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人口経済論 第13回(後期1回) 少子化の現状とメカニズムⅠ
人口経済論 第13回(後期1回) 少子化の現状とメカニズムⅠ 2005年9月26日(月)
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少子化の現状とメカニズムⅠ 概要 少子化は、現代日本社会が直面している特徴的な人口現象の一つであり、ここから派生する問題は多岐にわたる。また人口減少社会が今後数年間のうちに到来することが予測されるが、このことはその原因である少子化を「問題」としてきわだたせ、さらに少子化対策の重要性を一層強めている。 しかしながら少子化の影響は、良いものもあるし、悪いものもある。決して「問題のみ」ではない。 そこで、日本の少子化の現状と要因、そして少子化の結果生じる社会について考え、どのように少子化をとらえるかを考えたい。 まず、日本の出生率の低下について把握することから始める。出生率の低下は、結婚をしている人が子どもを少なくもつ傾向と、結婚をしないあるいは結婚が遅い人が増加している傾向によってもたらされているが、こうした出産や結婚にまつわる意識と行動の変化をふまえ、少子化のメリットとデメリットについて挙げていく。最後に少子化対策について現状をみたうえで、我々が「少子化」をどのようにとらえるべきか、考えてみよう。
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1.出生率の推移 資料:厚生労働省大臣官房情報部編『人口動態統計』
2003年の日本の出生数は約112万人であった(図1)。一人の女性が生涯に産む子どもの数をあらわす合計特殊出生率1)は1.29であったが、これは現在の日本人口を維持するために必要な合計特殊出生率の水準(人口置換水準2))の2.07を大きく下回っている。 資料:厚生労働省大臣官房情報部編『人口動態統計』
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1.出生率のトレンド 第2次世界大戦後の出生率の推移をみると、大きく次の3つに分けることができる。すなわち、a)戦後復興期の急速な低下期、b)高度経済成長期(初期・中期)の安定期、c)近年の緩やかな低下期である。 a)戦後復興期の急速な低下(1945~57年) 戦後の第1次ベビーブーム(1947~49年)以降、合計特殊出生率は急激に低下し、1957年には2.04と人口置換水準程度にまで下がる。1947年の合計特殊出生率は4.54であったから、およそ10年で2.5低下したこととなる。この戦後復興期の出生率の急低下は、1948年の優生保護法の制定等によって人工妊娠中絶が可能となったことと、1952年以降家族計画プログラムの推進によって避妊が普及したことによってもたらされた(経済企画庁,1992:6)。 b)高度経済成長期(初期・中期)の安定(1958~1973年) 1958年以降1973年まで合計特殊出生率は、人口置換水準に近い水準で安定的に推移する。その間、1966年に「ひのえうま」による大きな出生の谷を経験する。出生数は136万974人で合計特殊出生率は1.58であった。また、1971から73年の間には、第2次ベビーブームが生じた。これは第1次ベビーブーマーズが出生行動期となったためおきたことで、年間200万人を超える出生があった。 c)近年の緩やかな低下(1974年~現在) しかし、1973年の出生数209万1983人を頂点として出生数は減少を続け同時に合計特殊出生率も緩やかに低下していく。1989年にはひのえうまの1.58を下回る1.57という水準にまで低下し、日本社会に大きなショック(いわゆる1.57ショック)をもたらしたが、現在までその低下傾向に歯止めはかかっていない。1999年には史上最低の合計特殊出生率1.34を記録している。 1974年以降の合計特殊出生率は、人口を維持するために必要な合計特殊出生率の水準(人口置換水準)を下回るさらなる低下傾向を示している。このような、超低出生率は、現代社会の価値観の変換によるものだから、構造的で恒常的であると考える人が多い(河野,2000:127)。つまり社会、文化の近代化、言い換えると西欧ヨーロッパ文明の受容の果てにたどり着いた、子どもやそれに関連する事柄への意識・価値・行動の変化の一つが少子化であるというとらえ方である。 このことは、具体的に出生についての行動の変化をみるとはっきりとしてくる。
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平均初婚年齢と母の平均出生時年齢の推移 わが国の出生の動向について厚生労働省「人口動態統計」から、その特徴を説明しつつ、出生数の減少や合計特殊出生率の低下を招いている出生動向の変化を指摘してみよう。 日本人の平均初婚年齢は、2003(平成15)年で、夫が29.4歳、妻が27.6歳と、以前と比べて高くなっている。初婚年齢が上昇することは、「晩婚化」と呼ばれている。1975(昭和50)年には、夫が27.0歳、妻が24.7歳であったので、約30年間に、夫は2.4歳、妻は2.9歳、初婚年齢が高くなっている。 晩婚化の傾向は最近になって、さらに速度が速まっている。たとえば、妻の平均初婚年齢をみると、1977(昭和52)年には25.0歳であったのが、1992(平成4)年には26.0歳と、1.0歳上昇するのに15年かかったのに対して、2000(平成12)年に27.0歳になるまでには8年間しかかからず、晩婚化の速度が速くなっている。6 6 西欧諸国でも平均初婚年齢は、以前と比較をして高くなっている。スウェーデン(2000年)の場合、夫32歳、妻30歳、イギリス(1999年)では、夫29歳、妻27歳、ドイツ(1999年)では、夫30歳、妻27歳、スイス(2000年)では夫30歳、妻28歳など。
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母親の年齢別にみた第1子の出生数割合 母の平均出生時年齢をみると、1975年には第1子が25.7歳、第2子が28.0歳であったのに対して、2003年では第1子が28.6歳、第2子が30.7歳と、30年近くの間に出生のタイミングとして、子ども1人分程度遅れている(以下、出生時年齢が高くなることを「晩産化」という)。
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女子(母親)の年齢階級別出生率 年齢階級別の出生率の推移をみると、1960年代から80年代前半まで、25~29歳の出生率が最も高く、ついで20~24歳までの年齢層であった。80年代前半から、30~34歳の母の出生率が高まり、2000(平成12)年頃には、25~29歳の出生率とほぼ等しくなっている。しかし、以前と比べると、出生数の多い25~29歳の出生率の低下が著しいため、全体の出生率は低下し、少子化傾向を招いている。なお、35~39歳の出生率は90年代以降微増の傾向にある。
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出生コーホート別妻の出生児数割合及び平均出生児数
(出生コーホート別にみた出生動向の相違) 合計特殊出生率には、その年の女性の年齢別出生率に着目する場合(「期間合計特殊出生率」)のほかに、ある世代に属する女性の年齢別出生率に着目する場合(「コーホート合計特殊出生率」)がある。一般に合計特殊出生率として使われているのは、「期間合計特殊出生率」であるが、これは、年次によって変化する「その年の瞬間値」のようなものである。これに対して「コーホート合計特殊出生率」は、出生コーホート(ある時期に出生した人を1つの集団としてとらえたものをいい、出生年で区分した「世代」と同じもの)における出生率を示している。なお、本書では、合計特殊出生率という場合、「期間合計特殊出生率」を用いる。 出生コーホートの平均出生児数のデータがそろっている「1953(昭和28)年から57(昭和32)年生まれ」の出生コーホートまでのデータを基に、出生コーホートごとにみた出生行動の相違を比較してみよう。 出生コーホート別の妻の出生児数割合及び平均出生児数をみると、興味深い点がうかがえる。「1911(明治44)年から15(大正4)年生まれ」以前の世代においては、平均出生児数は4人から5人という多産の状況である。子どもが1人のみ、あるいは2人か3人という状態も少なく、妻の6割から7割は、4人以上の子どもを産んでいた。その一方で、全く子どもがいない妻も平均して1割はいて、これは、その後の世代よりも割合が高い。 一方、「1921(大正10)年から25(大正14)年生まれ」の世代では、平均出生児数は2.77人、「1928(昭和3)年から32(昭和7)年生まれ」では、2.33人と減少傾向となった。1928年以降の世代では、平均出生児数は2人台前半、そのうち約5割は子ども2人、約3割は子ども3人、という構成で、「1953(昭和28)年から57(昭和32)年生まれ」の世代まで、大きな変化がなく推移していることがわかる。この世代の実際の出産時期は1980年代と推測されることから、「子どもは2人または3人」という考え方が、戦後から80年代まで一般化していたといえる。7 7 「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所)によれば、現在でも、理想子ども数を結婚10年未満の夫婦に尋ねると、子どもは2人または3人と答える人が全体の約9割を占めている。 資料:1970(昭和45)年以前は総務省統計局「国勢調査」、1977(昭和52)年以降は 国立社会保障・人口問題研究所「出産力調査」及び「出生動向基本調査」による。
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本文で述べたように、合計特殊出生率は、用いるデータにより2つの種類がある。これを具体的にまとめると以下のようになる。
A 期間合計特殊出生率:ある期間(通常1年間)の出生状況に着目したもので、その期間における各年代(15~49歳)の女性の出生率を合計したもの。 女性の年齢構成の違いを除いた出生率として、年次比較、国際比較、地域比較に用いられている。 B コーホート合計特殊出生率:ある世代の出生状況に着目したもので、同一年生まれ(コーホート)の女性の出生率を過去(若いとき)から積み上げたもの。 期間合計特殊出生率は、毎年変動する。丙午の年(1966(昭和41)年)のように、極めて特異な出生行動が行われると、前後の年とは異なる特別な数値になることがある。これに対して、コーホート合計特殊出生率は、安定した数値となるが、その世代が一定の年齢(50歳)にならないと確定しない。そこで、簡便 な数値として、毎年算定が可能なAの期間合計特殊出生率が、「合計特殊出生率」として一般に用いられている。 理論的には、各年齢の出生率が、世代(コーホート)に関係なく同じであれば、この2つの合計特殊出生率は同じ値になる。しかし、晩婚化や晩産化といった出生に関係する行動が変化している状況では、各世代の結婚や出産の行動に違いが生じ、各年齢の出生率が世代により異なるため、すべての世代の出生率を合計している期間合計特殊出生率は、コーホート合計特殊出生率の値から乖離することになる。 たとえば、2003(平成15)年の合計特殊出生率は1.29と過去最低となったが、これは、期間合計特殊出生率の値である。コーホート合計特殊出生率をみると、1.29よりも高い数値が見られる。2003年における35 ~39歳(1964(昭和39)年~1968(昭和43)年生まれ)のそれまでの出生率の合計では約1.55となっている。
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2.結婚・出生行動の変化 出生率の低下に関してはさまざまな要因が影響を及ぼしているが、直接的には、非婚化・晩婚化(結婚をしないあるいは結婚が遅い人が増加すること)と有配偶女子(結婚している人)の出生率の低下によってもたらされているといえる。
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2.1.結婚行動の変化:非婚化・晩婚化の進行 夫婦の平均初婚年齢は、1970年には夫26.9歳・妻24.2歳であった。これが2000年には夫28.8歳・妻27.0歳にまで上昇し、晩婚化が進んでいる。30年の間に初婚年齢は夫1.9歳・妻2.8歳上昇した 表1 夫婦の平均婚姻年齢(歳) 表1は夫婦の平均初婚年齢であるが、1970年には夫26.9歳・妻24.2歳であった。これが2000年には夫28.8歳・妻27.0歳にまで上昇し、晩婚化が進んでいる。30年の間に初婚年齢は夫1.9歳・妻2.8歳上昇したのである。
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年齢5歳階級別未婚率 資料:総務省統計局『国勢調査報告』
表2は年齢別の未婚率であるが、女の未婚率をみると、20~24歳および25~29歳の未婚率の上昇が大きく、また1980年以降は30~34歳の未婚率も上昇している。2000年の20~24歳女の未婚率は87.9%、25~29歳は54.0%、30~34歳は26.6%にまで高まっている。男の未婚率の傾向をみると、1970年までは、晩婚が進んだが30歳代までには婚姻する人が多かったために、30歳代以上の未婚率に大きな変化はなかった。一方、1970年から2000年までの変化をみると、晩婚化が30歳代にまで進んでいて、40歳になっても未婚である人の割合が高くなっていることがわかる。2000年には、30~34歳男の未婚率は42.9%、35~39歳は25.7%、40~44歳は18.4%にまで高まっている。 資料:総務省統計局『国勢調査報告』
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このように未婚化・晩婚化した理由として、a)結婚市場機能不全説、b)独身貴族説、c)フェミニズム仮説などをあげることできる(阿藤,2000:112-116)。
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a)結婚市場機能不全説 (1)人口のアンバランス
1970年代半ば以降青年男子の結婚難が生じた。1940年代後半から50年代前半の時期は、第1次ベビーブームにつづいて急激な出生数の減少が生じたが、このことはこの期間に生まれた男子にとって、年下の女子人口が少ないことを意味し、未婚化が進むこととなる(Anzo)。2000年現在の45~54歳の未婚率が非常に高いのはこのためと考えられる。 (2)見合い結婚から恋愛結婚への市場原理の変化 見合い結婚から恋愛結婚へと理想の結婚の姿が変化する一方、従来の仲人仲介にあたる役割あるいは場の提供に代わるものが不足していると考えられている。つまり、阿藤(2000)によれば、自由恋愛市場に適したデート文化の未成熟は、シングル化促進要因のひとつと考えられるのである。 結婚市場機能不全として、(1)人口のアンバランスと、(2)見合い結婚から恋愛結婚への市場原理の変化によるものをあげることができる。まず、1970年代半ば以降青年男子の結婚難が生じた。1940年代後半から50年代前半の時期は、第1次ベビーブームにつづいて急激な出生数の減少が生じたが、このことはこの期間に生まれた男子にとって、年下の女子人口が少ないことを意味し、未婚化が進むこととなる(Anzo,1985)。2000年現在の45~54歳の未婚率が非常に高いのはこのためと考えられる。また、見合い結婚から恋愛結婚へと理想の結婚の姿が変化する一方、従来の仲人仲介にあたる役割あるいは場の提供に代わるものが不足していると考えられている。つまり、阿藤(2000:113)によれば、自由恋愛市場に適したデート文化の未成熟は、シングル化促進要因のひとつと考えられるのである。
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b)独身貴族説 「パラサイト・シングル」と呼ばれる、成人した後も親元を離れずリッチな独身生活を楽しむ、20代、30代の人々にとって、結婚は貧乏の始まりという側面がある(山田,1999)。 今日独身を続ける青年層は、経済の低成長下で、結婚しても親の家計よりも豊かな家計を営むことはできないからである。そこで親に寄生(パラサイト)して独身生活を満喫してしまう。その結果、いつまでも結婚しない人々が増加していると考えられるのである。
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c)フェミニズム仮説 男女の雇用機会均等化や実質賃金の高まりを背景とした、女性の高学歴化、就業率の高まりなどが、「女性にとってのシングル生活の相対的メリットを高め、結婚生活の相対的メリットを低下させたとみる見方」(阿藤,2000)である。つまり、結婚と就業が二者択一的な関係にあるとする考え方である。
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2.2.出生行動の変化:有配偶出生率の低下と子どもの意味
(1)晩婚化による結婚確率の低下(出産行動を起こす母集団への参入の低下) (2)出生確率の減少 小川(2000)によると、1990年代前半では、結婚してから第1子の出産までの出生間隔が拡大し、その出生確率が減少したことが第1の要因であった。さらに1990年代の後半以降の出生力の低下は、長期不況で低所得グループのカップルが経済的不安をもち、子どもを生むことをためらったり断念し、第2子以降の出生タイミングが遅れていることが主要因であると小川は分析する。つまり、日本の出生メカニズムの中枢部分は、1990年代において結婚(有配偶率)の動向から結婚している人の出生率(有配偶出生率)の動向に移行しつつあり、その中でも特に出生のタイミングの遅れが合計特殊出生率の低下に寄与しはじめている(小川,2000:20)。
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このように経済的状況の悪化によって子どもを生むことを控えるのは、現代日本社会において子どもが「消費財」としての意味を強くもっているためである。
レイベンスタインによれば、親が子どもから得る効用として、 (1)消費効用、 (2)所得効用、 (3)年金効用 がある(Leibenstein,1957(=1960); 阿藤,2000;大淵,1997)。 今日のように高学歴化が進みまた年金等の社会保障が進展してくると、所得効用および年金効用は小さい。そこで消費効用、つまり、子育てによって得られる心理的充足を得るために、子どもをもつようになる。
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別の言い方をするならば、「子どもの価値」が変わったということである。現代日本の社会においては心理的な充足を得るために子どもをもつという側面が強く、「子どもは、明るさ、活気、喜び、安らぎなど肯定的な気持ちを親に抱かせてくれる存在」(柏木, 2001:12)という点が重要となってきた。 このように子どもが精神的な充足のための存在となったのは、現代社会の価値観が変わったためである。こうした精神的充足としての子どもの意味が、今後強まることはあっても、弱まるとは考えにくい。つまり、こうした子どもに対する意味がある以上、日本を含めた先進諸国の出生率の低下は必然的であるし、人口置換水準にまで上昇することは困難であるといえる。
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3.少子化のメリットとデメリット 少子化とその結果、つまり、子どもの絶対数が減ること、子どもが相対的に減ること、人口そのものが減ることによって、さまざまな変化がわれわれの周辺に生じてくる。少子化の及ぼす影響のうち、就業への影響や経済社会の活力への影響、特にデメリットについて、クローズアップがなされる傾向にある。経済的な問題は比較的はっきりしていることと、人口置換水準以下になってから25年以上たった今、超低出生率の結果、経済活動に新たに携わる若者数の減少が徐々に大きくなってきていることなどが主な理由と考えられる。長寿化の進行とあわせて考えると、具体的に年金制度などは今までの仕組みでは維持が困難となっている点などが、よく目立つ。 しかしながら、こうした少子化の影響は良いものもあるし、悪いものもある。決して「問題のみ」ではない。また、デメリットのうちいくつかは何らかのその解決方法が想定されているものもあるのであって、いたずらに少子化を心配するばかりではならない。 そこで少子化の中長期的影響について、家庭、地域社会、教育、産業、就業、経済成長の順に、メリットとデメリットに注目しながらみていくことにしよう。なお以下は、経済企画庁(1992: )の『平成4年版国民生活白書』を参考に述べていく。
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4.政府の少子化対策の流れ
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4-1.今後の子育て支援のための施策の基本的方向について(エンゼルプランの策定,1994年 )
少子化社会対策の本格的な取組の第一歩が、1994(平成6)年12月、文部、厚生、労働、建設の4大臣合意により策定された「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)であった。エンゼルプランは、〔1〕子育てを夫婦や家庭だけの問題ととらえるのではなく、国や地方公共団体をはじめ、企業・職場や地域社会も含めた社会全体で子育てを支援していくこと、〔2〕政府部内において、今後概ね10年間に取り組むべき基本的方向と重点施策を定め、その総合的・計画的な推進を図ること、をねらいとした。
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エンゼルプランでは、次の3点を基本的視点として掲げた。 〔1〕 子どもを持ちたい人が、安心して子どもを生み育てることができるような環境を整備 〔2〕 家庭における子育てが基本であるが、家庭における子育てを支えるため、あらゆる社会の構成メンバーが協力していくシステム(子育て支援社会)を構築 〔3〕 子育て支援施策は、子どもの利益が最大限尊重されるよう配慮 この基本的視点に立って、ア)子育てと仕事の両立支援の推進、イ)家庭における子育て支援、ウ)子育てのための住宅及び生活環境の整備、エ)ゆとりある教育の実現と健全育成の推進、オ)子育てコストの軽減、という子育て支援のための5つの基本的方向の下に、〔1〕仕事と育児との両立のための雇用環境の整備、〔2〕多様な保育サービスの充実、〔3〕安心して子どもを生み育てることができる母子保健医療体制の充実、〔4〕住居及び生活環境の整備、〔5〕ゆとりある学校教育の推進と学校外活動・家庭教育の充実、〔6〕子育てに伴う経済的負担の軽減、〔7〕子育て支援のための基盤整備という7つの重点施策が列挙された。 エンゼルプラン策定後、次に述べる保育サービスの充実をはじめ、育児休業給付の実施(1995(平成7)年)、週40時間労働制の実施(1997(平成9)年)、児童福祉法改正による保育所入所方法の見直し(1998(平成10)年)等、エンゼルプランに掲げられた施策が実現された。
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4-2.人口問題審議会報告(1997年) 「1.57ショック」を契機に少子化対策が講じられるようになったものの、合計特殊出生率は、1990年代半ばになっても、1.57以上に回復するどころか漸減していった。国立社会保障・人口問題研究所の「平成9年将来推計人口」(1997(平成9)年1月)では、将来の合計特殊出生率は5年前の予測から下方修正されて、1.61となった。 このように少子化が進行し、人口減少社会の到来が現実のものとなる中で、厚生省の人口問題審議会は、1997年10月、「少子化に関する基本的考え方について――人口減少社会、未来への責任と選択――」という報告書を取りまとめた。
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報告書の内容 経済面の影響として、(1)労働力人口の減少と経済成長の影響:経済成長率低下の可能性がある、(2)国民の生活水準への影響:現役世代の手取り所得が減少する可能性がある(高齢化の進展に伴う現役世代の負担の増大と手取り所得の低迷)をあげている。 また社会面の影響として、(1)家族の変容:単身者や子どものいない世帯の増加、(2)子どもへの影響:子どもの健全成長への影響の懸念、(3)地域社会の変容:基礎的な住民サービスの提供が困難になる可能性、を指摘している。 おおむねマイナス面の影響があるとしており、いずれにせよ、「少子化が社会の様々な局面において、計り知れない大きな影響を与えることは間違いない」としている。
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4-3.少子化対策推進基本方針 (1999年) 政府は、1999(平成11)年5月から少子化対策推進関係閣僚会議を開催し、また、同年6月には内閣総理大臣の主宰の下、各界関係者の参加により「少子化への対応を推進する国民会議」が初めて開催され、国民的な理解と広がりのある取組を進めていくこととされた。 少子化対策推進関係閣僚会議では、1999年12月、「少子化対策推進基本方針」を決定した。 この基本方針では、少子化の原因とその背景として、晩婚化の進行等による未婚率の上昇が原因である、その背景には、仕事と子育ての両立の負担感の増大や子育ての負担感の増大等があるとした。また、少子化対策の趣旨は、仕事と子育ての両立の負担感や子育ての負担感を緩和・除去し、安心して子育てができるような様々な環境整備を進め、家庭や子育てに夢や希望を持つことができる社会にしようとすることであるとした。 具体的な施策は、〔1〕固定的な性別役割分業や職場優先の企業風土の是正、〔2〕仕事と子育ての両立のための雇用環境の整備、〔3〕安心して子どもを産み、ゆとりをもって健やかに育てるための家庭や地域の環境づくり、〔4〕利用者の多様な需要に対応した保育サービスの整備、〔5〕子どもが夢を持ってのびのびと生活できる教育の推進、〔6〕子育てを支援する住宅の普及など生活環境の整備の6つの項目に沿って、実施することとされた。
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4-4.新エンゼルプランの策定 (1999年) 1999(平成11)年12月に、少子化対策推進基本方針に基づく重点施策の具体的実施計画として、「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について」(大蔵、文部、厚生、労働、建設、自治の6大臣合意。以下「新エンゼルプラン」という)が策定された。新エンゼルプランは、従来のエンゼルプランと緊急保育対策等5か年事業を見直したもので、2000(平成12)年度を初年度として2004(平成16)年度までの計画となっている。最終年度である2004年度に達成すべき目標値の項目には、これまでの保育サービス関係ばかりでなく、雇用、母子保健、相談、教育等の事業も加えた実施計画となっている。
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施策の主な内容は、〔1〕保育サービス等子育て支援サービスの充実、〔2〕仕事と子育ての両立のための雇用環境の整備、〔3〕働き方についての固定的な性別役割分業や職場優先の企業風土の是正、〔4〕母子保健医療体制の整備、〔5〕地域で子どもを育てる教育環境の整備、〔6〕子どもたちがのびのび育つ教育環境の実現、〔7〕教育に伴う経済的負担の軽減、〔8〕住まいづくりやまちづくりによる子育ての支援、の8つの分野ごとに、具体的に列挙されている。新エンゼルプランの目標値は以下のとおりとなっている。
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4-5.少子化対策プラスワン(2002年) 厚生労働省では、これまでの少子化対策のどこが不十分で、さらに対応すべき点は何なのかを改めて点検し、幅広い分野について検討を行った結果、2002(平成14)年9月、少子化対策の一層の充実に関する提案として「少子化対策プラスワン」を取りまとめた。 「少子化対策プラスワン」では、従来の取組が、子育てと仕事の両立支援の観点から、保育に関する施策を中心としたものであったのに対し、子育てをする家庭の視点からみた場合には、より全体として均衡のとれた取組を着実に進めていくことが必要であるという基本的考え方に立っている。そして、「子育てと仕事の両立支援」に加えて、「男性を含めた働き方の見直し」、「地域における子育て支援」、「社会保障における次世代支援」、「子どもの社会性の向上や自立の促進」、という4つの柱に沿って、社会全体が一体となって総合的な取組を進めることとされた。
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また、対策の推進方策として、〔1〕国については、政府が一体となって総合的に取組を実施する、また、少子化対策をもう一段推進し、対策の基本的な枠組みや、特に「働き方の見直し」や「地域における子育て支援」を中心とする直ちに着手すべき課題について、立法措置を視野に入れて検討を行い、同年末までに結論を得ること、〔2〕地方については、地方自治体ごとに、行動計画の策定など、少子化対策の推進体制を整備すること、〔3〕企業については、推進委員会の設置や行動計画の策定などの対応が必要であり、内閣総理大臣や厚生労働大臣等から経済団体代表に対して要請を行うこと、が盛り込まれた。
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4-6.次世代育成支援に関する当面の取組方針 (2003年)
「少子化対策プラスワン」を踏まえて、2003(平成15)年3月に、少子化対策推進関係閣僚会議において「次世代育成支援に関する当面の取組方針」が決定された。 同取組方針では、急速な少子化の進行は、今後のわが国の社会経済全体に極めて深刻な影響を与えるものであるとし、少子化の流れを変えるために、改めて政府、地方公共団体、企業等が一体となって、従来の取組に加え、もう一段の対策を進める必要があると明示した。基本的な考え方として、家庭や地域の子育て力の低下に対応して、次世代を担う子どもを育成する家庭を社会全体で支援(次世代育成支援)することにより、子どもが心身ともに健やかに育つための環境を整備することを掲げた。 また、2003年及び2004(平成16)年の2年間を次世代育成支援対策の基盤整備期間と位置付け、2003年においては地方公共団体及び企業における10年間の集中的・計画的な取組を促進するための「次世代育成支援対策推進法案」を提出するものとするなど、一連の立法措置を講じることとされた。
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4-7.次世代育成支援対策推進法(2003年) 「次世代育成支援に関する当面の取組方針」に基づき、2003(平成15)年及び2004(平成16)年に、次のような立法措置が講じられた。 (1)次世代育成支援対策推進法等(2003年) 政府は、2003年の通常国会に、次世代育成支援対策推進法案を提出した。この法案は、前述した取組方針の基本的考え方を次世代育成支援対策の基本理念と規定し、次世代育成支援対策のための行動計画について定めている。 〔1〕国については、主務大臣は地方公共団体及び事業主が行動計画を策定するに当たって拠るべき指針を策定すること、〔2〕地方公共団体については、市町村及び都道府県は、国の行動計画策定指針に即して、地域における子育て支援、親子の健康の確保、教育環境の整備、子育て家庭に適した居住環境の確保、仕事と家庭の両立等について、目標及び目標達成のために講ずる措置の内容等を記載した行動計画を策定すること、〔3〕事業主については、国の行動計画策定指針に即し、労働者の仕事と家庭の両立を図るために必要な雇用環境の整備等に関し、目標及び目標達成のための対策等を定めた一般事業主行動計画を策定すること(301人以上の労働者を雇用する事業主は義務づけ、300人以下は努力義務)、また、事業主からの申請に基づき、行動計画に定めた目標を達成したこと等の基準に適合する事業主を認定すること、などの規定をおいている。 同法は、2003年7月に成立し、一部の規定を除き、公布の日から施行されている。なお、地方公共団体及び事業主の行動計画策定に関する規定については、2005(平成17)年4月から施行される。また、同法は2015(平成27)年3月までの時限立法である。 あわせて、政府が同年通常国会に提出した「児童福祉法の一部を改正する法律案」は、地域における子育て支援の強化を図るため、地域における子育て支援事業を児童福祉法に位置付けることで、すべての家庭に対する子育て支援を市町村の責務として明確に位置付け、積極的に行う仕組みを整備するためのものである。同法案も、2003(平成15)年に成立し、一部の規定を除き2005年4月から施行される。
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4-8.少子化社会対策基本法の制定(2003年) 少子化の進展に伴い、与野党ともに少子化社会対策に関する基本法の制定の機運が高まり、1999(平成11)年1月には、超党派の議員による「少子化社会対策議員連盟」が設立され、同年12月、議員立法として「少子化社会対策基本法案」が衆議院に提出された。その後、継続審議扱いとなり、衆議院の解散により審査未了廃案となった。 そこで、2001(平成13)年6月に再提出され、数回の国会で継続審議扱いとなったあと、2003(平成15)年7月に成立した。少子化社会対策基本法は、平成15年法律第133号として、同年9月から施行されている。 同法は、わが国における急速な少子化の進展が、21世紀の国民生活に深刻かつ多大な影響をもたらすものであり、少子化の進展に歯止めをかけることが求められているとの認識に立ち、少子化社会において講ぜられる施策の基本理念を明らかにするとともに、少子化に的確に対処するための施策を総合的に推進することを目的としたものである。
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4-9.少子化社会対策会議の設置(2003年) 少子化社会対策基本法に基づき、内閣府に特別の機関として少子化社会対策会議が設置された。 同会議は、内閣総理大臣を会長とし、内閣官房長官、関係行政機関の長及び内閣府特命担当大臣のうちから内閣総理大臣によって任命される委員(実際にはすべての閣僚が任命されている)によって構成される。所掌事務は、少子化に対処するための施策の大綱の案の作成、少子化社会において講ぜられる施策について必要な関係行政機関相互の調整・重要事項の審議、少子化に対処するための施策の実施の推進を行うこととされている。
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4-10.少子化社会対策大綱の策定(2004年) 少子化社会対策基本法は、少子化に対処するための施策の指針として、総合的かつ長期的な少子化に対処するための施策の大綱の策定を政府に義務付けている(第7条)。 そこで、2003(平成15)年9月の少子化社会対策会議において、少子化社会対策大綱の案の作成方針等が決定され、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策)が主宰し、内閣官房長官、文部科学大臣、厚生労働大臣、国土交通大臣及び8人の有識者から構成される少子化社会対策大綱検討会等において検討が進められ、2004(平成16)年6月3日の少子化社会対策会議を経て、同年6月4日に少子化社会対策大綱が閣議決定された。
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(少子化社会対策大綱のねらいと内容) 同大綱では、少子化の急速な進行は、社会・経済の持続可能性を揺るがす危機的なものと真摯に受け止め、子どもが健康に育つ社会、子どもを生み、育てることに喜びを感じることのできる社会への転換を喫緊の課題とし、少子化の流れを変えるための施策に集中的に取り組むこととしている。 少子化の流れを変えるための3つの視点としては、若者の自立が難しくなっている状況を変えていくという「自立への希望と力」、子育ての不安や負担を軽減し、職場優先の風土を変えていくという「不安と障壁の除去」、生命を次代に伝えはぐくんでいくことや家庭を築くことの大切さの理解を深めていくことと、子育て・親育て支援社会をつくり、地域や社会全体で変えていくという「子育ての新たな支え合いと連帯-家族のきずなと地域のきずな-」を掲げている。 政府において特に集中的に取り組むべき重点課題としては、「若者の自立とたくましい子どもの育ち」、「仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し」、「生命の大切さ、家庭の役割等についての理解」、「子育ての新たな支え合いと連帯」の4分野を設定し、重点的に取り組むための28の行動を掲げている。
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4-11.少子化社会対策大綱に基づく重点施策の具体的実施計画(新新エンゼルプラン,2004年)
策定の趣旨 少子化社会対策基本法に基づき、国の基本施策として、「少子化社会対策大綱」(平成16年6月4日閣議決定)を策定し、少子化の流れを変えるための施策を強力に推進することとしているが、本大綱に盛り込まれた施策について、その効果的な推進を図るため、重点施策の具体的実施計画として、この「少子化社会対策大綱に基づく重点施策の具体的実施計画について」を策定する。 本計画では、大綱に盛り込まれた施策のうち、地方公共団体や企業等とともに計画的に取り組む必要があるものについて、平成21年度までの5年間に講ずる具体的な施策内容と目標を掲げるとともに、施策の実施によって子どもが健康に育つ社会、子どもを生み、育てることに喜びを感じることができる社会への転換がどのように進んでいるのかが分かるよう、概ね10年後を展望した、目指すべき社会の姿を掲げ、それに向けて、この5年間に施策を重点的に取り組んでいくこととする。 今後、本計画に基づき、夢と希望にあふれる若者が育まれ、家庭を築き、安心と喜びを持って子育てに当たっていくことを社会全体で応援する環境が整ってきたという実感の持てるよう、内容や効果を評価しながら、政府を挙げて取組を強力に進めていく。
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まとめ 少子化の影響は決して「問題のみ」ではない。またどういった立場に立って判断するかによって、その評価は異なってくる。
また一人ひとりが、どの立場に立つか、あるいはどの考え方に共感を覚えこれからの社会を形作っていくかという点によって我々の社会のたどる道筋は自ずと異なってくるであろう。 出生率の低下によってもたらされた人口構造の変化が、今日のように問題視されるのは、新しい人口構造が既存の社会のシステムの継続に困難をもたらすからである。 その場合、(1)人口構造を変える(出生率を上げる)、(2)社会のシステムを変える、のいずれかあるいは両方を行うことが社会が円滑に継続していくための選択肢となる。 ここでもう一度、少子化・低出生率という現象が生じた背景について思い返してみよう。それは現代社会の価値観の変換、子どもやそれに関連する事柄への意識・価値・行動の変化が背景であった。子どもを精神的な充足のためにもつ以上、日本を含めた先進諸国の出生率の低下は必然的であるし、人口置換水準にまで上昇することは考えにくいのである。
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つまり、対応方法としては、出生率を上げるために力を注ぐよりも、変化した人口構造にあわせた社会のシステムを対応させていく努力をより強く進めていくことが、われわれの進む道ではあるまいか。出生行動を以前の形に戻すような努力ではなくて、新しい価値観、新しい行動、新しい人口構造を受け入れつつ、社会の仕組みの再構築を進める方が望ましいのではないか。その際、特定の世代、性別等の人々にデメリットが偏らないように、みんなでデメリットを引き受けていく社会をつくること、それが、少子高齢化社会における重要な目標となると思われる。 もちろんこのことは出生率の上昇のための努力を放棄してよいということではない。結婚や出産の妨げになっている社会の意識、慣行、制度の是正と子育てを支援するための諸方策を、家族構造の変化、家族機能の低下に伴う多様なニーズに対応し行うことは非常に重要である。 さらにその動きが、少子化のデメリット、たとえば、労働力人口の減少を克服するための女性の労働参加を促す動きと連動し、男女共同参画社会が実現できた場合、多くの女性や家庭にとって労働力人口の減少というデメリットは、より豊かな生活を営むことを可能にする社会につながる道を開くこととなる。このように、少子化は「社会を変えるチャンス」を内包していると考えることができるのである。
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