Download presentation
Presentation is loading. Please wait.
Published byはすな かに Modified 約 8 年前
1
ヨム・キプール戦争と イスラム革命
2
ヨム・キプール(贖罪日)戦争 ( 1973 年 10 月 6 日) スエズ運河を渡河するエジプト軍
3
六日戦争後のエジプト 70 年にナセルが死亡、副大統領のサダ トが大統領に。 サダトの政治的使命 エジプトとアラブ世界の名誉回復 シナイ半島を一部占領
4
用意周到なサダト 外交と軍事面で準備していた。 シリアが合意。 ソ連からアメリカに軸足移す 1972 年に宣戦を公言。 → イスラエルは本気だと考えていなかっ た。
5
イスラエルの慢心 六日戦争の勝利 迫り来る危機に気づかず。 AMAN 9 月にフセイン国王が極秘にテルアビブ訪 問 モサド長官ザミール、エジプトの重要人物 と会合
6
思い出す御言葉 「アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。 「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェル のはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロ ムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェ ルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めてお られたからであった。(2サムエル 17:14 )」 主は、私たちの心にしたがって、見えるものも見え なくさせることがおできになる。
7
贖罪日 イスラエルの例祭の一つ(レビ記 16 章、 23 章) 断食と安息 イスラエル人は、完全に活動を停止。 サダトとシリアは、同時に急襲するこ とを決定
8
エジプト軍のスエズ運河渡河 バーレブラインを易々と越える。 「対戦車ミサイル」と「地対空ミサイ ル」 六日戦争のような制空権は得られず。 戦車が、携帯の対戦車ミサイルで破壊。 開戦 3 日目で、戦車 400 両以上破壊、 3000 人以上の死者。
9
動く戦線
10
エジプトの問題 シリアは、完全な軍事的手段による領 土奪還 エジプトにさらに進むように促す。 ゴラン高原
11
ゴラン高原では 砲台:イスラエル 11 台シリア 188 台。 戦車: 180 両、シリ ア 1400 両。 六日戦争前の戦線に まで前進 ヘルモン山の通信塔 を占拠。
13
ゴラン高原の勇士 ズビカ・グリーンゴールド たった一両の戦車で、シリア 軍を撃破。 丘の上にあがって発砲しては、 また下がって他の所に移動。 相手に、一両しかいないこと を隠していた。
14
ゴラン高原の勇士 アビグドール・カハラニ ゴラン高原北部戦線を死守。 今そこは「涙の谷」と呼ばれ る。
15
しかし不思議なのは・・・ ゴラン南部ががら空きであったのに、 前進しなかった。 軍事専門家の間でも、理由が分らず。 → 理由はもちろん、「神の御手」。
16
イスラエルの反攻 予備兵の招集がようやく間に合う。 ゴラン高原戦線は、ダマスコにまで進軍。 しかし、ソ連の介入を恐れ、留まる。
18
スエズ運河の逆渡河 指揮官アリエル・シャロンが活躍した。 結局、カイロまで侵攻できる程になっ たが、ここでも踏みとどまる。
19
スエズ戦線
20
米ソの直接介入 ソ連のブレジネフ書記長 → ニクソン大統領 「イスラエルへの停戦要請に加わらな いなら、一方的な行動も辞さない。」
21
キッシンジャーの反応 ニクソンはウォーターゲート事件 寝ているニクソンを起こさずに、彼の 名前で交信
22
核戦争危機 ソ連は軍を地中海地域に。 米国 長距離ミサイル配置、艦隊を動かす。 核戦争も辞さないことを含むメッセージ送 信。 ソ連、エジプトの敗戦を譲った。
23
停戦( 10 月 22 日) イスラエル首脳部は責任を問われ、多く の者が辞職。 イスラエル人 「ヨム・キプールは、イスラエル人に とってのベトナム戦争」
24
サダトの転換 ソ連との関係を絶ち、 アメリカに軸を動か す。 エルサレムに訪問し たいとの意思をイス ラエルに伝える。 77 年 11 月に実現。
25
キャンプ・デービッド合意 ( 1978 年) 時の首相ベギンとサダトが、アメリカ大統 領カーターの仲介で、和平条約 シナイ半島の段階的返還 アラブ諸国で、初めてイスラエル国を認知。 パレスチナ問題については決裂。
26
サダト暗殺 73 年、エジプトは威信を回復。 イスラエルとの講和受け入れられず。 イスラム主義者による暗殺。
28
アラブ諸国の転換 サダトの転換:「もはやイスラエルと は武力で対抗することはできない。」 「エジプト人は、女のようになり、万軍の 主が自分たちに向かって振り上げる御手を 見て、恐れおののく。(イザヤ 19 : 16 )」 政治首脳層:「政治現実主義」
29
文献
30
イスラム革命 国としては現実主義 → アラブ界の底流「イスラム主義」 社会主義革命からイスラム
31
イスラム主義とは? イスラムの法や理念を国や社会に当て はめること。 国内革命: イラン革命( 1979 年) 破壊行為: アルカイーダなど 文化革命: 欧米のイスラム教団体
32
他の世界との類似 20 世紀 唯物主義的な社会主義、共産主義革命 ⇒ 宗教的、霊的なものへ。 日本 学生闘争、赤軍派(ロッド事件) 新宗教の台頭とテロ(オウム真理教、地下 鉄サリン)
33
キリスト教での推移 キリスト教主流派:左翼思想に共鳴 福音派、聖霊の働きを信じる運動 再臨信仰への回帰
34
イラン革命とは? パフラヴィー朝への反発、反体制への動 き。 最後の皇帝シャー 世俗化・脱イスラム化 近代化 独裁色帯びる 反体制派の指導者の一人がホメイニ(イ スラム法学者)
35
イラン革命 反体制デモが起こり、シャー は反皇帝側の政党の党首を首 相に立て、国外逃亡。 フランスに亡命していたホメ イニが帰国。 1979 年 4 月 1 日にイラン・イス ラム共和国樹立。
36
イラン革命の意義 国:政治現実主義 イスラム主義:破壊テロ集団 ところが、イスラム主義が国として復 興。
37
イランの対イスラエル攻撃 イスラム主義のテロ組織への支援 レバノンのシーア派テロ組織「ヒズボラ」 ガザ地区のハマス 大統領自身が、イスラエル残滅発言
38
シーア派の経緯 ムハンマドの後継者によって、スンニ派から 分裂。 父方の従兄弟である「アリ」が第四カリフ。 初代イマームに。 イマーム: シーア派では「最高指導者」
39
シーア派の教義 歴代イマームの無謬性 イマームが迫害時の悲劇の追体験 → 神秘主義的傾向 イマームは隠されている。 第十二イマーム「ムハンマド・ムンタザ ル」
41
シーア派の教義(終末論) 第十二イマーム:最後の審判のため再 臨 しかし・・・ イラン・イスラム革命:イマームの到 来前はイスラム法学者が信者を指導。
42
再建主義、社会的福音 キリスト教界:モーセの律法を法律 イラン革命のユートピア 再臨ではなく社会的福音
43
ホメイニからアフマディネジャ ドへ ホメイニの「法学者の統治」:シーア 派の中心的教義ではない。 ホメイニの孫:イラン革命に強行に反 対している亡命者。 国の改革:イマームの再臨によってのみ。 イランの国内状況の悪化とイ・イ戦争 の長期化
44
ホメイニからアフマディネジャ ドへ マーディの再臨のみに期待 再臨の前の混乱状態 アフマディネジャド:その混乱を自 らの手で早めることができると信じ る。 ホメイニ氏、このグループを異端視。 その混乱は核兵器によって可能。 マーディと神秘的に接触していると主 張。
45
キリストの再臨信仰 主イエス・キリストの再臨が早まってほしい と願う気持ちは変わらない (2ペテロ 3 : 12 ) 。 しかし、自ら混乱をもたらすのではなく、主 ご自身の心を持つことで可能。 「主は、ある人たちがおそいと思っているように、 その約束のことを遅らせておられるのではありま せん。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあ られるのであって、ひとりでも滅びることを望ま ず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでお られるのです。(2ペテロ 3:9 )」 宣教への熱情、聖い愛が再臨信仰の実である。
46
文献
Similar presentations
© 2024 slidesplayer.net Inc.
All rights reserved.