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第Ⅲ部 ゲーム理論の役割と歴史 第17章 ゲーム理論の役割 2008/07/01(火) ゲーム理論合宿 井上麻衣子
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内容 17.1.発見理論としてのゲーム理論 17.2.ゲームの解の意味 17.3.ゲーム理論の発展 17.4.ゲーム理論の関連分野
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17.1.発見理論としてのゲーム理論 ゲームとは・・・ 複数の意思決定主体の存在により生ずる社会状況の表現のこと ゲーム理論とは・・・
複数の意思決定主体の存在により生ずる社会状況の表現のこと ゲーム理論とは・・・ そのような状況の表現や分析のために新たな概念を提供し、社会や人間の行動について新しい発見をもたらそうとするもの 社会的な問題のために開発された数学的な言葉であり、社会認識のための数学的言語
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17.1.発見理論としてのゲーム理論 ゲーム理論は発見理論であるといえる
ゲーム理論とは新しい言葉を開発することによって社会状況を表現し、分析し理解しようとするものである。 そしてそれにより、現にある事実を発見するばかりではなく、あり得る可能性を発見し、それを解として示すものである。 ゲーム理論は発見理論であるといえる
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17.2.ゲームの解の意味 ゲーム理論の出発点となったゼロ和2人ゲームの解はミニマックス戦略の組として表された
-この解を求める過程というのは、ミニマックス原理という行動原理が 先にあってそれにより解に達したのではなく、ゲームの解として ミニマックス原理が導かれた そして、このミニマックス戦略の組こそ、2人のプレイヤーの間の社会秩序であり、安定な行動基準である
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17.2.ゲームの解の意味 同様に・・・ 定和3人ゲームを解くことで、安定的な社会秩序が複数あることを発見した。
非協力ゲームにおいて均衡点を考えることで、ある行動基準の元での社会秩序が、プレイヤーの行動原理としての最適反応原理の上に成り立っていることを発見した
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17.2.ゲームの解の意味 ゲームの解とは、その状況におけるそれぞれのプレイヤーからなる社会において成立する可能性のある社会秩序・社会組織・社会慣習などを示すものである 新しい解の概念を発見することは、新しい行動基準・社会秩序を発見することであり、その秩序を成立させている個々のプレイヤーのもつ行動原理を発見することである
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17.3.ゲーム理論の発展 第Ⅰ期(1944~1960) ミニマックスの定理の別証明や一般化など、主にゼロサム2人に関するものから始まり、後半にはn人ゲームについての研究が盛んになった まだ十分には現実の経済に結びつけることができなかったので多くの人がゲーム理論から去っていった ナッシュによる非協力ゲームの均衡点と交渉問題の交渉解 クーンのゲーム展開形と情報の問題 シャープレイのシャープレイ値 コアの提案 シュービックのエッジワースの市場ゲームの考察・・・
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17.3.ゲーム理論の発展 第Ⅱ期(1961~1970) プリンストン大学におけるゲーム理論のコンファレンス(1961)
プレイヤーの数が無限のゲーム・別払いのない提携方ゲーム・経済学におけるコアの活用等 経済の問題をゲーム理論的な言葉で表現する方法が、経済学者にとっても自分のものになってきた プレイヤーの数が無限大になると、両者は収束して一致することが証明され、経済学の最も基本的な部分がゲーム理論により明らかにされた
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17.3.ゲーム理論の発展 第Ⅲ期(1971~1980) ゲーム理論の専門誌が創刊され、ゲーム理論は1つの分野として確立した
ゲーム理論は政策決定者に対して、政策の立案、計画の作成、ルールの設定等に関し、適切なアドバイスができるまでに成長した 経済学に限らず、社会学、政治学、経営学、会計学のような分野でもゲーム理論の概念や数学的方法が用いられるようになり、多くの成果が得られるようになった
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17.3.ゲーム理論の発展 第Ⅳ期(1981~1992) 展開形のゲーム発展により、情報の問題についてのゲーム理論による分析が飛躍的に発展した ゲームの概念が整備されたことで、従来の経済学や経営学、政治学、社会学などの方法では分析が困難で未開拓のまま放置されていた問題が考察可能になった 生物学においてもゲーム理論が積極的に用いられるようになった
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17.3.ゲーム理論の発展 第Ⅴ期(1993以降) 協力ゲームと非協力ゲームを統合した形での理論が展開していくと思われる
時間をゲームの要素として考察することはまだ十分ではないため、今後はゲームの動学化が進行すると思われる ミクロ経済、マクロ経済、その他の社会的諸問題において、ゲーム解のもつ意味についての実証的、実験的研究がこれから一層盛んになると思われる
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17.4.ゲーム理論の関連分野 ゲーム理論は社会の制度の設計と個々の主体の行 動に指針を与えるものである ゲームの比較=文化・制度の比較
ゲーム理論は社会の制度の設計と個々の主体の行 動に指針を与えるものである ゲームの比較=文化・制度の比較 ゲームを変える=社会制度を変える ゲーム理論は比較制度論や比較文化論のための基礎を提供するもの ある意味で、ゲーム理論は制度の理論
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17.4.ゲーム理論の関連分野 人文科学 哲学、宗教、倫理、言語、文学理論、 心理学、社会学、比較文化論、認知科学
人文科学 哲学、宗教、倫理、言語、文学理論、 心理学、社会学、比較文化論、認知科学 社会科学 法学、行政学、政治学、経済学、経営学、 会計学、公共経済学、情報経済学、 投票理論、比較制度論、国際関係論 理工学 数学、統計学、情報科学、システム科学、 計算機科学、経営工学、社会工学、 電気通信工学、土木工学、建築学、 制御工学、オペレーションズ・リサーチ、 自然科学、生物学、計画理論
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17.4.ゲーム理論の関連分野 言葉としてのゲーム理論が活用される最も重要な役割は、具体的な問題への適用ではなく、経済学、社会学、倫理学、生物学、工学等、さまざまの学問を、その基礎から書き直し、新しく蘇生させるところにある ゲーム理論と関連している分野は固定した枠のようなものではなく、その枠を超えたところに意義がある 現実の社会は枠を超えた学問を必要とし、ゲーム理論はその要求に応え、文系と理系を結ぶ懸け橋として発展しつつある
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第Ⅲ部 ゲーム理論の役割と歴史 第18章 ゲーム理論の成立 2008/07/01(火) ゲーム理論合宿 井上麻衣子
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内容 18.1.最初の混合戦略とミニマックス解 18.2.サンクトペテルブルクのパラドックス 18.3.ゲーム理論の礎石
-ZermeloとBorel -フォン・ノイマンの最初の論文 -フォン・ノイマンの時代背景
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内容 18.4.モルゲンシュテルンとウィーン -完全予見と均衡 -数理経済学の確立 18.5.ゲーム理論の成立 -2人の出会い
-完全予見と均衡 -数理経済学の確立 18.5.ゲーム理論の成立 -2人の出会い -共同研究の進行
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18.1.最初の混合戦略とミニマックス解 ド・モンモールという人の著書『偶然ゲームの解析』に、混合戦略とミニマックス原理が発見されてことが記されている 発見したのはワルデグレイブという人であり、『殿方』というカードゲームの解についての議論から導かれたものであった
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18.2.サンクトペテルブルクのパラドックス サンクトペテルブルクのパラドクス・・・アムステルダムからサンクトペテルブルクまでの海上輸送の危険に対する保険の問題で、危険を含む賭の問題が含まれている ダニエルという人が『クジの計算に関する新理論』と題して発表した 彼は賭の際に考慮すべき期待値は、金額を基にした期待値ではなく、効用の期待値を持ってすべきであると主張し、道徳的期待値と呼んだ。 そして新たに付加された財から得られる効用はすでに所有している財の貨幣価値に反比例するという仮説を設け(限界効用が逓減すること)、その新しい効用理論を用いてサンクトペテルブルクのパラドクスを解いた。
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18.3.ゲーム理論の礎石-ZermeloとBorel
『チェスの理論への集合論の応用について』では、チェスや将棋のような完全情報を持つゲームをこう理論的集合論を用いて考察し、完全情報を持つゼロ和2人ゲームには、純戦略で最適な戦略が存在することを証明した Borel 『ゲームの理論と歪対称核をもつ積分方程式』、『偶然とプレイヤーの能力を含むゲームについて』、『歪対称行列式の線形体系とゲームの一般理論』において、純戦略と混合戦略の概念を導入してミニマックス解を求めた この2人の論文に刺激を受け、自身のアイデアを開発したのがフォン・ノイマンである
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18.3.ゲーム理論の礎石-フォン・ノイマンの最初の論文
『社会的ゲームの理論について』という論文で、フォン・ノイマンは以下のことを示した ・戦略形非協力n人ゲームの定式化 ・ゼロ和ゲームにおいてミニマックス定理を証明 ・3人ゲームについて考察し、ゲームの特性関数を定義し、 その割当値と基礎値を定めた 彼のこの論文によってゲーム理論は誕生した この論文は数学の論文として書かれたが、彼はゲーム的状況が経済学にとって重要な問題であることを指摘している
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18.3.ゲーム理論の礎石-フォン・ノイマンの時代背景
ハンガリーのブタペストに生まれ、少年のころから天才ぶりは注目されていた。その結果、12歳にして大学教授の指導を受け、数学の論文を書いたのはまだ18歳にもなっていなかった。その後…
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18.4.モルゲンシュテルンとウィーン-完全予見と均衡
・競争市場において完全に先を予見するということはどういうことかを問題とし、その可能性に疑問を呈した ・価値論における時間要素と期待効用に関する論文を執筆 ・個人的予見と集団的予見との関係について吟味し、経済の一般均衡理論においてはしばしば仮定される完全予見の概念は、均衡の概念と両立しないことを示した ・ヒルベルトの功利主義的幾何学の体系構成の方法にならい、経済理論の公理主義的体系化について考え、現在の公理論的経済理論を先取りした
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18.4.モルゲンシュルテンとウィーン-完全予見と均衡
第一次世界大戦後のヨーロッパは、小さな単位に分割され、革命・反革命が繰り返され、経済も混乱を極めた。そして世界経済はもはや完全競争の経済ではなく、利害の対立する経済主体間の激しい競争は、調和を導く代わりに独占的企業の発生や労働組合の団結を生み出し、独占資本主義の社会といわれるものとなった。 そのような背景から、モルゲンシュテルンはゲーム理論的状況を自分の問題意識として捉えた。
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18.4.モルゲンシュテルンとウィーン-数理経済学の確立
ウィーン学団の数学者であるメンガーは、自身が開いていたコロキュウムの人々と共に研究成果を発表し、その中には経済の一般均衡論の厳密な数学的基礎があった ドイツの数学者ローベルト・レーマクは、一般均衡システムに解が存在するかどうかを、単に未知数の数と方程式の数とが一致するかの検討だけの段階から出て、そこに存在する問題の困難さを最初に指摘した また、ウィーンのシュレージンガーとワルトの研究が最も深く厳密で、現在の数理経済学の出発点となっている フォン・ノイマンは『経済学の方程式体系とブラーワーの不動点定理の一般化』において、経済の均衡成長をはじめて不等式体系で表し、その存在と一意性を証明した
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18.5.ゲーム理論の成立-2人の出会い ウィーンで数理経済学が花開いたころには、オーストリアにもファシズムの影響が強くなり、学問の内部にまで干渉し始めた。そのため、モルゲンシュテルンはアメリカに渡り、プリンストン大学においてフォン・ノイマンと出会った。 モルゲンシュテルンはフォン・ノイマンに彼のゲーム理論と拡張経済について深い関心があることを伝え、更にゲーム理論の虜となっていった フォン・ノイマンもまた、モルゲンシュテルンの影響で再びゲーム理論への関心を蘇らせていった
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18.5.ゲーム理論の成立-共同研究の進行 やがて二人は、『ゲームの理論と経済行動』という論文を共同で書き始め、毎日のように会い、共同研究を始めた モルゲンシュテルンが偶然見つけたブラーワーの『確率の計算とその応用』という論文は、ミニマックス定理を証明するのに非常にわかりやすいものであって、それ以後、線形計画や数理経済学などにおいてブラーワーの考えが使われるようになった 2人が生み出した『ゲームの理論と経済行動』は出版されるや、当時の学会に大きな衝撃を与えた。この本により新しい数学が誕生し、ゲーム理論の誕生によって、経済学は自らの数学を持つこととなった
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