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メディア社会文化論 2015年11月05日
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2.5 地球村 クリントン政権の副大統領ゴアの「情報スーパーハイウェイ構想・・・(マクルーハンの)グローバル・ヴィレッジを実現するためのもの(濱野保樹『大衆との決別』(p.135) 「「グローバル・ヴィレッジ」とは、マクルーハンが提唱したヴィジョンで、電気メディアのネットワークが人間の神経系のように張り巡らされて、地球を一つの共同体にするというものである」(同頁)。
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(『グーテンベルクの銀河系』p.53でのシャルダンからの引用)。
「あたかも自己拡張を行うかのように人間はおのがじし少しずつ地球上に自分の影響力の半径を拡げていき、その反面、地球は着実に収縮していった。・・・昨日の鉄道の発明、そして今日の自動車や航空機といった手段をとおして、各人の身体的影響のおよぶ範囲は以前は数マイルにかぎられていたものがいまでは何百哩どころかそれ以上にも及んでいるのである。それどころか、電磁波の発見によって代表される途方もない生物学上の事件のおかげで、各個人は海陸とわず、地球のいかなる地点にも(能動的に、そして受動的に)みずからを同時存在させることができるようになった」
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マクルーハン自身による「地球村」の説明 「われわれの五感のこの外化こそ、ド・シャルダンが「精神圏」と呼ぶもの、もしくは世界全体のために機能する、いわば技術的頭脳を創造するものなのだ。巨大なアレクサンドリア図書館の建設にむかうかわりに、世界それ自体が、まさに初期の頃のSF本に描かれていたのとそっくりに、コンピューター、電子頭脳となったのである。」 『グーテンベルクの銀河系』p.53
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後藤のコメント・・・中井正一の機能概念としての図書館とほぼ相通じるイメージ
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(補足)「シャルダン」ウィキペディアより
ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年4月10日)は、フランス人のカトリック司祭(イエズス会士)で、古生物学者・地質学者、カトリック思想家である。主著『現象としての人間』で、キリスト教的進化論を提唱し、二十世紀の思想界に大きな影響を与える。
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印刷文化の否定と地球村 【過去】 印刷文化・・・人間を専門分化、断片化 断片において表音文字や貨幣が普遍的に流通 【これから】
感覚統合→全体的・包括的な人間・・・交通やコミュニケーションの発達によって狭くなった地球の中で共存
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2.6マクルーハンからの発展:広義の(最広義の)メディアを突き詰めればどうなるか
物財、人の情報性の議論に すべての物、人の頭脳、人の体はメディアである 人の頭脳に模したコンピュータ、あるいはコンピュータネットワークも、そのような「人間拡張」の典型としてのメディア
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「すべてのメディアがわれわれ自身を拡張したものであり、新しくものを変形する視力と意識とを提供するのに貢献する」(『メディア論』p.63)。
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神経という伝送路を伝って、脳にそれらの情報が伝えられる。 脳の中でも神経と神経伝達物質の受け渡しがある。
この辺りは初回の授業で詳述か 感覚器官・・・情報の受容体 神経という伝送路を伝って、脳にそれらの情報が伝えられる。 脳の中でも神経と神経伝達物質の受け渡しがある。 また我々の感覚器官の極く近くの延長として眼鏡や補聴器があるし、眼鏡や補聴器のさらなる出先機関として、われわれの代わりに外の世界を記録してくれるのが、テレビカメラとマイクロフォンであると考えることができる。 つまり脳から神経、感覚器官の延長としてマス・メディアを捉えるからこそ、「人間拡張の原理」(マクルーハンの『メディア論』の原題)といえる。
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インターネット社会を予見した地球村 「個々の人々の自分の神経の延長として世界中に神経ネットワークを張り巡らし、世界中の人々と繋がっている」(マクルーハンの「地球村」) 「コンピュータがインターネットを通じて世界中につながっている」(インターネットについてのありふれた記述) 極めて近親性がある、上記2つのイメージ
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メディア概念の拡張 拡張の問題点 メディアと情報を分けられない
物そのものと情報も分けられない(あるいは自分と情報も分けられないし、媒体・神経経路も分けられない、ネット依存の感覚) 物の情報部分以外がメディアといわれるに過ぎない・・・ある物を見る人の視点で、あるいは見るという行為によって、そもそもそのある物は情報になるし、メディアになるので →問題点とはいってみたが、ここがマクルーハンの味噌の部分でもある
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「見る」こと、顔を向ける(方向性、遠近法)ことが、物や人が「情報」となる始まり(端緒)
物財の情報性と、それ以外の情報財の情報性とを区別する視点→ 物財のメディアは、情報がなくてもそれ自体 で意味をもつ 情報財のメディアは通常情報なくして意味がない
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以上の点から、30年まえに亡くなったのに、現代のネット社会の状況をしっかりと予見していたという点は、評価せざるを得ない。
しかし、なぜかマクルーハンには胡散臭さ、いかがわしさもつきまとう。
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マクルーハンの紹介者として、かつて名を馳せた 竹村健一氏http://www. hirax
マクルーハンの紹介者として、かつて名を馳せた 竹村健一氏
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2.7 マクルーハン評価(批判等)の一例 稲葉三千男の批判(「マクルーハン 彼は正しいか間違っているか--“論より証拠”におぼれる教祖」『近代経営』12(12), (1967) (経済雑誌 ダイヤモンド社))・・・著名な東大教授(当時)だが、この論文は知られていない。 「メディアの重層性」の議論と「冷たいメディア」「熱いメディア」の分類の矛盾を衝く
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参考 稲葉三千男教授 経歴は日本版ウィキペディア「稲葉三千男」写真はhttp://www. u-tokyo. ac
参考 稲葉三千男教授 経歴は日本版ウィキペディア「稲葉三千男」写真は 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年3月10日 年9月8日)は、日本の社会学者、ジャーナリズム研究者、政治家。研究者としては、東京大学新聞研究所(現在の東京大学大学院情報学環・学際情報学府の前身の一つ)で永く活躍し、東京大学定年退官後は、東京国際大学教授となった。1990年、革新系候補として東久留米市長に初当選、以降3期12年間市長を務めた
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稲葉によるマクルーハン批判① 「メディアの重層性」の議論・・・関係概念、機能概念による把握
「冷たいメディア」「熱いメディア」の議論・・・それぞれを実体視 (後藤の補足(価値中立でないし、「冷たいメディア」=テレビ、「熱いメディア」=活字と対応メディアも実体視)) →矛盾
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稲葉によるマクルーハン② 「メディアの重層性」の議論・・・プラトン、アリストテレス以来の二元論の延長(イデアと現象、形相と質料の議論)に
“最終的には人間の脳に至る”(マクルーハン)・・・脳を実体視
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稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業を受けた)本授業担当者の意見①
①の批判について マクルーハンも(以前の授業で申し上げたように)、「冷たいメディア」「熱いメディア」を固定せずに、相対的な関係で捉えている(箇所が多い)。→その点で、稲葉の批判は妥当せず。 ただし、テレビ=冷たいメディア、活字本=熱いメディアという組み合わせは譲れないとマクルーハンは考えているようだ。→この点、稲葉の批判は妥当する。
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稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業を受けた)本授業担当者の意見②
②の批判について マクルーハンは二元論というより、小さな二項対立を組み合わせているに過ぎない。よって、プラトン以来の二元論の延長というより、そもそも二元論を要請する「情報vsメディア」という対立を崩したと評せる。→モダニズムを越えるポストモダンの走り。 →この点は稲葉の批判はやや的はずれ。
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稲葉以外のマクルーハンへの批判 (まずは項目列挙)
(1)技術決定論 →ただし共通感覚論との絡みも (2)テレビはいつまでも未完成か? (3)マクルーハンの自己矛盾 (4)非線形的論理への親和性
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稲葉以外のマクルーハンへの批判(1)-技術決定論
技術決定論だという批判 イニスの技術決定論→マクルーハンに影響 「五感の比率の変化の議論」・・・特に技術決定論的
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マクルーハンの「五感の比率の変化の議論」を示すテキスト(文章)
「ある文化圏の内部から、もしくは外部からひとつの技術が導入され、その結果としてわれわれのもつ五感のうち特定の感覚だけがとくに強調され、優位を与えられる場合、五感がそれぞれに務める役割比率に変化が生じるのだが、そのときわれわれの感受性はもとのままではありえないのだ」(『グーテンベルクの銀河系』p.41))
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技術決定論は叩くべきだ。しかし、・・・ まずは技術決定論批判の骨子と「プリクラ」 共通感覚論(中村雄二郎) マルクスの「鉱物商人」の喩え
アランの『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫) こういった感覚の延長としての情報機器 特定の感覚に基づく世界観
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稲葉以外のマクルーハンへの批判(2)-テレビは完成度低い?
低精細度(low definition)や完成度の低さをテレビの冷たいメディアであることの根拠とする・・・ しかし・・・現在のテレビ受像器は高品位 映画同様、DVDとして完成された作品となる。 しかも映画もテレビもNGシーンやメイキング映像等がDVDに付加価値をもたせる手段として使われる。
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テレビの完成度は低い?② →この点では、稲葉の批判が妥当する。
マクルーハンの生きた時代のメディア状況を絶対視して(実体的把握)、理論を作っている面も。 機能概念(中井正一のいうような)で捉えれば、このような走査線の数に囚われた理論にならないはず。
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稲葉以外のマクルーハンへの批判(3)-マクルーハンの自己矛盾
当人は活字文化的な人 子どもに見せないようにテレビを地下室にしまうほど(服部桂『メディアの予言者-マクルーハン再発見』2001年、廣済堂出版社、p.112) カトリックの聖職者は死語かつ学術・宗教の公用語であったラテン語を理解する文字文化エリートでありつつ、オーラル文化を擁護した(対知識人と対庶民の使い分け)のと同様の矛盾かも。
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稲葉以外のマクルーハンへの批判(4)-非線形論理への親和性①
線形的な思考を否定 現在の思考をしばしば中断される情報環境を肯定する すると、我々の思考から論理性や物語性を奪うことになる
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稲葉以外のマクルーハンへの批判(4)-非線形論理への親和性②
もっともこういうような非線形志向への批判・反論としては以下のようなものがある。 我々は本読んでいる途中で食事をしたりスポーツしても、本は継続的に理解できるし ながら読書等をしても、読めるし、 授業も色々な科目を50分ずつ学んでも体系的に理解できる(←脳の睡眠時の整理機能)
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2.8マクルーハンのメディア論からの示唆 全ての事象を相対化して関係性で捉える。 すると、中身と外側、メッセージとメディアに区分けできる。
メディアを実体としてでなく関係性で捉える。
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