砂漠に春を呼べ 赤田 祐樹 石橋 早苗 井上 大地 上野 操子 これから1班の「砂漠に春を呼べ」の発表を始めます。
砂漠化とは・・・ 乾燥地域や乾燥半湿潤地域で起きる土地の劣化 気候変動や、過放牧・森林伐採などの人間活動が原因 まず砂漠化について説明します。 砂漠化とは乾燥地域や乾燥半湿潤地域で起きる土地の劣化のことをいいます。 その原因としては、干ばつや気候変動などの自然的原因もありますが、放牧地の再生能力を超えた家畜の放牧や、過耕作、燃料のための材の過剰な採取、不適切な灌漑(かんがい)による農地の塩分濃度の上昇などの人為的原因があります。 これらの背景には開発途上国の貧困や人口増加といった社会的・経済的な要因があります。 この問題に取り組むために世界では1994年に砂漠化防止条約が採択されています。 この砂漠化のために毎年1000万を超える人々が住む場所を失い、環境難民となっています。
1991年の砂漠化の現状 サハラ砂漠の南側のサヘル,中東諸国,中国の西北部などの部分で,砂漠化が進行。もちろん,北アメリカやオーストラリア大陸でも見受けらるが,人口増加が著しいアフリカが最も大きな問題になっている。 これは1991年の砂漠化の現状を表した図です。赤い地域が特に砂漠化が進行している地域です。これを見てわかるように、中東地域や中国の西北部、北アメリカやオーストラリアなどで砂漠化が進行していることがわかります。特にサハラ砂漠の南側のサヘル地方では、過放牧のために深刻な砂漠化が進行しています。 人口増加が著しいアフリカの砂漠化が最も大きな問題になっています。 現在では、1秒につき約1,900平方メートルの速さで砂漠化が進んでいます。年間にすると約600万ヘクタールで、この面積は四国と九州をあわせた面積分に相当するそうです。
北海道森林管理局から こちらの画像をご覧ください。皆さんこの写真はどこの砂漠だと思いますか?アラビア砂漠?ゴビ砂漠?いいえ違います!!こちらはじつは北海道のえりも町という地域に広がっていた砂漠です。 皆さん砂漠化は日本では関係のない話だとは思っていませんか?実はそんなことはありません。襟裳岬以外にも砂漠化が深刻な問題となっている場沙世はあります。今回の発表ではそんな一地域について詳しく見ていきましょう。
襟裳岬の砂漠化 明治時代に開拓のため森林の大量伐採 イナゴの大発生と強風 地表の養分のある土が失われる 荒涼地帯 = えりも砂漠 荒涼地帯 = えりも砂漠 皆さんは砂漠化と聞くと日本にはあまり関係ない言葉だと思っていませんか? しかし砂漠化は実際に日本でも起こっていました。 1950年代の北海道の襟裳岬は、森を失い、荒れ果てた砂漠と化していました。 明治時代に開拓農民が大量に移民してきて、極寒の気候の中暖をとるために木を切り続け、さらに明治中期になると紙の材料にするために大量の広葉樹が切り倒されてしまいました。 さらにイナゴの大発生とその地特有の強風が襟裳岬を襲いました。 これらが重なった結果、地表の養分のある槌が失われ、襟裳岬は砂漠になってしまいました。
当時の状況 荒廃した赤土の大地と砂浜が広がり、強風のために食卓まで砂が舞い込んでくる。砂が海に流され、頼みの昆布は『泥昆布』と酷評され商品にならない。 そして、漁師なら食べるはずの魚ではなく 数キロはなれた畑で取れたかぼちゃ、芋 が主食になっていた。 強風に飛ばされた赤土は海にも降り注ぎ、雨は赤土を泥水として海に流れます。この繰り返しによって襟裳岬の海は、次第に茶色に染まっていきました。岸から4~5kmの沖合までその色は続いていたと言われています。 さらに砂が海に流れこんだために海が汚染され、海底に沈殿している赤土の泥がせっかく付いた昆布の種を窒息させ、濁った海は太陽光線を妨げ、昆布は光合成が出来ず、襟裳の昆布は「泥昆布」と称されるほど価値のないものになってしまいました。 またサケ・マスは濁った海を避けるように沖の方に迂回し岸側には寄ってきません。なので漁も壊滅的でした。 この結果、住民たちは海岸近くに住むこともできなくなり、魚が獲れないために海から数キロ離れた畑で取れたかぼちゃや芋を主食に暮らしていました。
地元漁師の挑戦 砂漠に緑を取り戻すために緑化事業を始めた。 強風のために種が飛ばされてしまい、失敗が続く。 「ゴダ」という海藻を種の上に敷いたところ、発芽し、草原ができた。 ここまでくるのに21年かかった。 このままではいけないと、村の若者たちが岬の再生に立ちあがりました。 砂漠化した海岸に緑を取り戻すためにまず草を育てる緑化事業に取り組み始めました。 まずは、砂漠となってしまった海岸を草原に変えなければなりません。 そこで村人たちは草の種を植えることから始めました。 しかし、強風のためにせっかく植えた種もことごとく飛ばされてしまい全く根付きませんでした。 何度も植林に失敗する中で、村人たちは海岸に打ち上げられた、普段は何の使い道もない「ゴタ」という海藻に目を付けました。 ゴタは乾燥すると、海藻同士がくっついて、大きな一枚の布みたいになり、少々の風が吹いても飛ばされることはありません。雨が降れば海藻全体が水分を吸収して重くなり、しかも海藻の栄養分が雨と一緒に土にしみこみます。 そこで種の上にゴタを引いたところ、種は飛ばされることなく芽を出しました。 「ゴタ」のおかげで砂漠だった海岸は草原へと姿を変えました。ここまで来るのに21年の歳月がかかっていました。
挑戦の結果 さらに約30年かかってクロマツの植林に成功 その面積は約170ha(ヘクタール) 美しい海が戻り、昆布が取れるようになった! そこからさらに30年かけて、村の若者たちはクロマツの植林を地道に続けました。すると、砂のために真っ赤だった海は徐々に元の青色を取り戻し始め、昆布が採れるようになってきました。 そして1999年、全体の面積の約89%である約170ヘクタールもの海岸がクロマツ林に姿を変えました。 約半世紀かけて、襟裳の若者たちは砂漠化した土地に緑を取り戻すことに成功したのです。
過去の襟裳と現在の襟裳 左の写真が、砂漠化してしまった当時の襟裳岬です。村の若者たちは約半世紀かけて植林を行い、右の写真の緑で囲まれた箇所にクロマツ林を作り上げることに成功しました。
よみがえった襟裳岬 これが現在の襟裳岬です。
現在の襟裳岬 半世紀かけて豊かな腐葉土が形成され、海が豊かさを取り戻し、魚が帰ってきて昆布が根付くようになった。 今でも地元の人々が間伐や枝打ち、植林を続けている。 イベントも開催され、地元の人々の交流の場にもなっている。 半世紀かけて襟裳の海岸に豊かな腐葉土が形成されました。 腐葉土が形成された結果、海が豊かさを取り戻し、魚が戻ってきて、名産の昆布も採れるようになりました。 襟裳岬は見事再生に成功したのです。 今でも地元の漁師たちが、クロマツ林の枝打ちや間伐を行い、林の管理を続けています。 また、イベントなども開催され、地元の子供たちもたくさん参加して、人々の交流の場にもなっています。
植林風景 地元の人々で協力して、マツやサクラなどの植林を行っています。 北海道森林管理局より
イベント風景 地元の子供たちに襟裳岬の自然を体感してもらったり、林業に触れたりできるイベントも開かれています。 北海道森林管理局より抜粋
私たちにできること 森は人との関わりの中で作られます 。 人間と森が「共存」していくことが大事! 森は人との関わりの中で作られます 。 人間と森が「共存」していくことが大事! 私たちにできることは小さなことかもしれませんが、小さな積み重ねが自然を守ることにつながるのです。 むやみに伐採をしてしまうと森は破壊されてしまいます。だからと言って、放っておいても森は荒れていってしまいます。 適度に人間の手を加えることで、森は健康な状態を保つことができるのです。 森も人間も自然の一部であり、大切なのは「放置」ではなく、「共存」なのです。
終わり