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ソシュール の構造主義 歴史ではなく、共時的な構造を取り扱う。

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1 ソシュール の構造主義 歴史ではなく、共時的な構造を取り扱う。
「言葉と意味、あるいは表現と内容(シニフィアンとシニフィエ)の関係は恣意的である」と定式化し、両者の関係のありかた、すなわち恣意的な関係性を「シーニュ」と呼んだ。 一冊の著作も残さなかったが、弟子たちのノートが一般言語学として出版される。

2 ソシュールとラカンの創造的誤読                   1.記号の恣意性             2.言語と発話の              相互関係     音と絵との分裂=事物表象と言語表象との分割           

3 差異の体系として認識=言葉(音)から見た絵
A -A Thing in itself A/noA

4 Parole A nonA langage -A lalangue

5 「ランガージュは、人類を他の動物から弁別するしるしであり、人間学的なあるいは社会学的といってもよい性格を持つ能力である」。
レヴィーストロース

6 限定交換と一般交換 交叉イトコ婚における一般交換 限定交換と一般交換の違い →一般交換とは、女性を項として親族構造である。
 限定交換と一般交換 交叉イトコ婚における一般交換   限定交換と一般交換の違い   →一般交換とは、女性を項として親族構造である。 一般交換:交換のための交換   言語のように構造化されている=群を形成する

7 象徴界の優先性 言語は子供以前に存在している。 暗黙のうちに、無意識に存在している構造が、認識に選考しているという理解 →現代の記号論の基本
 象徴界の優先性 言語は子供以前に存在している。   暗黙のうちに、無意識に存在している構造が、認識に選考しているという理解   →現代の記号論の基本 象徴的な参入は、存在することの基本であり、それは感覚や想像のあり方を決定するという認識論

8  シェーマL It(S) a’ A a

9 シェーマR i M φ S a I R m S a’ A I P

10  治療論 無意識は他者のディスクールである  「意識して言葉にしても、たいていは全体的な状況を把握しているわけではなく、意外と多くのことは人から影響を受けながら作り上げている仮の世界、思い込みであることは多いので、もう少し無意識の世界=知らないことに目や耳を向ける」 無意識は言語のように構造化されている  「言葉に出さないことは、たいてい流動的で、はっきりとしておらず、あいまいだから、あらゆる主観的な出来事は事後的にでも言葉にして整理したほうが良い」

11 特殊な臨床的技法 短時間セッション 言葉のアポストロフィー効果

12   ラカン( ) 1901年4月13日 ジャック=マリー=エミール・ラカン、父チャールズ=マリー=アルフレッド・ラカンとエミール=フィリピーヌ=マリー・ボードリーの長子として生まれる。父親は食酢製造業のパリ販売責任者で、ヴールバール・ドゥ・バーマルシェで暮らすが、ジャックの中等学校進学のためにモンパルナスに引っ越した。学童の頃、ラカンは宗教とラテン語に秀でて、10代で哲学に没頭、スピノザに傾倒する。

13 1920年 医学、その後精神医学に進み、近隣にいたシュールリアリズムの画家や作家たちと交流し始めた。アンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリと親交があり、ピカソのプライベートな精神科医になった。30年代のはじめには、シュールリアリズムの雑誌に寄稿するようになった。 1926年にサンタンヌ病院、28年にパリ警視庁付属病院でインターンをした。クレランボーに傾倒して、パラノイアに関心を持った。 ナルシシズムから想像的なもの、そしてイメージ→パラノイアにはすべてが含まれている。

14 1932年「人格との関係から見たパラノイア精神病」
ダリはこれをシュールリアリズムの雑誌で取り上げて、エリュアールはその中に登場するエメの詩を賞賛した。」 【症例エメ】  自分が書いた小説の主人公にちなんでつけた名前、この女性は有名なパリの女優ユジェット・ドュフローに切りかかった。「自罰パラノイア」という女優に切りつけることで、自分を切りつけている。    (エメはアンジューの母)

15   精神分析のほうへ 後にハルトマン、クリスらとともに自我心理学の論客になるレーヴェンシュタインの分析を1933年から1938年までの間受ける。不本意な結果であったらしい。だがその意味は深い。 1934年外科医の娘マリ=ルイズ・ブロンダンと結婚、同年にカロリーヌ、39年にデュボー、40年にシビュレが生まれる。 1936年、マリエンバード会議で、有名な鏡像段階の講演を行う。その講演は議長であったジョーンズによって遮られたというエピソードをもつ。

16 鏡像段階 ワロンら多くの発達心理学者が関心を持ってきた現象としての鏡像
 鏡像段階 ワロンら多くの発達心理学者が関心を持ってきた現象としての鏡像 切断された身体 人間は、大脳が発達したせいで、常に未熟児の状態で生まれてくる。したがって、幼児は、神経系が未発達なので、統一した自己の身体的イメージを持てない。 鏡の中の他者 前エディプス期(6ヶ月~18ヶ月)において、鏡の中の像を「自己」として認めることで自己の同一性が得られる。私とは(鏡の中の、あの)他者である。 承認と他者の欲望 これには母という他者の承認が必要である。 幼児は、母という他者の欲望を通じてしか、自分の欲望を満たすことができない。欲望とは、本質的に、「他者の欲望」である。

17 自己同一性から自我が疎外されている 擬態と同じく、人は集団的な人というイメージと同一化することで、イメージの虜になるという理解である。
乳幼児は未熟なので、身体と神経のシステムが不完全なので、自我は疎外的な自己同一化によって形成される。そのため自我はつねに想像的なものとして構成されている。→想像的なもの(これはひとつではない。それは解離性同一性障害のような病気について分かる。

18 自己は疎外されている 自己 寸断された身体 想像的な同一化

19  自我とは主体の在り処ではない。 自我は像でしかないし、それは寸断されたイメージを借り止めするような類のものである。自我の統一と完全体というのは、偽証であり、主体は疎外するイメージと寸断された身体との間を行き来する。患者の自我と同盟を持つ精神分析は決して、主体を生み出さない。それは偽証であり、共謀である。

20  人間の知識はパラノイア的だ 寸断された分割された身体という原始的なイメージに対して、鏡像、観察と迫害、テレパシーによるコミュニケーション、これらパラノイアの基本構造は自我を形成するためのプロセスのなかの構成要素である。 過剰な空想としてのパラノイア、それは想像的同一化である。

21 自我を超えた寸断された身体の発見から 第二次世界大戦へ
 自我を超えた寸断された身体の発見から                         第二次世界大戦へ ラカンは戦争中、ナチの占領下で陸軍病院に移動させられる。そこでバタイユの妻(1933年以来別居中)と出会い、彼女がルノアールの映画「ピクニック」に出ているときにもそこに通いつめている。 終戦後、45年にイギリスに研修旅行にビオンやリックマンと出会い、ノースフィールドでの集団療法の話を聞き、それがイギリスの不屈の精神の理由であると確信した。

22 フロイトのセミナー(1951年から) 週一回のセミナー
 フロイトのセミナー(1951年から) 週一回のセミナー これまでの想像的同一化の問題は、象徴的なもの、つまり語と症状との関係性のなかへと移行して行く。

23 1953年パリ精神分析学会(SPP)の脱会とフランス精神分析学会の創設(SFP)、そしてラカンの国際学会からの除名へといたる経緯。
自我心理学への反対:自我は特権的なイメージであり、分析の課題はそれを解除していくことである。 患者のわたしは信頼してはならない!   →精神分析の目標は、主体の再構成

24 1953年ローマ講演 話し言葉は行為であり、場所を与える。
 1953年ローマ講演 話し言葉は行為であり、場所を与える。 言葉は子どもが生まれる前から、そこにあり、そのネットワークの中に、子どもはとらわれていくのである。子どもは語と名によって自分のイメージと結び付けられる。   「お父さん似」「お母さんの遺伝だ」「おじいちゃんとそっくり」など 構造言語学、人類学における親族の構造のなかに組み込まれる。イメージは言語によって構造化される(無意識は言語のように構造化されている)。 自我理想(象徴的な自我の場所)と理想自我(想像する自我)の区別。 症状は身体に囚われた語である(器官言語)。 象徴界、想像界、そして現実界

25  症状とは、ラカン的には 身体の罠にはめられた語である。 私は自分を見る 自分

26 症状と理想自我/自我理想 メルツァーを使ってみる。
 症状と理想自我/自我理想 メルツァーを使ってみる。 症状は、身体によって語られた言葉でありそれは、身体言語である。それは寸断され閉所に閉じ込められた自我である。 理想自我は、審美的な葛藤をナルシシズム=美としてそれを解消してしまう理想自我の形成である。 それに対して、自我理想はあなたに場所を与え、あなた自身の視点を与える象徴的な点である。

27  想像界と象徴界の関係 理想自我はあなた自身が想定している自我であり、自我理想はあなたに場所を与え、あなた自身を見る視点を与えてくれる象徴的な点である。 欠如に対して、生み出されるのが対象aだとすれば、私たちは欠如を空想で埋めている、それが想像界だが、そこに主体が発生するには、象徴的な不連続性が必要である。

28 話すことの意味 能動と受動の逆転など無意識の言語構造が繰り返されるときに、一つの反復や同一性が見えてくる。
 話すことの意味 能動と受動の逆転など無意識の言語構造が繰り返されるときに、一つの反復や同一性が見えてくる。 話すことは、話し手と聞き手を前提にしている、そのため人に場を与える。 もともと語はそれを用いる人の意識やコントロールを越えている。分析を続けることで、それらのメッセージが患者に送り返される。 言葉の海から言葉を切り取って持ってくる作業は、不連続性によってまとまりを獲得する。

29 短時間(時間可変的)セッション 名づけることと句読点を入れること 時間を区切ること 抵抗の余地を与えないこと
 短時間(時間可変的)セッション 名づけることと句読点を入れること 時間を区切ること 抵抗の余地を与えないこと  そういった出来事が精神分析理論と同時に重視されるようになった。 ツァイガルニク効果(ソビエトの心理学者にちなんだ、記憶の中断効果)

30  症状とは、ラカン的には 身体の罠にはめられた語である。 私は自分を見る 自分

31 話すことは、自分自身に語っている内容をフィードバックする。
 話すことは、自分自身に語っている内容をフィードバックする。 語は話すことで、私と自分を離す。 私は「―-している」自分を見る 自分

32 ばらばらな発話は終えることで、まとまりを獲得する
話し言葉が象徴的なまとまりを持つ限り、主体は象徴界のなかで再認される。 大文字の他者の場が与えられることが、構文化されるということだ。 言葉が語られ、そして句読点を打たれることで、主体は象徴的な場を与えられる/象徴的な点として主語になりえる。    (=能動、受動が決まる)

33 主体は欲望を言葉によって埋める 自我は想像界に、主体は象徴界に結び付けられる。
 主体は欲望を言葉によって埋める 自我は想像界に、主体は象徴界に結び付けられる。 主体は基本的に分裂している(それは言葉の構造=配置によって)。 主体は自分の欲しいものを知らない。なぜなら、まとまりをもつことで、本当に欲しているものを空想や対象によって埋めてしまっているから、である。

34  エディプス・コンプレックスの言語論 子供は象徴的な回路、ネットワークのなかに入り込み(言葉をおぼえることで、分離を導入し)、母親との直接的な関係から離れる。 話すことは、放すことを通して、離すことになる。喪失がもたらされる。   →この喪失をどのように理解するか

35  喪失を埋めるものとしての幻想 a

36 喪失=欠如とエディプス 欠如=喪失/対象a=母親のファルス 子供が想像する同一性の次元 分離には欠如を何かで置き換える
 喪失=欠如とエディプス 欠如=喪失/対象a=母親のファルス   子供が想像する同一性の次元   分離には欠如を何かで置き換える 見る/見られる関係(主客) 話すことで語に意味が埋まる 欲望と要求(需要)/象徴的な次元でネットワークに参入すること=父の名、否定の導入、主体の象徴的な点

37  シェーマL It(S) a’ A a

38 シェーマR i M φ S a I R m S a’ A I P

39 精神分析の開始 精神分析をしたいのは誰か、それは精神分析家であり、精神分析家の欲望である。
 精神分析の開始 精神分析をしたいのは誰か、それは精神分析家であり、精神分析家の欲望である。 初回面接において、精神分析について教育的な立場をとる必要がある。 注意深く傾聴して、患者にとって誰でもない特権的なA、そして対象(a)の場を与えられる=転移 再びパワン・ド・キャピトンの詳述化

40 転移とは象徴Aのなかの欲望が生み出す、$◇Dは要求Dとの関係における欲動であり、
S(A) S(A)のなかのAが斜線を引かれる。 意味作用 象徴

41  分析家が分析的主体との関係=転移 最初分析を受ける人(分析的主体)は、分析家がすべてを知っている、真実を知っている人だと思う。アドバイスやよき導きの知識を期待する。 だが分析家は意味はあいまいで、多元的であると思っている。そして期待に応えることをしない。半分の真理しか提供できない。 そこで分析的主体は、さまざまな幻想を分析家に投影して、それに対して、あれこれと連想していく。 分析家は、それを神秘的な解釈で、句読点を入れていき、そして中断することで分析に切断を持ち込む。

42 去勢の新しい意味 疎外ー分離ー去勢という自我から性差のあり方を連続的に捕らえるモデルを構築した。
 去勢の新しい意味 疎外ー分離ー去勢という自我から性差のあり方を連続的に捕らえるモデルを構築した。 治療の中で分析的主体が精神分析を切断として体験することの重要性を説いた。 治療と転移、そして去勢とが一貫してモデルとして組み立てられた。

43 幻想の定式化 父の名(否)によって生じる象徴機能から S◊aという主体と対象の結合によって生じる幻想
 幻想の定式化 父の名(否)によって生じる象徴機能から S◊aという主体と対象の結合によって生じる幻想 精神分析は知識を提供するのではなく、転移の場で疎外と分離の往復運動をする。 症状とは享楽(苦痛に満ちた快楽)である。

44 トポロジーの方へ 欲望、欲求、願望、そして欠如
 トポロジーの方へ 欲望、欲求、願望、そして欠如   それらは象徴的なものへの参入において欲望を生み出し、その欠如において、転移の中に幻想を生み出す。 転移は対象aで生み出される。 享楽から象徴のほうへ、不連続的なプロセスを続けることが精神分析である。

45  そこで身体とは何か 母親と子供の間のゲームで用いられる現実的対象、乳房、糞便、声、まなざしなど母親と自分との間に決定的な、存在と不在との表すもの、身体の境界を示すものになる。 それは身体境界をもたらすが、同時に分離や喪失を助け、象徴的な世界に入るための準備をする。

46  自由連想とは 主体は自由連想のなかで自分を失っていくが、それによって対象aに静かに包囲されていく。それが転移のマイナス面、同時に転移は知としても活用できる、それは対象aに目を向ける。 →自由連想は、私たちの不自由さを明らかにするが、それが自由をもたらす可能性を開く。

47 身体と言語、そして想像の関係 想像的な同一化 母親にとって自分は何なのか=幻想 現実的な対象への依存=身体に語が欠けている理由
 身体と言語、そして想像の関係 想像的な同一化 母親にとって自分は何なのか=幻想 現実的な対象への依存=身体に語が欠けている理由 象徴的な関係が欠如、欲望、要求といった事柄をネットワークに組み込んでいく。 身体/言語/想像

48 国際学会からの離脱 1963年、IPAから訓練分析の四角を剥奪される。 フランス精神分析学は(EFP)から パリ・フロイト学派の形成へ
 国際学会からの離脱 1963年、IPAから訓練分析の四角を剥奪される。 フランス精神分析学は(EFP)から  パリ・フロイト学派の形成へ パスという制度の創設と失敗    →解散への道

49 転移は疎外と分離の運動 享楽を苦痛として、そして想像界のなかに現れるものとして表現している。
 転移は疎外と分離の運動 享楽を苦痛として、そして想像界のなかに現れるものとして表現している。   →享楽と言語活動の相互関係についての考察を行っていく。    原言語Lalangue 去勢=享楽からの追放

50 パスという制度 パスした人による橋渡し(パッスール)によって、審査委員会に、そのパスを訴える。
 パスという制度 パスした人による橋渡し(パッスール)によって、審査委員会に、そのパスを訴える。 合格はパス(通路)であり、それを外に向けて物語を語ることで、終わりなき分析に一通りの区切りを入れる。 物語はつねに精神分析にとって、ひとつのまとまりでしかないが、その説明は分析的な関係の外に向けて行われる。

51 トポロジー ラカンのトポロジー RSIの等価性 結び目 サントームSinthome Symptonから聖なるものに
 トポロジー ラカンのトポロジー RSIの等価性 結び目 サントームSinthome    Symptonから聖なるものに   三つの世界の構造全体が生み出すもの

52 ラカン派の解散へ 精神分析は、主体の言葉であり、それはつねに分離を通して、実現する知である。
 ラカン派の解散へ 精神分析は、主体の言葉であり、それはつねに分離を通して、実現する知である。 精神分析の基本的な伝授は、対象aとの関係であり、ラカン派の形成ではない。   →1980年 パリ・ラカン派の解散へ


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