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自分は何事も器用にこなせて世渡りもうまいから将来は医学部の教授になってたくさんお金を稼いで幸せな人生を送れる
下記はあくまで架空の事例 自分は何事も器用にこなせて世渡りもうまいから将来は医学部の教授になってたくさんお金を稼いで幸せな人生を送れる 自分は何事も不器用で要領が悪いから,正直医者をやっていく自信がない.かといって医学部に入ってしまったし,親の顔を潰すわけにはいかないから,国家試験は通りたい.2年間の研修を無事終えたら,その後は・・病理とか,製薬企業とか,臨床を離れるのも,立派な選択肢だと思うけど・・
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不器用な人のための不器用な私によるnarrative
職を転々とする:私にとっての意味 不器用な人のための不器用な私によるnarrative 法務技官・矯正医官 池田正行 高松少年鑑別所(高松刑務所併任)
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今日のお話 不器用な自分に気づかない苦しさ・気づく苦しさ 職を転々とした 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
なぜ転々と「したのか」? なぜ転々と「できたのか」? 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
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幼いころから,私は重症の引きこもり愛好症でした(と一応過去形にしておきます)。母親は,果たしてこの子はまともな社会生活が営めるのだろうかと,ひどく心配したものでした。将来は内閣府の奥まった一室に引きこもって世論操作の仕事がしたいと思っていたぐらいなので,自分が医者に向いていないことはわ かっていました。ご多分に漏れず趣味はゲームで,一番得意だったのが,苦手科目克服ゲームで偏差値を上げることでした。ですから,医学部に合格したときは 大喜びでした。医者になる過程で引きこもり愛好症が克服できる。キャリアをおもちゃにした弱点克服ゲーム上級編へ進めると思ったからです。 何しろ,筋金入りの引きこもり愛好症です。現場へ出るようになってからも,毎日毎日, 「精進しろ」「勉強が足りない」と,私の中にすむ審査官が,私を責め続けました。そして,いつも最後に出てくる,あの決まり文句。「医者が自分の天職だと 思えないのだったら,医者なんか辞めちまえ!」。彼のそんな暴言が,当初はひどくこたえました。何度辞めようと思ったことか。
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週刊医学界新聞(第2911号 2011年01月10日) こういうところで精神科というツールに
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不器用な人御用達のお店もやってます
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私の学生時代(40年前入学) ー「医者にはなるな」という警告が氾濫ー
偏差値が高いという理由だけで医学部へ 卒後への不安感で一杯 「人助けをしたい」と公言して憚らない医学生を馬鹿にしていた&羨ましかった 自分は命と金のやりとりなんてやくざな商売には向いていないと思っていた 患者さんの転帰は期待通りに行かない場合の方が多いことをもちろん知っていた 生きている人間と事故と裁判とを恐れていた 卒後の進路は病理か法医学と決めていた
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そもそも医者が嫌だった 生きている人間と関わりたくない 御遺体を相手に仕事をしたかったが・・・
競争が嫌→循環器,消化器,外科・・どれも嫌 手先も不器用→婦人科,眼耳鼻・・どれも嫌 わからないことをわかった風に言う奴も嫌 「病気を治す」なんて嘘をつく奴も嫌 でも「医者面をする」ことは諦めたくない 御遺体を相手に仕事をしたかったが・・・ 次善の策としての「わからない・治らない・諦めない」の三ない科
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今日のお話 不器用な自分に気づかない苦しさ・気づく苦しさ 職を転々とした 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
なぜ転々と「したのか」? なぜ転々と「できたのか」? 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
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17枚の在職証明書:キャリアのADHD? 1976:医学部入学(臨床をやる自信はなかったが) 1982:東京医科歯科大学卒後内科一般研修
1984:NTT東日本関東病院(神経内科)* 1986:国立精神神経センター研究所(神経科学)← 1988:旭中央病院(神経内科)* 1990:グラスゴー大学(神経科学)← 1992:東京医科歯科大学助手(神経内科)* 1993:埼玉県立嵐山郷(知的障害・自閉症) 1999:国立犀潟病院(自閉症・精神疾患・神経病理) 2003:厚生労働省(新薬承認審査・薬事行政) 2007:国立秩父学園(自閉症・発達障害) 2008:長崎大学(新薬開発・レギュラトリーサイエンス) 2013:法務省(思春期・高齢者・臨床研究)
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それぞれのキャリアでの要点 役所:行政の途中入社では 製薬企業 大学 病院:経営に参画・他部署との連携 開業:経営と労務管理
役所間の共通点と相違点(厚労省と法務省) その役所特有の掟と役人のメンタリティ 製薬企業 会社員としての心得・社会常識 大学 教授の気持ちを思いやる Conflict Management 病院:経営に参画・他部署との連携 開業:経営と労務管理
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「自分がやりたいこと」の由来 たとえその環境に置かれる前に「やりたいこと」が決まっていても
諸般の事情でできなくなる・見合わせざるを得なくなる なんてことは日常茶飯事 やりたいことって,ある環境に置かれて初めて見えてくるのではないか? それ以前に目の前に患者が来て,初めて「やらねばならないこと」が見えてきて 無数の「やらねばならないこと」が出てきて,その中からようやく「やりたいこと」が見えてくる? でもそれって本当??
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人が行きたがらないところで 人がやりたがらないことをやる
競争がないので日々心安らかに働ける こつこつ働くだけで大切にしてもらえる 葛藤 (conflict) のストレスが少ない職場 Conflict Management不要 無駄な時間がなく、効率的に働ける 競争がない→独創性が担保される じっくり腰を据えて質の高い仕事ができる 嘘じゃないだろうけど,後付けの結果論だよね?
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結局は諸々の行きがかり 1976:医学部入学(臨床をやる自信はなかったが) 1982:東京医科歯科大学卒後内科一般研修
1984:NTT東日本関東病院(神経内科)* 1986:国立精神神経センター研究所(神経科学)← 1988:旭中央病院(神経内科)* 1990:グラスゴー大学(神経科学)← 1992:東京医科歯科大学助手(神経内科)* 1993:埼玉県立嵐山郷(知的障害・自閉症) 1999:国立犀潟病院(自閉症・精神疾患・神経病理) 2003:厚生労働省(新薬承認審査・薬事行政) 2007:国立秩父学園(自閉症・発達障害) 2008:長崎大学(新薬開発・レギュラトリーサイエンス) 2013:法務省(思春期・高齢者・臨床研究)
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今日のお話 不器用な自分に気づかない苦しさ・気づく苦しさ 職を転々とした 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
なぜ転々と「したのか」? なぜ転々と「できたのか」? 精神科に助けられてきた? 「教授」を「やってみたかった」(なりたかった)私
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目的化しやすい手段の数々 ーキャリアパスの落とし穴ー
専門医資格・博士号:特定の領域について期限を定めて学習する契約的手段 論文:自分の仕事を公開審査に供し,仕事をより良質なものにする手段 教授の椅子:人材を育てるための手段 学生から,部下から学んで自分も育つ手段 椅子を譲った後は大学ではできなかった教育を大学外で行う
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教授になるための「必要条件」 十分条件ではないことに注意 タバコを吸わず・大酒を飲まず セクハラ・パワハラをせず 高級外車を乗り回さず
自分と家族が食べていけるだけのお金があれば十分だと思い 自分のコントロールできる範囲を弁え 人をうらやまず 人事で謀略をせず データを捏造せず 十分条件ではないことに注意
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教授の椅子の想定内外:私の場合 想定内:毎日の苦労の数々 想定外 内:マネジメント業:医局という奇怪千万な無法地帯
人事・資金・ conflict 外:右顧左眄の反復:「この野郎」と思いながら 想定外 大学内:Peer(教授会):さすがにここまでとは・・・ 大学内:講義の出席率 大学外:行動制限(教授らしく振る舞う) 大学外:教授の椅子に対するルサンチマンの消失
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裏方としての教授業 今後の課題:教授として優秀な人材を確保できるか?
学生のサポート 卒業&国家試験 休学者率の高まり 既卒者の国試受験サポート 飲酒や男女交際での不祥事防止 発達障害者支援 教室員のサポート 教室運営・研究資金調達
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