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森鴎外ー高瀬舟 人間には、死の権利があるのか。.

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1 森鴎外ー高瀬舟 人間には、死の権利があるのか。

2 高瀬舟(1915年発表) 作品の背景 人間の死や財産についての常識に対し、主人公の告白という形をとって疑問を投げかけた小説。
   人間の死や財産についての常識に対し、主人公の告白という形をとって疑問を投げかけた小説。    当時(明治時代)、日本には安楽死という発想はなかったが、切腹する人間を介錯する慣習はあった。だが、死にきれない人間をあえて安楽に死なしめるという考え方の是非は、現在も続く大きな問題となっている。 * 介錯:切腹する人に付き添って、首を切り落とすこと(人)。

3 主要登場人物 喜助:主人公、弟殺しという罪名で、高瀬舟に乗せられた罪人。約30歳。
庄兵衛:高瀬舟を護送する同心。喜助の話をいろいろ聞き出し、しまいには深く考え込んでしまう。    * 同心:下級の役人。現在の警察と同じ役割。 喜助の弟:二人の兄弟で貧乏生活を送っているが、懸命に働いているうちに、弟の方が重い病気で倒れてしまった。

4 あらすじ 高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する小舟である。京都の罪人が遠島(島流し)を申し渡されると、高瀬舟に乗せられて大阪へまわされた。
このとき、罪人の親類が牢屋敷へ呼び出され、その親類の一人を大阪まで同線させることを慣例としていた。 遠島を申し渡された罪人は、もちろん重い罪を犯した者ではあるが、半数以上はふとした心違いで、思わぬ罪を犯した人であった。   * 情死事件で死にきれなかった人(主に男性)。

5 寛政(八代将軍)のころ、珍しい罪人が高瀬舟に乗せられた。
名は喜助といって、三十歳ばかりの住所不定の男である。親類はなく、舟にはただ一人で乗った。 護送を命ぜられた同心の庄兵衛は、喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。 痩せて蒼白い喜助は、神妙でおとなしく、何事についても逆らわぬようにしている。 庄兵衛はそれを不思議に思った。そして舟に乗ってからも、たえず喜助の挙動に細かい注意をしていた。

6 喜助は、夜にも眠れずただ黙って月を仰いでいる。その顔は晴れやかで、目にはかすかな輝きがある。
舟に乗せられる罪人は、ほとんど同じように、目もあてられぬ気の毒な様子をしているのに、喜助だけ、その顔がいかにも楽しそうだった。 ほかの罪人と違い、島流しされても句にしていないように見える理由を聞きたかった。

7 島流しになっても楽しそうな理由: 島へ行くことは、ほかの人には悲しいことでしょう。しかし、それは世間で楽をしていたからです。
わたくしはこれまで、どこといって自分のいてよい場所というものがありませんでした。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣ってくださり、島にいろとおっしゃってくださる。そこに落ち着けるのが、まずなによりもありがたいことです。 それに、二百文の鳥目をいただきました。わたくしは今日まで二百文という銭を、懐に入れて持っていたことはありませんでした。    * 当時、島流しに申し渡された罪人に二百文を渡すのは慣習である。 いままでもらった金は、いつも右から左へ人手に渡さなければならず、たいてい借りたものを返して、またあとを借りたのです。 だが、牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせていただきます。そして牢を出るときに、この二百文をいただきました。こうして相変わらずお上のものを食べていれば、この二百文を使わずに持っているこtができます。わたくしは、この二百文を島の中で始める仕事の元手にしようと楽しんでいます。

8 庄兵衛はあまりにも意外だったので、しばらくは何も言うことができず、考え込んで黙っていた。
ここで考えてみよう: Q1: 喜助の楽しそうな理由を聞いて、あなたはどう思いますか。 Q2: 喜助の身の上と自分の状況を比べてみよう。

9 庄兵衛は、喜助の身の上とわが身を比べてみた。
不思議なのは、喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。 牢に入ってからは、働かずに得られる食に驚いて、生まれて初めての満足を覚えたという。自分は扶持米で暮らしを立てているが、そこに満足を覚えたことはほとんどない。 庄兵衛は漠然と人の一生を思ってみた。人間は万一のときに備える蓄えがないと、どうしても不安で、少しでも蓄えがあったらと思う。このように、先から先へと考えてみれば、人はどこまでいっても踏みとどまることができるのか分からない。 だが、それを今、目の前で踏みとどまって見せてくれているのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。このときの庄兵衛は、空を仰いでいる喜助の頭から、後光がさすように思った。

10 庄兵衛は、喜助になぜ弟殺しをてしたのかを聞いた。
私は小さいときに両親が疫病で亡くなり、弟と二人で暮らしていた。去年の秋、弟が病気で働けなくなりました。 ある日、いつものように家に帰ってみると、弟は布団の上に突っ伏しており、周囲は血だらけでした。 弟は、「どうせ治らない病気だから、早く死んで、少しでも兄貴に楽をさせたくてのどを切ったが、息が漏れるだけで死ねない。剃刀を抜いてくれたら死ねるだろうから、手を貸して抜いてくれ」というのです。 私はさすがに躊躇して、お医者を呼ぶことにしたが、弟は怨めしそうな目つきをし、なおも「早く抜いてくれ」と頼むのです。その目がだんだん険しくなって、とうとう敵の顔を睨むような、憎々しい目になってしまいました。 それを見ていて、私はとうとう、これは弟の言ったとおりにやらなくてはならないと思いました。すると、弟の目の色ががらりとかわって、晴れやかに、さもうれしそうになりました。

11 私は剃刀の柄をしっかり握って、スッと引きました。
この時、いつもお世話になっていた近所の婆さんが入ってきて、あっと言ったきり、駈け出していきました。 私は剃刀を握ったまま、ぼんやりして見ていましたが、気がつくと、弟はもう息が切れておりました。 それから年寄衆がおいでになって、役場へ連れて行かれるまで、私は剃刀をかたわらに置いて、目を半分開いたまま死んでいる弟の顔を見つめていたのです。

12 ここで考えてみよう! ※ 人間には、死ぬ権利があるのか。 また、他人の死を決める権利があるのか。
Q3: 弟は剃刀を抜いてくれたら死ぬだろうから、抜いてくれと言った。たとえそのままにしておいても、弟はどうせ死ぬ。救う手段はまったくない。    死に瀕した弟の苦痛を見かねて、苦から救ってやろうと思ったのは悪いのか。  弟殺しの罪になるのか。 Q4: 自分にとって、安楽死とは合理的なものなのか。     動物の安楽死についてはどう思うのか。 Q5: どんな状況なら、{他人の死}を決めることができるのか。 5-1 意識を失った親族の代わりに、医療放棄の判断ができるか。 5-2 死刑について、どう思うのか。 ※ 人間には、死ぬ権利があるのか。    また、他人の死を決める権利があるのか。

13 庄兵衛はこう思う。 弟が死んだのは事実。弟を殺したのは罪に違いない。しかし、それが苦から救うためであったと思うと、そこに疑問が生じて、どうしても解けぬのである。 庄兵衛の心の中には、いろいろ考えてみた末に、自分より上の者の判断に任すほかない、権威に従うほかないという念が生じた。庄兵衛は、奉行(=裁判所)の判断を、そのまま自分の判断にしようと思った。 そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残っていて、なんだか奉行に聞いてみたくてならなかった。 しだいに更けてゆく朧夜に、沈黙の二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面をすべっていった。

14 補足資料 森鴎外がこの作品を手掛けた背景: (1) 軍医としての鷗外 (2) 親としての鷗外

15 (1) 軍医としての鷗外 (1)戦場所での悲惨な様子。 戦場で死に切れず、耐えきれない痛みで悩む人間の姿を多数見てきた。
(1) 軍医としての鷗外 ※ 日露戦争の際、第二軍軍医部長として出征。のちに陸軍省医務局長(人事権をもつ軍医のトップ)に就任。 (1)戦場所での悲惨な様子。    戦場で死に切れず、耐えきれない痛みで悩む人間の姿を多数見てきた。 (2)脚気残害をめぐる議論    当時、軍事衛生上での大きな問題は脚気病だった。西欧にはなくアジアだけある不治の病であった。      海軍ー高木兼寛 :西欧と日本の軍隊の違いは食事にある。      →高木の独断で、兵食の白米をパン(麦飯)にした。      →結果:おさまった。   陸軍ー森鴎外:病気の原因は細菌にある。    一、五千人の海軍に較べ、陸軍は五万人の兵士。① パンを焼く炉の設備の問題。② 麦にしても、食獣にしても、国内需要でまかなえないこと。(米食は)国内で自給自足できる食物である。 二、ドイツ医学は病理学的に細菌の発見を第一義とする故に、脚気対策は病原菌である〈脚気菌〉を発見することだと考えた。 → 結果:勅令「戦時兵食白米6合」を遵守した 。陸軍では約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となった。

16 (2) 親としての鷗外 森茉莉(二番目の妻との間に生まれた娘)の重い病気。
(2) 親としての鷗外 森茉莉(二番目の妻との間に生まれた娘)の重い病気。    この作品が執筆された前に、鴎外がたいへん可愛がっている娘・森茉莉が重い病気にかかった。苦痛に耐える娘の姿を見るに見かねて、当時ではまだ許されなかった安楽死の可能性も考えてみたという。     ※ 森茉莉―小説家。享年85。54歳で、鴎外に関するエッセイ「父の帽子」を発表し、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。その後、「甘い蜜の部屋」で泉鏡花文学受賞。三島由紀夫に激賞され、一躍作家の仲間入りをする。

17 補足資料2 物語の原典 江戸時代の随筆集「翁草」の中の「流人の話」がそのもとである。 鷗外による改編
 江戸時代の随筆集「翁草」の中の「流人の話」がそのもとである。 鷗外による改編  ① 原典における弟への描写は、「貧乏」のみである。   →鷗外:「貧乏+病気」。弟が自殺をしたのは、「どうせ治りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ」という。  ② 原典には主人公の名前が挙げられなかった。「喜助」という名前も鷗外によるもの。 → Q:鷗外はなぜこれらの改変を行ったのか。    それに合わせて、「「喜助」の行為は果たして罪なのか」をもう一度考えてみよう。


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