群馬医療福祉大学2年 教育と学習の原理レポート ○○諒雅 樋口一葉について 群馬医療福祉大学2年 教育と学習の原理レポート ○○諒雅
樋口一葉とは 本名 樋口夏子 1872年5月2日生まれ 出身 東京府 内幸町(現在の東京都千代田区) 職業 小説家
この出来事について「悲しく辛いことだった」と日記に残しており、ひどく心 を痛めたことがわかる。 樋口一葉の子供時代 小学校のころ成績で首席になるなど、幼少期より優秀な子供であった。し かし、11歳の時母親が「女にはこれ以上の学問はいらない。それよりも、 家で針仕事や家事を身につけるべきだ」と主張され退学を余儀なくされ る。 この出来事について「悲しく辛いことだった」と日記に残しており、ひどく心 を痛めたことがわかる。
一葉の生活の変化 しかし! 不動産業や金融業で財を成していた樋口家はお金に困る環境ではあり ませんでした。 父親自身の事業の失敗による膨大な負債を残したまま1889年(明治22年) に父親が病死してしまう。 一葉は多額の借金を背負いながら母と妹と生きることになる
小説家への道のり 母と妹と三人で針仕事や洗い物で何とか生活費を稼いでいる状態で あった。 生活できないこともあり様々なところからお金を借りていた。 そんなある日同じ塾に通う、田辺花圃が小説を書き多額の原稿料を得た ことを知り、「小説を書けばお金になる」と考え小説家を目指すようになる。 新聞記者の桃水から指導を受け、学びを得ていった。
代表作 1894年 大つごもり 1895年 にごりえ 1895年 十三夜 1896年 たけくらべ
なぜ一葉が紙幣に? 基本的に紙幣は偽造防止の観点から男性肖像画の方が相応しいとされ る。世界を見ても英国やデンマークなど女性の肖像画を使うことは異例で あり、女性肖像画を起用している紙幣は全体の10%にも満たない。 ではなぜか? 国全体で男女共同参画やフェミニストによる女性優遇が叫ばれていて、そ れが新札発行の際にも影響したため女性を入れるということが大枠で決まり、 その中でも著名な文化人であったため選ばれた。
一葉の最期 生活に苦しみながら「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった作品を発 表し、文壇から絶賛された。わずか一年半でこれらの作品を送ったが、24 歳の時、肺結核により死去してしまう。 ちなみに 樋口一葉の最期の言葉は「私が死んでも十二裏の豆腐屋のおじいさんが 死んだも同じ事だから、別に騒がない方がいい」だったといいます。
参考文献 ja.wikipedia.org/wiki/樋口一葉 Pdmagazine.jp/trend/binbo-ichiyo mamamassan.hatenablog.com/entry/HiguchiIchiyou golddust.jp/higuchiichiyou-5-reasons-20140715-takuma/