“韓国文学のパンソリについて” 発表日 2005年6月20日 発表者 桑野大司 樋本拓也 平野由恵 吉田真理 吉野富士

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1 “韓国文学のパンソリについて” 発表日 2005年6月20日 発表者 桑野大司 樋本拓也 平野由恵 吉田真理 吉野富士
風の丘を越えて ~西制便~ “韓国文学のパンソリについて” 発表日 2005年6月20日 発表者 桑野大司 樋本拓也 平野由恵 吉田真理 吉野富士

2 あらすじ 1960年代初め。ある山間の村にドンホという男が辿り着く。
 1960年代初め。ある山間の村にドンホという男が辿り着く。  そこで今時珍しいパンソリを聞かせる女性に出会う。彼はその歌声に酔いしれながら、回想する。  ドンホが幼い頃、彼の村にキム・ユボンというパンソリの歌い手がやって来た。ユボンはドンホの母である未亡人と恋に落ち、子をもうけようとするが、お産は失敗に終わり、彼女も死んでしまう。

3  後に残されたドンホと、以前から連れていた養女ソンファを連れユボンは旅に出る。ユボンはドンホに太鼓を、ソンファに歌を教えながら旅芸を続ける。
 ソンファとドンホは鼓手と唄い手の名コンビに成長するが、やがてパンソリは時代から疎外され始め、ドンホはユボンのパンソリに対する異常な情熱が理解できず、次第に争うようになる。

4 そしてついに芸ものにしたかと思えた時、父ユボンはソンファに対する罪悪感を抱きながらこの世を去る。
 ある日、ドンホは家出し、残されたソンファは絶望から一時声が出なくなる。  ユボンは治療のために漢方薬を彼女に与えるが、さらにパンソリの芸を極めるために、薬を過度に与え、副作用で彼女を失明させてしまう。これもユボンが芸で大切だという“恨(ハン)”の気持ちを教えようとする思いからだった。  そしてついに芸ものにしたかと思えた時、父ユボンはソンファに対する罪悪感を抱きながらこの世を去る。

5 彼は文字絵のナクサンを通して、ひなびた旅館でソンファと再会する。彼は太鼓を叩き、彼女はそれに答え歌う。
 かくして1950年代が過ぎ去った。成人したドンホは父とソンファが無性に恋しくなって2人を探し歩く。  彼は文字絵のナクサンを通して、ひなびた旅館でソンファと再会する。彼は太鼓を叩き、彼女はそれに答え歌う。  互いを語り合うことなく、一晩を過ごした後、2人は無言で別れる。ドンホは再び旅に出て、ソンファもまたしばらく住んだ旅館を出て行くのだった。

6 登場人物 父:見事なパンソリの使い手であり、子供2人を連れて旅をする。息子には太鼓を、娘にはパンソリを教える。弟が姿を消した後、姉に毒を少しずつ飲ませ、失明させる。

7 登場人物 息子:貧乏な生活と父に嫌気がさし、父娘の前から姿を消す。その後、失明した姉を訪ねるが、弟とは名乗らずに再び姉の前から姿を消す。自分たちも気づかないうちに、姉弟はお互いに心を通わせるようになる。

8 登場人物 娘:弟が姿を消してからは、父と2人で旅回りをしながらパンソリを唄っていた。自分の目をつぶした父を許すことで“恨”をつんでいく。小説では、父の死後、遺骨を埋めるために仙鶴洞を訪れ、入り江に鶴がとばなくなった仙鶴洞で自殺し、仙鶴洞の鶴となった。

9 “恨”について    作品を通して“恨”をめぐる問題が根幹にある。困難の中で生まれる悲しみや悔しさ、怒りといった思いを、その対象にぶつけるのではなく、自分の内面で受け止めるとき、その思いは“恨”となって沈殿する。“恨”は決して外側には向かわず、常に自分の内側に向かっている。さらに“恨”は何か次に新しいものを誕生させる力にならなければならないものである。

10 映画を見る上での視点 儒教社会のジェンダー 伝統と近代化 西便制の修行と、家長(男性)に従順な長女(女性)=伝統社会。
西便制(伝統文化)を拒む次男(男性)=現代社会(西洋社会)の到来。 パンソリと家族 パンソリを生きがいとする父とそれを受け継ぐ娘。才能のないゆえに疎外感を感じる弟

11 映画を見る上での視点 パンソリと家族 不安定な家族関係 恨とパンソリ
パンソリを生きがいとする父とそれを受け継ぐ娘。才能のないゆえに疎外感を感じる弟。 不安定な家族関係 父親の独占欲と、血のつながらない姉弟の、無意識下での愛慕の情。 恨とパンソリ 父親が娘に対して恣意的に獲得させようとした恨。対して恨を生きてゆく中で、自然とえた父親。 パンソリと家族 パンソリを生きがいとする父とそれを受け継ぐ娘。才能のないゆえに疎外感を感じる弟

12 パンソリについて *パンソリの語義 パン・・・多くの人が集まっている所、ある事が行われる場。またあることの開始・経過・終結の全過程。
 パン・・・多くの人が集まっている所、ある事が行われる場。またあることの開始・経過・終結の全過程。  ソリ・・・自然界の音響・音声がすべて包括されると共に、笑い声、泣き声、ため息なお多様な人間の情と恨を声楽として表出する。 *伝統音楽に占めるパンソリの位置   パンソリは庶民音楽の一つで、庶民音楽は器楽より声楽のほうが極めて多様に発達した。また、宮廷音楽のように人間の性情を制御することなく   庶民の新鮮な情緒をあるがまま、感ずるままに歌い上げた生きた音楽である。しかし、李王朝の文人らが庶民芸能を蔑視していたためパンソリの記録を作らなかったことなどで、これに関する古文献が極めて乏しい。

13 *構成 ①唱者②鼓手③聴衆   パンソリ界に言い伝えらてきた言葉に「一に鼓手」「二に名唱」「一に立」「二に座」と言われるように、鼓手はリズムをとり、チュイムセとポビヴィをして相手役を務めることにより、パンソリは演者二人であることがわかる。また、演者と聴衆との間には舞台と客席という疎外感はなく、聴衆はチュイムセに加わることによって共演者としての役目を果たす。  *唱調   平調・・・パンソリ音楽の主調をなすもの。   羽調・・・雄々しく壮厳・厳格な拡張。   界面調・・・悲しい哀怨な調格。    1、タン界面調・・悲しさを抑えて内面的な恨を表現する。    2、ジン界面調・・悲しみと恨みを爆発させ衝突を表す。

14 *長短   長鼓や鼓のような打楽器で一定のリズム型を反覆打ちつづけて伴奏することである。長短には拍子と速・強調の意味も含まれ、この操作により辞説の内容にそった多技多様な演奏が行われる。  *パンソリ文学の三つの特徴 1、様々な恨は悪に屈服したり肯定したりもせず、ひたすら忍耐と克己によって内面葛藤を超えようとするものである。したがって、恨は、各人各様の内容を持つが、底に流れるものを等しくしている。 2、庶民精神の再現反映であり、また、恨の悲劇性と対極になる喜劇性を表現している。 3、イニョン(裏面・実相)を描くことを重要視または写実性を大事にしている。

15 東便制 宋興禄(1800~63)の唱法をもとにして、全羅道の雲峰、求礼、などの山岳地帯で唱せられた。
ひたすらに通声(腹のそこからでてくるソリ)で唄い上げる。これには天賦の豊富な声量が要求される。発声の初めと終わりがはっきりしており、あまり技巧と交えずに力強く速いテンポで唄う。素朴、雄健な唄いぶり、男性的。

16 西便制 朴裕全(1835~1906)の唱法を基にして、光州、羅州、宝城等の平野地帯で広く唱せられたもの。東便制に対して当時としての新しい時代感覚を導入したと言われる。 東便制の先天性に対して後天的な努力による。技巧と修飾を修行によって身につける。感情表現が豊かである。悲哀、柔軟な唄いぶり、女性的。

17 パンソリの歴史  パンソリは、18世紀の始めに、米穀の生産が豊かな朝鮮半島南部の全羅道で、それをもとに財を成した商人が歌い手として、一人の伴奏者(太鼓叩き)を伴い歌い語る形をとる。パンソリがパンソリとして確立する前は、歌だけでなく、仮面劇や人形劇などの演劇や、綱渡りなどの芸も見せる、旅がらす芸能であったと伝えられている。  パンソリが韓国で再認識されたのはつい2、30年前からであり、それも韓国の伝統的な節回しを欧米人が絶賛したことがきっかけである。

18 パンソリには、食べ物と同じ様に、甘味・苦味・酸味・辛味・渋味の5種類の基本的な味(五味)があるとされ、五味をきちんと駆使できる事が基本とされている。
 また、パンソリの音色は大きく3つに分けられ、西便制、中便制、東便制があり、それぞれ女性的、中性的、男性的な音色とされている。 パンソリは叫びや唸りなどを伴う発声法と独自の情感によって使い分けられ、「唱」の音楽的表現の複雑さは、ユネスコの世界無形文化遺産にも選定されている。

19  パンソリでは韓国人の独特の精神の世界である「恨」(ハン)がもっとも大切な感情とされる。 パンソリにおける恨とは、第三者に対する「うらみ」だけではなく、自分自身が果たせなかった無念感や自責の念としての恨もある。   パンソリの世界では、これらの恨をありのままに自分の内に迎え入れてそれと向かい合い、そして最後はそれを乗り越える事によって自らに打ち勝とうとする世界なのである。

20 韓国の音楽と日本 日韓の音楽交流の歴史を遡ると、453年には新羅の楽人が渡来しており、飛鳥時代から始まっていたそうです。その後、日本から遣新羅使を派遣した歴史などがあるものの、音楽的な交流があったというよりは、それぞれが独自の音楽文化を発展させた時代が続きます。

21 近代化の波と共に、日本と韓国は再び出会うことになり、音楽的には古代と同じぐらい活発な交流が始まりました。植民地になるということは、日本と同じ学校制度ができて、日本と同じ教育(音楽教育)をされるということですが、すべてが日本と同じではなく、民謡やパンソリなどもあり、植民地時代にも多くの音楽が吹き込まれました。 戦後、韓国から日本には、『連絡船の歌』(1950頃)、『ノーランシャツ』(李美子(イ・ミジャ))などのヒットが生まれ、李成愛(イ・ソンゲ)が歌う『星影のワルツ』が、韓国に海賊版で輸入されたり、水面下での交流がありました。しかし、日本語の歌が韓国で公に歌われることはほとんどなく、1960年代前半には『ドンベクアガシ』(李美子)が「倭色(倭=日本)が強い」という理由で禁止曲になってしまい(10年ぐらい前に解禁された)、一般の人たちは日本の歌にほとんど接することができない状態でした。

22 まとめ このように、韓国の音楽と日本とでは渡来人という形で文化交流を図っていたが、互いの国の歴史の違いにより、文化に対する認識・感覚・発展が、「国柄」というブランドのように出現していることを、互いの国々の人々が忘れてはいけないことであると思う。

23 感想 この姉弟は、伝統文化と新しく入ってきた文化との葛藤の象徴であるように思えた。姉はパンソリを歌い続け、伝統文化の象徴で、弟は新しい文化の象徴とまではいかないが、パンソリから逃げることで伝統文化に背を向けるものとして描かれているように感じた。

24 恨は怨みではなく、自分で解決した思いが恨とされ、心の中にいつまでも残っているのが恨とされるが、それが、本当なのかと思う。
韓国人は感情的な民族であり、すぐ思いをぶつけている。そこで実現できなかった思いが恨とされ、心に沈殿し消えることはない。恨とは怨みよりももっと執念深いものではないかと、私は考えます。


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