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情報・史料学概説 情報技術発展史 I 2008年度 林晋担当 ver2008/04/28 2018/10/14
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導入編:IT技術の歴史 主に「コンピューター200年史」 M. キャンベル-ケリー/W.アスプレイ、海文堂、に従って解説。
デジタル・コンピュータが無かったころから、現代までのIT発達史。 2018/10/14
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コンピュータ前史 2018/10/14
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コンピュータが人間だった頃 (1) “Computer” は、50年ほど前までは、人間だった。
今のようなコンピュータ出現以前から、大規模な科学技術計算は必要だった。 たとえば、マンハッタン計画では、原爆製造のために非常大規模な計算が必要だったが、計画自体が国家機密だったので、ロス・アラモスに集まっていた科学者や技術者の夫人が computer として雇われた。 2018/10/14
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実際の人間コンピュータ 1950年頃の米国の航空関係の会社 North American Aviation で働く、computer たち。P. E.Ceruzzi, “A History of Modern Computing”, p.2 より。 このような人間コンピュ‘ータによる計算は、組織化されており、分業体制による計算だった。 2018/10/14
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チーム計算の起源 de Prony フランス革命直後の 1790年、de Prony が始めた。対数表作成のプロジェクト。
アンシャン・レジームの象徴だった貴族の hairdressors たちが革命で失業。その失業対策を兼ねて、compueters として雇用した。 2018/10/14
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計算の分業体制 Hairdressor は掛算、割り算が正確にできないので、足し算、引き算に、すべての計算を分割・分業化した。
チームは、理論家、それをもとに計算計画を立てる人、そして、computers からできていた。 de Prony のアイデアの元: アダム・スミスの「国富論」にある分業論だった。 1776, Adam Smith, The Wealth of Nations, Book 1, Chapter 1 of the Division of Labor. 2018/10/14
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参考: Pin-maker の分業論 (1) … no only the whole work is a peculiar trade, but it is divided into a number of branches, of which the greater part are likewise peculiar trades. One man draws out the wire, another straights it, a third cuts it. a fourth points it, a fifth grinds it at the top for receiving the head; to make the head requires two or three distinct operations; to put it on, a peculiar business, to whiten the pins is another; it is even a trade by itself to put them into the paper; and the important business of making a pin is, in this manner, divided into about eighteen distinct operations,… 2018/10/14
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参考: Pin-maker の分業論 (2) But if they had all wrought separately and independently, and without any of them having been educated to this peculiar business, they certainly could not each of them have made twenty perhaps not one pin in a day; that is, certainly, not the two hundred and fortieth, perhaps not the four thousand eight hundredth part of what they are at present capable of performing, in consequence.... 2018/10/14
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機械的コンピュータ 2018/10/14
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de Prony に学んだ コンピュータの祖?
Charles Babbage : コンピュータの歴史やルーツ探しのストーリでは必ず登場する人物。 実際にコンピュータを完成してはいないが、階差機関(differential engine)、 解析機関(analytic engine)という二つの計算機械を研究した。 設計だけに終わったものの解析機関は、計算スピードを無視すれば、現代的コンピュータと同じ能力を持っていたといわれる。そのために「祖」とか「先駆者」とみなされている。 2018/10/14
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Babbage と作表作業 de Prony のプロジェクトは、フランス革命期の度量衡近代化の一環だった(メートル法) 。
プロジェクトは1790年から1801年まで続き数表の手書き原稿は完成したが、財政難で印刷されなかった。 1819年、英国の数学者 C. Babbage が、フランス学士院を訪れた。そのとき、その手書き数表を見たのではないかと Campbell-Kelly たちは書いている。 2018/10/14
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人間を機械で置き換える (I) その時に、見たのかどうかは別として、いずれにせよ、Babbage は、 de Prony が hairdressers に行わせた計算を機械で置き換えようとした。 当時の数表、特に航海などでも重要な対数表には、多くの誤りが含まれていることが知られていた。 Babbage や友人の天文学者 J.F.W. Herschel (天王星発見者の息子)らは、数表の誤りが大きな事故に繋がると警告した。 Babbage は、この問題を機械化で解決しようとした。 が、実際に、そういう理由で事故が起きたという記録はないという意見もある。「2000年問題」に類似した話か? 2018/10/14
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人間を機械で置き換える (Ⅱ) Adam Smith の国富論の pin 工場の分業生産も、 やがて機械に置き換えられた。単純労働は skill のない労働者で実行できる。単純労働は機械の方が効率よく行えるし、また、適している。 数表計算という「知的作業」も、Adam Smith のアイデアに従って分業化できた(de Prony)。 分割後の数表作成の labor は単純化され、結果として機械で実行できるほどのものになっていた。 2018/10/14
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人間を機械で置き換える (Ⅲ) 後に、Babbage の、この発想は計算の一般概念に拡張され、最終的には、A.M. Turing により、計算とは機械で行えるものという thesis が提示される。 当時の数表には計算の誤りだけでなく、 印刷時における誤りも多かった。 Babbage は、 A. Smith- de Prony の分業の原理を使い、さらに計算から印刷まで一貫して機械に行わせると誤りが減ると考えた。 2018/10/14
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Economy of Machinery and Manufacture
Babbage は、計算機以外にも、全国一律の郵便料金制度の提唱や、暗号解読など、多くの分野で優れた仕事をしている万能学者。 その一つに “Economy of Machinery and Manufacture”, 1832, という生産の経済学の古典的書物がある。 一律郵便課金のアイデアもこの本にある。ただし、実際の制度 Uniform Penny Post を作ったのは Rowland Hill 。提唱は1837だが Babbage との関係には色々意見があるらしい。 この本の Chapter 19, 20 のタイトルが On the division of labor であり、その中で、Adam Smith と de Prony を引用し、さらに、数表計算の分業法(階差機関の原理)と、その機械による実行について述べている。 2018/10/14
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C. Babbage, J.S. Mill, F. Taylor,…
Babbage の本は John Stuart Mill ( )や Karl Marx ( ) に大きな影響を与えたと言われている。 この本の議論を、最近重要性が増している「技術革新の影響を考慮した経済学」のハシリと評価し、Babbage はコンピュータの先駆者として再発見されたが、経済学の先駆者としても再発見されるべきだという人もいる。 Babbage の「生産の経済」は現在のオペレーションズ・リサーチ(OR)や、生産工学(Industrial Engineering IE)のハシリでもあり、化学的生産法の先駆ともいえる。 その「科学的生産法の祖」として知られるのが Fredrick Winslow Taylor ( ) は。労働者の体の動きを科学的に研究し、それにより生産性をあげようとした。たとえば「蒸気機関に石炭を投入するには、大きなスコップが良いか、小さなスコップが良いか?」を研究した。 2018/10/14
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Babbage が A. Smith を21世紀のソフトウェア工学につなぐキー
その Taylor の思想 Taylorism は日本工業界が60-80年代にお家芸としたQC (quality control)、特に、世界語にもなった KAIZEN 「改善」の源流。日本の工場では、労働者が足を運ぶステップ数さえ改善する。Babbage の著作は、この Taylor と、A. Smith を結んでいる。 Taylorsim と KAIZENは、1980年代からの日本に関係した情報史、特に1980年代以後のソフトウェア工学の発展史と合理主義思想との関係を理解するときの重要なキー。これは1980年代から現代への歴史のところで説明。 つまり、Babbage は、A. Smith を現代の情報技術、特に日本に関連した情報技術に結びつける重要な糸。 Mill は明治の思想家西周を通して、この数年日本でとみに問題になっている「情報人材の問題」に結びつく。Babbage は、こちら経由でも A. Smith からの流れを日本に結び付けるらしい。←研究中。 2018/10/14
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その Babbage が考えた、人間コンピュータを置き換える機械コンピュータが 階差機関と解析機関
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階差機関:The differential Engine
階差機関の原理 Babbage の著書より。F(x)=x2 x から F(x) … を作る 階差 …. 階差 …. これを下から、上に作れば、足し算だけで F(x)=x2 が計算できる。 2018/10/14
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階差計算の能力 数学の理論により、多くの関数は、多項式で近似できることが知られている。
近似の誤差を処理すれば、ほとんどすべての関数の計算、したがって、数表の計算が可能。 必要なのは、数列を記憶しておくこと。そして、この項に対して足し算を行うこと。 Babbage は、これを機械にやらせようとした。 注. 階差計算を機械に実行させるというアイデアは、Babbage 以前にもあった。 2018/10/14
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解析機関: The Analytic Engine
宣伝がうまい Babbage は、英国政府から多大の研究費を得て、階差機関を作ろうとしたが、当時の機械技術では、難しかった。そのため、ヨーロッパ各地の工場を使える技術を求めて視察し、その結果が、前述の経済学書となった。 しかし、Babbage の計画は、遅々として進まず、英国政府の信用も落ち、お金も続かなくなる。 さらにまずいことに(?)Babbage は、階差機関を完成させずに、解析機関という、さらに進んだ機械の設計に没頭するようになる。 この機械は、一戸建ての家くらいの大きさで、6台の蒸気機関で動かす設計になっていたらしい。 2018/10/14
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解析機関の原理 階差計算の出力を、再び、階差計算の入力にできるように、出力を入力に結びつけるというのが、そのアイデア。
現代的用語でいうと「ループ」とか、「繰り返し(iteration)」と呼ばれるものになる。つまり、同じ計算を繰り返すこと。 足し算、数列の記録、ループ、後、これに「条件分岐」さえあれば、現代のコンピュータと、理屈上は同じ能力になる。 解析機関は、条件分岐も備えており、これらからなる計算手従、つまり、「プログラム」を、ジャガード織機のために使われていたパンチカードで指定することができた。 2018/10/14
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失敗した Babbage machines それ故に、「祖」。
実際に作られたのは、機関の一部分のみ。 Babbage の死後に、彼の息子や London の科学博物館により、これらの機械が(完全ではないが)作られている。 London の科学博物館にある。 そして、今年になって… 2018/10/14
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2台目が作られた California の億万長者の Nathan Myhrvold (元マイクロソフト社)が、もう一台を作らせ、極く最近、シリコンバレーのコンピュータ博物館についた。5月10日から数ヶ月公開され、その後、Myhrvold の邸宅に置かれるらしい。 2018/10/14
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The Analog Animals The title is borrowed from M. R
The Analog Animals The title is borrowed from M.R. Willams “History of Computing Technology” 19世紀から20世紀初頭にかけては、Babbage 的なデジタル・アプローチでなくアナログ計算機が実用化された。 潮の干満を予測する: Tide Predictors 1876年に作られ、1950年代ころまで、世界各地で使われた。 電力網をシミュレーションした: Vannevar Bush の Differential analyzers, 1930年代に作られたが、1951年のSF映画にも登場している: movie1 movie2 これらが、地球シミュレータのような、今日の大規模科学計算の前身といえる。しかし、計算方法は、現在は、デジタル。 2018/10/14
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The Mechanical Monsters The title is borrowed from M. R
The Mechanical Monsters The title is borrowed from M.R. Willams “History of Computing Technology” さらに1940年台になるとデジタル・アプローチが再登場する。 リレーのような電気機械式メカニズムを使い、現代のコンピュータに近い計算機が多く作られ始める。代表的なもの: The Zuse Machines The Harvard Mark I (IBM 製) 2018/10/14
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電子計算機としてのコンピュータ 2018/10/14
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そして、electronic computers 電子計算機 へ
コンピュータの古い名前:電子頭脳、電子計算機。 アナログ計算機、電気機械式計算機では、テープやリレーなどの「物」が動作することにより計算が行われるので、その動作スピードには限界がある。あまり速いとギアが壊れる。カードが破れる。しかし、electronics を使えば、電子のスピードは光の速さと同じ。 19世紀の技術は力学的機械中心。それはアナログ・コンピュータに適していた。やがて電子技術が発達し計算機に応用できるまでになる。そして、同時に、それだけの高速性と精度を必要とするだけのニーズが数多く生まれる。 新技術発生の条件: ニーズとそれを実現する方法 2018/10/14
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現代的コンピュータの発明 1940年代、University of Pennsylvania, 工学部の Moore school で ENIACとEDVAC という2台の計算機が開発された。これが現代的コンピュータの原型とされている。 これらに先行した研究、また、後発だが、4先に完成した機械もあるが、これらこそが、現代のコンピュータの源流というのにふさわしい。理由は後で説明。 この二つは第2次世界大戦下における軍事研究、弾道計算と原子爆弾が motivation となっている。資金は、主に軍からでている。 2018/10/14
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ENIAC Electronic Numerical Integrator and Computer 数値計算用の汎用コンピュータ。
その構成は、ほぼ、現代のコンピュータに近い。 ただし、プログラムがメモリに入っておらず、ケーブルの配線でプログラミングをしていた。 これがENIAC が真の現代的コンピュータと言えない理由で、EDVAC で、その問題が解決されることとなる。 2018/10/14
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ENIACの背景:弾道計算と射撃表 火砲の弾道を予測するには、弾丸の形、風、仰角、方位角、距離、気温、重力などを考慮した「微分方程式」というものを解く必要がある。これは differential analyzer などが得意とする計算だった。 年代には、マニュアル、あるいは、機械的に射撃表(firing table)が使われていた。米陸軍の場合、一つの表は、約3000の弾道を含んでおり、パラメータを決めて、表を引くと火砲の正しい setting を見つけることができるようになっていた。 2018/10/14
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弾道計算の手間 第2次世界大戦の戦時下では、新しい火砲が次々に開発され、膨大な計算が必要となった。一つの弾道を計算するのに、differential analyzer で10から20分、人間なら1, 2日かかった。一つの firing table 作成には、100名のチームで、約1ヶ月かかったという。 2018/10/14
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John Mauchly (I) Differential Analyzer を所有していたペンシルバニア大 Moore school は、第2次世界大戦が始まるころから、この弾道計算を米陸軍の BRL (Ballistic Research Lab.) に協力して行っていた。 計算は、differential analyzer などの機械や, 名程度の女性のチームで行われ、この人間コンピュータの教育を、Moore school の J. Mauchly の婦人だった。 この時代、de Prony のころとは異なり、人間コンピュータは、手動計算機を操作していた(手動計算機の例: 日本のタイガー計算機)。 2018/10/14
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John Mauchly (II) 1942年夏、Mauchly は、この膨大な計算のための電子式計算機の開発を提案した。
戦時体制が始まるまで、小さな教養大学の物理学教師だった Mauchly は、大学の戦時協力プログラムの中で頭角を現し、1942年9月よりMoore school の教員になった(Univ. of Penn. はアイビーリーグ校のひとつ)。 2018/10/14
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J. P. Eckert Mauchly は技術的素養がなかったので、Moore school の若い技術者 Eckert に話を持ちかけた。 Eckert は、たまたま、レーダーのために遅延線メモリ delay-line memory という「情報をユックリ伝えることにより記録する装置」を研究していた。 移動する物体の位置がユックリ消えれば、その物体の「動線」が見えることなり、動きが認識しやすくなる。 これが後にコンピュータのメモリとなる。(1000分の1秒ほど遅らせた。) 彼らは、共同して、differential analyzer が15-30分かかる計算を、100秒で実行できるという機械を提案したが、Moore school と陸軍に無視される。 2018/10/14
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H.Goldstine しかし、BRL の女性コンピュータ担当の将校だった、数学者 H. Goldstine は、その提案の重要性に気づき、この計画を強く指示し、Goldstine の後押しにより、1943年春、再度の提案により ENIAC の project が発足する。 Goldstine は、当時の計算の困難さを、次のように上申した: 176名のコンピュータと、11台の differential analyzer と数多くの IBM マシンを使っても、一つの表を作成するのに2交代制で3ヶ月かかる。 2018/10/14
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John von Neumann (I) ENIAC の開発開始から1年半が過ぎた 1944年夏、Goldstine は数学者 von Neumann に合う。 Hungary 有数の銀行家の息子 von Neumann は、神童が、そのまま大科学者になった人で、当時から超有名。 元々、銀行家や軍人を尊敬していた(そうなりたかった)彼は、政府機関の顧問を沢山つとめていた。 その一つがBRLで、定期訪問に訪れたとき、たままた、相手をしたのが、Goldstine だった。Goldstine のENIAC の話を聞いた途端、von Neumann の人当たりの良い態度が一変したと Goldstine は書いている。 2018/10/14
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John von Neumann (II) ユダヤ系の Neumann の家は、Hungary では貴族の称号ももっていた。John は、ナチスの弾圧を逃れて米国に亡命した。その幼少時や若いときの経験から、全体主義、共産主義に、強い嫌悪感を持っていたらしい。冷戦の中心的頭脳、ネオコンの源流とみなせる人物。 Von Neumann は、原爆製造のマンハッタン計画にかかわり、implosion という原爆発火の仕組みのために「非線形計算」という複雑な計算にかかわっていた。そのため、高速な計算機の必要性を感じていた。このためもあって、Goldstine の話に強い興味を持ったらしい。 2018/10/14
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John von Neumann (III) しかし、von Neumann の計算のためには、ENIAC は問題が多すぎた。
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EDVAC ENIAC には3つの問題があった。 プログラムをケーブルの差し替えでやっていたので、大変、面倒だった。
小さいメモリしか持たず、たとえば、implosion の計算には使えなかった。 メモリが真空管でできており、それがメモリの小ささと、信頼性に影響を与えていた。 これらを解決する後継機 EDVAC (Electronic Discrete Variable Automatics Computer)が計画される。Von Neumann が、お金をつける委員会のメンバーだった! 2018/10/14
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三つの問題の解決 これらの問題を解決したのが、
問題1 については、プログラム内蔵方式という、概念的アイデアで解決。今の言葉で言えば、architecture (当時は、logical design と言った)上のアイデア。 問題2,3は、Eckert の水銀遅延線メモリーで解決された。 問題1の解決は、貴重なメモリが安価になることにより、それまでは計算機の「外」にあったプログラム(カード、テープ、ケーブル)を、計算機のメモリ内部に取り込めるようになったことの影響が大きい。 2018/10/14
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アーキテクチャが固まってくる… 現代のコンピュータは、2進法で動くことは有名だが、ENIAC は10進法だった!
これを2進法に改めた。これにより必要となる回路を遥かに単純化することができた。 メモリの改善、プログラムの内蔵、2進法への移行により、EDVAC の構想は、急速に固まった。 それをまとめてレポートにしたのが、von Neumann。 2018/10/14
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von Neumann Architecture
Von Neumann は: “A First Draft of a Report on the EDVAC”を1945年6月30日にまとめる。 PDF 化したもの: 当初、グループ内だけの文書にするつもりで、自分の名前だけ書いていたが、これが一挙に世界中に広まり、計算機開発の手本となった。 このレポートの故に、プログラム内臓式の現代的コンピュータのアーキテクチャに von Neumann の名前がついた。 2018/10/14
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Von Neumann レポートの問題点 A First Draft of a Report on the EDVAC には、著者としてVon Neumann の名前しかなかった。本人はチームの仕事だと認識していたが、成り行き上、彼だけの名前をつけたレポートが独り歩きをした。 電子工学的問題、つまり、Mauchly, Eckert が一番苦労した問題を、全部、すっ飛ばし、装置の論理的構成しか書かなかった。 これに、Mauchly たちは怒った。 2018/10/14
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The Engineers versus the Logicians
Project は、論理的仕組みを重視する「論理学者たち」 von Neumann, Goldstine (数学者), Burkes (哲学者)と、電子工学的仕組みを重視する「技術者たち」 Eckert, Mauchly に2分され対立するようになる。 また、アカデミズム重視の前者と、商業化を考えた後者の対立となり、大学の方針も絡んで、後にプロジェクトは分裂することになる。 2018/10/14
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The Moore school lectures
しかし、分裂しかけでも、ENIAC チームの研究は世界から高く評価され、また、戦争が終わったことで、技術の公開の圧力が増した。 1946年2月16日 ENIAC はENIACは落成し、メディアにも公開される。 そして、 8 July August 1946に、英国などから科学者を集めて、プログラム内臓式の原理まで含めて、Moore school での連続講義で技術が公開されることとなった。 2018/10/14
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世界最初の現代的コンピュータは? この講義から刺激を受けた人たちが、計算機開発プロジェクトを立ち上げ、EDVAC 完成以前に、現代的コンピュータを作った。だから、EDVAC は、世界最初の現代的コンピュータではなかった… 2018/10/14
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最初のコンピュータ達 ENIAC:1943年開発開始-1945年秋完成
EDVAC:1945年開発開始-完成は1952年!(Eckert, Mauchly は1946年に大学を去る) プログラム内蔵方式、いわゆるノイマン・アーキテクチャの発明 von Neumann レポート: “A First Draft of a Report on the EDVAC”、 1945年6月30日 The Moore School Lectures 8 July August 1946 1948完成 Manchester Univ., Baby Machine, T. Kilburn、 F.C. Williams 1949完成 EDSAC Cambridge Univ., M. Wilkes 2018/10/14
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コンピュータの発明者は誰か? コンピュータの発明者を、Eckert たちではなく、Atanasoff-Berry, Zuse とする意見もある。 発明物語は、大衆受けするために単純化されている。 多くの場合は、同じような研究プロジェクトが同時進行しており、互いに影響を与えていることが多い。コンピュータの場合もそうである。 特に時代が新しくなるほど、その傾向が強い。 技術者・科学者の数の増大 プロジェクトの巨大化 Globalization 情報伝達の迅速化 科学・技術の標準化 2018/10/14
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