バックホー盗難事件 明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
バックホー盗難事件
バックホー盗難事件の概要 平成6年10月末,Xは所有していた土木機械(バックホー)をAらに窃取された。 平成6年11月7日,Yは,無店舗で中古土木機械の販売業を営むBから善意・無過失で本件機械を購入し,代金300万円を支払い引き渡しを受けた。平成8年8月8日,Xは,窃取された本件機械がYの下にあることを発見し,Yに対して,所有権に基づき本件引渡しを求めるとともに,訴状到達日の翌日から引渡済みまでの使用利益相当額の支払を求める訴えを提起した。
バック・ホー盗難事件の法律関係
バックホー盗難事件の参照条文(1/2) 第192条(即時取得) 取引行為によって,平穏に,かつ,公然と動産の占有を始めた者は,善意であり,かつ,過失がないときは,即時にその動産について行使する権利を取得する。 第193条(盗品又は遺失物の回復1) 前条の場合において,占有物が盗品又は遺失物であるときは,被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる。 第194条〔盗品又は遺失物の回復2〕 占有者が,盗品又は遺失物を,競売若しくは公の市場において,又はその物と同種の物を販売する商人から,善意で買い受けたときは,被害者又は遺失者は,占有者が支払った代価を弁償しなければ,その物を回復することができない。
盗品・遺失物の場合の所有権の帰属 原所有者帰属説 取得者帰属説 民法193条 民法194条 民法193条 民法194条 盗難・遺失の時から2年間は被害者・遺失主が所有権を有する。したがって,所有権に基づき回復請求ができる。 民法194条 盗難・遺失の時から2年間は,被害者・遺失主が所有権を有する。しかし,代価を弁償しないと回復請求をなしえない。 (苦しい説明) 取得者は,代価の弁済を受けるまで,返還を拒絶する抗弁権を有するに過ぎない。 取得者帰属説 民法193条 取得者が所有権を即時に取得する。しかし,被害者・遺失主の返還請求に応じなければならない。 (苦しい説明) 民法194条 取得者が,所有権を即時に取得する。被害者・遺失主は,所有権を失う。しかし,被害者・遺失主が代価を弁償した場合には,所有権を失う。
バックホー盗難事件第1審判決 平成9年7月29日,第一審は以下のような判決を下した。 Yは,Xから300万円の支払を受けるのと引き換えに本件機械をXに引き渡せ(民法194条)。Yは,訴状送達の日の翌日から引渡済みまで,使用により得た利益として,1カ月30万円の割合による金員を支払え。 平成9年9月2日,Yは,負担の増大を避けるため(民法189条2項参照),Xから代価の支払を受けないまま,任意に本件機械をXに引き渡し,Xはこれを受領した。
バックホー盗難事件の参照条文(2/2) 第189条(善意の占有者による果実の取得等) ①善意の占有者は,占有物から生ずる果実を取得する。 ②善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは,その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなす。 第190条(悪意の占有者による果実の返還等) ①悪意の占有者は,果実を返還し,かつ,既に消費し,過失によって損傷し,又は収取を怠った果実の代価を償還する義務を負う。 ②前項の規定は,暴行若しくは強迫又は隠匿によって占有をしている者について準用する。
バックホー盗難事件第2審判決 平成10年4月8日,第二審は,以下のような判決を下した。 Yは,これを不服として,最高裁判所に上告した。 本件バックホーの売主Bは,民法194条所定の「同種ノ物ヲ販売スル商人」にあたる。また,Yは,本件バックホーをBから買い受けるにあたり,善意であったとものというべきであり,過失があったということはできない。 民法189条2項は,占有者が本権者に対し占有物の返還をするときに,その占有者が善意であったとしても,本権者から占有物の返還請求訴訟を提起され,その訴訟において本権者に返還請求権があると判断される場合には,訴え提起の時から悪意の占有者であるとみなし,その時からの果実を本権者に返還させるという趣旨の規定である。 しかるところ,民法194条の適用がある場合には,本権者としては,占有者に代価を弁償すれば,占有者に対し占有物の返還を請求することができるのであるから,その場合には,占有者が本件の訴えに敗訴した場合と同様に,占有者は,訴えの提起のときからの果実を本権者に返還すべきものと解するのが相当である。 Yは,本件バックホーの月額リース料を考慮して,1カ月22万円の割合で,平成8年8月21日(XのYに対する訴え提起の日)から平成9年9月2日(YからXへの本件機械の引渡の日)までの間の使用利益に相当する額273万2,258円を支払う義務がある。Yは,代価として300万円と遅延損害金の支払を求めることができる。 Yは,これを不服として,最高裁判所に上告した。
バックホー盗難事件 最高裁判決 一 盗品又は遺失物の占有者は,民法194条に基づき盗品等の引渡しを拒むことができる場合は,代価の弁償の提供があるまで右盗品等の使用収益権を有する。 二 盗品の占有者が民法194条に基づき盗品の引渡しを拒むことができる場合において,被害者が代価を弁償して盗品を回復することを選択してその引渡しを受けたときには,占有者は,盗品の返還後,同条に基づき被害者に対して代価の弁償を請求することができる。
最高裁の利益衡量に対する批判 被害者が回復を求めない場合 被害者が回復を求める場合 最高裁の考え方 取得者は,使用利益を取得できる。 右と同じく,使用利益を取得できると解すべきである。 判例批評(佐賀徹哉・ジュリ1202号58頁) 左と同じく,使用利益を被害者に返還すべきである。 取得者は,使用利益を被害者に返還すべきである。 私見 取得者は,売主に代金300万円を支払って,有償で,使用利益を取得できる。 売主に支払った300万円を被害者から全額回収できるため,結局,無償で,使用利益を取得できることになる。
民法192条,193条,194条との相互関係
質問1 バックホー盗難事件の問題状況を理解するため,民法194条をよく読んだ上で,原告(X:被害者),被告(Y:善意取得者)のそれぞれの立場にたって,どのような主張をなしうるかを考え,相手方に対して,それぞれの主張を説得的に展開してみなさい。 その際,時代背景,登場人物の特色,目的物の特色等,事案の特色を浮き彫りにするようにつとめなさい。
Xの立場から Xの立場 Xの立場からすると,Yが盗まれたもの持っているのを発見したのに,Yがそれを取得するために支払った代金300万円全額をYに支払わなければならないというのは,腑に落ちないことになる。 も ちろん,民法194条の規定があるため,盗品を回復するためには,代価を弁償しなければならないと いうのは仕方がない。 Yは,確かに300万円支払って本件機械を買ったのではあるが,それにしても,約1年間ほど,本件機械を利用したにもかかわらず,その後で,Xから,支払代金の全額である300万円を取得できるということになると,結局,Yは,Xに返すまで,ただで本件機械を利用しまくることができたことになり,やり過ぎだといわざるをえない。 本件機械を使いまくったのだから,機械を返すときに,使用料ぐらいはXに支払うべきではないのか。
Yの立場から Yの立場 Yとしては,代金300万円を支払って,本件物件を取得しているのであるから,それを使用・収益できるのは当然のことである。 それなのに,その間の使用について,毎月22万円もの使用利益,合計で273万余円もの金額を支払わなければならないとすると,民法194条がYがXに代金を請求できるとした趣旨が失われてしまう。 民法194条が,支払った代価を弁償できると規定しているのは,善意者は,代価の全額の弁償を受ける権利を有するということであり,そこから使用利益を引かれてしまったのでは,代価の弁償を受けたことにならない。
質問2 Yは,本件機械を返還するのと引き換えに300万円の弁償を受けることができることになっている。 ところで,本件の場合のように,Yが盗品を任意にXに返還してしまった場合においても,Yは,Xに対して300万円の支払いを請求できるか(条文上の根拠はないが,Yは,請求権ではなく,単に抗弁権を有するに過ぎないとの理由で,大審院の判決(大判昭4・12・11民集8巻923号)は,これを否定していた)。
大判昭4・12・11民集8巻923頁 〔判決要旨〕 〔事案の概要〕 盗品または遺失物について民法192条の要件を具備しても,動産の上に行使する権利を即時に取得するものではない。また,民法194条は,占有者に対し代価の弁償がない以上占有物の回復請求に応ずる必要のない抗弁権を認めたものであつて,代価弁償の請求権を与えたものではない。 〔事案の概要〕 ・昭和元年12月26日 Xは,同種の商品を取り扱う古物商Bから善意で本件指輪1個を購入し,代金170円を支払い引き渡しを受けた。 昭和2年4月14日 兵庫県警察部において,窃盗疑惑事件の取調べがあり,その際にXは,捜査処分の証拠品として本件物件を任意に同警察部に提供したところ,同警察部はXの承諾を得ることなく同日Yに本件物件を仮下渡し,Yが現にこれを所持するに至った。 昭和4年 Xは,Yに対して代価の弁償を請求して訴えを提起した。
質問3 本件において,本件機械は,被害者Xのものか,それとも,取得者Yのものか。 本件に関して,最高裁判所が,所有権の帰属について判断をしなかった理由は何か。
盗品・遺失物の所有権の帰属に関する学説 原所有者帰属説 取得者帰属説 民法193条 民法194条 民法193条 民法194条 盗難・遺失の時から2年間は被害者・遺失主が所有権を有する。したがって,所有権に基づき回復請求ができる。 民法194条 盗難・遺失の時から2年間は,被害者・遺失主が所有権を有する。しかし,代価を弁償しないと回復請求をなしえない。 (苦しい説明) 取得者は,代価の弁済を受けるまで,返還を拒絶する抗弁権を有するに過ぎない。 取得者帰属説 民法193条 取得者が所有権を即時に取得する。しかし,被害者・遺失主の返還請求に応じなければならない。 (苦しい説明) 民法194条 取得者が,所有権を即時に取得する。被害者・遺失主は,所有権を失う。しかし,被害者・遺失主が代価を弁償した場合には,所有権を失う。
質問4 Yは,代金300万円の弁償を受けるのと引き換えに盗品である本件機械をXに返還しなければならない(民法194条)。 その際,Xの訴えの提起から本件機械を被害者Xに返還するまで,1カ月につき22万円の使用利益を支払わなければならないか(条文には規定がない)。
バックホーの価値の経年変化 年 月 経過月数 本件機械の状況 減価償却 価額(万円) 1992 6 製造年月 1,000 1994 10 製造年月 1,000 1994 10 28 本件機械の盗難 511 11 29 Yが300万円で購入 499 1996 8 50 Xが訴えを提起 301 52 盗難より2年経過 287 1997 7 61 第一審判決 232 9 63 YがXに本件機械を返還 221 1998 4 70 第二審判決 187 2000 96 最高裁判決 100
質問5 最高裁が,善意取得者は代価の弁償を請求できるとともに,その盗品について,使用収益権を有すると判断するに至った理由は何か。 第1審,第2審が,最高裁とは反対に,善意取得者といえども,使用収益権はなく,使用利益を被害者に変換しなければならないと考えた理由は何か。
通説の見解 (我妻・物権法231-232頁) 所有権の帰属 被害者または遺失主が回復を請求できる期間,その動産の所有権は原所有権者に帰属するか,それとも,取得者に帰属するかについては,民法に規定がなく,学説が分かれている。判例は前説を採っている(大 判大正10・7・8民1373頁,大刑判大正15・5・28刑192頁,大判昭和4・12・11民923頁等。これと同旨=富井708頁,三潴300頁, 石田366頁,川島民Ⅰ183頁,好美・注民(7)151頁以下,広中199頁)。もっとも,かつては甲所有の動産を窃取した乙がこれを丙に売り,さらに 情を知っている丁が転売した場合に,所有権がなお甲にあることを理由として丁について贓物故買罪の成立を認めたが(大判大15・3・28刑192頁),そ の後最高裁判所は,甲に回復請求権がある以上は,所有権の所在にかかわらず贓物罪が成立すると判示している(最決昭和34・2・9刑76頁)。
通説の見解 (我妻・物権法231-232頁) 私〔我妻〕は後説を採る。判例は,理由として次のようにいう。回復を請求するとは,即時取得した権利を回復するということでなければならな い。したがって,もし,即時取得者が盗品または遺失物の所有権または質権を取得すると解すれば,-回復請求権を有することについて疑問のない-被害者また は遺失主たる賃借人・受寄者などは,最初からもっていない権利を回復して取得することになって不合理だ。だから,即時取得者は,占有だけを取得し,回復者 は,占有だけを回復すると解すべきだ,と。
通説の見解 (我妻・物権法231-232頁) しかし,(ⅰ)判例の理論は独断である。この回復請求権は,第193条によって特別に認められたもので,占有の回復とともに盗難または遺失の時の本権関係 -賃借権者は賃借権-を復活させるものと解することもできる。その意味では,物の引渡の請求(占有回収の訴えではない。200条2項参照)と合体して行使 される一種の実体上の形成権である(この点旧版の説明を補充した)。したがって,目的物が相手方の手中にない場合には回復請求権もなく,物に代る損害賠償 の請求もできない(最判昭和26・11・27民775頁)。この論理は技巧的にみえるかも知れないが,判例のように,2年を経過した時に当然に所有権が移転し,それまでは原所有者に帰属する,と解するよりも,はるかにすなおな解釈であろう。 それよりも,実質的に,(ⅱ)第192条の原則の意義を重く見て,所有権は常にこれによって取得され,ただ第193条によって回復が請求された場合には,所有権が復帰すると解することが,即時取得の制度の有する意義に一層適切であろう。
通説の見解 (我妻・物権法231-232頁) のみならず,(ⅲ)回復者の請求権を物権的に保護せず,例えば取得者の破産の場合などは原所有者の取戻権はないとすることが,結果においても妥当だと思われる。そうでないと,回復請求を受けないときでも,2年間は善意取得者は他人の所有物を占有していることになるし,盗難または遺失の時期が不明のため,いつから所有者になったかわからないという不都合が起こる(そ の他の説明につき我妻・判例コンメ199頁(児玉)参照)。ただし,判例に現れた事案は,いずれも,この点に関する理論によって結論を異にするものではな い(同旨=末広272頁,末川242頁,林105頁,於保218頁,松阪107頁,判民大正10年度118事件末広評釈,同大正15年度42事件末広評 釈,同昭和4年度88事件我妻評釈(判例評釈Ⅰ所収)参照)。