司馬史観は史観たりうるか? 静岡県立大学 平山 洋 司馬史観は史観たりうるか? 静岡県立大学 平山 洋 東海日本思想史研究会 第8回 発表 2017年12月09日 愛知学院大学
①そもそも史観とは何か? 1.デジタル大辞泉:歴史を全体的に把握し、解釈すると きの基礎的な立場・考え方。歴史観。例「皇国史観」 2.大辞林第3版:歴史を解釈する基本となる考えや態度 歴史観。例「唯物史観」 3.日本大百科全書:史観→歴史観 歴史の見方を決めるもの。(以下省略) →本発表は上記の定義に基づき、いわゆる司馬史観は史観 たりうるかについて探る
②どのような史観があるのか 1.神山四郎氏「古代ギリシアの循環史観、中世キリス ト教の救済史観、近代啓蒙期の進歩史観、19世紀のナシ ョナリズム史観」の4史観 2.一般には「唯物史観」(進歩史観から派生)、「皇 国史観」(19世紀のナショナリズム史観から派生)の2 史観 3.「司馬史観」(1970年代以降)、「自由主義史観」 (80年代以降)の2史観は未だ十分には熟さず
③唯物史観・司馬史観・自由主義史観の説明 1-唯物史観 1.もともとマルクス主義者が唱えていた 2.進歩史観とも呼ばれる 3.原始共産制→封建制→絶対王政→資本主義→帝国主義 →(暴力革命)→共産主義 と一直線に移行 4.明治期は絶対王政の時代だから、その時代は明るくあ ってはいけない、というのがその骨子 5.昭和戦後期は暴力革命の準備段階の時期である
③唯物史観・司馬史観・自由主義史観の説明 2-司馬史観 1.明治時代を明るく描くところが唯物史観と異なる 2.明治は富国強兵の時代だったが、同時に民衆の生活水 準もあがった 3.明治は個人にチャンスが与えられた時代だった 4.朝鮮半島は日本本土の防衛にとって重要な地域だった 5.日清・日露戦争は日本にとって防衛戦争だった
③唯物史観・司馬史観・自由主義史観の説明 3-自由主義史観 1.藤岡信勝・渡部昇一らにより提唱 2.明治ばかりでなく、昭和戦前期まで肯定 3.戦後の左翼による「ゆがめられた」教育の是正を主張 4.日清・日露戦争ばかりか太平洋戦争も日本にとって防 衛戦争だったとする 5.皇国史観と異なるのは、皇室(天皇)の役割を小さく 見積もっているところ
④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 1-『竜馬がゆく』 ④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 1-『竜馬がゆく』 1.『産経新聞』連載1962年6月21日から1966年5月19日 2.連載途中の1963年から1966年まで文春から5巻本として 刊行 3.執筆のきっかけは産経新聞の後輩渡辺司郞の示唆 4.それまで司馬は竜馬について何も知らなかった 5.映像化は1968年大河ドラマが代表
④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 2-『坂の上の雲』 ④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 2-『坂の上の雲』 1.『産経新聞』連載1968年4月から1972年8月 2.司馬初の近代日本を扱った長編小説 3.伊予松山出身の秋山好古・真之と正岡子規を追う 4.藤岡信勝は本作により自由主義史観を唱え始まる 5.映像化は2009年から2011年のNHKスペシャルドラマのみ
④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 3-『花神』 ④司馬史観のあらわれとしての『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『花神』 3-『花神』 1.『朝日新聞』連載1969年10月1日から1971年11月6日 2.主人公大村益次郎は戦後世代にとって無名だった 3.緒方富雄東大医学部教授がシーボルトの娘イネへの大 村の恋心を示唆するところから始まる 4.1972年に新潮社から3巻本で刊行 5.映像化は1977年大河ドラマ
⑤史観としての司馬史観、あるいはマーケティング 1.司馬遼太郎(1923年~1996年)は産経記者で左翼からは遠い 場所にいた 2.司馬史観の命名者は尾崎秀樹(1972年) 3.最初は皮肉を帯びていた「司馬史観」はやがてマスコミによ りどこまでも肯定的に 4.左右両派とも最低半分は承認できる、というところがミソ 5.版元に恩義のある歴史学者まで付和雷同、でも史観としての 基準は不明 6.司馬史観とは版元によるマーケティングのための用語
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