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メディア社会文化論 2009年12月11日.

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1 メディア社会文化論 2009年12月11日

2 1.2 メディア論(メディア)と資料論 資料とは①
1.2 メディア論(メディア)と資料論 資料とは① 資料論 専門資料論、図書館資料論・・・司書科目 資料とは何かという分野は当然、研究分野としても、ありうる →(図書館資料論→)選書論、コレクション形成論(専門資料論→)学術情報流通論

3 資料とは② 資料とは?(メディアとの関係において) 2つの考え方 ①資料⊆メディア(後述) ②資料=メディア

4 資料=メディアについて① ②の資料=メディアについて 印刷資料以外の資料を捉える際、メディアという用語を用いるのが好適
 印刷資料以外の資料を捉える際、メディアという用語を用いるのが好適 「こうした現状を踏まえ,本章では知識・情報を伝達するあらゆる装置,仕組みを広く取り上げようとする主旨から,印刷資料のみならず,多様な非印刷資料等も含む各種の資料を総称する意味でメディアということばを用いることにした」(長澤雅男 )

5 資料=メディアについて② 資料をメディアという例 図情図書館プリントメディア部門 ディジタルメディア部門
資料→メディアと呼び換える代える以上に、 図書館→インフォメーションセンターと呼び換えるべき

6 メディアの分類① 1)伝送(伝達)と記録という観点から分類 ①情報を伝送(伝達)のみするもの・・・空気、電波、電話線
②情報を記録のみするもの・・・レコード、音楽CD、DVD ③情報を伝送(伝達)し、さらに記録するもの・・・新聞紙 →しかし本当にこうなるの?という感じはある・・

7 メディアの分類② 2)また、上記②(および③)でも ②(Ⅰ)記録される能力があり、実際には記録されていないものと、
②(Ⅱ)記録される能力があり、実際に記録されているもの   とに、分けられる。 なお、「資料」=記録された情報ゆえ ②(Ⅰ)は、メディアであるが、資料ではない。 (資料⊆メディア)

8 メディアの分類③ 3)さらに、「伝送(伝達)」と「記録」は実体的に分けられない。・・・1)の分類は便宜的なもの 例 紙=記録媒体
 紙切れに書いたメモを渡す・・・(記録を)伝送する媒体

9 メディアの分類④ 本・・・記録媒体←読者が読む・・・伝送媒体に 音、空気・・・伝送媒体、空気の揺れの記録(まとまり・単位)が伝えられる側面も

10 メディアの分類⑤ 媒体というもの(実体)と、それの機能とを分けて考えよう。
①記録媒体も、ある程度時間を隔てた情報の伝送という意味で、電送媒体の機能を果たす。 ②伝送媒体も、微少な記録の繰り返しによって伝送を果たすという意味で、記録媒体の機能も有する。

11 1.3 情報とメディアと資料の定義 1.3.1 情報の定義①
1.3 情報とメディアと資料の定義 1.3.1 情報の定義① 『コミュニケーション論』(後藤将之著、中公新書、1999,p.45)での定義 もっとも広義の情報・・・物質やエネルギーが構成するなんらかのパターン、あるいはそれが持つ一定の秩序性 その上で二種類の情報 ①それが当初は人為によって構成されたような情報 ②当初は少なくとも人為によって構成されてはいなかった情報

12 情報の定義② 『広辞苑』での定義。 Information ①あることがらについてのしらせ。「極秘--」
②判断を下したり行動を起したりするために必要な、種々の媒体を介しての知識。「--が不足している」

13 情報の定義③ 後藤将之の定義の「物質やエネルギーが構成するなんらかのパターン、あるいはそれが持つ一定の秩序性」について
「パターン」「秩序性」・・・認識する主体を要する。ただし情報の出来る当初から「パターン」を要する訳ではない。 「パターン」を機械に教え込めば、機械も「パターン」を「認識」できるように。 しかも機械(コンピュータ)の情報の送受信・・・パターンの認識も不要かも

14 物財の情報性① 「情報を専門的に担うのは、情報媒体(情報メディア)ですが、情報媒体として意図されていない存在物であっても、そこに多くの情報や意味が結果的に担われていることは多々あります」(後藤将之p.52) →物財の情報性への着目 先週の配付資料の「情報の二義性」のうちの 「②伝えられることを伝達者が意図していずに(あるいはそもそも伝達者という明確な主体の存在しない)情報」に相当

15 物財の情報性② しかし物財の情報性は、「情報媒体として意図されていない存在物」の専有物? 形態書誌学等は?
昔の本=写本、奥付なし、一冊、一冊違う

16 1.3.2 メディアの定義① 「メディア」英語のmediateの名詞形
1.3.2 メディアの定義① 「メディア」英語のmediateの名詞形 mediate 「媒介する、仲介する、取り次ぐ、取り持つ、介在する、中間にある、連結の役をする」 名詞形の単数がmedium、複数がmedia 太鼓持ち、仲人、くっつけるもの 弁証法の「媒介」

17 粉川哲夫のメディアの定義① 『社会学事典』(弘文堂,1989)「メディア」(粉川哲夫)
「「中間」「媒介」などを意味するラテン語mediumの複数が語源であることからも分かるように、伝達を「媒介」するもののこと」 従来のメディア・・・「透明な媒体」を理想・・・自らの存在感を極小化(ノイズの減ってくる録音の歴史、モノラル→ステレオ、白黒→カラー) →電子メディアに

18 粉川哲夫のメディアの定義② 透明性の逆説・・・透明性が増すと、「「送り手」のメッセージがそのまま「受け手」に伝わるわけではないという逆説」
←例えばレコードは生演奏の際限ではなく、一度も存在しない音を作り出す。 では「透明性」の増す時代のメディアとは?「コミュニケーションそのものを成り立たせる「場」であって、単なる通路ではない」。

19 粉川哲夫のメディアの定義③ 「「今や「メディアがメッセージ」を作るのであり、「送り手」「媒介」「受け手」という発想そのものを無意味にしているのである」。 「 「メディアがメッセージ」 を作る」・・・マクルーハン「メディアはメッセージである」 「送り手」「媒介」「受け手」の無効化・・・前回、申し上げたようなそれらの相対化の必要性を裏付ける

20 2.マクルーハンのメディア論とそこから発展させた議論
2.1 マーシャル・マクルーハンの略歴 マクルーハン( )「カナダの社会学者・文明批評家。「メディアはメッセージである」とするメディア論を展開。著「グーテンベルグの銀河系」「メディアの理解」など」(広辞苑)  主著 『グーテンベルグの銀河系』(1962)邦訳みすず書房 『メディア論(人間拡張の原理)』(1964)邦訳みすず書房  多分、歴史上最も著名で、批判も賛美も含め(毛嫌いする人も多い)最も言及されるメディア論の学者

21 Marshall McLuhan 左http://jackiebreckenridge. wordpress

22 マクルーハンの代表的著作の邦訳書 http://ecx. images-amazon. com/images/I/51T62KnzDjL
マクルーハンの代表的著作の邦訳書

23 Marshall McLuhan (みすず書房のウェブによる略歴http://www. msz. co
  1911年、カナダのアルバータ州エドモントンに生れる。マニトバ大学で機械工学と文学を学んだ後、英国ケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジに留学。F.R.リーヴィス、I.A.リチャーズを識る。帰米後1937年、カトリックに改宗、1942年、エリザベス朝の詩人トーマス・ナッシュについての論文で博士号を取得。アメリカのウィスコンシン大学やセントルイス大学をはじめ諸大学で教鞭をとり、1946年にカナダのトロント大学教授となる。「スワニー・レビュー」や「ケニヨン・レビュー」などの諸雑誌に、数多くの文学研究論文を発表。1951年に最初のメディア論『機械の花嫁』を刊行し、この分野での独創的な研究に手を染める。   1962年、西欧文化における活版印刷の影響を扱った大著『グーテンベルクの銀河系』を、ついで1964年に『メディア論』を刊行し、現代文明論・メディア論の先駆者となる。1980年トロントの自宅で死去。

24 2.2 マクルーハンの 思想的バックグラウンド ①カナダ人であること ②元々は英文学者(エリザベス朝の文学研究) ③ 元来、テレビや若者文化が理解できなかった(それらの擁護者として名を売っているのに) ④ プロテスタントからカトリックに改宗 ⑤オングやイニスの影響 ⑥晩年、自己批判の書物を書く。

25 ①カナダ人であること カナダ 1)メディアリテラシー教育の最も盛んな国 隣の大国アメリカの商業主義の影響を嫌う
2)アメリカよりもリベラルな政治文化風土(反戦、国民皆医療制度) 3)英語圏(プロテスタント)と仏語圏(カトリック)双方を抱える国(国民の 59.7%が英語・23.2%が仏語を母国語に)

26 ②元々は英文学者(1) (エリザベス朝の文学研究)
トーマス・ナッシュ( )と共にジョン・ダン( )などの形而上詩人やシェイクスピアのソネットを研究 (ダンの肖像はwikipedia日本版より) ダン「イギリスの形而上派 の代表的詩人・神学者。逆説 と奇想に満ちた恋愛詩と宗教 詩はマニエリスム文学の極致 とされる・・・」(広辞苑)

27 ②元々は英文学者(2) ダンら形而上詩人を再評価したのがT.S.エリオット(1888-1965)

28 ②元々は英文学者(3) エリオット「イギリスの詩人・批評家。アメリカ生れ。宗教と伝統を重んじる。・・・詩「荒地」「四つの四重奏」、詩劇「寺院の殺人」、批評集「伝統と個人的才能」など。ノーベル賞。( )」(広辞苑) マクルーハンはエリオットの詩もよく引用する。 エリオットはアメリカからイギリスに帰化し、プロテスタントからアングリカンチャーチに改宗

29 ②元々は英文学者(4) メディアの歴史的展望は、文学史研究の一環として確かなもの。
しかし近未来への展望は、思いつきに過ぎない面もあり、という批判は多く受ける。 もっともそこが評価の高いところでもある。

30 ③元来、テレビや若者文化が 理解できなかった
アメリカのウィスコンシン大の若手教員時代 若者文化、テレビ文化理解不能 それらを批判する論文を多く書く。 →マスコミがそれらの擁護者のようにマクルーハンを祭り上げる →若者文化、テレビ文化の擁護者に自己規定

31 ④プロテスタントからカトリックに改宗 1937年改宗 マクルーハンの活字文化批判にはプロテスタント批判の側面が強いといわれる・・・濱野保樹
エリオットのプロテスタントからアングリカンチャーチへの改宗に対応か? マクルーハンの着想にヒントを与えたオングもカトリック(しかも司祭)

32 ⑤オングやイニスの影響 オング(1) オングWalter Jackson Ong(1912-2003)
「オング神父は米国のイエズス会の宣教師にして、英文学と文化史、宗教史並びに哲学の教授である」 ( 「彼はミズーリ州カンサスシティに、プロテスタントの父とローマ・カトリックの母の間の子供として、生をうけた」

33 オング(2) 「大学卒業後、印刷出版の仕事に携わり、その後1935年イエズス会に入り、46年司祭に叙任される」
「1941年にセントルイス大学に提出した彼の修士論文は、若きマーシャル・マクルーハンの指導を受けた」 →いわば英文学者マクルーハンの教え子でもあった(37-44年マクルーハンはセントルイス大の教員)

34 オング(3)

35 オング(4) オングとの相互引照(師弟が 本質的でないところで相互に言及し合っている)
「ラメ(ラムス)の研究はなかなかなされなかったが、幸いウォルター・オングがついに内容の濃い研究を発表してくれたのである」(マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』邦訳p.221) オング『声の文化と文字の文化』(藤原書店)(1982→1991) (図情図書館801-O65) オングはマクルーハンの「地球村」にも言及する(邦訳 p.280)

36 ⑤オングやイニスの影響 イニス(1) ハロルド・イニス(Harold Adams Innis、1894年11月5日-1952年11月8日)は、カナダの経済学者、社会学者。専門は、経済史、メディア論。 マックマスター大学卒業後、1920年、シカゴ大学で博士号取得。それ以降、トロント大学で教鞭をとる。 代表作『コミュニケーションのバイアス』1951(邦題『メディアの文明史』(新曜社))(図情図書館361.45/I-54)

37 イニス(2)http://en. wikipedia
イニス(2)

38 イニス(3) イニス・・・トロント大のマクルーハンの年長の同僚 『コミュニケーションのバイアス』の影響を、マクルーハンは受ける。
もっとも同書の「序文」はマクルーハンが書いている。 「彼の競争者のマクルーハン同様、イニスはメディアについて深く省察したことで知られている」

39 イニス(4) 「イニスの同僚にして知性面での弟子でもあるマーシャル・マクルーハンはイニスが夭折したことを人間知性の災害的な損失と痛く悲しんだ」 「イニスはトロント大学経済学部長として、英米の大学出身の、カナダの歴史や文化を知らない人物にあまり頼らなくて済むよう、カナダの研究者の幹部を作ることに奔走した」

40 ⑥晩年、自己批判の書物を書く 彼の有名な「地球村」などの発想 自己批判する著作を晩年に記す。 しかし仏語 紹介されず(濱野保樹)
→大活躍した 年代のマクルーハンの文章のみがもて囃される

41 2.3「メディアはメッセージである」①・・・メディア概念の重層性の議論
「メディアはメッセージである」・・・マクルーハンの最も有名な言葉 メディア・・・外側・乗り物、 メッセージ・・・内側・乗せられる物、情報 →「外側は内側で(も)ある」??  「乗り物は乗せられる物で(も)ある」??

42 「メディアはメッセージである」② メディアと情報の区分を相対化ないしは無効化 実体ではなく機能で分ける(中井正一の発想に近い)

43 「メディアはメッセージである」③ 具体的局面で考えると ラブレターを藁半紙のような再生紙にワープロで印字して渡しても、効果があるか?
情報は無色透明、中立であるか否か 同じ発言でも誰が言うかで、捉えられ方は異なる。 真理性よりも真実性

44 「メディアはメッセージである」④ 【マクルーハン以前の普通の考え方】
情報と媒体の二元論・・・情報(メッセージ)と媒体(メディア、乗り物)とは、別個のもの、全く切り離されたものという考え方 【マクルーハンの考え方】 メッセージ性のない、無色透明な媒体そのものというものはない。媒体そのものが何であるかということ自体にメッセージ性がある。情報媒体それ自体が情報を発信している。

45 「メディアはメッセージである」④ 「メディアはメッセージである」・・・メディア概念が無限に広がる →メディア概念の重層性(吉見俊哉)

46 メディア概念の重層性① メッセージ1VSメディア1 ↓ 〔メッセージ2VSメディア2〕 ↓ 【〔メッセージ3〕VSメディア3】 ↓ 【メッセージ4】VSメディア4

47 メディア概念の重層性② 含まれるものと含むものと関係が無限に連鎖する。
「電気の光というのは純粋なインフォメーションである.それがなにか宣伝文句や名前を描き出すのに使われないかぎり,いわば,メッセージをもたないメディアである.この事実はすべてのメディアの特徴であるけれども,その意味するところは,どんなメディアでもその『内容』はつねに別のメディアである,ということだ」(McLuhan 1964=1987 8)

48 メディア概念の重層性③ メディアと内容とは,関係性のなかで把握される
メディアは実体的にメディアであるわけではない。内容も固定的に内容であるのでもない 関係性のなかで相対化される.

49 メディア概念の重層性④ 「書きことばの内容は話しことばであり,印刷されたことばの内容は書かれたことばであり,印刷は電信の内容である.もし『話しことばの内容はなにか』と問われたら,『実際の思考のプロセスで,それ自体は非言語的なもの』ということにならざるをえない」(McLuhan 1964=1987 8) このマクルーハンの議論を延長すると・・・

50 メディア概念の重層性⑤ 「印刷は電信の内容である」(上記の引用)→
《印刷は電信,出版物,新聞といったメディアの内容である》.さらにこれを拡張する.《電信,出版物,新聞は,電話線・電話会社,出版社,新聞社といったメディアの送信される内容である》.さらに《出版物,新聞は図書館というメディアの選別される内容である》.

51 メディア概念の重層性⑥ この捉え方のメリット
スライド3の以下の矛盾も解消に ①資料⊆メディア(後述) ②資料=メディア 記録されざるメディア(媒体材料)、資料、 マスメディアまでを統合的に見られる

52 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア① 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映画、写真、ラジオ、講義
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア① 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映画、写真、ラジオ、講義 ・・・一方向的、あるいは単一の感覚を高精細度で拡張するメディア

53 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア② 冷たいメディア・・・テレビ(映画に対するテレビ)、電話(ラジオに対する電話)などの電気メディア(一般にマクルーハンのこの「電気メディア」を、現代の状況にあわせて「電子メディア」と捉える論者が多い)、漫画(写真に対する漫画は低精細度)双方向的、演習 ・・・低精細度のメディア、あるいは双方向的なメディア

54 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア② マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・個々のメディアで単独に取り出すと訳分からなくなる
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア② マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・個々のメディアで単独に取り出すと訳分からなくなる あくまでも対にして、相対的な意味で理解する。 あと日常感覚の「熱い」「冷たい」とあえて逆になっている

55 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア③ 「電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話されることばが「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聴き手がたくさん補わなければならないからだ」メディア論』邦訳p.23) 。

56 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア④ 「一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い」(『メディア論』邦訳p.23)

57 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑤ 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。 参与性高い・・・冷たいメディア
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑤ 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。 参与性高い・・・冷たいメディア 参与性低い・・・熱いメディア

58 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑤ 「熱いメディアと冷たいメディアの使用上の基本的な差違を指摘する一つの方法は、交響楽の演奏の放送と交響楽のリハーサルの放送とを比較対照してみることである。これまでにCBCカナダ放送が放映した最上の出しものの二つが、グレン・グールド( )のピアノ・リサイタルのレコード吹き込みの模様と、イゴール・ストラヴィンスキー( )がトロント交響楽団を指揮した自作のリハーサルの模様だった。テレビのような冷たいメディアが本当に用いられると、この場合のようにプロセスへ巻き込まれないわけにいかなくなる。」(『メディア論』邦訳p.32)

59 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・参与性(相対的に)低い
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・参与性(相対的に)低い リハーサル・・・未完成品・・・開かれたメディア、モザイク(モザイクについては後述)状・・・参与性(相対的に)高い

60 イーゴリ・ストラヴィンスキーhttp://ja. wikipedia
イーゴリ・ストラヴィンスキー 1882年6月17日 年4月6日)は、ロシアの作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。

61 指揮するストラヴィンスキー http://userdisk. webry. biglobe. ne
指揮するストラヴィンスキー

62 グレン・グールド略歴①http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴① グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9月25日 年10月4日)は、カナダのピアニスト、作曲家。 かねてより、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏者と聴衆の平等な関係に志向して、演奏会からの引退を宣言していたグールドは、1964年3月28日のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活動からは一切手を引いた。これ以降、没年までレコード録音及びラジオ、テレビなどの放送媒体のみを音楽活動の場とする。同年には、トロント大学法学部より、名誉博士号を授与された。

63 グレン・グールド略歴②http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴② 1977年、グールド演奏によるバッハの「平均律」第2巻 前奏曲とフーガ第1番ハ長調の録音が、未知の地球外知的生命体への、人類の文化的傑作として宇宙船ボイジャー1号・2号にゴールデン・レコードとして搭載された。 ピアノという楽器の中で完結するようなピアニズムを嫌悪し、自分は「ピアニストではなく音楽家かピアノで表現する作曲家だ」と主張したグールドであったが、第1の業績が斬新で完成度の高いそのピアノ演奏であることは異論のないところである。

64 グレン・グールド略歴③ http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴③ グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器ではなく対位法的楽器であるという持論を持っており、ピアノ演奏においては対位法を重視した。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多くはペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レガート奏法であった。

65 マクルーハンとグールド① 単にトロント大学繋がりというのではない。 グールドもマクルーハンを評価。
レコード>>>演奏会という部分は、リハの番組を重んじるマクルーハンと対立しそう。 ただしピアノで完結しないこと、モノフォニーでなくポリフォニー志向であることなど、マクルーハンと合致する。

66 マクルーハンとグールド② 『グレン・グールド書簡集』(邦訳、みすず書房、1999年)にマクルーハン宛の書簡が2本掲載されている(pp ; )。 その注によると、マクルーハンはグールドの持っているラジオ番組で、インタビューを受けている。

67 帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド http://book-dvd. blog. ocn. ne
帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド

68 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコードのような熱いメディアに向いている。フランシス・ベーコン( 大法官、イギリス経験論の父)は熱い散文と冷たい散文を対照させることに倦むことがなかった。

69 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑦ 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」というような単一の観察と、対照させてみた。受動的な消費者は完成品を求めるけれども、知を追い求める者は警句に赴くのではないか。そうベーコンは言うのであった。警句は不完全であり、深いところで参加を求めるからに他ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。

70 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ 文学研究者の本領発揮 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメディアを)プラスに評価
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ 文学研究者の本領発揮 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメディアを)プラスに評価 象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロマン)、ヌーヴェルヴァーグ 作品の完成を拒む 作品を作るという行為そのものを描き、作る行為を相対化

71 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑨ →作ることの意味を問う芸術の潮流
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑨ →作ることの意味を問う芸術の潮流 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性への崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸術の志向性) →「冷たいメディア」擁護

72 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア1⑩ (写真のインパクトを論じる中で)
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア1⑩ (写真のインパクトを論じる中で) 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあげていく、あの精神の内的身振りというものに目を転じた。このようにして、芸術は外界との対応から内面での創造へと移っていった。既知の世界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそれに参加できるようにする方向へ変わった。いまやわれわれには創造過程に参与する手段が与えられたのである」(『メディア論』p.198)

73 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪-活字文化批判①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪-活字文化批判① 活字文化批判との絡み オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある この反対が活字文化 講義(一方向)と演習(双方向) 文字、活字文化批判--民衆をエリートが支配する道具としての文字

74 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫-活字文化批判②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫-活字文化批判② 活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判 価値中立的でないという問題(ウェーバーの方法、「メディア社会学」の授業参照) ただし彼の批判する「活字文化」の内実は? 表音文字批判・・・アルファベット批判 表意文字(漢字等)には、やや肯定的

75 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬-アルファベットの特質①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬-アルファベットの特質① 全ての文字を25文字に集約→文字が普及しやすい。文字そのものは誰でも読める(単語の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及する。 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言葉のより普遍的な流通 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。

76 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭-アルファベットの特質②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭-アルファベットの特質② 国旗と、それを意味する文字を比較 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういうことになるか。記号は同一の意味を伝えるであろうけれども、効果は完全に異なるであろう。星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移し変えてしまえば、それと一体化したイメージや経験の質の多くが奪い去られてしまうであろう」(『メディア論』邦訳p.84)。

77 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-表意文字①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-表意文字① 表意文字・・・国旗に近い要素を留める 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しなかった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のない微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」( 『メディア論』邦訳p.85)。

78 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-表意文字②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-表意文字② →表意文字・・・部族の言葉 ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた言葉である。・・・よって画一的ではない。 これは誰が話すかということにも関わり、メディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即不離の関係

79 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-表意文字③
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-表意文字③ 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアがそうであったように、こんにちアフリカでアルファベット文字を身につけて一世代もすれば、少なくとも部族の網から個人を解き放つのに充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。 →要するに、部族社会から個人を解放するのが、アルファベットなどの表音文字

80 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-表意文字④
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-表意文字④ 「この事実は、アルファベットで綴られたことばの「内容」には関係がない。それは人の聴覚経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といったメデフィアの変化の方が重要→ここも「メディアはメッセージ」のバリエーション

81 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字から表音文字へ①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字から表音文字へ① 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分離とは何か? 「表音アルファベットのみがこのような経験の明確な分割をおこない、その使用者に耳の代わりに目を与え、その使用者をこだますることばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つのである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。

82 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-表意文字から表音文字へ②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-表意文字から表音文字へ② アルファベットなどの表音文字 →視覚優位の社会 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡張するものであるが、文字文化の内部で、それ以外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役割を縮小させる」(『メディア論』邦訳p.86)。

83 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア21-論理の線形性①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア21-論理の線形性① 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な前後関係によって構成される→因果関係で物事を捉える。 しかし因果関係のない連続というものもあるとマクルーハンはいう。 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがなにかから「続いて生じる」というのが、あたかも、そのような連続を作り出す原因のようなものが作用しているかのように感じられ、いまなお、いかにももっともなこととして受け入れられるのである」(p.87)。

84 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア22-論理の線形性②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア22-論理の線形性② 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユークリッド幾何学を自由自在に作れるような気がするのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会の組織に普遍的な形式となっているが、これまでにそれをマスターしたのはアルファベット文化だけだった」(同ページ)。 ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複線的・非線形的に情報が流れる


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