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戦後民主主義と法の整備 占領政策から朝鮮戦争へ.

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1 戦後民主主義と法の整備 占領政策から朝鮮戦争へ

2 民主化指令(五大改革指令) 婦人参政権=選挙法改正による普選 労働組合結成=労働組合法制定 教育の自由主義化=教育基本法制定
専制政治の廃止=治安維持法などの廃止 経済の民主化=独占禁止法制定

3 戦後の労働法 天皇制絶対主義国家による抑圧からの  解放としての労働法 戦後最初の法整備としての労働法改正  1945年12月 労働法改正

4 労働三法の整備 1945年12月 労働組合法改正          →全労働者にストライキ権 1946年9月  労働関係調整法 1947年4月  労働基準法

5 戦後の労働運動 1945年末 509組合(組合員38万人) 1946年8月 産別会議結成 1946年 10月闘争
1945年末 509組合(組合員38万人) 1946年8月 産別会議結成 1946年   10月闘争 1946年末 17000組合(組合員492万人) 1947年  2・1ゼネストに向けての高揚         賃上げ闘争から政治ゼネストへ          ⇒GHQによる中止命令 10月闘争(ストライキ)における民間の賃上げ獲得 1947年2・1ゼネストは公務員中心

6 労働における民主化 GHQの想定する民主化の範囲におけるもの は容認されたが、 その枠を超えると弾圧され
 は容認されたが、  その枠を超えると弾圧され  1949年には労働組合法改正によって  公務員のストライキ権がなくなった

7 資本主義の再編と労働者 1949年以降日本の資本主義の再編が 本格化し それに伴って リストラ・賃金切り下げが起きていった
 本格化し  それに伴って  リストラ・賃金切り下げが起きていった  労働組合は企業の利潤増加策に同調し  労働者を守ることはできず  組合運動の絶頂期は終わりを告げた

8 教育の民主化     (逆コースを辿るまで) 教育基本法 教育勅語廃止 新教育の実践=子ども中心主義の教育

9 教育法の整備 1946年 教育勅語の朗読と神聖視を GHQが禁止 *文部省「新教育指針」=教師へのガイド 1947年 教育基本法
1946年 教育勅語の朗読と神聖視を        GHQが禁止    *文部省「新教育指針」=教師へのガイド 1947年 教育基本法 1948年  国会による教育勅語排除決議

10 教育勅語( 「新編 修身教典 尋常小学校用 巻二」(訂正4版、明治35年)より。

11 教育勅語の特徴 皇国史観   日本は天皇を中心とする国 国民は天皇に絶対随順し  有事には天皇のために働く

12 教育基本法 個人の尊重 国による価値の押し付けの排除 教師の教育権と教育責任 子ども中心の教育を親に付託を受けた教師が行う

13 「新教育指針」(1946年) ……日本の近代化は中途半端であり、とくに近代精神の本質として後に述べるやうな諸点については、きはめて浅い理解しかもつてゐない。それにもかかはらず、すでに西洋文化と同じ高さに達したと思ひこみ、それどころか、精神方面においては、東洋人の精神、とくに日本人の精神の方がすぐれてゐると思ふ人々すらあつた。かうした誤つた考へを持つた人々が国民の指導者となつて、西洋の文化を軽んじ、その力を低く見て、戦争をひき起し、国民もこれにあざむかれて戦ひ、ついに敗れたのである。そこに日本の弱点があり、国民の大きなあやまちがあつた。われわれは日本国民の長所である包容力、同化性をもつとよくはたらかせて、西洋文化をその根本から実質的に十分取りいれ、それを自分のものとして生かすやうにつとめなくてはならない。

14 「新教育指針」(子どもの人格) 教育においては、生徒を人格として育てなければならない。ごく幼い子供にはまだ真の自由も責任もなく、思想や行動の統一も不十分であるから、完全な人格を認めるわけにはゆかず、親や教師が外から強いて何かをさせる場合が多い。しかしこのやうな時期でも、相手が人間であることを忘れず、そこに人格の芽生えがふくまれてゐることを見て、それをのばし訓練することが必要である。すなはち、子供ながらにも、できるだけ自ら考へ自ら判断して行動し、自ら責任を負つてその役目をはたし、しかも他の人々と協同してやつてゆくやうに教へしつけて、一歩々々人格を完成するやうにそだててゆくのが教育の仕事である。

15 逆コースへの転換と管理教育 第二次世界大戦後の冷戦とアメリカの政策転換 反共産主義と軍備の強化 →日本の再軍備政策へ
   反共産主義と軍備の強化      →日本の再軍備政策へ        1950年 警察予備隊創設許可        (1950年 朝鮮戦争勃発) 日本のレッドパージと保守層の巻き返し        (公職追放者の処分解除による復帰)

16 池田・ロバートソン会談         1953年10月25日 日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。

17 戦後の新教育から逆コースへ 戦後は「新教育指針」や教育基本法制定 によって日本は新教育を実施しようしていた
 によって日本は新教育を実施しようしていた   しかし、冷戦と朝鮮半島の共産主義化に  対してアメリカが日本への政策を転換し   日本に再軍備と国民の戦争への意識を  養成することを求め   戦前へと逆コースの道を歩み始めた

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