「現代の二都物語」 第4章 製品に賭ける 総合政策学部3年 大平貴久 環境情報学部3年 井澤大介 環境情報学部4年 鳥海希世子
注文生産から大量生産へ 1950年代 1960年代 軍事用カスタム・デバイスを少量ずつ生産 将来の方向はカスタムIC、標準製品の役割は小さいという業界の一致した見方 個々のシステムの性能を最大限に活かすために半導体は特注するのが普通だった。
注文生産から大量生産へ 1970年代 カスタム生産の中止 標準デバイスの大量生産 1971年インテルからマイクロプロセッサが発売される。 メモリ競争 製品や製法が標準化されたこと チップのパワーや集積度がますます上がっていくと予想されたこと 価格と利益が急激に低下したこと http://www.intel.co.jp/jp/home/museum/hof/4004.htm
注文生産から大量生産へ 1960年代~1970年代 1980年代 小規模なメーカーが技術をどんどん進めていくことで、業界をリード 莫大な資本を投入して、量産によって、設計・生産コストを償却できるメーカーだけが生き残っていく
ネットワークを捨てる 誰が:シリコンバレーの各企業 何を:地域独自の文化や関係 何のために:大量生産を実現させるために どうした:捨てた
背景 半導体分野における日本企業の躍進 設計・開発から半導体標準製品の大量生産に移行
日米の比較(1) ・1970年代 (米):メモリ市場の独占支配 ・1984年 (日):256K・DRAM市場を事実上全て握る ・1985年 (米):デバイス量産に失敗⇒損失 ・1986年 (米):DRAMの生産から手を引く ・1980年代末 (日):世界の半導体メモリ市場を完全支配
日米の比較(2) <日本> ・柔軟な大量生産モデル ・家族的な関係(きずな) ・供給業者・下請け業者・顧客との協力関係 <シリコンバレー> ・旧式の大量生産モデル ・よそよそしい関係(溝) ・供給業者・下請け業者・顧客は離れた、敵対する関係
2つの可能性 効率的な大量生産方式を日本から学ぶ ⇒リーダーシップと正確な自己認識が欠如 付加価値の高い、差別化したデバイスの製造に集中して、地域のネットワークの強みを生かす ⇒自給戦略の過剰な追求 大手半導体メーカーの失墜
$18,000 PDP-8 (1965) ミニコンピュータ・ダービー Sold over 50,000 初めての大量生産型 コンピューター 12bit program data processor Digital Equipment (DEC) $18,000 Sold over 50,000 初めての大量生産型 コンピューター
32bit Super Mini Computer NOVA-3 16bit program data processor 1969 Data General DEC 32bit Super Mini Computer VAX11/780 1977 1960~70年代にかけてMAだけで35社を 超えるミニコンピュータ・メーカーが設立 Sold over 200. $18,000 $2,000 1965 データ・ゼネラル プライム・コンピュータ ワング・ラバトリーズ バリアン・アソシエイツ 大手も 参入 PDP-8の成功 大手コンピュータ・メーカー入り ミニコンピュータ・ダービー
ほとんどのメーカーは、標準ミニコンピュータを量産 ミニコンピュータ・ダービー ほとんどのメーカーは、標準ミニコンピュータを量産 DEC 技術ユーザー向け新製品で製品ラインを広げる。 DG(Data General) 基本構造を低コストで量産し、DECと同程度がそれ以上の処理能力を持つ製品を低価格で提供。 その他のメーカーは隙間戦略(OA,CADなど) 最大の課題: 驚異的なスピードで進む成長をどう管理するか。 売り上げ 年率35%
独自システムを固守 自給構造 安定した市場と技術を前提とし、量産戦略をサポート。 DG(Data General) DEC 独立企業型産業システム 安定した市場と技術を前提とし、量産戦略をサポート。 資材を社内で生産=供給の安定 顧客を特定技術に封じ込める=需要の安定 中央集権的=量産のプロセスを調整 70年代後半、各メーカーは積極的に垂直統合に投資 のマネ VAX DEC 1976 独自のICの設計と製造開始 1979 半導体事業10倍規模に成長 1983 全ての部品を独自に製造 DG(Data General) 部品の製造能力拡大。 1981まで5年間で約2億ドルを垂直統合に投資。 NOVA 独自システムを固守
整理統合 ミニコン産業の整理統合が始まる 1981 IBMがパーソナル・コンピュータ(PC)を発売 ・ミニコンピュータ市場の低価格帯に参入 Model 5150 1981 IBMがパーソナル・コンピュータ(PC)を発売 ・ミニコンピュータ市場の低価格帯に参入 ・コンピュータ・システム大手メーカーが高価格帯に侵入 ⇒高性能製品の利幅が下がる 市場が狭くなり、コスト削減 の圧力強まる。 1980年には、DECだけで市場の40% 自動車産業のように残るのは3~4社だろうと予測 ミニコン産業の整理統合が始まる
自給自足のコスト 収益の大幅な低下 ミニコン・メーカーの苦境 市場縮小 1970~1985「マサチューセッツの奇跡」 10万人近い技術者の雇用が発生 ルート128地域の大手メーカが全米ミニコン市場の2/3を牛耳る 市場縮小 収益の大幅な低下 1980年代後半 5万人以上の雇用が失われる 大手メーカーの衰退が地域全体の衰退へつながる ミニコン・メーカーの苦境 自給体制の代償 コンピュータ産業の競争の質が変化していることに気づかず、柔軟性ある オープン・システムが好まれることが明白になっても自給体制を変えなかった (変えられなかった)。
1980年代終わり:ルート128は、コンピュータのイノベーション・センターという立場をシリコンバレーへ譲り渡す。 自給自足のコスト ミニコンピュータ PC/Workstation OS 知的所有権のあるもの MS-DOS,UNIX 部品 全て社内で開発 外部発注もあり 製造サイクル 3~5年 数ヶ月 価格 高価格 低価格 技術や市場の激しい変化に 対応しきれなかった。 DECやDGも遅ればせながらPC,WS市場へ参入したが失敗 DECの場合には、権限分散型と中央集権的の混合組織のせいで失敗。 ルート128で大きな支配力を持つ自給体制モデルが崩壊し始める。 ミニコン・メーカーの苦境 ミニコン・メーカーからの退職者が増え、 多くがシリコンバレーに新会社を設立。 1980年代終わり:ルート128は、コンピュータのイノベーション・センターという立場をシリコンバレーへ譲り渡す。