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教育と学習の原理レポート 人物伝 内村 鑑三 ○○ 慎之介
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内村 鑑三
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内村鑑三って誰? 日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。 福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自の無教会主義を唱えた。 「代表的日本人」の著者でもある。 上毛かるたの「こ」の人
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年譜 1861年 上州高崎藩士内村宜之の長男として江戸に生まれる。 1877年 札幌農学校入学、「イエスを信ずる者の誓約」に署名 1878年 受洗、洗礼名「ヨナタン」 1881年 首席で農学校卒業、卒業演説「漁業も学術の一つなり」。開拓使御用掛となる。 1882年 父・宜之受洗礼。札幌独立教会設立。 1884年 3月28日、浅田タケと結婚(7ヶ月後破婚)。11月、渡米。 1885年 エルウィン白知院にて看護人として働く。新島襄の紹介によりマサチューセッツ州アマースト大学に入る。 1886年 学長シーリーの人格と信仰の影響を受けて、キリストの贖罪の信仰を得る。 1888年 ハートフォード神学校を退学し、帰国する。新潟の北越学館に赴任。12月に宣教師らと衝突して、辞職、帰京。 1889年 東洋英和学校、東京水産伝習所、明治女学校に教える。 7月31日、横浜加寿子と結婚。 1890年 9月に第一高等中学校嘱託職員になる。 1891年 1月9日、不敬事件。 4月19日、妻加寿子が病死
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年譜 1892年 大阪の泰西学館に赴任。 12月23日、岡田シズと結婚 1893年 著作活動を始める。処女作は『基督信徒のなぐさめ』同書で「無教会」という言葉を初めて使った。泰西学館辞任。熊本英学校赴任。8月すぐに辞任して京都に住む。 1897年 「万朝報」の英文欄主筆になる。 1901年 「無教会」を創刊。黒岩涙香らと「理想団」を作り、社会改良運動を行う。 1902年 角筈聖書研究会を自宅で始める。 1903年 日露非開戦論、戦争絶対反対論を「萬朝報」「聖書之研究」で発表。萬朝報客員を辞す。 1907年 4月13日、父宜之が死去する。 11月、角筈より柏木に移転 1912年長女ルツ子が病になり信仰の導きを笹尾鉄三郎に委ねる。1月12日ルツ子が死去する。ルツ子の死を通して復活信仰を得る。 1918年 中田重治、木村清松らと共に、再臨運動を始める。 1930年 3月28日死去、遺言により「聖書之研究」は廃刊、内村鑑三聖書研究会解散。
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無教会主義 内村鑑三によって提唱された日本に独特のキリスト教信仰のあり方で、プロテスタントに分類される場合が多い。
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無教会主義 無教会主義は「教会」よりも「キリストの十字架」を重んじると言われ、実際に内村鑑三はキリスト教は十字架教であると言っています。 無教会主義は、教会主義・教会精神からの脱却を目指す主義であり、ある意味では教会に所属する・しないといったことに無頓着な主義であるとも言えます。 そのため、教会に所属しながら無教会主義であることも可能です。
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著作 # Representative Men of Japan 『代表的日本人』 # 『基督信徒のなぐさめ』 年の内村鑑三の処女作。「無教会」という言葉が初めて使われた作品##『求安録』 # 『地人論』 # 『後世への最大遺物』 # 『デンマルク国の話』 # 『内村鑑三所感集』 # 『キリスト教問答』 # 『内村鑑三/岡倉天心』 # 『内村鑑三の伝道論 - なぜ宗教が必要なのか』
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参照 Wiki 画像 内村鑑三 上毛かるた キリスト BGM 天空の花の都
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おわり
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