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Published byしょうり わくや Modified 約 7 年前
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首都圏および東葛地域の地震について 瀬野徹三(東京大学地震研究所) 布施新町二自協ふれあいセミナー 於ふるさとセンター
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地震とは? 地震 断層 or 断層面 岩石の破壊 地下の岩石には力がかかっています。それに耐えきれなくなって岩石がバリっと割れる。これが地震です。破壊は面状に起こるので、 それを断層もしくは断層面と呼びます。破壊の衝撃は地球内部を波として伝わり、地表にいる私たちは、あっ!地震だ、と感じるわけです。 したがって、地震には二つの意味があることになります。一つ目は地下の岩石の破壊、二つ目は地面のゆれ、もしくはゆれを感じることです。 地震は古代語では”ないふる”といい、これは地のゆれの意味ですから、語源としてはこちらのほうが先なわけです。 しかし地震学者が地震という時、初めの方を意味していることが多いです。
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地震が起こる条件:その1 地震 非地震 岩石が堅いことー>温度が低いこと 地球の場合350°C以下
蛇紋岩 それでは地震はどのような場合に起こるのでしょうか?一つ目に、力がかかった時バリっと割れる、すなわち岩石が十分堅いことが必要です。 図は25度Cではバリッと割れた岩石が、200度C以上ではフニャと変形していることを示しています。すなわちバリッと割れるためには、 岩石の温度が低い必要があります。これは、チョコレートを冷蔵庫に入れておくとパリパリと割れますが、日向に置いておくとフニャっと変形することからもわかります。 この図では蛇紋岩という少し柔らかい岩石の実験を示していますので地震が起こる起こらないの境目が、200度Cとなっていますが、 地球の内部の普通の岩石ではこの遷移は350度Cで起こります。 岩石が堅いことー>温度が低いこと 地球の場合350°C以下 Raleigh & Paterson (1965)
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地震が起こる条件:その2 大 力の差が必要 小 同じ力−>非地震
二つ目には、地震が起こるためには十分大きな力が岩石に働いていることが必要です。しかし大きな力がかかっていても、 上の図で言うと縦横方向で同じ大きさの力が働いていると破壊、すなわち地震は起こりません。 一つの方向の力が地震を起こそうとしても、もう片方の方向の力がそれを支えてしまうためです。 従って二つの方向の力の大小(差)が必要です。
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正確には力ではダメ F: 力 S: 断面積 を使うべき = F/S 応力
今まで力と言ってきましたが、正確にいうと力ではダメということがわかります。 力の働いている断面積が大きくなると、力はその分だけ効果的に働かなくなります。 したがって、力を断面積で割った値を”応力”と呼びますが、応力の値を使う必要があります。 を使うべき = F/S 応力
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X 小 応力の差 =差応力 歪み 大 地震の起こる条件2: 差応力が十分大きい 柔らかくても 歪みは生じる
二つの方向の応力の差を差応力と呼びます。そうすると地震が起こる第2番目の条件は、差応力が十分大きい、ということができます。 新聞やTVでは、歪みが大きいと地震が起こるとか、歪みを解消するために地震が起こると言っていることが多いですが、 歪みは、ある長さがどれだけ伸びたか、あるいは縮んだかを%で表したものです。岩石が柔らかくても歪みは生じますから、 歪みの大小を地震の起こる条件とすることは出来ません。 柔らかくても 歪みは生じる 地震の起こる条件2: 差応力が十分大きい
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地震が起こる条件 1.岩石が堅いこと、すなわち温度が低いこと 2.差応力が十分大きいこと
したがって、地震が起こる条件をまとめますと、岩石が堅いこと、すなわち温度が低いこと、 および、大きい差応力がかかっていること、の二つになります。
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応力 地震とは? 別のイメージ 摩擦でくっついている 突然すべりが発生する 地震 応力が十分大きくなると
地震とは? 別のイメージ 応力 これまで述べてきた岩石の破壊という地震の見方とは別の見方があります。机の上に木片のブロックを置いておきます。 その側方からバネを通してブロックの側面に応力をかけます。応力が小さい間は木片は、下の机との間の摩擦のため固着しています。 しかし応力を次第に大きくすると、突然ブロックはすべり出します。この突然すべりが、もう一つの地震のイメージです。 摩擦でくっついている 応力が十分大きくなると 突然すべりが発生する 地震
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応力 応力 突然すべりが起こる条件 断層面がすべる前に固着 1. 温度が低い 2. 差応力が十分に大きい
このタイプの地震が起こる条件を考えてみます。まず1番目に、すべりが起こる前に固着していなければならないので、断層面付近の温度が低い必要があります。 温度が高いと断層面が弱く、ずるずるとすべってしまうからです。この場合も、ずるずるすべりと固着の変化は350度Cくらいの温度で起きます。 2番目に、突然すべりが起りが起こるためには、バネにかかる応力がその時点で十分大きくなる必要があります。机の方にかかる応力は0なので、 これは差応力が大きくなることです。結局、突然すべりが起こる条件は、破壊タイプの地震が起こる条件と同じとなります。 断層面がすべる前に固着 1. 温度が低い 2. 差応力が十分に大きい
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地震には二つのタイプがある 地震はプレートに関連して発生 1.破壊タイプ 2.すべりタイプ どちらも断層面を境に二つのブロックが食い違う
どちらも起こる条件は同じ 低温,大きい差応力 したがって、地震には二つのタイプがあって、それらは1.破壊タイプ、2.すべりタイプです。 どちらも、断層面を境に二つのブロックが食い違い、どちらも、地震が起こる条件は同じ、 すなわち低温で堅いこと、大きい差応力がかかっていること、です。地震が起こるために、 このような条件が存在するということは、言い替えますと、どこにでも地震は起こるわけではないということを意味しています。 その結果、これから述べて行きますが、地震はプレートに関連して発生することになります。 地球のどこにでも地震が起こるわけではない 地震はプレートに関連して発生
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なぜプレートなのか? 地球の地殻・マントルには放射性物質 (ウラン,トリウムなど)が存在して発熱している 2900 km 深さ
地球は、表層から深部に向かって、地殻、マントル、核の層構造をなしています。これは物質の違いによる層構造です。 地殻は玄武岩、花崗岩などの比較的軽い岩石からなり、これは火山活動の結果マントルが溶けてできた物質が表面に集積したものです。 核は地球生成の初期に集積した鉄からなっています。このような層構造は、あくまで物質の違いであり、 ここにはプレートはいっさい出て来ていません。プレートはこのような層構造とは別の概念なのです。地球の地殻とマントルの部分には、 ウラン・トリウムなどの放射性元素が存在していて常に発熱しています(それらの元素が地殻で濃集した部分をウラン鉱石として採掘して、 原発の発熱のための材料として使用しているわけです)。この地球内部の発熱が十分に大きいため、 プレートが発生することになることをつぎのスライドで説明します。 地球の地殻・マントルには放射性物質 (ウラン,トリウムなど)が存在して発熱している
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熱伝導では熱を逃がし切れない−>水が自分 で動いて熱を運んで外へ逃がす(対流)
地球内部でも対流が 起こっている 地球内部の熱源は十分大きい 熱源小 水は静止 熱伝導で熱を運ぶ やかんに水を入れ、ガスレンジの炎で熱してみます。ガスの火を小さくするとやかんの水は静止したままで、熱は熱伝導で水の表面から外へ逃げて行きます。 ガスの火を大きくすると、熱伝導では熱を逃がし切れなくなり、水はゆっくり下から上へ動き始めます。表面で熱を外へ放出して冷えたあと、 今度はゆっくり下へ戻っていきます。このような熱の逃がし方を対流と呼んでいます。地球の内部でのウランなどによる放射性熱源の発熱は十分大きいので、 熱を熱伝導では逃がし切れず、地球の内部でも対流が起こっています。これを”マントル対流”と呼び、これがプレートの発生につながります。 熱源大 熱伝導では熱を逃がし切れない−>水が自分 で動いて熱を運んで外へ逃がす(対流)
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対流が起こると温度勾配が大きい表層が でき,熱排出効率をよくする 仮に地球内部の熱が熱伝導で外へ逃げて行くとする
プレート 表層で地震が起こる堅い厚さ60 km程度のプレートができる。 対流で駆動されるので差応力大 350°C 60 km 対流の場合の温度分布 深さ 400 km マントル 仮に地球内部の熱が熱伝導で外へ逃がされる場合を考えてみます。熱伝導では内部の温度分布は深さが深くなるほど温度が上昇する分布となります。 マントルの温度は平均1300度Cなので、マントルの底で2600度C、マントルの深さは3000 kmですから、地震/非地震の境目の深さは約400 kmとなります。 すなわちこの深さより深いところは温度が高いので、地震は起こらなくなります。このような数百kmもの厚い堅い層で覆われ、 その下は静止していることになりますが、月はそのような状態と考えられています(半径、底の温度が違うので、 堅い層の厚さは違いますが)。地球はそうではありません。十分な発熱が存在して対流が起こっています。 その場合、マントル内部の温度分布は直線ではなく、表面と底に温度勾配の大きい薄い層が出来、その間はほぼ一定の温度となります。 これは温度勾配の大きい層の発生によって、表面から逃げる温度を大きくしているためです。この層のために350度Cになる深さが約60 kmとなり、 堅い層が薄くなります。この層を”プレート”と呼んでいます。対流が起こっているため、プレートは対流に乗って動いています。 またその下のマントルも動いています。そのためプレートのあちこちには大きな差応力がかかります。 このため、地震発生の条件を満たすところがプレートに関連して発生することになります。 熱伝導の場合の温度分布 400 kmくらいの堅い層が出来るが、どこも動いていないので差応力小(月はこれに近い) 3000 km 1300°C 地球内部の温度分布
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プレートの役割 自ら動いて冷えて熱を 効率よく外へ逃がす プレートは表面で冷やされるので堅い 対流で駆動されるので差応力発生
したがってプレートの存在が地球に対して果たしている役割は、自らが動いて冷えて、地球内部の熱を効率よく外に逃がすことです。 プレートは地表で熱を逃がす、すなわち冷えることによって温度が低くなり、したがって堅くなります。また対流によって駆動されているので、 静止状態ではないことから、その中に差応力が発生します。このため、プレートは地震発生の条件を見たし、 地震はプレートに関連して発生することになります。 -->プレートに関連して地震発生
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プレートテクトニクスの基本的考え 地球表面の変動を説明する理論 1.複数枚のプレート 2.互いに運動 3.地震はプレート境界 で起こる
プレートテクトニクスの基本的考え 地球表面の変動を説明する理論 1.複数枚のプレート 2.互いに運動 プレート プレート境界 プレートの内部は 堅すぎるので プレート このようなプレートを用いて、地球の表面で起こる変動を説明するのが”プレートテクトニクス(理論) ”です。 プレートは複数枚に分かれており、それぞれが異なった運動をしています。プレートの内部は堅すぎるので、 かえって地震などの変動は起こらず、地震や火山などはプレートとプレートの境界(プレート境界)で起こる、という考えです。 註 ”テクトニクス”とは、地球の表面の変動、もしくは変動を説明する理論のことを言います。 3.地震はプレート境界 で起こる 瀬野(1995)
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世界の地震活動(100km以浅) オホーツクプレート ユーラシアプレート フィリピン海プレート 太平洋プレート
図は世界中の、震源が浅い地震の震央を示したものです。地球の表面は帯状の地震活動で覆われていることがわかります。 先ほどのプレートテクトニクスの考えに従えば、この帯で囲まれたところがプレートであり、帯がプレート境界であるということになります。 図の真ん中付近の、帯で囲まれた広大な領域を太平洋プレートといいます。日本列島付近の南に地震の帯で囲まれた小さい領域があり、 これをフィリピン海プレートといいます。またアジア大陸側にはユーラシアプレートがありますが、 インドの北ヒマラヤから地中海にかけては地震活動はばらけており、帯状地震活動は、海と比べてはっきりしなくなります。 オホーツク海を囲むところにはオホーツクプレートがありますが、これもその北側は境界がはっきりしていません。 これら四つのプレートが日本列島に直接関係するプレートです。 地震の帯で囲まれたところがプレート (国際地震センター M≧4 depth≦100 km )
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プレートの境界付近で起こる地震には 二つのタイプがある すべりタイプ プレートとプレートの間で起こる プレート間地震 破壊タイプ
二つのタイプがある すべりタイプ プレートとプレートの間で起こる プレート間地震 破壊タイプ 地震には二つのタイプがあることに対応して、プレート境界付近で起こる地震には二つのタイプがあります。 それらは、すべりタイプの、プレートとプレートの境界で起こる地震(プレート間地震)と、 破壊タイプの、プレート内部で起こる地震(プレート内地震)です。 プレート内部で起こるプレート内地震
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プレートの別のプレートに対する運動 横ずれ 離れる 近づく 日本付近はこのタイプ 沈み込み帯 瀬野(1995) 沈み込み スラブ
もう一つ知っておかなければならないことは、プレートとプレートとの間の運動には三種類があることです。それらは、 (a)プレートとプレートが離れて行く、(b)プレートとプレートがすれ違う、(c)プレートとプレートが近づいて来る、の三つです。 日本付近は、これらのうち(c)のタイプです。このタイプのプレート境界では、一方のプレートが他方のプレートの下に潜り込む現象が起こります。 これを”沈み込み”と呼び、それが起こる場所を”沈み込み帯”と呼びます。日本列島は典型的な沈み込み帯です。 プレートの沈み込んだ部分を”スラブ”と呼びます。これは、平たく広い厚板を英語でスラブと呼ぶことから来ています。 瀬野(1995) 沈み込み スラブ
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地震発生領域 陸側のプレート 沈み込み帯 スラブ 海側のプレート 沈み込み 堅いが堅すぎでもない プレート運動で差応力大 Volcanism
Oceanic plate Continental plate Subduction スラブ 海側のプレート 沈み込み この図は、(c)プレートとプレートが近づいて来るタイプの境界の鉛直断面を、もう少し現実的に描いたものです。 普通、沈み込むプレートは海側にあり、沈み込まれるプレートは大陸側にあります。 プレート境界から遠く離れたプレートの真ん中は堅すぎてむしろ地震は起こらず、 赤枠で囲った領域が地震の発生条件を満たします。この部分が前に見た、世界の地震活動の帯状部分に当たります。 日本列島は典型的な沈み込み帯で、その周辺で地震が起こっています。 堅いが堅すぎでもない プレート運動で差応力大 地震発生領域
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沈み込み帯で起こる地震の三つのタイプ 二つのタイプ 3 1 2 地震三兄弟 三男 長男 次男 すべりタイプ 破壊タイプ ->二つ
破壊タイプ:陸側プレート内地震 すべりタイプ:プレート間地震 3 三男 1 長男 アウターライズ このような沈み込み帯ではしたがって、すべりタイプ、破壊タイプの二つのタイプの地震が起こります。 しかし破壊タイプは、沈み込むスラブ内で起こるものと、沈み込まれる陸側プレート内で起こるもの、の二つにさらに分かれますので、 全部で三つのタイプが起こることになります。私はこれらを長男、次男、三男(地震三兄弟)と名前をつけています。 長男は、沈み込むプレートと陸側プレートのまさしく境界でおこるもので、 ”プレート間地震”と正式には呼ばれています。 次男は、スラブ内で起こりますので、 ”スラブ内地震’’と呼ばれています。この種のもので、海溝よりも少し海側に起こるものは、 その場所アウターライズを用いて”アウターライズ地震と”呼ばれることがあります。これは海洋プレートが潜り込む時に 曲がるために差応力を受けて発生するものです(図の赤と青のバーは、曲げによって伸張応力と圧縮応力のペアが発生することを示しています)。 三男は、陸側プレート内地震です。この種の地震は、 ”内陸地震”とも呼ばれ、神戸地震に代表されるように、大きな被害をもたらすことがあります。 2 次男 破壊タイプ:スラブ内地震
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長男:すべりタイプ 1994 年三陸はるか沖(M 7.6) 日本海溝 余震 陸側のプレート 海側のプレート
地震後の余震は、本震の断層面に沿って起こるので、ほぼ断層面を表していると考えますと、断層面は、日本海溝付近まで延びています。 断面図を見ると、陸方向に傾いて分布していて、海側プレートが沈み込んでいる様子が見えます。3.11の東北日本沖地震も、これより南に起こった、このタイプの地震でした。 日本海溝 海側のプレート 沈み込み 余震 Nakayama and Takeo (1997)
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長男:関東-東海地方 中部日本 ~400 ~1500 〜400 yrs 間隔220年、段丘からは400年 1923大正関東地震
1854安政東海地震 ~400 1703元禄関東地震 固有 ~1500 関東地方で起こった典型的な長男は、1923年大正関東地震、1703年元禄関東地震です。これらはM8クラスの巨大地震です。 元禄地震は大正地震の220年前ですが、これらより前の地震としては、 1293年鎌倉M7.0 、878年相模・武蔵付近M7.4の地震があり、 元禄以前の間隔は400年ほどになります。いずれにしても、関東地震の繰り返し周期は歴史的には220年が最短で、 これは房総半島南端に残されている、地震時の隆起で生成した海成段丘の年代間隔約400年とも調和的です。 ただし元禄地震は、大正地震の断層面に加えて、房総南東沖の、より小さい断層面も同時に破壊し、房総南端が大きく隆起しました。 このような大きな隆起から生成された広い段丘の年代から、この元禄型は1500年程度に一度の間隔で発生して来たと推定されます。 〜400 yrs
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プレートテクトニクスから期待される関東地震の繰り返し間隔
1923大正関東地震 6 mのすべり (Ando, 1971) 6 m/2.7 cm/yr = 220年 関東地震の繰り返し周期が220年以上であることは、過去の地震からの推定に加えて、プレートテクトニクスからも示すことが出来ます。 大正関東地震では6 mのすべりが起こりました。一方この場所で、海洋プレート(フィリピン海プレート)と上盤側プレート(オホーツクプレート)との相対運動速度は、 2.7 cm/yrであると求まっていますので、6 mをこの速度で割ると、220年が得られます。プレート運動は、すべてが地震に使われるとは限らず、 ずるずるとすべる時もあり得ますので、繰り返し周期は220年以上となり、歴史地震の間隔と合います。 プレート相対速度 (Seno et al., 1993)
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次男:スラブ内地震 伊豆-小笠原 次男 太平洋プレート フィリピン海プレート 太平洋スラブ Van der Hilst &
Seno (1994) 次は次男の例です。フィリピン海プレートに載る伊豆-小笠原諸島の下には、海側から太平洋プレートが沈み込んでいます。 その太平洋スラブ内で次男(黒点が地震)が起こっている様子が、下の図に示したいくつもの鉛直断面図から見ることができます。 この場合、次男は約600 kmの深さまで起こっています。 太平洋スラブ 次男
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東北地方地震活動東西断面 三男 三男 次男 次男 Hasegawa et al. (1978) 太平洋スラブ 海溝 オホーツクプレート
アウターライズ 三男 次男 太平洋スラブ 図は別の次男の例で、東北地方を載せたプレート(オホーツクプレート)の下に沈み込む太平洋スラブの中に、 次男=スラブ内地震が起こっている様子が見えます。この場合、次男は二重に分布し、二重深発地震面とも呼ばれています。 また海溝より外側の太平洋プレートの中にも次男が起こっていて、これがアウターライズ地震です。また、 この図には、次に述べる三男が、上盤側プレート(オホーツクプレート)の中に起こっていることも見てとれます。 Hasegawa et al. (1978) 次男
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三男:2007年7月16日中越沖地震 三男の例として、2007年中越沖地震M6.8(震央赤星印)とその余震(青点)を示しました。
右側は、左の二つの長方形の領域の余震を、南西方向から見た断面図で、余震は10-25 kmくらいの深さで起こっていること、 断層面が北西に傾くものと、南東に傾くもの、二つがあることがおぼろげながらわかります。 三男は、この地震のように浅いところで起こりますが、それは上盤側プレート内では、その程度の深さで350度Cに達してしまうからです。 1995年兵庫県南部(神戸)地震M7.3、2000年鳥取県西部地震M7.3、2004年中越地震M6.8、2008年岩手・宮城内陸地震M7.2など、 日本列島の内陸域で大きな被害を与えてきた地震が、この三男タイプです。
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活断層 (a) (b) 地表に表れていないが、地形に表れている活断層 地表に表れている 活断層
これと次の2枚のスライドは活断層の解説で、セミナーでは触れていませんが、後で質問があったので追加しました。 三男は、よく活断層タイプの地震とか直下型地震とも呼ばれたりしていますが、これらは厳密には同じものではありません。 活断層は、三つのタイプの分類とはまた別の種類の概念です。最初に、地震は破壊であり、その破壊は面状に起こるので、 それを断層面とか断層と呼ぶと述べました。断層面には、過去数十万年繰りかえし動いて来たものがあります。 それが、地表付近の証拠、たとえば地形や断層を挟んだ地層の変位などでわかる場合に、それを活断層と呼んでいます。 活断層には、(b)断層そのものが直接地表に表れているものと、(a)表れておらず、空中写真などでを用いて、 断層特有の地形から判別できるものがあります。
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(a) (b) (c) 地表に表れていない活断層 活断層に伴う亀裂や地滑り 亀裂や地滑りのみ
このような副次的な亀裂を、本来の地震断層と区別することはけっこう難しいことです。また表面の地滑りを単なる地滑りと見なして、 その下の地震断層を見落とすことも起こりえます。そういう意味で、活断層の認定は容易ではありません。 最近の原子力規制委員会による大飯原発や敦賀原発付近の活断層調査、それに対する事業者側の反論には、 この種の困難さに伴う混乱が見受けられ、すっきりしません。また2000年鳥取県西部地震や2008年岩手・宮城内陸地震など、 活断層がはっきりしない地域でも、M7クラスの地震が起こった例もあります。原発の立地や稼働に、活断層のある無しを 基準として用いる場合、活断層が地表に表れていないことは、あくまでそこで地震が起こる確率が、 活断層が現れている場合に比べて低いというに過ぎないことを知っておく必要があります。 (c) 亀裂や地滑りのみ
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日本付近のプレート 陸側プレート 海側プレート オホーツクプレート ユーラシアプレート 太平洋プレート フィリピン海プレート
これから、プレートと地震発生との関係を具体的に日本列島付近で見ていきます。この地域には、 海側に太平洋プレート、フィリピン海プレートの二つのプレート、陸側にユーラシアプレート、オホーツクプレートの 二つのプレートがあることを、世界の地震の帯状分布のところで見ました。日本付近で、これらのプレートの境界と、 プレートとプレートの間の運動速度(mm/yr)を示したのがこの図です。この速度をどうやって求めたかは専門的過ぎるので省略します。 これによれば、太平洋プレートは、オホーツクプレート(東北日本)の下に年間8 cmの速度で、フィリピン海プレート(伊豆-小笠原)の下へ年間6 cmの速度で、 フィリピン海プレートは、オホーツクプレートやユーラシアプレート(関東-西南日本)の下に年間3~5 cmの速度で沈み込んでいます。 この速度から、例えば関東地震の繰り返し周期を推定出来ることを前に述べましたが、 日本列島における地震の起こり方を理解する上で、もっとも基本的な情報であると言えます。 フィリピン海プレート 瀬野(1995)
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フィリピン海プレートが なぜ存在するのか? 現在 消滅 部分 現在 消滅 部分 成長消滅しながら南から やって来た 伊豆 小笠原
4800万年前 4200万年前 フィリピン海プレートが なぜ存在するのか? 現在 消滅 部分 現在 消滅 部分 成長消滅しながら南から やって来た 3000万年前 1700万年前 日本列島付近は沈み込み帯ですが、海側のプレートには、太平洋プレートとフィリピン海プレートの二つがあることが特徴です。 なぜそのような形態になったのでしょうか?実は大昔は、フィリピン海プレートは日本列島付近には存在していませんでした。 図は、いろいろな地学的証拠をもとに、フィリピン海プレートの昔の姿を復元したものです。 黒く影をつけた部分は、現在までの沈み込みで消滅して、海底にはもう残っていない部分です。 白い部分が残っている部分ですが、その大きさは昔は小さく、次第に増えて来たことがわかります。 すなわちフィリピン海プレートは、その面積を拡大しながら現在の位置までやってきたことがわかります。 このような海洋底拡大は、太平洋や大西洋などの大きな海でも起こって来ましたが、フィリピン海のような縁海と呼ばれる小さな海でも起こって来て、 現在でも、伊豆-小笠原、マリアナ、琉球などの火山列の陸側の海で起こっています。 そのような拡大、沈み込による消滅を伴って、回転しながら北上して、 1700万年前に現在の形態に近いものになりました。 その当時は、伊豆や小笠原は現在より1000 kmほど南にありました。 伊豆 Seno and Maruyama (1984) 小笠原
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関東地方でのプレートの沈み込み 二重の沈み込み 沈み込み 沈み込み 沈み込み オホーツクプレート ユーラシアプレート 太平洋プレート
前に述べたように、太平洋プレートは、オホーツクプレートの下へ、またフィリピン海プレートの下へ沈み込み、 またフィリピン海プレートはオホーツクプレートの下へ沈み込んでいます。そのため、図の四角の枠で囲った関東地方の下には、 フィリピン海プレートと太平洋プレートの二つのプレートが同時に沈み込んでいます。 つまり二重の沈み込みが起こっています。これが関東地方の特殊性です。 二重の沈み込み 沈み込み フィリピン海プレート
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関東 オホーツクプレート 太平洋スラブ フィリピン海スラブ Yoshioka et al. (1994)
この図は、それを立体的に示した模型です。フィリピン海スラブ(黒)はオホーツクプレート(濃い灰)の下にあり、 さらに、太平洋スラブ(灰)がフィリピン海スラブの下にあることがわかります。図で白の部分は、 プレートやスラブのように堅くなく、温度が高くて柔らかいマントル部分です。 フィリピン海スラブ オホーツクプレート Yoshioka et al. (1994)
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関東地方北西断面 長男 長男 長男 三男 次男 次男 プレート内地震 三種類 PHS PAC OHK プレート間地震 三種類 PHS-OHK
プレート内地震 三種類 PHS PAC OHK 三男 オホーツクプレート 長男 フィリピン海スラブ 次男 プレート間地震 三種類 太平洋スラブ 次男 このような状況にある関東地方とその下で起こる地震の種類を考えてみます。 ここでフィリピン海スラブをPHS (Philippine Sea)、太平洋スラブをPAC (Pacific)、オホーツクプレートをOHK (Okhotsk) と略記することにします。 プレート内地震としては、 PHSの中で起こる地震(次男)、 PACの中で起こる地震(次男)、 OHKの中で起こる地震(三男)の三種類があります。 プレート間地震(長男)としては、 PHS-OHK、PAC-PHS、PAC-OHKの三種類があります。 これら全部合わせて、6種類の地震が関東地方の下では起こっていることになります。 PHS-OHK 長男 PAC-PHS PAC-OHK Modified from Nakajima and Hasegawa (2010)
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微小地震活動断面 布施新町 三男: OHK 次男: PHS 長男: PHS-OHK 布施新町 オホーツクプレート フィリピン海スラブ
長男: PAC-PHS 太平洋スラブ このような関東地方を北北西方向に切った断面の一つで、実際の微小地震活動をみてみます(赤と青の小線分が交わったペアが一つの地震)。 微小地震とは、この場合、防災科技研(独立行政法人)の地震検知ネットワークで震源がよく決まっている小さな地震を意味しています。 この図には、地震の位置とそのすべり方向から判定した、地震の種類(例えば次男:PHSなど)が書き込まれています。 一群の地震が、何重かになって北北西方向に傾いて分布していますが、これには先ほど述べた3種類の長男と2種類の次男が含まれています。 布施新町へは、主にこれらの地震から突き上げるような地震波がやってきて、ドーンという感じで地震の揺れを感じることになります。 また北西端の栃木県の浅いところに密集して分布しているのが、オホーツクプレート内で起こる三男(OHK)です。 この範囲外の地域で起こった大きな地震からも地震波がやってくることがあります(2011年 3月11日M9や2012年12月7日宮城県はるか沖M7.2など)。 この場合には、下から突き上げるような地震動ではなく、ややゆっくりした大きな地震動が感じられます。 次男: PAC 地震 長男: PAC-OHK 江口・堀 (2007)
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地震の巣:平面と東西断面 a b a b 布施新町で感じる地震の多くは A, B, C, Dからやってくる 布施新町 長男: PAC-PHS
OHK b 次男: PHS D 長男: PAC- OHK これは先ほどの微小地震活動を、平面図と東西断面(a, b二つ)で見たものです。上の平面図からは、微小地震が固まって起こる、 いわゆる地震の巣があることが見て取れます。北の断面aに沿っては、A, Bの二つのつくばの下の巣、Dの茨城県沖の巣、 下の断面bに沿っては、Cの千葉市の下の巣、さらにCの南東に断面からはずれるところには、千葉県東方沖の巣(記号なし)が見えます。 これらの巣は、A, D, Cが三種類の長男、 Bと千葉県東方沖の巣が次男PHSとなっています。ちなみに2012年11月24日18時頃、 千葉県北西部千葉市下の深さ約64kmでM4.9の地震がありました。この地震の震源はCの巣付近にあり、長男(PAC-PHS)と思われます。 しかし震源より西の神奈川県、東京都西部で震度がIVと大きくなりました。その理由は、地震波がPHSスラブを効率よく伝わったせいであると思われます (このようにスラブ内を地震波がよく伝わるせいで震度が大きくなる現象を”異常震域”と呼んでいます)。 微小地震:堀 (1997)
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気象庁の観測が始まって以来の主な地震 M7.0 M7.2 M7.0 これらの地震が地震調査 研究推進本部(文科省)の
30年で70%の確率の計算 に使われた M7.0 M6.7 最近の微小地震活動ではなく、もっと大きな地震は過去どのようなものが起こって来たのか見てみましょう。 この図は、気象庁の地震観測が始まった1855年以来のM6.7以上の地震の震央をプロットしたものです。 布施新町に比較的近い地震としては、1921年竜ヶ崎地震M7.0、1895年茨城県南部地震M7.2があります。 また隅田川河口付近に、1894年明治東京地震M7.0とそのあとに起こったM6.7の地震があります。 これらの地震を用いて、政府の地震調査推進本部(2004)は、首都直下地震の発生確率30年で70%を算出しています。 M6.7 M6.8
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北側の三つの地震 M7.0 M7.2 M7.0 1931西埼玉地震 (寄居付近) 1895茨城県南部地震 1921竜ヶ崎地震(牛久付近)
三男: OHK 次男: PHS これらの過去の大きめの地震が、プレートテクトニクスによる地震の類別の観点からどう分類されるのか見てみます。 この類別は、地震の震源の位置、震度分布、断層面でのすべり、などから分類したものです。 先ほどの微小地震活動の平面図と断面図に、地震の震源(赤丸)をプロットしています。 まず北側の三つの地震は、断面a付近に位置していますが、1931年西埼玉地震は震源が浅く、OHK内の三男です。 1921年竜ヶ崎地震は、牛久付近の下50 kmくらいの深さで起こり、PHS内の次男、1895年茨城県南部地震はPAC内の次男と分類されます。 1895茨城県南部地震 次男: PAC
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南側の三つの地震 M7.0 M6.8 M6.7 1894明治東京地震 1922浦賀水道地震 1987千葉県東方沖地震 1894明治東京地震
次男: PHS 次は南側の三つの地震ですが、そのうち二つは断面bよりも南側ですが、この断面にプロットしてあります。 1894年明治東京地震、1922年浦賀水道地震、1987年千葉県東方沖地震いずれも震源は深く、その位置とすべり方向から、 いずれもPHS内の次男と分類されます。明治東京地震のすぐ後で起こったM6.7の地震(1894年10月)はプロットされていませんが、 明治東京地震よりさらに深く、PAC内次男と分類されます。 1922浦賀水道地震 1987千葉県東方沖地震 次男: PHS 次男: PHS
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もっと重要な問題がある これらの地震による死者の数 1894明治東京地震の 震度(中央気象台) 16 西埼玉以外は次男で、深い地震
西埼玉以外は次男で、深い地震 大きな被害はもたらしていない (1894年明治東京は煉瓦づくりのため) これが地震調査研究推進本部 「30年で70 %」で扱われた M7級首都直下地震の実態 31 つぎに、これらの地震で死者が何名出たかを見てみます。1931年西埼玉地震16、1921年竜ヶ崎地震0、1895年茨城県南部地震0、 1894年明治東京地震31、1922年浦賀水道地震2、1987年千葉県東方沖地震2となっています。 1894年明治東京地震は31名と、かなりの死者が出ていますが、これは当時の建物が、煉瓦作りであるため耐震性が低かったせいと考えられます。 後の図(アニメーション)で示したのは、この地震の震度分布です。最大震度はIVであり、それほど大きな震度ではありません。 これらは政府の地震調査推進本部によって、いわゆる首都直下地震と見なされ、発生確率が30年で70%と計算されたのですが、 それほど甚大な被害はもたらしてはいなかったことがわかります。 2 もっと重要な問題がある 2
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関東地方 7級直下地震 M8級巨大長男: PHS-OHK ~400 〜400 yrs ~1500 1923大正関東地震 1854安政東海地震
1703元禄関東地震 固有 〜400 yrs ~1500 しかし、もっと重要な事実があります。それは、このような首都直下地震(赤丸)が起ったのは、関東地震という巨大長男(ピンク)の前70年後10年という限られた期間であることです。 関東で起こった巨大長男、1293年大正関東地震と1703年元禄関東地震の間隔は220年となっています。またプレート運動から計算される繰り返し間隔は、 最低で220年であり、それより長いと述べました。この後に述べますが、実際、元禄関東地震より前の関東地震の間隔は400年程度と倍になっています。 ところが明治以来の主な首都直下地震や、さらに過去の歴史地震は、関東巨大地震の前70年後10年という限られた期間に起こっているのです。
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M7級地震発生確率が30年で70 % は過大評価 M7級直下地震は関東地震前後の活動期に起こる 関東地震前70年後10年の間に起こる
巨大長男 巨大長男 M7級直下地震 M7級地震発生確率が30年で70 % 唯一の例外 は過大評価 気象庁の観測が始まって以来の最近の期間を含み、さらに江戸時代までさかのぼって、関東地方下のM6.7以上の地震(赤丸)を年代に対してプロットしたものです。 巨大長男との発生時期の関係を見てみますと、大正関東地震の前後に起こっている地震は、前に見た期間(下に紫の線で示した期間)の地震以外には、 1855年安政江戸地震M6.9があります。これらは、1987年千葉県東方沖地震M6.7を除いて、大正関東地震の前70年後10年の期間(上の活動期と書いた赤-ピンクのバー)に起こっていることがわかります。 1987年千葉県東方沖地震は小さい地震ですし、その震源は房総半島の沖合ですから、これを首都直下地震と呼ぶことは、はばかれます。 元禄関東地震あたりの期間の場合も、直下地震二つ(1964年M6.7, 1649年M7)は前70年の期間に起こっています。そうすると、この期間の首都直下地震は、 すべて巨大長男の前70年後10年の期間に起こっていることになります。政府の地震調査研究推進本部は、紫で示した期間を用いて発生確率を計算してますが、 それらの地震は千葉県東方沖地震以外、すべてが危険期間に発生したものなので、この確率は、現在安静期にありことを考えますと、現実よりはるかに大きな値となっています。 (以上地震は宇津カタログを用いて、35.2N, 139.5E-36.3N,140.6Eの領域で抽出した。Mはこのカタログによる)。 M≧6.8では 例外なし 前に見た気象庁の観測が 始まって以来の期間
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もっと前の期間 “M7クラスの関東地方直下地震は関東地震の前70年 後10年の活動期に起こっている”はやはり成り立つ 大正関東の68年前
今度は、大正地震や元禄地震を含めて以前の期間のM7以上の歴史地震を見てみます。M7以上に限ったのは、江戸時代以前には、それより小さい地震の記録がないからです。 この場合、関東地震の長男の可能性があるのは大正、元禄以前には、878年相模の地震M7.4、1293年鎌倉の地震M7.5ですが、 これらの地震の前に818年関東諸国M7.5, 1257年関東南部鎌倉付近M7.3の地震が関東地方に起こっていて、これらはやはり長男の前70年後10年の期間に入っていることがわかります。 818年の地震は揺れの範囲の広さから震源は深く、PAC内の次男かPAC-PHSの長男であろうと推測されます。 M7級直下地震
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沈み込み帯プレート断面図 次男 三男 長男 次男 沈み込み
大きな長男の前にはプレート境界が固着していますので、上盤側プレートや沈み込むスラブ内には、しだいに差応力が加わっていきます。 そのため、三男や次男が長男の前に起こりやすくなります。長男の後にも、すべりの影響でまわりが応力を受けます。 これらが巨大関東長男の前後に、その周辺で次男、三男が起こる理由と考えられます。この現象は関東だけでなく、 西南日本-南海トラフ巨大長男とその内陸側、日本海溝の巨大長男と東北日本の内陸側の地震にも見られます。 次男 沈み込み
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前にみた7級地震は関東大地震の前70年 後10年の期間に起こっている 関東地震 巨大長男 オホーツクプレート フィリピン海スラブ
太平洋スラブ この図は、関東巨大長男の断層面(赤線)と、関東下で起こる微小地震との位置関係を断面でみたものです。 前に、気象庁観測始まって以来の直下地震が起こった場所は、微小地震が起こる場所であることを見ましたから、 巨大長男は、かなり広い範囲のスラブや上盤側プレートの差応力を増加させて次男、三男を起こすと言えます。 江口・堀 (2007)
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1855安政江戸地震 の震度分布 M6.9 死者1万人 宇佐美 (2003)
この地震の震度は、東京下町を中心にVIで、消失面積は2.2平方km、死者は約1万人にのぼるという大被害を与えました。 柏付近の震度はVですが、利根川沿いの布佐、布川などでVIとなり、人家などに破損がありました。この地震の発生は大正関東地震の68年前に当たります。 宇佐美 (2003)
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1855安政江戸M6.9 OKH 三男 PHS-OHK 長男 安政江戸地震がどのような種類の地震であったかは、昔の地震であるだけに確定は出来ませんが、 震度の広がりとマグニチュードとの関係や、震源の位置から、オホーツクプレート内の三男か、その下のPHS-OHKの長男の可能性が大きいと考えられます。 震源が浅いことが大きな被害をもたらしており、深い1894年明治東京地震とは別の種類の地震であったことがわかります。
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中央防災会議 東京湾北部地震M7.3の震度想定 この地震は架空の地震 断層面
国の内閣府に属する中央防災会議では、首都直下地震のいくつかのタイプを想定し、震度予想などを行っています。 それらのうち、もっとも首都直下地震として典型的なものとして取り上げられているのが、東京湾北部地震M7.3です。 この地震の断層面は、安政江戸地震のそれよりもさらに千葉県側にまで延長され、震度分布もそれに応じて広がっています。 このような地震の発生の可能性を全く否定することは出来ませんが、歴史上起こったことのない地震であって、実在の地震ではない、 ということは知っておくべきと思います。
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地震の数をある地域,ある期間で総計すると Mが1増えると数が1/10となる法則を使う
確率予測:その2 東京大学地震研究所 酒井・平田グループ 地震の数をある地域,ある期間で総計すると Mが1増えると数が1/10となる法則を使う 点線部分:観測された地震なし M7級地震が4年で70 % 3.11以降9月までM6以下の 地震の数は5倍くらい増えた そもそもM7級地震の数は 誤差が大きい 地震調査研究推進本部が推定した、首都直下地震の発生確率は30年で70 %は過大評価であることを先に述べました。 最近では東京大学地震研究所の酒井准教授・平田教授のグループの4年で70%という予測が、平成24年1月にマスコミで大々的に取り上げられ、 話題を呼びました。この予測は、地震の数がマグニチュードが1増えると10分の1に減るという地震学でよく知られたグーテンベルグ・リヒター則を用いています。 この図は、あるマグニチュード小区間に入る地震の数を、マグニチュードに対してプロットしたものです。縦軸は地震の数で、 メモリの数値が1増えることは、数が10倍になることを意味しています(対数表示)。横軸はマグニチュードです。 関東地方下の地震にも、この法則が当てはまることは、図の下の右下がりの直線の傾き(-1)からわかります。 さて3.11以降、関東地方の地震の数が全体で数倍かさ上げされたため、その数をマグニチュードが大きい方にシフトしました。 それに応じて7クラス以上の地震が発生する確率も以前より増えて、4年で70%になると彼らは算出したわけですが、ここで三つのことに注意する必要があります。 従来の統計でも、M7程度以上の地震の発生数には大きなばらつき(誤差)があること、彼らの統計には首都直下とは言えないような地域の地震も含まれていること、 増えた地震を見るとM6以下に限られ、それ以上の地震は起こっていないこと、です。最後に関しては、もしグーテンベルグ・リヒター則が成り立つなら、 M7よりも10倍程度、M6を少し越えたマグニチュードの地震が起こらねばならないはずですが、 この観測データはそれに矛盾しており、この予測には本質的に問題が含まれていると言えます。 3.11前の期間の地震の数のM に対するプロット M6を少し越える地震が 起こっていないことは この法則自体と矛盾 このダイアグラムの上側の直線は、彼らが使ったものでなく、 方法を説明するために、ここで用いたものであることをお断りします。
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布施新町に比較的近くて、起こる可能性があるかもしれない地震
1921竜ヶ崎(牛久付近)地震 M7.0 次男: PHS ブロックB ブロックA 以上に見てきたように、関東地方下のM7級直下地震は、次の関東地震が迫ってくると起こる性質があります。そのような状態でも、 1921年竜ヶ崎地震M7の再来が近いのではないかと考えている研究者もいます。PHSスラブが、北北西走向の境界で、 地震波速度が大きいブロックAと小さいブロックBに分かれていて、それらが互いに年間0.5~0.9 cmの速度でずれていると彼らは推定しています。 そのブロック境界の北部では竜ヶ崎地震、南部では1987年千葉県東方沖地震M6.7が起こりました。竜ヶ崎地震以来、その場所では、 かなりの量のすべりを溜め込んでいると考えられるので、M6.4~7程度の地震が起こってもおかしくないと彼らは考えています。しかしいつ起こるかは断定出来ません。 私は、今までの地震の起こり方からすると、やはり次の関東地震の前の危険期間に入ってから起こるのではないかと考えています。 地震波速度 ブロック境界で0.5~0.9 cm/yrでずれている Nakajima and Hasegawa (2010) もしこれが本当なら1921地震以来M6.4~7の 地震相当のすべりをため込んでいる
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1921竜ヶ崎地震の震度 震央 布施新町 1921年竜ヶ崎地震は、最近の詳しい研究では、震源は牛久の下50-60 kmほどの深さにあり、 茨城県、千葉県、栃木県で、墓石転倒、田畑亀裂、壁倒壊、石塀転倒、瓦落下、などの被害を出しました。 その震度分布を見ると、震度IVが広い範囲に広がり、この地震が震源が浅い三男ではなく、次男であるということが見て取れます。 布施新町では、どのような被害が出たのかわかりませんが、それほど大きな被害ではなかったと思われます。 宇佐美(2003)
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耐震,改築,防災に対する基本的な スタンス 地震の危険度が高い場合にはそれなりの 準備・対策(耐震化,改築など)がいる
スタンス 地震の危険度が高い場合にはそれなりの 準備・対策(耐震化,改築など)がいる 地震の危険度が低い場合には 多額の費用をかけた準備・対策はなくてもかまわない 次の関東地震まで少なくとも130年はある 地震工学で取られている基本的な耐震・防災に対するスタンスは、危険性が大きくなるに応じて、より多くの予算をつぎ込んだ対策をとる、 逆に言えば、危険性が低い場合には、そこまでの対策をとることはない、ということです。もちろん予算が潤沢にあれば、いくらでもお金をつぎ込んで施策をすればよいのですが、 行政にしても個人にしても、そういうケースは希ですから、他の重要課題、例えば教育、医療、介護、老後の保障、食費などに回す予算との兼ね合いになります。 その意味では、首都圏や東葛地域は、それほど危険が差し迫った状態とは言えないので(これは今まで述べてきた私の判断ですが) 、 耐震、特に個人の住宅のそれには多額の費用をかけなくとも済む状態であると言えます。しかし、あと60年もすると次の関東地震の前の危険期間に入ってきますから、 それまでには、個人の家庭であれば耐震化のための方策を長期的に考えておくことが望ましいでしょう(家具の転倒防止、飲料水の準備など、今すぐ出来ることは、 このような時期を待たずに行うべきは言うまでもありません)。 このような耐震・防災に対する考え方は、かって原発にも用いられて来ました。原発には普通の建物よりはるかに厳しい耐震性が求められてはいましたが、 同様な耐震の考え方に従っていたと思います(確率論的災害評価)。東電が津波のリスクが小さいとして無視、あるいは現実視した対策を取らなかったことは、 今では激しく非難されていますが、13 mを越える津波は、当時地震学者を含めて、確率的に極めて小さいと思うか、切迫性を感じていなかったことはまず間違いありません。 今もし、ある原発を再稼働するなら、今まで以上に安全生を高めると言っても、活断層が直下に見つかっていなくとも地震は起こりえますので、リスクを0には出来ず、 やはり上に述べた工学的考えを踏襲することになります。原発は一度事故が起これば取り返しがつかない、これが許せないなら脱原発へ向かうことなります。 布施新町 首都圏 ただし原発はこの限りではない (とは言え3.11まではこの考えで耐震を行っていた)
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まとめ 首都圏直下あるいは東葛地域周辺下の地震は、 むやみに恐れる必要はない なぜならば,M7級直下地震は次の関東地震の前70年後10年の
期間に起こり、次の関東地震はあと少なくとも130年先だから しかし これは経験則なので、地震が絶対起こらない と断言は出来ない まとめますと、首都圏M7級の直下地震は、関東地震の前70年後10年の期間に起こって来たこと、次の関東地震まで少なくともあと130年はあることを考えますと、 首都直下あるいは東葛地域下の地震は、むやみと恐れる必要はないと考えられます。これは歴史地震や気象庁の観測が始まって以来の地震にもとづいていますから、 ある種の経験則で、これからはずれる地震が絶対に起こらないとは言えません。しかし、巨大長男の前に三男や次男がその周辺に起こることは、 長男の断層面の固着によって、周辺での差応力の増加することが原因と考えられますので、その根拠はあり、全くの経験則というわけでもありません。 また関東地震の周期は220年か、それよりも長いことは、プレート運動からも証明できます。このような状況のなかでも、今、布施新町の近くで最も起こる可能性が考えられるのは、 牛久の下50-60 kmくらいの深さの1921年竜ヶ崎地震M7の再来です。しかし、この地震や、あるいは他のところで地震が起こるとしても、 次の関東地震が迫って来てから起こる可能性が高いと思います(これは確率的にそうなる可能性が高いという意味であり、先ほど述べたように、 それ以前に起こることを全く否定しているわけではありません)。あと60年経つと関東地震の前70年の危険期間に入ってきますから、これが近づくに従って、 長期的な準備を考えておくことが望ましいとは言えます。 牛久あたりの下約50 kmの深さで 最大M7の地震が起こる可能性はあり得る またあと60年くらいで危険期間に入る
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付録 宮城県沖地震の発生予測と3.11東北日本沖地震
2011年3.11の東北日本沖地震M9は、地震学者は発生の可能性が予測ができませんでした。実は地質学者にはM9クラスの地震が起こるのではないかと指摘した人はいました(池田, 2003)。 しかし、彼の予測も、正確に3.11の描像を描いていたものではありませんでした。つまり、地震の予測が学問としては未熟なものであることは間違いありません。 また、3.11のあと出された南海トラフ巨大地震M9の中央防災会議による想定は、学問的に根拠があるものとは思われません。3.11に関しては、まったく不意打ちというわけではなく、 私も宮城沖の巨大地震発生の予測に学生時代からかかわって来ましたので、それを最後に付録として述べたいと思います。
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瀬野 (1977)の予測 1978宮城沖 地震 2011東北沖 地震 すべり量 Iinuma et al. (2012)
地震 私は1977年東大地球物理学の大学院生のころ、宮城沖でM8クラスの地震が起こりそうだという予測をして、翌年には論文も出版していました。 図に、予測した地震の断層面(右側長方形)で示しています。そのすぐあと1978年宮城沖地震M7.5が起こりました。しかし、この地震の断層面は、 より陸側に位置し(左側長方形)、マグニチュードも小さく、私が予測した地震ではありませんでした。その後30年経ち、私が予測した地震は、 もう起こらないのではないかと思っていたところに、3.11が起こったのです。図には、この3.11の時の断層面上のすべり量の分布が色をつけたコンターで示されています。 これからわかることは、私が昔予想した断層面が、3.11のすべりの中心部に含まれていることです。しかし3.11は、はるかに大きな断層面とすべりをもった地震であったのです。 それまでは私の予測に見られるように、東北日本沖はせいぜいM8の地震が起こると考えられていました。なぜ3.11のようなとてつもなく大きな地震が起こったかは、 今多くの地震学者が研究をしていますが、かなりの難問です。かなり長い間、特に3.11の起こる前、巨大長男は特定の場所で繰りかえし起こり、 直前予知は出来なくとも、場所やすべり量、繰り返し間隔などは予測出来るので、それらは防災にも役立つと考えられて来ました。しかし3.11は、そのような安易な考えを、 こっぱみじんに打ち砕いたことは間違いありません。かっての私の研究も、多くの人名が失われることを防ぐためには何の役にも立たちませんでした。 セミナー後のアンケートでも、研究が実際の役にたたないのなら、それは学者のやっていることで、意味がない、と言われた方がいました。しかし、 このセミナーをあえてやろうと思うに至った動機は、首都直下地震の実態を知ってもらうことでした。少しでもそれから何かをくみ取って、 防災に生かしてもらえるのではないかと思います。そして3.11のために地震学や地震学者を全否定することは、やはり間違っていると考えます。 2011東北沖 地震 すべり量 Iinuma et al. (2012)
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The End これで布施新町・三井柏二自治会協議会主催のふれあいセミナー講演「首都圏直下および東葛地域の地震について」のppt fileは終わりです。ありがとうございました。
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