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6・原始人イメージとヤノマミ 青山・文化人類学
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原始人の姿はどこからきたのか? 原始人は、かつて地球上に存在したが、現在は絶滅した 動物である
6・原始人イメージとヤノマミ 原始人の姿はどこからきたのか? 原始人は、かつて地球上に存在したが、現在は絶滅した 動物である Cf. 日清カップヌードルCM「Hungry?」シリーズ なぜ見たこともないはずの原始人の姿形が描けるのか? あるいはカップヌードルのCMが作れるのか?
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6・原始人イメージとヤノマミ 化石人類学 「原始人」つまり現在のヒトに先立ってサルから進化し てきた動物群の研究は、広義の人類学のひとつである化 石人類学ないし生物人類学が担ってきた 化石人類学は、ダーウィンの進化論(1859年)と密接に関 わり合いながら発達してきた=19世紀中葉以降の科学主 義的人間観に基づく(←→キリスト教的人間観) 類人猿(チンパンジー・ゴリラ・オランウータン・ボノボ)とヒトの 違いとは? つまるところ、〈ひと〉とはなにか? ここでは「ヒト」を動物の一種としての人間、「ひと」を動物と は一線を画す特異な生物としての人間、をあらわすこととする
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化石人類学史(1) 旧人骨の〈発見〉 1856年:ネアンデルタール人骨の発見(独デュッセルド ルフ)
6・原始人イメージとヤノマミ 化石人類学史(1) 旧人骨の〈発見〉 1856年:ネアンデルタール人骨の発見(独デュッセルド ルフ) ノアの方舟以前の人物説、コサック兵説、病気に冒された人間説 など 1868年:クロマニョン人骨の発見(仏南西部) われわれと同じHomo sapiens(新人)の仲間としての化石人骨 ネアンデルタール人骨は、それに先立つHomo neanderthalensis (旧人)と比定される
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化石人類学史(2) 「頭」か「足」か 1891年:ジャワ原人化石の発見 1912年:ピルトダウン人骨の発見(英サセックス)
6・原始人イメージとヤノマミ 化石人類学史(2) 「頭」か「足」か 1891年:ジャワ原人化石の発見 旧人よりはるかに古い、進化史上サルとヒトの間に位置づけられ るものとして比定。Pithecanthropus erectus(直立原人):現 在はHomo erectus に分類 脳は小さく、二足歩行を行なう しばらくは学界に認められず 1912年:ピルトダウン人骨の発見(英サセックス) 頭蓋骨は現代人的、下顎骨は類人猿的 当時の人類進化観に合致:ヒトは脳からひとになった 一時は、ジャワ原人よりも注目される 1955年、現生ヒト頭蓋骨と現生オランウータン下顎骨の合成によ る捏造と断定:ピルトダウン事件
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化石人類学史(3) 始まりの地は? 1924年:南アフリカ猿人化石の発見 1927年:北京原人化石の発見
6・原始人イメージとヤノマミ 化石人類学史(3) 始まりの地は? 1924年:南アフリカ猿人化石の発見 Australopithecus africanus と命名 歯や大後頭孔の特徴が類人猿的でないが脳は極端に小さい やはりしばらくは学界に認められず、 年代は細々とアフ リカで発見が進められたに過ぎない 1927年:北京原人化石の発見 Sinanthropus pekinensis と命名 人類のアジア起源説 1960年代に、ジャワ原人とともに、Homo erectus に分類を統 一
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化石人類学史(4) 現在の通説の成立 1959年:東アフリカ大地溝帯で、約200万年前の(当時) 最古の人類化石発見
6・原始人イメージとヤノマミ 化石人類学史(4) 現在の通説の成立 1959年:東アフリカ大地溝帯で、約200万年前の(当時) 最古の人類化石発見 大柄でより祖型的なZinjanthropus boisei と、小柄でかなり脳の 大きいHomo habilis(しゃべるヒト) 1960年代の属名見直しで、前者はAustralopithecus boisei に 人類のアフリカ起源説の確定 1970年代以降のポイントは次の2つ ヒトはどこまで遡れるか……現在は450~900万年前あたりで議 論が行なわれており、新発見も相次いでいる 現生人類Homo sapiens sapiens はどのようにして生まれたか ……多系進化説と単一進化説 cf.イブ仮説
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6・原始人イメージとヤノマミ 多系進化説 vs 単一進化説(1) 多系進化説……各地域の人類は、遙か以前に共通の祖先 から分かれて以来、それぞれの地域で独自に進化してき た、とする説 単一進化説……われわれに直接つながる祖先は、どの地 域の人類も、比較的近い過去の同じ祖先から分かれたも ので、各地域のさらに古い化石とは直接つながらない、 とする説
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6・原始人イメージとヤノマミ 多系進化説 vs 単一進化説(2)
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6・原始人イメージとヤノマミ 多系進化説 vs 単一進化説(3) 多系進化説は、アフリカに現在住むひとびとの祖先は、 ずっと以前からアフリカのなかで進化してきた、またヨ ーロッパに現在住むひとびとの祖先は、やはりずっと以 前からヨーロッパのなかで進化してきた、とする考え方 アフリカとヨーロッパの親戚関係は非常に遠いものだ、とする考 え方につながる 人種差別主義との親和性が高くなる 逆に、単一進化説は、アフリカのひとびとの祖先とヨー ロッパのひとびとの祖先は、ずっと近しい親戚関係だ、 とする考え方になる
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6・原始人イメージとヤノマミ 進化主義的人間観(1) 1889年パリ博で「展示」された植民地住民と観客
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6・原始人イメージとヤノマミ 進化主義と博覧会 1851年のロンドン万国博覧会をはじめとする博覧会は、 植民地帝国の威信を示す場であった……帝国内植民地か ら運ばれてきた工業製品や原料、めずらしい物品などを 本国民に「見せる」場 その「めずらしい」物品の一つとして、帝国内植民地か ら連れてきた「原住民」が、生活つきで「展示」された 野蛮→未開→文明という発展図式を見せる装置としての博覧会 背景にあるのは、ダーウィン『種の起源』(1859年)に基づく進化 主義……人間も「進化」する 1883年アムステルダム万博で、植民地の原住民が実際に 居住する「植民地展示」が注目を集める 1889年パリ万博(エッフェル塔で有名)でもやはり植民 地館で「原住民展示」
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6・原始人イメージとヤノマミ 進化主義的人間観(2) 1904年セントルイス博で「フィリピン村」に「展示」されたイロンゴット
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日本における「原住民」展示 1903年第五回内国勧業博覧会(大阪)に便乗して設置さ れた「学術人類館」 1912年拓殖博覧会
6・原始人イメージとヤノマミ 日本における「原住民」展示 1903年第五回内国勧業博覧会(大阪)に便乗して設置さ れた「学術人類館」 内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さん との趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二 名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー 一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住 居に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見する…… 沖縄人から猛烈な抗議を受ける 1912年拓殖博覧会 1914年東京大正博覧会 北海道・樺太・朝鮮・小笠原・伊豆諸島・満州・蒙古・南洋などの特設 館が設置された……「ジャワ、シンガポール、クンタン、ワイルドサカ イ、ベンガリー、キリンの六人種にて男一八人、女七人」(南洋館)
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6・原始人イメージとヤノマミ 拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居
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6・原始人イメージとヤノマミ 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居
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6・原始人イメージとヤノマミ 進化主義的人間観(3) とりわけ19世紀以降の「西洋」と「非西洋」の接触は、 進化主義的人間観に基づいて、さまざまな問題を生み出 しながら、現在に至っている 進んだわれわれ西洋人 vs 遅れたあの原住民たち 日本は、はじめ後者の側に立ちかけたが、明治維新後の富国強兵 化政策の下で、前者の側に立つことをめざした
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なぜ「原始人」が描けるのか? 科学主義的=進化主義的人間観に基づけば、
6・原始人イメージとヤノマミ なぜ「原始人」が描けるのか? 科学主義的=進化主義的人間観に基づけば、 ヤノマモ(未開人)……文明人であるヨーロッパ人から、キリス ト教信仰や合理性などの「叡智」を引き算した存在 ヤノマモ(未開人)=「ヨーロッパ人」-「叡智」 原始人……現代に生きるヒトから、進化の過程で身につけてきた 「知識・技術・能力」を引き算した存在 原始人=「現代人」-「知識・技術・能力」 「叡智」と「知識・技術・能力」を等価に、「ヨーロッパ人」と 「現代人」を等価にみなせば、目前の未開人は、原始人と等しい ものとなる 未開人をモチーフとして、もはやこの世に存在しない原 始人の図を描くことになる
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