第51回日本語教育学講座公開講演会 知識と不安の道徳性 ⎯ 内部被ばく検査の結果報告を語ること/聞くこと ⎯ 後援:国際言語文化研究科教育研究プロジェクト経費 (「人文学としての言語学・応用言語学若手研究者の発信力強化プロジェクト」) 知識と不安の道徳性 ⎯ 内部被ばく検査の結果報告を語ること/聞くこと ⎯ 講師:西阪仰先生(千葉大学文学部 教授) 2011年3月の地震のあとの津波により,原子力発電所が爆発事故を起こし,その結果,多くの放射性物質が空中に放出された.福島県内のいくつかの病院において,体内の放射性物質の量を検査することで,内部被ばくの状況を把握するとともに,住民の心配に応えるこころみがなされている.私の研究室では,2014年に,内部被ばく検査の結果について医師が受検者に説明する場面を,4つビデオに収録する機会をえた.1人の医師と6名の受検者に参加いただくことができた.このビデオの音声部分を書き起こし,そこから,受検者が自身の心配について語っている部分を切り出した.それを会話分析の手法により分析した.本報告では,その分析にもとづき,次の2つの問に答えていきたい.ひとつは,この説明場面において,相互行為参加者たち(医師と受検者)は受検者の心配をどう取り扱っているのか,という問である.わざわざ内部被ばく検査を受けに来る人たちは,放射性物質に関する何らかの心配を抱えていると期待できる.この (抱えているべき)心配がどう取り扱われるかを明らかにする.もうひとつは,検査結果を語るということが,この相互行為のなかでどのような役割を担うのか,という問である.この説明場面は,そもそも内部被ばく検査がきっかけとなっている.参加者たちにとって検査結果は,かれらの相互行為に方向性を与えるものである.このことを示すとともに,それがどのようになされているかを明らかにする.最初に,知識と心配の道徳性について概観したあと,医師が検査結果を語ることに関する1つのパターンを記述する.そのうえで,知識と心配の道徳性がどう絡み合っているかを明らかにする.ついで,相互行為の展開において,その絡み合いが解除され,知識問題と感情問題が異なる問題として扱われる様子を記述する.最後に,知見をまとめながら,コミュニケーションの道具としての検査の意味を考察する. ✓日時:2016年11月7日(月) 午後4時30分~6時00分 ✓場所:名古屋大学・東山キャンパス全学教育棟北棟4階406室 (http://www.nagoya-u.ac.jp/access-map/) ✓交通案内:地下鉄名城線「名古屋大学駅」①番出口徒歩5分 入場無料・事前申し込み不要 問い合わせ: 林 誠 <hayashi@lang.nagoya-u.ac.jp>