生物学 第15回 愛は神経とホルモンに乗って 和田 勝
「愛」って何?
定型行動(Fixed action pattern) たとえば次の例を見てください。
刺激と反応 音、光、匂いなど 外界からの刺激 個体 受容器 中枢神経系 効果器 反応 いろいろな行動
ニューロンの数が増える 脊髄と脳
ニューロンの数が増える 中枢神経系(脊髄と脳)の中に介在ニューロンによる神経回路が、つくられるようになります。 特定の神経回路が、定型的行動パターンに対応するようになります(たとえば、歩行運動)。
定型行動の解発 ある特定の行動を引き起こすのは鍵刺激で、最初の鍵刺激は外界からの感覚情報です。 鍵刺激 鍵刺激 検出機構 プログラム 発生器
鍵刺激と定型行動 と言えば、有名なのはTinbergenによるトゲウオの研究です。 繁殖期を迎えると、オスのトゲウオの頭部から腹側にかけて赤くなり、眼は青くなります。 オスはまず、なわばりを作ります。
鍵刺激と定型行動 オスはなわばりに入ってきた他のオスを追い払います。
鍵刺激と定型行動 オスはなわばりに入ってきたメスに対しては求愛行動を示します。
鍵刺激と定型行動 攻撃行動の解発因は(releaser)は赤い腹をしたオス個体です。 鍵刺激(key stimuli)となっているのは「腹部が赤い」です。 一方、求愛行動の鍵刺激となっているのは「腹部が大きい」です。
鍵刺激と定型行動 それは次のような実験から確かめることができます。下の図で攻撃行動を誘発できるのは? X ○ ○ ○ ○
定型行動の連鎖
生得的行動の解発 鍵刺激 鍵刺激 検出機構 プログラム 発生器 行動 プログラム 発生器 行動 鍵刺激 検出機構 行動が鍵刺激となって、次の行動を引き起こす。このような連鎖が起こって一連の生得的行動が起こる。
愛はどこに行ったの? トゲウオと極楽鳥の2つの求愛行動(courtship behavior)を例として挙げましたが、ここに「愛」は存在するのでしょうか? 子孫を残すための繁殖を成功させるために、オスとメスが一時的に番いとなって一連の繁殖行動を行っています。
オキシトシンの発見 ここでまたまた唐突ですが、オキシトシンの発見物語をします。 オキシトシン(oxytocin)は、哺乳類の脳下垂体神経葉(後葉ともいう)から血中に放出されるペプチドホルモン(アミノ酸9つからなる)で、出産のときに子宮筋を収縮させ、乳腺に働いて乳汁の射出を促す働きがあります。
オキシトシンの発見 1909年に、Daleが脳下垂体神経葉の抽出物に子宮を収縮させる物質が含まれていること を報告しま した。
オキシトシンの発見 1953年になって、アメリカのVigneaudによって、オキシトシンの一次構造が決められ、生化学的に合成された。オキシトシンは構造が明らかになった最初のペプチドホルモンである。 オキシトシンの一次構造(アミノ酸配列) S S Cys-Tyr-Ile-Gln-Asn-Cys-Pro-Leu-Gly(NH2)
オキシトシン 1番目と6番目の2つのCysteinの間でS-S結合が作られるので、下の図のような構造となり、
オキシトシン 空間充填モデルで表すと、次のような構造。
オキシトシン受容体 信号分子が作用を表すことができるのは、その分子に対する受容体があるからです。子宮筋や乳腺の周りの平滑筋には受容体が存在します。 オキシトシン オキシトシン受容体 平滑筋の収縮 Gタンパク質
オキシトシン受容体 一次構造(アミノ酸配列)は次の通り。 3p25 10 20 30 40 50 60 10 20 30 40 50 60 1 MEGALAANWS AEAANASAAP PGAEGNRTAG PPRRNEALAR VEVAVLCLIL LLALSGNACV 61 LLALRTTRQK HSRLFFFMKH LSIADLVVAV FQVLPQLLWD ITFRFYGPDL LCRLVKYLQV 121 VGMFASTYLL LLMSLDRCLA ICQPLRSLRR RTDRLAVLAT WLGCLVASAP QVHIFSLREV 181 ADGVFDCWAV FIQPWGPKAY ITWITLAVYI VPVIVLAACY GLISFKIWQN LRLKTAAAAA 241 AEAPEGAAAG DGGRVALARV SSVKLISKAK IRTVKMTFII VLAFIVCWTP FFFVQMWSVW 301 DANAPKEASA FIIVMLLASL NSCCNPWIYM LFTGHLFHEL VQRFLCCSAS YLKGRRLGET 361 SASKKSNSSS FVLSHRSSSQ RSCSQPSTA 3p25
オキシトシン受容体 推定モデル
セカンドメッセンジャー 前のスライドでは、Gタンパク質が直接、平滑筋の収縮を起こすように書いてあるが、実際にはGタンパク質は、酵素を活性化して、その酵素がセカンドメッセンジャーを生成する。 Gタンパク質 酵素の活性化 平滑筋の収縮 セカンドメッセンジャー生成
セカンドメッセンジャー オキシトシン受容体の場合は、活性化される酵素はホスホリパーゼCで、セカンドメッセンジャーはIP3/DAGである。 平滑筋の収縮 Ca2+上昇
ホスホリパーゼCの補足 ホスホリパーゼ Cは、リン脂質のリン酸ジエステル結合(グリセロールとの間)を切断し、ジアシルグリセロール(DAG)とリン酸基を有する頭部(ここではイノシトール三リン酸、IP3)を生成する酵素である。
細胞膜(cell membrane) タンパク質 脂質の二重膜(lipid bilayer)である。
細胞膜の構造 電子顕微鏡で観察すると、上の写真のように二重の膜である。
細胞膜の構成要素 脂質とタンパク質から構成される。 脂質は以下のように分類できる 単純脂質 複合脂質 誘導脂質 トリアシルグリセロールなどの中性脂肪 単純脂質 複合脂質 グリセロリン脂質、グリセロ糖脂質など 誘導脂質
中性脂肪 O R1-C O- O R2-C O- H H-C-OH H + O R3-C O- H O O H-C-O-C-R1 炭化水素 の鎖。途中に二重結合を含むこともある。 H O O H-C-O-C-R1 R2-C-O-C-H H-C-O-C-R3 H O
リン脂質(phospholipid) フォスファチド(phosphatide)とも言う H O O H-C-O-C-R1 R2-C-O-C-H O H-C-O-P-O-X H O- X=コリン、セリン、エタノールアミン、 イノシトールなど
フォスファチジルコリン O H R1-C-O-C-H O CH3 H-C-O-P-O-CH2-CH2-N+-CH3 細胞膜の主要な成分
フォスファチジルコリン 頭部 極性 尾部 非極性 のように簡単にあらわすことができる
フォスファチジルコリンを フォスファチジルコリンをぎっしり並べると、、、
脂質の二重膜 水分子 脂質 二重膜 lipid bilayer
脂質二重膜の性質 疎水性分子 極性のある 小分子 大分子 イオンや電荷を持つ分子 N2、O2、炭化水素 自由に透過 分子の性質 例 透過性 疎水性分子 N2、O2、炭化水素 自由に透過 極性のある 小分子 H2O、CO2、グリセロール、尿素 大分子 ブドウ糖などの単糖類、二糖類 透過できない イオンや電荷を持つ分子 アミノ酸、H+、HCO3-、Na+、K+、Ca2+、Cl-、Mg2+
ホスホリパーゼCの補足 IP3は滑面小胞体に蓄えられたCa2+を放出させる。
乳腺平滑筋が収縮するのは 乳腺の平滑筋にはオキシトシン受容体(OT:Gq/11)が備わっており、これにオキシトシンが結合すると、IP3/DAGがセカンドメッセンジャーとして生成される。 そのため、平滑筋のサイトゾール中にCaイオン濃度があがり、収縮が起こる。
生物学辞典で調べると 「オキシトシンは、子宮の筋層に働いて子宮の収縮を起こし、乳腺の筋肉性上皮を収縮させて乳汁の射出を促す、神経性下垂体ホルモンの一つ。視床下部の視索上核・室旁核で合成され、神経の軸索内を流れて神経葉に貯えられ、Ca2+依存性で血中に放出される。
乳汁の射出は、乳頭に加えられた刺激が神経を通って視床下部に伝えられ、オキシトシンを分泌させるという神経内分泌反射によって行われる。」 (以上『岩波生物学辞典第4版』より)
オキシトシンの産生場所 オキシトシンは神経葉から放出されるが、産生場所は別だった(ちなみに腺葉のホルモンは脳下垂体 で産生され る)。
視床下部の構造
視床下部-神経葉系 この部分を拡大
視床下部-神経葉系 アルデヒドフクシン染色 神経葉ホルモンの抗体で 染色
視床下部-神経葉系 神経葉から分泌されるホルモンは視床 下部のニューロンで合成され、軸索流に よって神経葉まで運ばれる。 ニューロンへの入力によって、ホルモンが 離れた場所の神経葉から血中に放出され る。 このように、神経細胞がホルモンを分泌 する現象を神経分泌(neurosecretion)と 呼んでいる。
神経内分泌反射
神経内分泌反射
再び鳥の求愛行動
鳥類の場合、愛は? この鳥はチャイロニワシドリといい、このあずまやは産卵場所として使われることはなく、メスは別なところに一人で巣をつくり、産卵して子育てをします。 鳥類の中にも永続的な番いを作るものもいますが、この鳥では番い関係は希薄です。
哺乳類では違う? NHK 人体Ⅱ「脳と心」より
解体新ショー NHK 解体新ショーより
オキシトシンスプレー
お値段は?
オキシトシン受容体の脳内分布 Voleで示されたようにオキシトシンの受容体 が脳内にあることが示されている。 I125で標識したアゴニストを使って、 オートラジオグラムを作成してみる。 一夫一婦性(Monogamous)なprairie voleと、そうでないmontane voleを使って、比較した。 ProNAS 89,5981-5985 (1992)
オキシトシン受容体の脳内分布 prairie vole montane vole
オキシトシンの作用機序 受容体があるのだから、そこへオキシトシン ニューロンが来ているはずである。 オキシトシンニューロンは、神経葉から 血中へ分泌するだけではなく、脳の様々な部位に投射をして、神経伝達物質の役割をはたしている。 特に重要なのが「扁桃体(amygdala)」で ある。
扁桃体
扁桃体 扁桃体は、恐怖のような情動行動に 関与している。サルで扁桃体を破壊すると、恐怖心がなくなり、不適切な対象物を口に運んだりする。
扁桃体 NHK 人体Ⅱ「脳と心」より
オキシトシンの作用機序 オキシトシンは、扁桃体で不安やストレスを軽減し、愛着や母性行動を高め、条件反射的な忌避反応を低減させるように働いている。つまり他人に対する警戒心を抑え、相手を信頼するように働く。 これが「愛」の原型である。
愛とは オキシトシンというホルモンは、扁桃体という古い脳で働く神経伝達物質であったものが、哺乳類になって乳腺や子宮ができて、平滑筋に働くように転用されたのだろうと考えられる。 さらにこの「愛」の原型に、大脳のさまざまな機能が関与するようになったのだろう。