日本史と現代宇宙物理学を散歩する 明月記にある超新星記録とその時代を代表する文化遺産と現代宇宙物理学的意義 一條院寛弘3年(SN 1006)-アルプスの山々をすりぬけた超新星-「すざく」XISはSN 1006が人類史上もっとも明るかったこと、宇宙の加速器であることを証明した。この加速器が湯川の中間子を実証した? 当時は、枕草子(清少納言):長保3年(1001年)~寛弘7年(1010年)、源氏物語: (1008年脱稿)、紫式部日記(~1010年)。だがどの日記にもSN1006の記録はない。 真夜中で両人共にぐっすり寝こんでいた? (2) 後冷泉院天喜2年(かに星雲)-これは中心に中子星をのこした。現代高エネルギー宇宙物理学の教科書的な存在である。 当時は左大臣に関白道長の子の教通、右大臣に弟の頼宗。 (3) 高倉院治承5年の客星(3C58)-X線観測から冷えすぎた中心星をみつけた。これはクォーク星かもしれない。 当時は平家物語の世界。 高倉院と小督の悲恋の物語、徳子(建礼門院)も宮中(雲井)に見たかもしれない。「思いきや 深山の奥に住まいして雲井の月をよそに見んとは」。
かに星雲 (1054) 後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星 天関 (Tenkan) かに星雲 (1054) 後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星 天関 (Tenkan) Taurusζ 觜, 参 = Orion
中国の記録 宋会要輯稿 宋史天文志 五月一日(1006年5月30日)司天監言 先四月二日(5月1日)夜初更,見大星, 色黄,出庫楼東、騎官西,漸漸光明, 測在氐三度。 宋史天文志 景徳三年四月戊寅(5月6日), 周伯星見,出氐南騎官西一度, 状如半月,有芒角,煌煌然可以鉴物, 历庫楼東,八月,随天轮入浊, 十一月,復見在氐。
56Coの半減期 Ia型(核暴走型):標準光源:絶対等級(極大) = -19.5等級 距離 = 7100光年 = 2.2kpc 記録から再現した光度曲線 56Coの半減期 視等級 1006年5月1日からの日にち Ia型(核暴走型):標準光源:絶対等級(極大) = -19.5等級 距離 = 7100光年 = 2.2kpc 視等級 = -8.5等級
2007/7/4 毎日新聞 (朝刊)
飛鳥時代 キトラ古墳