中国 は経済建設に指導方針 が転換され、改革開放 路線を採用、中国の特 徴を持つ社会主義市場 経済の建設を進めるこ とになった
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改革開放の歴史(1978~1983) 改革開放の初期、「手探りで川を渡る」方策を採用した、そして、「命令経済」がまだ絶対優勢であった。
その後の中国の市場経済の形成にとって重要な意義を持つ柔軟な制度が以下のとおり形作られた (1)「包産到戸」 (2) 行政的分権 (3) 資源分配と価格決定の「双軌制」 (4) 経済特区 深圳(広東) 珠海(広東) 汕頭(広東) アモイ(福建) 海南島全域
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改革開放の歴史(1984~1993) 市場経済改革目標が上々に明確化した
* 1984年に、「計画商品経済を有する社会主義」という改革目標が決議された * 1986年、中国政府は1987年から経済改革を全面実施することを決定し、1990年代に社会主義商品経済のフレームワークを構築することを決定した * 1987年に、商品経済のメカニズムは「国家は市場を調節し、市場は企業を誘導する」ことであると定義された
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改革開放の歴史(1994~) 1993年以後、経済改革が全面的に実施され、次のような内容が含まれる
(1)1994年からの財政税制システム改革・銀行システム改革・外国為替管理システム改革 (2)1990年代中期からの国有小企業の活性化と民営経済の発展 (3)1990年代後期から国有企業の「公司化」(民営化)改革 (4)1990年代末に実施された国有経済の「可進可退」(市場参入・退出自由)による「構造調整」及び私有経済促進
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改革開放の成果(内部) 国民経済が高度成長を遂げてきた 中国経済は年平均10%の高成長を持続した GDP(国内総生産)
中国経済は年平均10%の高成長を持続した GDP(国内総生産) 1978年:3645.2億元 2006年: 億元(約57.85倍) 大規模の人口流動(1978年~2005年) 都市人口 1.72億人→5.62億人 農村人口 7.90億人→ 7.45億人 都市化比率:17.9% → 42.9%
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改革開放の成果(外部) 世界諸国と連動しながら、世界の発展に大きな影響を与えている。 * 世界第六位の貿易国家となりました
* 世界第六位の貿易国家となりました * 商品輸出額は世界全体の4%を超えている 総合的な国力も明らかに向上させている * 中国とアメリカとの間の国力での相対格差は1980年の5倍から1998年の3倍まで縮小した
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改革開放による変化 1)利益主体の数の激増 2)利益主体の多元化 3)各主体の利益意識の増強 4)人口流動の空前の増大
1)利益主体の数の激増 2)利益主体の多元化 3)各主体の利益意識の増強 4)人口流動の空前の増大 5)経済社会における各種リスクの増大 6)外国からの影響の増大と情報源の多元化 7)深刻化する情報の偏在 8)深刻化する権力の偏在 9)所得配分の労働以外の生産要素への傾斜 10)権力関係の資本所有者への傾斜
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改革開放に伴う問題 1)かなり多くの人々が激変する社会に適応できず、困惑し、かつ混乱した状態に陥っていることである
2)経済社会の構造が激変した結果、従来の中国における国家モデルが多くの場合に有効性を失ってしまったことである 3)各種の市場的、政府的、社会的な力関係が、中国をますます「不均衡」の社会に向かわせていることである
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中国における所得配分のジニ係数の変化(1981~2001) (source: China Human Development Report 2005)
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都市部と農村部との間に見られる「不均衡」と「戸口」制度
農村住民と都市住民の間の所得格差の変化 * 1980年代前半に所得水準の全盤的な向上と比較的平等な所得分布が併存した * 1980年代後半に所得の伸びが鈍化する一方所得分布が不平等化した * 1990年代以後に都市、農村内部の所得格差の拡大と都市と農村間の格差の拡大が同時進行した
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中国における都市住民と農村住民の所得比例の変化(1990~2003) (source: China Human Development Report 2005)
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中国における都市住民と農村住民の一人あたり所得の変化(1990~2003) (source: China Human Development Report 2005)
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都市部と農村部との間に見られる「不均衡」と「戸口」制度
「戸口」(戸籍)制度 *「戸口」制度の定義 各個人は、その居住地域において、都市戸籍(非農業戸籍)と農村戸籍(農業戸籍)という2つの戸籍身分のいずれかを有する者として登録され、国家に管理される。農村戸籍身分を持つ者の都市への移動は厳しく制限されていた *「戸口」制度の目的 急速な重工業化の達成に向けて人的、物的資源を総動員できるように作られた
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都市部と農村部との間に見られる「不均衡」と「戸口」制度
「戸口」制度の歴史 * 1950年代初めの憲法では、公民は移住と職業選択の自由を有すると規定された * 1958年1月に「中華人民共和国戸口登記条例」を公布した * 1984年には、一定の条件を備えている農民は農村部の町(郷鎮政府の所在地)に移住することができるようになった * 2001年3月に、一定の条件があれば、農村人口は県もしくは県レベルの市の政府所在地などに移住することができるようになった(戸籍の転入が可) * 2001年5月に、「個別の特大都市を除き、就職制度における都市、農村の分断を改め、農民や外地人口に対するさまざまな就職制限をなくす」という規定を公表した
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中国の「民工」(労働力の移動) 「民工」(農民工)の定義
非農業戸籍を持たない出稼ぎ労働者呼称。特に貧困地帯である内陸部の農民たちが沿岸部を中心とする都市へと流入し、単純労働者として軽工業に従業する 2006年の時点で1億5420万人の民工がいると推測され、主に建築業、採鉱業、第3次産業および労働力密集型産業に従事している。中国沿海地方の生産型企業は民工の労働力に依存している
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東西地域間の「不均衡」(地域格差) 「一つの中国、四つの世界」
*中華人民共和国という「一つの中国」に、北京、上海といった第一の世界、広東、江蘇、浙江といった第二の世界、そして広々した中部の省に代表される第三の世界、さらに貴州、チベットなどの中西部の省に代表される第四の世界が同時に存在しているのである
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東西地域間の「不均衡」(地域格差) 「西部大開発」
*全国三分の二の国土面積と22.8%の人口を擁し、豊富な鉱物資源や水力を含むエネルギー資源、開拓を待つ土地資源、少数民族の多様な文化を示す観光資源が存在する *2000年から西部大開発計画をスタートさせ、鉄道・道路建設などのインフラ整備や投資環境の整備、科学教育の発展などの優遇政策を実施した
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