Presentation is loading. Please wait.

Presentation is loading. Please wait.

お城よもやま話 中西 徹 (雲海に浮かぶ但馬竹田城) 1.奈良市在住 (1) 唐招提寺・薬師寺が徒歩10分ほど離れたところに先祖代々から在住

Similar presentations


Presentation on theme: "お城よもやま話 中西 徹 (雲海に浮かぶ但馬竹田城) 1.奈良市在住 (1) 唐招提寺・薬師寺が徒歩10分ほど離れたところに先祖代々から在住"— Presentation transcript:

1 お城よもやま話 中西 徹 (雲海に浮かぶ但馬竹田城) 1.奈良市在住 (1) 唐招提寺・薬師寺が徒歩10分ほど離れたところに先祖代々から在住
(1) 唐招提寺・薬師寺が徒歩10分ほど離れたところに先祖代々から在住 2.お城好き (1) 「お城好き」は中学生の頃から。     きっかけは文庫本サイズのお城の本、題名も忘れた、捨てた訳じゃないが     今はない 中学の時に買った他の数冊の本は今もある  (2) インターネットが普及し始めた頃(1995年頃)    ① 「お城めぐりFAN」 ホームページを見つけた時に感動       「お城好きの人がこんなにいるんだ」って思った    ② それまでは       「趣味」と聞かれて、「歴史が好き」+「旅行」+「写真」=「城めぐり」    ③ お城めぐりの記録としてHP「お城の旅日記」を1999年に開設       月刊不二にも紹介された  (3) 「お城好き」が集まるサークルに参加    ① 日本古城友の会(1963年創立) 現在は副会長    ② 仕事以外の人、同じ趣味の人との集まりは楽しい     ③ 研究者よりは「お城ファン」。 ともかくたくさんのお城を見てみたい。 (4) 元気な60代のうちに全国のお城を廻ってみたいので、61才で退職した (雲海に浮かぶ但馬竹田城) 中西 徹

2 お城って・・・ 天守閣があって、石垣があって、お堀があるのがお城 お城のイメージ
観光名所となっていて、「天守閣があって、石垣があって、お堀があるのがお城」 皇居となっている江戸城、世界遺産にもなっている姫路城や大阪のシンボルとなっている大坂城などに国内だけでなく、外国からの多くの観光客が訪れている。 (1) 日本大3名城 江戸城、大坂城、名古屋城 (2) 日本3名城   姫路城、熊本城、名古屋城 天守閣があって、石垣があって、お堀があるのがお城

3 お城って・・・ 天空の城 お城? 何もないよ・・・ 日本三大山城 大和高取城 戦国時代の山城 大和椿尾上城 1.雲海に浮かぶ但馬竹田城
  「天空の城」と云われ、最近ではめちゃめちゃ有名になった   2000年頃、整備はされていたが訪れる人もまばらで、お城の楽しめたのに 2.おかげで「日本三大山城」の高取城なども訪れる観光客も増えたとか   地元自治体も「全国山城サミット」なんてイベントをやっている   高取城 奈良の壺阪寺の背後にある「高取山山頂」にある城、車でも登れる         紅葉のシーズンにはハイカーが多い         建物はないが、天守台など石垣がよく残っている 3.でもマイナーなお城は  (1) 地元でお城への登城口などを訪ねると、たいてい云われる     「お城? 何にもないよ!」 「お城? あったけ・・・」     概して、女の人に聞くとたいていこれ  逆に不審者扱い  (2) たまに郷土史家みたいなおっさんに捕まると     「上がっていけや!」とお城自慢などが始まる 1時間くらい捕まると大変     早くお城へ行きたいのに・・・ でも案内してもらえることもある お城? 何もないよ・・・ 日本三大山城  大和高取城 戦国時代の山城  大和椿尾上城

4 お城って・・・いくつあるの? 30,000~40,000城と推定される 半端じゃない数が報告される
1.日本のお城の数は、 30,000~40,000城 (1) 1990年頃までは  「お城めぐりのバイブル」的な本     日本城郭体系(新人物往来社)全国の城館を調査した城郭研究書      約25,000城 掲載  岸和田市図書館、貝塚市図書館にある (2) 全国城館調査報告  ① 1980年頃より文部科学省から全国都道府県教育委員会に指示され実施  ②  「城」・「陣屋」・「居館」についての調査(文献・実地調査・地籍図調査等で) ③ 未調査の府県もある 大阪府、奈良県、岡山県、山口県、宮崎県  ④ 奈良県では、飛鳥や藤原京・平城京の古代の発掘調査等が主体       城館調査は後回しとなっているが、やっと昨年辺りから開始された模様 (3) 調査報告から判ったこと 30,000~40,000城  ① 中世の城館が圧倒的に多い。  ② 半端じゃない城館の数が報告されている。    ⇒ 滋賀県 1,300城 内甲賀郡だけでも300城ある。    ⇒ 愛知県 1,200城(尾張・三河と2ヶ国) 1国に600城    ⇒ 武田信玄が「人は城」と甲斐国には城を築かなかったと云われているが、       調査の結果では、470城ある。 要害山城、勝沼氏館 1.1990年頃まで 約25,000城   日本城郭体系 全国の城館を調査した城郭研究書 2.全国城館調査   1980年代から文部科学省が全国の教育委員会に調査指示 半端じゃない数が報告される 滋賀県 1,300城 愛知県 1,200城 信玄が甲斐国には城を築かなかった山梨県 470城

5 お城って・・・そもそも土の城 土を盛る 江戸時代のお城は「土の城」が主流 2.平地で敵から身を守るために「堀」を家の周りに掘る
 1.「城」という時は「土」と「成」と2字から成り立っている  2.平地で敵から身を守るために「堀」を家の周りに掘る  3.武士の居館は方1町(約100m)四方  4.居館の堀は農業用水  江戸時代のお城は「土の城」が主流 1.「城」という字は、「土」と「成」と2字から成り立っている。 (1) 「土から成ったものが城である」と云うよりは、「成」は「盛」に通じることから   「土を盛ったものが城」と云った解釈するのが一般的。 (2) 平地で敵から身を守るために「堀」を家の周りに掘る。   堀を掘れば、当然のことながら土がでる。 この土を堀の廻りに積み上げたのが城の     そもそもの始まり。 (3) 武士の居館は方形居館  ① 鎌倉武士の居館は方1町(約100m四方)の居館が標準的  ② 堀と土塁(堀を掘った土を掻き上げた盛土)を四方に巡らした居館      ⇒ 守護の政所(居館)は、方2町(約200m四方)もあった  足利鑁阿寺(栃木県)    ⇒ 50間(約50m)四方の小規模な居館もある。 ⇒ 丹波篠山市にある畑氏館    ⇒ 平素の住居だけでなく軍事的拠点でもあり、「城」の範疇としてカウント  ② 居館の堀は農業用水    ⇒在地領主は、農業経営に関わることが多い。 江戸時代の庄屋さんをイメージ。 2.江戸時代のお城も土の城が主流 (1) 経済的理由    ① 膨大な石材が必要 ⇒ 材料コスト高   ② 穴太衆(石工集団)など高度な技術集団が必要 ⇒ 人件費    ⇒ 姫路城でも総石垣は内郭(現在の姫路城部分)だけ。 外郭部は土の城。 (2) 物理的理由  ① 地域によって岩山がない。(比較的関西では岩山が多い:六甲山・生駒山など)     ⇒ 江戸城の石垣は伊豆半島から運ばれた。  ② 火山灰層の土壌は掘りやすい。 都於郡城(とのこおり)     ⇒ 関東ローム層に覆われた関東地方、シラス台地に覆われた南九州地方     ⇒ 深さ10m以上もある空堀で仕切られた城が多数ある。 武蔵松山城 1.経済的な理由 膨大な石材と技術者集団 2.物理的な理由 地域により地質の違い 地方豪族の居館 (丹波畑氏館)

6 お城は平地から山の上へ 平地のお城 山の上のお城 堀に囲まれた平地の居館 甲斐勝沼氏館 比高473mの山頂に築かれた
城は、平地の居館形式の城から、居住性は低いが防御に優れた山の上に築かれた「山城」が主流になる 左 「堀に囲まれた平地の居館」 勝沼氏館(山梨県)  武田信玄の叔父 武田(勝沼)信友の居館               周囲の深い堀と土塁が残っている  国史跡 右 麓からの高さ比高が473mもある坂戸城(新潟県南魚沼市)    上杉景勝もこの城で生まれた(長尾政景の居城) 山の上のお城 堀に囲まれた平地の居館     甲斐勝沼氏館 比高473mの山頂に築かれた 長尾政景の居城越後坂戸城

7 戦の仕方が変わった 1.鎌倉時代までは騎兵戦 2.南北朝時代は歩兵戦の始まり 大鎧を着て馬に乗り矢を射る 武将同士の一騎打ちが主流
館から山城への城の変化は、「いくさの仕方が変わった」ことに起因する 鎌倉時代までは大鎧を着て馬に乗って矢を射る騎兵戦   ⇒ 右 大鎧の武者  左 胴丸の武者 ⇒戦国時代はもっと簡易に当世具足に  ① 名乗りを上げって武将同士が一騎打ち  ② 川や谷、海岸などの地形を利用して合戦 源平合戦の宇治川の合戦等々  (2) 南北朝時代からは歩兵戦へ  ① 騎兵のいない朝廷方は山岳寺院など山に立て籠もった 笠置寺等  ② 雑兵の具足「胴丸・腹巻」と呼ばれる簡易な鎧は動きやすい  ③ 「山」が防御効果が極めて高いことが認識される  ④ 合戦のたびに山に籠もる臨時の施設が「山城」    ⇒ 臨時故に合戦が終われば放棄した 1.鎌倉時代までは騎兵戦 大鎧を着て馬に乗り矢を射る 武将同士の一騎打ちが主流 2.南北朝時代は歩兵戦の始まり 後醍醐天皇が立て籠もった 笠置山 ① 「胴丸」・「腹巻」と呼ばれる簡易な具足 ② 騎兵のいない朝廷方が山に立て籠もった

8 戦の仕方が変わった 3.戦国時代は戦が恒常化 山城は臨時の施設から常時維持管理された施設へ 4.鉄砲の伝来 陣地を構えて大規模な合戦
  山城は臨時の施設から常時維持管理された施設へ 3.応仁の乱以後の戦国時代は戦が恒常化 (1) 山城は臨時施設から常時維持管理された施設へ変貌 (2) 人工的な防御施設 曲輪、切岸、土塁、堀切、竪堀、横堀   ①  堀切      甲斐熊城の堀切 尾根を断ち切っている 深さ約6m   ②  土塁と櫓門  三河東条城 復元されている   ③  石垣      但馬有子山城 出石城背後の有子山の山頂にある石垣 (3) 城を拠点とした「城取り合戦」が主体 4.鉄砲の伝来からは足軽による集団戦 (1) 平野部での鉄砲・足軽による集団戦 ① 約5~6mの長槍を持つ足軽    ⇒ 馬防柵を利用した陣地戦 長篠の合戦 ② 山の上から丘の上へ、平野部へ   ⇒ 近世城郭(石垣や分厚い土塁、幅の広い堀、漆喰に固められた櫓や城壁 堀 切 土塁と櫓門 石 垣 4.鉄砲の伝来   陣地を構えて大規模な合戦    馬防柵の出現 長篠設楽が原の合戦

9 近世城郭の登場 近世城郭は信長の安土城が始祖 近世城郭の特徴 織豊系城郭 天正、文禄期(1573~1595)に発展
「瓦」 「高石垣」 「礎石建物」を持つ 織豊系城郭 近世城郭と呼ばれる形式の城は、織田信長が天正7年(1579)に築いた安土城が 始祖とされている。 安土城に始まる近世城郭の特徴として、「瓦」・「高石垣」・「礎石建物」を持つとしている。 こうした城は「織豊系城郭」呼ばれていて、天正、文禄期(1573~1595年)に発展を遂げていく。このとき、「馬出し」、「枡形」、「横矢掛け」、「天守」といった近世城郭の基本要素が確立することになった。 天正、文禄期の城郭の例として、豊臣期大坂城(大阪府大坂市)、聚楽第(京都府京都市)、豊臣期伏見城(京都府京都市)、名護屋城(佐賀県唐津市)、などがある。 織豊系城郭が発達した理由として、細かくは様々な要因が指摘されている 戦術的な面でいえば、群雄割拠の時代が終わり、大名単位での大規模な戦闘が主流になるなかで、施設の強固化、大規模化、恒久化が進んだからだといわれている。 天正、文禄期(1573~1595)に発展 安土城 秀吉の築いた大坂城 聚楽第 肥前名護屋城

10 関ヶ原の後に築城ラッシュ 天下普請で徳川家の城造り 豊臣包囲網の構築 外様大名も譜代大名もせっせと城造り 尾張名古屋城 駿河駿府城
天下普請で徳川家の城造り  豊臣包囲網の構築 尾張名古屋城 駿河駿府城 越後高田城 伊賀上野城 外様大名も譜代大名もせっせと城造り 肥後熊本城 信濃高島城 越後新発田城 陸奥白河城 慶長5年(1600)、「関ヶ原の戦い」の戦後処理、すなわち、徳川幕府の論功行賞による大名の大規模な配置換えによって、築城技術が更に発展を遂げる。 この時期、天下普請と呼ばれる徳川氏による諸大名を動員しての築城が頻繁に行なわれたため、各大名が最新の築城技術を会得し技術が広く普及する要因のひとつとなった。 同時に、新たな知行地を得た諸大名は、居城の整備を進めたため、「慶長の築城ラッシュ」と呼ばれる、全国に新たな近世城郭が林立する状態となった。 また、関ヶ原を戦いの前哨戦において織豊系城郭が相次いで落城したことから、これを教訓として城郭は更に進化を遂げることになった。 具体的には、堀の広大化、水堀の多用、曲輪の大規模・単純化、高石垣、多聞櫓、などが進んでいった。 新発田城(新潟県) L字型の建物 屋根に3つのシャチホコが乗っている珍しい 天守建築(復元)

11 領国の拠点整備に邁進 関ヶ原の戦功で筑前52万石 となった黒田長政は・・・ 慶長6年(1601)~11年(1606)
筑前福岡城 関ヶ原の戦功で筑前52万石 となった黒田長政は・・・ 新たに知行地を得た大名は、居城だけでなく領国の国境警備、支配拠点の整備の ためにいくつも支城を新たに築いたり、中世城郭を大改修して近世城郭にした 黒田長政 「大河ドラマ 軍師官兵衛」 黒田官兵衛孝高の息子 関ヶ原の戦功 豊前中津17万石 ⇒ 筑前名島 52.3万石  筑前六支城を豊前国細川忠興領との間に整備して、後藤又兵衛(大坂夏の陣)・ 母里太兵衛(「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話) などの家老達を城主(城代)とした 慶長6年(1601)~11年(1606) 居城 名島城 ⇒ 福岡城 支城(筑前六端城)  若松城・黒崎城・高鳥居城  大隅城・松尾城・真寺城

12 元和の一国一城令 元和元年(1615) 大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した幕府が発令 1.一国に大名が居城とする一つの城を残して、全て廃城にする
元和元年(1615) 大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した幕府が発令 慶長20年(1615) 大坂夏の陣で豊臣秀頼が自刃、豊臣家が滅亡した 「慶長」 ⇒ 「元和」へ改元され、徳川氏による幕藩体制が確立されると、差し迫った戦争の脅威はなくなった。 元和元年(1615) 一国一城令が発令された 幕府にとって、戦も無くなったのに、全国に軍事拠点がゴロゴロあるの脅威 1.一国に大名が居城とする一つの城を除いて、すべて廃城にする。 ⇒ この場合の国は、和泉・河内などの「令制国」と「大名の領国」の両方の意味      を持っている。 2.一国を複数の大名が分割して領有している場合は、各大名ごとに一城。 ⇒ これが一般的。 伊勢7城(長島・桑名・神戸・亀山・津・松坂・田丸)が存続 3.一つの大名が複数の国を領有している場合は、各国ごとに一城。 ⇒ 鳥取藩 池田家32万石  因幡鳥取城(本城)、伯耆米子城(支城) 1.一国に大名が居城とする一つの城を残して、全て廃城にする 2.一国を複数の大名が分割領有している場合は、大名ごとに一城 3.一人の大名が複数の国を領国している場合は、各国ことに一城 廃城となったお城の例 肥後宇土城 安芸亀居城 大和秋山城

13 一国一城令にも例外が・・・ 1.薩摩島津氏に備えて特別許可 幕府は加藤忠広に2城の存続を許可する
いつの世にも例外はある 1.薩摩島津氏に備えて特別許可 熊本城と八代城   元和5年(1620)にも熊本地方には大地震が発生した   右 櫓下の石垣が崩れた熊本城の飯田丸五階櫓   左 大地震で崩壊した麦島城の代わりに新築された八代城 2.幕府への遠慮から複数の国を領有しながら居城の1城とした例も (1) 加賀百万石の前田氏 加賀金沢城、能登小丸山城、越中高岡城を金沢1城   ⇒ 寛永16年(1639)、3代藩主前田利常の隠居城として新城が認可されている (2) 毛利氏 本家の長門萩城を残して、分家の長門櫛崎城、周防岩国城を廃城 ① 吉川広家の周防岩国城は存続できたが、毛利秀元の櫛崎城は廃城となる      こともあり、存続可能な岩国城も廃城とした。    ⇒ 関ヶ原の合戦での遺恨とも云われ、本家と吉川氏との遺恨・確執は         明治維新まで続く。 幕府は加藤忠広に2城の存続を許可する 元和5年(1620)麦島城が地震で崩壊して廃城新城八代城の築城許可 熊本城(飯田丸五階櫓) 肥後八代城 2.幕府への配慮から居城だけに 前田氏  加賀・能登・越中3国 毛利氏  周防・長門2国 加賀金沢城 長門萩城

14 一国一城令にも例外が・・・ 領国が広く居城1城では領国経営に支障がでる場合 伊達氏 仙台城+白石城+21城(要害と称して存続)
仙台伊達氏 宮城県全域・岩手県南部・福島県北部が領国  仙台城 白石城 涌谷要害 金山要害 領国が広く居城1城では領国経営に支障がでる場合 東北地方は領国が広大で、居城1城だけでは領国支配に支障が発生する 1.仙台伊達氏 宮城県全域+岩手県南部+福島県北部   仙台城以外に2支城(白石・一関城)と「要害」と称する城(21城)を存続許可 2.盛岡南部氏 青森県東半分+岩手県 盛岡城以外に1支城(花巻城)と2支藩(七戸・八戸) 3.秋田佐竹氏 秋田県全域 久保田城(秋田市)以外に2支藩(大館・横手) 支藩は大名に列せず。 4,紀州徳川家 和歌山県と三重県南部 和歌山城以外に、付家老の居城(田辺城・新宮城)以外に伊勢松坂城・田丸城 ⇒ 家康の隠居城駿府城を相続した徳川頼宣を和歌山へ移した見返り? 1~3の場合も多少政治的配慮があった 伊達政宗 「百万石のお墨付き」のホゴ   伊達氏  仙台城+白石城+21城(要害と称して存続)   南部氏  盛岡城+花巻城+2支藩(七戸・八戸)   佐竹氏  久保田城+2支藩(大館・横手)   紀州家  和歌山城+田辺城+新宮城+松坂城+田丸城

15 一国一城令にも例外が・・・ 中世城郭を残した島津氏の外城制度 黙認されていた領国経営方式 薩摩島津氏 「麓」と称する城が108城
鹿児島城 帖佐麓 栗野麓 知覧麓 黙認されていた領国経営方式 黙認されていた領国経営方式 1.薩摩島津氏の外城制度 「麓」と称する城(中世の城館を利用) (1) 薩摩(48)、大隅(41)、日向(19) 計108城   (2) 知覧麓 郷士を麓周辺に住まわせ小さな城下町を形成していた 2.土佐山内氏の土居制度 「土居」と称して廃城後の城を維持。 (1) 建物をなくしただけで、城として機能復帰が容易にできるよう維持していた。 (2) 安芸・窪川・佐川・中村・宿毛 5土居 山内家の分家、家老が城代を務めた  薩摩島津氏  「麓」と称する城が108城            薩摩(48) 大隅(41) 日向(19)  土佐山内氏  「土居」と称して廃城後の城を維持            安芸・窪川・佐川・中村・宿毛の5城 土佐安芸城

16 幕末に幾つの城があったか? 明治維新には343城 大名(藩)の城と陣屋 287城 幕府の城と陣屋 56城
  大名(藩)の城と陣屋  287城   幕府の城と陣屋      56城 明治6年(1873) 太政官布令 都道府県と陸軍省に発令   建物の払い下げ   石垣は近代化の材料 幕末にはいくつの城があったのか? 明治維新時には343城 (1) 大名の城(陣屋・支城も含む)    287城 (2) 幕府直轄の城・陣屋(天領代官所)  56城   (3) 黙認されていた薩摩藩・土佐藩の外城・土居は除く 明治の廃城令 明治6年(1873) 太政官布令 市町村と陸軍省に発令 ⇒ 城門(お寺へ)、長屋門(民家へ)、蔵(民家へ) ⇒ 天守閣と櫓、御殿等は「無用の長物」で「薪」としての価値しかなかった。 ⇒ 石垣の石材は、鉄道工事、護岸工事等に流用された。  士族の反乱「佐賀の乱(明治7)」で佐賀城は焼失  西南戦争(明治10 1877) 熊本城天守焼失  城は、やっぱり「軍事施設」 明治の廃城令 鉄道工事や護岸工事に 福岡城の櫓門 (崇徳寺山門)  佐倉城本丸銅櫓

17 現存12天守 国宝5天守 播磨姫路城 信濃松本城 尾張犬山城 近江彦根城 出雲松江城 現在12の天守が残っている。
現存12天守 国宝5天守 播磨姫路城 信濃松本城 尾張犬山城 近江彦根城 出雲松江城 現在12の天守が残っている。 国宝に指定されているのが、姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城 5城

18 現存12天守 重文7天守 陸奥弘前城 越前丸岡城 備中松山城 讃岐丸亀城 土佐高知城 伊予松山城 伊予宇和島城
現存12天守 重文7天守 陸奥弘前城 越前丸岡城 備中松山城 讃岐丸亀城 土佐高知城 伊予松山城 伊予宇和島城 現存12天守の内、重要文化財に指定されているのが、弘前城、丸岡城(福井地震で倒壊したが、復元された)、備中松山城(岡山県高梁市) 四国に4つ残っている 香川県 丸亀城(高石垣の上に建つが小さい天守で、皇居の富士見櫓より小さい) 高知県 高知城(天守に御殿が付属しているのが珍しい) 愛媛県 松山城(逓減率が低い 五層天守を三層にして、上段の四層・五層目を            無くした天守が江戸時代に焼けて、三層の姿に再建された)       宇和島城(藤堂高虎の築いた黒い天守が伊達秀宗が改築?実は新築             した際に漆喰総塗り込めの白い天守になった) 

19 「おらが町のお城にも天守を」と史実にない模擬天守 49城
戦災から復興のシンボル 鉄筋コンクリートで外観を復元・復興天守 25城 紀伊和歌山城 備前岡山城 備後福山城 安芸広島城 「おらが町のお城にも天守を」と史実にない模擬天守 49城 和泉岸和田城 伊予川之江城 日向綾城 戦災で焼失  水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城         戦前には、現存12天守+7城=19城あった。 水戸城以外はいずれも鉄筋コンクリートで外観復元されている。 最近では名古屋城天守が耐震性と老朽化で木造で建て替える動き 復元 写真・図面等の詳細な資料があり、史実に基づいて再築されたもの     鉄筋コンクリート(建築基準法の関連)で外観を元通りにしたが多い 復興 絵図面等の資料、史実に基づいて建築されているが、元通りではない     現在の大阪城天守 秀吉の初代天守の様式で徳川の2代目天守の規模     現在各地にある天守・櫓・城門などは殆どが「復興」 模擬 史実に基づかず建てられたもの 観光目的     戦後建てられた岸和田城天守も模擬天守     元々の岸和田城天守は、五層の天守で下見板張りなので熊本城のように     黒い天守であった

20 江戸時代には100城に天守 讃岐高松城 美作津山城 筑後柳川城 伯耆米子城 常陸水戸城 摂津尼崎城
江戸時代には大小さまざまな天守が約100基あった 幕末に撮られた古写真 高松城 四層で三層目の庇(ひさし)がなく、しかも三層目よりも四層目の方が       大きい「南蛮造り」と呼ばれる天守 四国で一番大きい天守 津山城 この天守も五層天守で四層目と五層目の庇(ひさし)があるが、これ       には瓦が葺かれていないので「五層」ではないと強弁したとか 柳川城 明治維新後も健在であったが、明治5年に原因不明の失火で焼けた 米子城 中村忠晴の築いた大天守と前の城主吉川広家の築いた小天守が       幕末まで両立していた。 ともに風呂屋の薪になった 水戸城 御三家水戸家の天守にしては小ぶり 石垣の上でなく平面に建てられ、       しかも、本丸になく二の丸にあった。 尼崎城 写真の右奧に天守が写っている 現在再建計画が進行中       阪神電車尼崎駅の南側 伯耆米子城 常陸水戸城 摂津尼崎城

21 水戸・高崎・忍・関宿・古河・館林・佐倉・大多喜
関東平野には3城しかない? 武蔵江戸城 上野沼田城 相模小田原城 天正10年(1590) 徳川家康の関東移封 慶長12年(1607) 江戸城天守完成 慶長2年(1597)に真田信幸が築いた 沼田城天守が唯一の五層天守 譜代大名は、幕府に遠慮して 「御三階」称する天守を建てた 水戸・高崎・忍・関宿・古河・館林・佐倉・大多喜 高崎城御三階櫓 江戸時代に関東平野には「天守」と名乗れる城は3城だけ 徳川家康が慶長12年に築いた江戸城天守 余談 家康(慶長)・秀忠(元和)・家光(寛永)と天守が建て替えられた 家光の寛永天守は、明暦3年(1657) 明暦の大火で焼失したが再建されず  ⇒ 再建のため天守台は新築された(現存)  ⇒ 寛永天守と同等に再建される予定の天守の詳細図面は現存する  ⇒ 現実にはあり得ないが、江戸城天守は再建(復元)可能 徳川将軍家への遠慮から天守建築だが「御三階」櫓と称した 関ヶ原の合戦前に、外様大名真田信幸が5層天守を沼田城に築いていた これが原因か 信幸は信州松代へ移封、沼田に分家した長男信吉沼田真田家は、次男信直が 天和元年(1681)に改易となった。 この際、沼田城天守は解体された。

22 四層の天守ってあった? 三層・五層の天守はあるが、四層(=死相)忌み嫌われたが 1.幕府による天守の高さ制限(武家諸法度)によって五層以上の
伊予大洲城 美濃大垣城 幕末の姿 木造で復元された姿 戦災で焼失前の姿 戦後復元された天守 四層の天守があったの?  三層天守・五層天守はあるが、四層(=死相)は忌み嫌われたが  桑名城、大垣城、膳所城、尼崎城、高松城、大洲城、岩国城、大分城の  天守があった  五層天守は、元和の一国一城令以後禁止だった。  五層天守がだめなら、三層より四層の天守が立派に見えるぞ!  愛媛県の大洲城  幕末まで天守があった天守               木造で復元された  岐阜県の大垣城  戦前まで建っていた四層天守               鉄筋コンクリートで外観復元されたが、四層目の窓が大きい 記録では、伊勢桑名城・近江膳所城・摂津尼崎城・豊後府中城も四層天守 1.幕府による天守の高さ制限(武家諸法度)によって五層以上の   天守は国持ちの有力大名に限られた。 2.五層天守は制限があるが、三層より大きい四層天守を築いた

23 天守は他の城から 慶長7年(1602)年に藤堂高虎が築いた今治城から慶長14年(1609)に 天下普請の丹波亀山城へと移築された 美濃金山城
伊予今治城 丹波亀山城 慶長7年(1602)年に藤堂高虎が築いた今治城から慶長14年(1609)に 天下普請の丹波亀山城へと移築された 天守は他の城から移築された 1.今治城天守   慶長7年(1602)に藤堂高虎が築いた今治城の天守は、慶長14年(1609)に   伊勢津へ国替えとなった高虎は、天下普請をしていた丹波亀山城(亀岡市)の   天守として献上した。   現在の今治城天守は、幕末の丹波亀山城の古写真を元に建てられた復興天守   ただ、天守の建っている場所は、以前に建っていた場所とは異なる 2.その他の天守の移築  ① 犬山城 金山城からの移築  ② 彦根城 大津城からの移築  ③ 二条城(家康築城) 大和郡山城からの移築  ④ 二条城(家光築城) 伏見城からの移築  ⑤ 淀 城 二条城旧天守を移築   大和郡山城の天守は、二条城、淀城へと2度も移築されている。   本来、淀城へは伏見城天守が移築される予定であった   二条城(家光時代)の天守台と淀城天守台は同寸法    大和郡山城の天守台と淀城天守礎石と同寸法 移築が証明されている 美濃金山城 近江大津城 大和郡山城 山城伏見城 二条城(家康築城) 尾張犬山城 近江彦根城 二条城(家康築城) 二条城(家光築城) 山城淀城 二条城天守台

24 櫓も城門も他の城から 伏見城・名護屋城の廃城により櫓や門が移築された 領国内の城から移築された 建物だけでなく石垣の石も 大坂城伏見櫓
福山城伏見櫓 仙台城大手門 領国内の城から移築された 建物だけでなく石垣の石も 彦根城多聞櫓 (佐和山城より) 姫路城「と」の門 (置塩城より) 福岡城名島門 (名島城より) 天守だけでなく櫓や城門も移築されている 1.伏見城からの移築 「伏見櫓」の名称として移築元が分かる   大坂城伏見櫓 戦災で焼失した   福山城伏見櫓 新幹線福山駅のホームからよく見える   仙台城大手門 戦災で焼失 名護屋城大手門を伊達政宗が拝領して仙台城の                      大手門とした 2.領内の城を廃城にした際、新城築城際に移築している   建物だけでなく、石垣の石材も移動した   彦根城佐和山口多門櫓~佐和山城大手多聞櫓 よく旧城の名称が付けられる   姫路城「と」の門~置塩城の大手門と伝えられている、この門だけ白木造り   福岡城名島門~黒田長政が筑前に入国した時の居城名島城から

25 お城の楽しみ方 お城の楽しみ方は人それぞれ 楽しみ方が違ってもお城大好き 学芸員などを目指す「お城のプロ」タイプ 研究者
     楽しみ方が違ってもお城大好き 学芸員などを目指す「お城のプロ」タイプ 文献・発掘調査・学会等での論文発表 実地踏査して城の全ぼうを知ろうとする 研究者 タイプ 特定の「武将をとことん知ろう」とするタイプ 「歴女」と呼ばれるような女性に多い 歴史好きな人もこのタイプが多い 武将派 タイプ 建物もない「城跡」でも満足するタイプ 想像豊かに往時の城の姿を思い浮かべて いるロマンチスト? 想像派 タイプ お城の楽しみ方は人それぞれ (1) 研究者タイプ 学芸員などを目指す「プロ」志向の人 ⇒ 文献・発掘調査・学会等での論文発表 ⇒ 実地踏査して城の全ぼうを細かく知ろうとする (2) 武将派タイプ     武将が大好きで特定の武将をとことん知ろうとして                   お城を訪れる人 ⇒ 「歴女」と呼ばれる女性にこの傾向が強い (3) お城大好きタイプ 建物もない「城跡」にいて往時の姿を想像たくましい人 ⇒ 「研究」ではなく「気楽に」お城が好き ⇒ 自ら研究しないが、知識が豊富 ⇒ 建物(移築門等)、石垣、石垣刻印等のマニア ⇒ コレクター的な要素もある。 お城グッズの収集   ⇒ 同好会的な会への参加 結構定年後の趣味に

26 日本100名城を訪ねる 日本城郭協会が2006年に選定 2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募
2006年4月6日 「城の日」に認定した 選定基準 日本の100名城を訪ねる  ① 日本城郭協会が2006年に選定    ⇒ 2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募    ⇒ 2006年4月6日の「城の日」に認定した(発表は同年2月13日)    ⇒ 観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性         などを基準にして、歴史や建築の専門家などが審査の上で選定した とされる。    ⇒ 2007年6月2日から選定された全国の100城を巡る『「日本100名城」 選定記念スタンプラリー』が開始された。  ② 続日本の100名城も選定    ⇒ 2016年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募し    ⇒ 2017年4月6日の「城の日」に発表    ⇒ 2006年に発表された日本100名城に続き、選定を求める声があった。    選定は約500城の候補から6人の専門家が行った。  ③ 幕末にあった近世城郭が中心に選定されている。    ⇒ 戦国時代の中世城郭、古代の城柵も一部含まれている 優れた文化財・史跡 著名な歴史の舞台 時代・地域の代表 各都道府県から1城以上5城以内 環境保存状況や城郭発達史からの観点 歴史や建築の専門家などの審査の上選定 2017年 続日本100名城も選定された

27 津幡城 ⇒ 那古屋城 ⇒ 小牧山城 ⇒ 岐阜城 ⇒ 安土城
天下統一の軌跡をたどる 織田信長の天下統一への道 信長は戦国大名の中で次々と居城を移しながら「京の都」へ 居城を移す信長の行動は異色 武田信玄も上杉謙信も生涯居城は移していない 津幡城 ⇒ 那古屋城 ⇒ 小牧山城 ⇒ 岐阜城 ⇒ 安土城 信長の天下統一の軌跡をたどる   津幡城~那古屋城~清洲城~小牧山城~岐阜城~安土城へと居城を移す   ⇒ 津幡城   信長の父信秀までの織田弾正忠家の本拠   ⇒ 那古屋城 天文3年(1534)に父信秀が移る 信長は5月生まれ   ⇒ 小牧山城 永禄6年(1563) この城が織田信長自身がはじめて築いた城   ⇒ 岐阜城   永禄10年(1567) 信長が美濃を攻め取り「井ノ口」から改名   ⇒ 安土城   天正7年(1579) 近世城郭の始まり 山頂まで一直線に登城道をつけるのは、「信長の城」の特徴     普通、大手からの登城道は防御のために屈折させることが常識     はじめて信長が築いた小牧山城にも「一直線の大手道」がある 安土城大手道 (復元図) 安土城大手道 (現 状) 岐阜城

28 地元の歴史散歩 琵琶湖の水運ネットワーク 琵琶湖4城 安土城の後は近江八幡 長浜城 大溝城 羽柴秀吉 津田信澄 明智光秀 安土城 坂本城
琵琶湖の水運ネットワーク 琵琶湖4城 長浜城 大溝城 羽柴秀吉 長浜城 津田信澄 大溝城 明智光秀 坂本城 安土城 安土城の後は近江八幡 観音寺城 近江八幡城 坂本城 山頂に残る石垣 城の堀だった八幡堀 琵琶湖4城で水運ネットワーク 琵琶湖の西側にある西近江路(湖西線ルート)や若狭街道、東側にある北国街道や中山道は、近畿と東海・北陸を結ぶ主要幹線 琵琶湖が水路として活用されていたから、信長が安土に築城したのも納得できる 天正7年(1579)に信長が安土城を築くより前に、明智光秀の坂本城が元亀2年 (1571)、羽柴秀吉の長浜城が天正3年(1575)にすでに築かれていた。 坂本城は、比叡山延暦寺の焼き討ちのあとに築かれており、長浜城は天正元年(1573)に浅井氏を滅ぼしたあとに築かれている。 天正6年(1578)、信長はさらに安土城の対岸に大溝城を築城し、甥っ子の津田信澄を城主にする。 こうして、坂本城、長浜城、安土城、大溝城という琵琶湖湖畔に四つの城が築かれた。 地図上で見ると、信長の築城した四つの城、長浜城,大溝城,安土城,坂本城すべて湖岸に造られ、それも等距離にあり、ネットワーク結ばれている。 一般的な説明として、信長は湖上水運の掌握・支配をねらって築城されたとされている。 安土城廃城後には、豊臣秀次が近江八幡に城を築いて安土の町ごと移転した 「近江商人」の町の始まり 

29 地元の歴史散歩 京都の「二条城」は3城もあった 慶長6年(1601) 徳川家康が築いた二条城
二条殿御池城 二条古城 慶長6年(1601)  徳川家康が築いた二条城 天正4年(1576)  織田信長が京の宿舎として築いた城 永禄12年(1569) 織田信長が足利義昭のために築いた城 「二条城」は3つあった 徳川家康の築いた二条城    慶長6年(1601) 織田信長の築いた二条城    天正4年(1576 ) 足利義昭の居館となった二条城 永禄12年(1569)   二条殿御池城で天正10年(1582)に「本能寺の変」の際、信長の嫡男信忠は   この城にいて、明智勢に攻められ自刃している   足利義昭の二条城は、義昭を担いで上洛した信長が、義昭のために築城した   足利義昭を追放した後に破却している

30 石垣や土塁を楽しむ 近世城郭は石垣の美しさが見どころ 野面積みの石垣 (安土城) 切込みハギの石垣 (大坂城) 打込みハギの石垣 (津山城)
巨石を用いた鏡石 (大坂城) 1.石垣の美しさ  (1) 近世城郭の高石垣   ⇒ 大坂城、伊賀上野城、熊本城等々 扇の勾配  (2) 巨石を用いた鏡石 大坂城蛇石等      ⇒ 鏡石の裏には石垣が別に積まれている 見せる石垣 2.石垣の積み方 (1) 自然石を積み上げた「野面積み」 (2) 人工的に切り出した石を積み重ねる段階で加工した「打込ハギ積み」 (3) 切り出した石を積みやすいように積む前に加工した「切込みハギ積み」 (4) 河原の石を積み上げた「玉石積み」(珍しい例)   (5) 算木積み 角の部分長い石を交互に重ねる積み方     ⇒ 熊本地震で飯田丸五階櫓は算木積み部分で辛うじて支えられていた (6) 野面積みが一番丈夫(石垣に隙間があるので自然に内部の排水される)   ⇒ 一番弱いのが明治以降の補修・積み直した石垣     ⇒ 地震で崩れた熊本城石垣の殆どが積み直した石垣 玉石積みの石垣 (横須賀城) 算木積みの石垣 (大坂城)

31 石垣や土塁を楽しむ 近世城郭も「土の城」が主流 京洛中を取り囲んだ太閤の「御土居」 天正19年(1591) 豊臣秀吉が築く 全長 約22km
天正19年(1591) 豊臣秀吉が築く 全長 約22km 北 鴨川の堤防を兼ねていた 西 北野天満宮付近 南 東寺南側付近 大宮交通公園 大宮土居町 土塁を楽しむ 京洛中を取り囲んだ「太閤御土居」 1,御土居は、天正19年(1591)に豊臣秀吉によって築かれた。 (1) 秀吉が築いた京の惣構え「御土居」は、北区柴竹の加茂川中学校付近が     北端で、鴨川(賀茂川)によって川の堤防も兼ねて築かれている。  (2) 南端は東寺の南側、西端は北野天満宮境内西側から西大路のラインと 全長22kmにも及ぶ長大なものだった。 (3) 京の都を取り囲むように土塁を築き、土塁の外側には堀を設け、虎口を     10ヶ所設けられた。 2.分厚く高い近世城郭の土塁   土塁を見て回るようになるとお城マニアの一員

32 縄張りを楽しむ 但馬竹田城 縄張りを楽しむ 天空の城 但馬竹田城の縄張り図 縄張り図とはお城の設計図 縄張りは全体の平面計画、平面形態を指す
天空の城 但馬竹田城の縄張り図 縄張り図とはお城の設計図  縄張りは全体の平面計画、平面形態を指す ⇒ 城郭研究では現存する城跡の構造を確認(踏査)して、その防御上の意味を     解釈しつつ詳細に描いた図を縄張図と呼んでいる。 ⇒ もともと城郭は敵の攻撃を防ぐために造られたもので、敵の攻撃をいかに防ぐ か、攻めてくる敵をいかに迎え撃つか、といったことを意識して造られている。

33 縄張りを楽しむ 縄張り図はお城の 設計図 縄張り図を片手に 山城歩き 攻め手の気分で 守り手の気分で 若狭国吉城 弘治2年(1556)
縄張り図を片手に山城歩き  国吉城  越前と若狭の国境を守る山城         織田信長の越前攻めに際して本陣を置いた城  縄張り図 図書館やインターネットから手に入れる   縄張り図を片手に見て回れば迷わず、くまなく見ることができる  (1) 攻め手の気持ちになる   ⇒ 攻め手の気持ちになって縄張りを見ることのおもしろさが分る。 (2) 城主の気持ちになる  ① なぜこの地にお城を築いたかを考える  ② お城には軍事目的だけではなく、見張り、街道の押さえ、威光を示す、     もちろん居住等々、いろんな目的があった。 ③ このお城は、どういった目的で築かれたのか、街道はお城に対してどの       方角にあるかなどを見ていくと興味が倍増する。 若狭国吉城 弘治2年(1556) 粟屋勝久によって 築かれた。

34 ひたすらお城めぐり ここまで来ると病気かも? 自分の征服欲を満たすため、あるいは人より多くの城郭を巡ることに生き
甲斐を見つけ、家族の冷たい視線をものともせず、ひたすらお城をめぐる ひたすらお城をめぐる 1.スタンプラリー派の城めぐり 地域にあるあらゆる城館(石碑だけ、推定地も)を季節に関係なくめぐる 2.山城探検隊の城めぐり 地形図を頼りに「調査」と称して籔こきしながら山城を歩く  ⇒ 自ら縄張り図を作成する「研究者タイプ」に多い 自分の征服欲を満たすため、あるいは人より多くの城郭を廻ることに生き甲斐を 見つけ、ひたすら城郭を廻る。 これには相当の根性がいります。 当然休みは城郭巡りに明け暮れることになり、奥さんからは見放されることに。 根性いりますよ。 ⇒ ここまで来ると「お城病」とも云える一種の病気 ⇒ もうすでにドップリと浸かっていますね  私も。  ⇒ ご静聴 ありがとうございました


Download ppt "お城よもやま話 中西 徹 (雲海に浮かぶ但馬竹田城) 1.奈良市在住 (1) 唐招提寺・薬師寺が徒歩10分ほど離れたところに先祖代々から在住"

Similar presentations


Ads by Google