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メディア社会文化論 2016年10月20日 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア① 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映画、写真、ラジオ、講義
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア① 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映画、写真、ラジオ、講義 ・・・一方向的、あるいは単一の感覚を高精細度 (cf.High-definition television)で拡張するメディア メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア② 冷たいメディア・・・ (=)テレビ(映画に対するテレビ)
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア② 冷たいメディア・・・ (=)テレビ(映画に対するテレビ) 電話(ラジオに対する電話)などの電気メディア (一般にマクルーハンのこの「電気メディア」を、現代の状況にあわせて「電子メディア」と捉える論者が多い)、 漫画(写真に対する漫画は低精細度)双方向的 演習(講義に対する) ・・・低精細度のメディア、あるいは双方向的なメディア メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア③ マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・個々のメディアで単独に取り出すと訳分からない
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア③ マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・個々のメディアで単独に取り出すと訳分からない あくまでも対にして、相対的な意味で理解すべき あと日常感覚の「熱い」「冷たい」とあえて逆になっている。(クール・ジャズのクールだと) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(参考)Birth Of Cool(1957) マイルス・デイヴィスのグループの当時のアレンジャーのギル・エヴァンス(マイルスの知恵袋と称されたカナダ人ピアニスト)が「ビバップが流れていると、うるさいから女性を口説けない。もっと女性を口説きやすいジャズをやろう」といったのが発端(読売オンライン メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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マイルス・デイヴィスの写真と クールの誕生のジャケット(ウィキペディアによる)http://en. wikipedia
マイルス・デイヴィスの写真と クールの誕生のジャケット(ウィキペディアによる) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア④ 「電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、耳に与えられる情報量が乏しいからだ。さらに、話されることばが「低精細度」の冷たいメディアであるのは、与えられる情報量が少なく、聴き手がたくさん補わなければならないからだ」(『メディア論』邦訳p.23) 。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑤ 「一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い」(『メディア論』邦訳p.23) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。 参与性高い・・・冷たいメディア
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑥ 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。 参与性高い・・・冷たいメディア 参与性低い・・・熱いメディア 「粗い情報だと補完の必要が生じて、参与性が高まる」という議論 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑦ 「熱いメディアと冷たいメディアの使用上の基本的な差違を指摘する一つの方法は、交響楽の演奏の放送と交響楽のリハーサルの放送とを比較対照してみることである。これまでにCBCカナダ放送が放映した最上の出しものの二つが、グレン・グールド( )のピアノ・リサイタルのレコード吹き込みの模様と、イゴール・ストラヴィンスキー( )がトロント交響楽団を指揮した自作のリハーサルの模様だった。テレビのような冷たいメディアが本当に用いられると、この場合のようにプロセスへ巻き込まれないわけにいかなくなる」(『メディア論』邦訳p.32)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・(受け手の)参与性(相対的に)低い
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑧ 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・(受け手の)参与性(相対的に)低い リハーサル・・・未完成品・・・開かれたメディア、モザイク(モザイクについては後述)状・・・参与性(相対的に)高い (cf.アンチロマン、ヌーヴェルバーグ) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(参考)イーゴリ・ストラヴィンスキーhttp://ja. wikipedia
(参考)イーゴリ・ストラヴィンスキー 1882年6月17日 年4月6日)は、ロシアの作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(参考)『春の祭典』初演の様子 (ウィキペディアより)
バレエ『春の祭典』初演。振り付ヴァーツラフ・ニジンスキー。バレエ・リュッス。パリのシャンゼリゼ劇場のこけら落とし公演。指揮ピエール・モントゥー。観客にサン・サーンス、ラヴェル、ドビュッシーらも。 「曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合りあい、野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった 」 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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ストラヴィンスキーとニジンスキーhttp://fr. wikipedia
ストラヴィンスキーとニジンスキー メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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ストラヴィンスキー http://ja. wikipedia
ストラヴィンスキー 及び メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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グレン・グールド略歴①http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴① グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9月25日 年10月4日)は、カナダのピアニスト、作曲家。 かねてより、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏者と聴衆の平等な関係に志向して、演奏会からの引退を宣言していたグールドは、1964年3月28日のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活動からは一切手を引いた。これ以降、没年までレコード録音及びラジオ、テレビなどの放送媒体のみを音楽活動の場とする。同年には、トロント大学法学部より、名誉博士号を授与された。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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グレン・グールド略歴②http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴② ピアノという楽器の中で完結するようなピアニズムを嫌悪し、自分は「ピアニストではなく音楽家かピアノで表現する作曲家だ」と主張したグールドであったが、第1の業績が斬新で完成度の高いそのピアノ演奏であることは異論のないところである。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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グレン・グールド略歴③ http://ja. wikipedia
グレン・グールド略歴③ グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器ではなく対位法的楽器であるという持論を持っており、ピアノ演奏においては対位法を重視した。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多くはペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レガート奏法であった。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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マクルーハンとグールド① 単にトロント大学繋がりというのではない。 グールドもマクルーハンを評価。
レコード>>>演奏会という部分は、リハの番組を重んじるマクルーハンと対立しそう。 ただしピアノで完結しないこと、ホモフォニー(あるいはモノフォニー)でなくポリフォニー志向であることなど、マクルーハンと合致する(後述する非線形性)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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マクルーハンとグールド② 『グレン・グールド書簡集』(邦訳、みすず書房、1999年)にマクルーハン宛の書簡が2本掲載されている(pp ; )。 その注によると、マクルーハンはグールドの持っているラジオ番組で、インタビューを受けている。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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宮澤淳一青学大教授はグールド研究で著名だが、ゴードン著『マクルーハン』(ちくま学芸文庫)の邦訳もしている。また 「グレン・グールドのメディア論――マーシャル・マクルーハンとの関係」(『カナダ研究年報』第21号(2001年9月) )という論文もある(未入手)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド http://book-dvd. blog. ocn. ne
帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑨ 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコードのような熱いメディアに向いている。フランシス・ベーコン( 大法官、哲学者、イギリス経験論の父)は熱い散文と冷たい散文を対照させることに倦むことがなかった。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑩ 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」というような単一の観察と、対照させてみた。受動的な消費者は完成品を求めるけれども、知を追い求める者は警句に赴くのではないか。そうベーコンは言うのであった。警句は不完全であり、深いところで参加を求めるからに他ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪ マクルーハンの文学研究者としての本領発揮
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑪ マクルーハンの文学研究者としての本領発揮 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメディアを)プラスに評価 象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロマン)、ヌーヴェルヴァーグ 作品の完成を拒む 作品を作るという行為そのものを描き、作る行為を相対化 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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象徴主義詩人の極北とされるシュテファン・マラルメとヌーヴォーロマンの騎手アラン・ロブ=グリエ (いずれもウィキペディアからの画像)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫ →作ることの意味を問う芸術の潮流
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑫ →作ることの意味を問う芸術の潮流 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性への崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸術の志向性)・・・当然この「作者の相対化」はコミュニケーションの双方向性にも通じていく →「冷たいメディア」擁護 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬ (写真のインパクトを論じる中で)
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑬ (写真のインパクトを論じる中で) 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあげていく、あの精神の内的身振りというものに目を転じた。このようにして、芸術は外界との対応から内面での創造へと移っていった。既知の世界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそれに参加できるようにする方向へ変わった。いまやわれわれには創造過程に参与する手段が与えられたのである」(『メディア論』p.198) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭ 要は、外界との対応は写真に任せろ ならば、写真家以外の芸術家はそれ以外の仕事を。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭ 要は、外界との対応は写真に任せろ ならば、写真家以外の芸術家はそれ以外の仕事を。 それが内面での創造の過程への着目に。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-活字文化批判①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑮-活字文化批判① 活字文化批判との絡み オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある この反対が活字文化 講義(一方向)と演習(双方向) 文字、活字文化批判-民衆をエリートが支配する道具としての文字 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-活字文化批判②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑯-活字文化批判② 活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判 価値中立的(価値自由)でないという問題(ウェーバーの方法、「メディア社会学」の授業参照) ただし彼の批判する「活字文化」の内実は? 表音文字批判・・・アルファベット批判 表意文字(漢字等)には、やや肯定的 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-アルファベットの特質①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑰-アルファベットの特質① 全ての文字を25文字に集約→文字が普及しやすい。文字そのものは誰でも読める(単語の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及する。 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言葉のより普遍的な流通 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-アルファベットの特質②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑱-アルファベットの特質② 国旗と、それを意味する文字とを比較 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういうことになるか。記号は同一の意味を伝えるであろうけれども、効果は完全に異なるであろう。星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移し変えてしまえば、それと一体化したイメージや経験の質の多くが奪い去られてしまうであろう」(『メディア論』邦訳p.84)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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補足「モザイク」(ウィキペディアより) 「モザイク(英語:mosaic、フランス語:mosaïque)は、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法。石、陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。 」 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(参考)モザイク画の例 http://commonpost. boo. jp/. p=17788、http://navi21
(参考)モザイク画の例 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑲-表意文字① 表意文字・・・先に挙げた国旗に近い要素を留める 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しなかった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のない微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」( 『メディア論』邦訳p.85)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-表意文字②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑳-表意文字② →表意文字・・・部族の言葉 ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた言葉である。・・・よって画一的ではない。 これは誰が話すかということにも関わり、メディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即不離の関係 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア21-表意文字③
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア21-表意文字③ つまり体温や匂いといった触覚や嗅覚を残しているのが表意文字。 そういったものを残すのが、本来のメディアというか、メッセージ性のあるメディア。→その意味で「メディアはメッセージ」に通じていく。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア23-表意文字④
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア23-表意文字④ 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアがそうであったように、こんにちアフリカでアルファベット文字を身につけて一世代もすれば、少なくとも部族の網から個人を解き放つのに充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。 →要するに、部族社会から個人を解放するのが、アルファベットなどの表音文字 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(補足)「ガリア語」(ウィキペディア) 「ガリア人がローマ帝国支配下に入り、征服者の言語であるラテン語が流入するとガリア語に代わってラテン語の変化した俗ラテン語(に後の古フランス語やそれにゲルマン語派が影響を与えたフランス語の元の言語)がひろく使用され(これは現在のガロ・ロマンス語となっている)、ガリア語は6世紀までに死語になっていった。 通常ガリア語はケルト語派のなかのPケルト語的な言語だと考えられている」。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア24-表意文字⑤
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア24-表意文字⑤ 「この事実は、アルファベットで綴られたことばの「内容」には関係がない。それは人の聴覚経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といったメディアの変化の方が重要→ここも「メディアはメッセージ」のバリエーション メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア25-表意文字から表音文字へ①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア25-表意文字から表音文字へ① 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分離とは何か? 「表音アルファベットのみがこのような経験の明確な分割をおこない、その使用者に耳の代わりに目を与え、その使用者をこだますることばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つのである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア26-表意文字から表音文字へ②
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア26-表意文字から表音文字へ② アルファベットなどの表音文字 →視覚優位の社会 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡張するものであるが、文字文化の内部で、それ以外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役割を縮小させる」(『メディア論』邦訳p.86)。 いわばアルファベットの文字の客観性は、視覚以外のメディア(聴覚、触覚、味覚)抜きのメッセージだということ。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア27-論理の線形性①
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア27-論理の線形性① 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な前後関係によって構成される→因果関係で物事を捉える。 しかし因果関係のない連続というものもあるとマクルーハンはいう。 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがなにかから「続いて生じる」というのが、あたかも、そのような連続を作り出す原因のようなものが作用しているかのように感じられ、いまなお、いかにももっともなこととして受け入れられるのである」(p.87)。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(補足) (後藤のコメント)アンケートの独立変数と従属変数の関係も、いわば時間的に先行する独立変数が原因になっていると見立てるものだ。本当は原因とは限らないのに。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 メディアvs冷たいメディア28-論理の熱い線形性②
2.4 メディアvs冷たいメディア28-論理の熱い線形性② 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユークリッド幾何学を自由自在に作れるような気がするのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会の組織に普遍的な形式となっているが、これまでにそれをマスターしたのはアルファベット文化だけだった」(同ページ)。 ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複線的・非線形的に情報が流れる メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 メディアvs冷たいメディア29 グレン・グールドのポリフォニー的な音楽実践にマクルーハンが興味をもったのも、この非線形性への着目と照応しているのでは? メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア30-論理の線形性③
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア30-論理の線形性③ マクルーハンは表音文字を視覚優位の典型として批判的に(G・・・しかし普通に考えれば・・・→表意文字の方が視覚的、表音文字の方は聴覚的では?とも・・・) マクルーハンの考え方・・・表意文字は色々な感覚の経験を籠めている(G・・・それはそうかも) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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熱いメディアvs冷たいメディア31 「熱狂的なナショナリストであった自国語愛好者たちが目的としていた課題のなかに、印刷の力を用いて言語のなかから触覚的性質を早急に抜き去る、ということがあった。いまこの点に注目したいと思う。十九世紀に至るまで英国人たちが彼等の間で語りあってきた英語に関する自慢話というものがあった。それは十六世紀以来英語が洗練純化されてきたというものであった。(つづく)」 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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熱いメディアvs冷たいメディア32 「十六世紀の英語のなかには、触覚性と五感の相互の反響に資するような訛や方言が豊富に残っていた。だが一五七七年にはすでに、ホリンシャッドはサクソン時代からくらべて総体的に彼の時代の英語が洗練の度を加えてきている点を自慢気に語っているのである」(『グーテンベルグの銀河系』pp ) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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(補足)ラファエル・ホリンシェッド (英語版ウィキペディアより意訳)
Raphael Holinshed( 頃)彼の『年代記』を基に、シェークスピアは多くの戯曲を書いたとされる。彼はロンドンに出てウルフという印刷屋の下で翻訳家として働いていた。ウルフは氷河期からエリザベス朝時代までの世界史を書くことをホリンシェッドに提案し、その一部の成果『イングランド、スコットランド、アイルランドの年代記』が1577年に出された。もっとも実はホリンシェッドはこの年代記の寄稿者の一人に過ぎない。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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シェークスピアはこの年代記の第二版(1587)を愛読し、『マクベス』の筋立てと『リア王』『シンベリン』の一部にこれを利用した。
シェークスピアの『リア王』はコーディリアがリア王の復権をめざし失敗するが、元の話しでは成功するし、リア王の発狂もシェークスピアの改変。(ブルフィンチ著野上弥生子訳『中世騎士道物語』岩波文庫による) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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以下、マクルーハンからの引用をし続けつつ、マクルーハンの活字文化批判についての若干の考察
マクルーハンの文字文化、活字文化批判に・・・西欧を中心にして発達した、表音文字の文化への批判 ポストモダン的な西欧近代批判を先取りか 貨幣の蓄積や官僚組織への批判も メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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マクルーハンの貨幣批判とアルファベット批判との相同性 共に地域の枠を越える普遍的なメディアとして機能する
数字によって、働いた労働時間を表示し、異質な労働相互を「翻訳する」するメディアとして機能する(労働価値説を意識) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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「こんにちでさえも、貨幣は農夫の労働を、床屋、医師、技師、鉛管工などの労働に翻訳するための言語である。貨幣が巨大な社会的メタファー、橋渡し、翻訳者であるとすれば--書かれることばと同じように--いかなる社会でも、交換を促進し、その相互依存の絆を緊張させる」。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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「それが政治組織に広大な空間的拡張と統制を許すところは、文字や暦がそうしたのと同じである。それは空間的にも時間的にも、離れたところの操作であると言える。高度な文字文化をもち、細分化のおこなわれた社会では、「時は金なり」だ。そして、貨幣は他の人びとの時間と努力の蓄積したものである」(p )。 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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「貨幣はその専門分化したアルファベット技術に随伴したものであり、グーテンベルクの機械的反覆の形態をさらに新たに強化することになったのであった。アルファベットが未開文化の複雑さを単純な視覚の表現に翻訳することでその多様性を中和してしまったように、兌換紙幣もまた十九世紀に倫理の価値を低下させてしまった」(p.141) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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文字文化が普及→時間は区分、下位区分のできる囲われた絵画的な空間の性格を帯びる(cf「純粋持続」ベルクソン)
時計・・・表音文字の視覚性を前提とする 文字文化が普及→時間は区分、下位区分のできる囲われた絵画的な空間の性格を帯びる(cf「純粋持続」ベルクソン) 「わたしのスケジュールは埋まっています」 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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表意文字から表音文字が世界を支配→印刷術が強まる→視覚優位の社会
視覚優位の社会・・・人間の感覚の包括性を失わせる→経験を断片化し、専門分化させる それぞれの分化した領域(「それぞれの」といっても主に視覚だが)においては、普遍性を獲得・・・外へ外へと広がっていく(外展開・外爆発型) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』→多様な解釈という流れとは矛盾か。どのレベルで捉えるかによるといえばそれまでだが)
外展開型 多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』→多様な解釈という流れとは矛盾か。どのレベルで捉えるかによるといえばそれまでだが) 多様な感覚の融合した文字・メディアであれば、多様な捉え方が可能であるのに。 印刷本の「連続性、画一性、反復性の原理」(p.181)ゆえに、一方向的なマス・コミュニケーション、マス・マーケティングに親和的になる メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性 (G写本時代、カトリック、聖書解釈の権利独占という見方もありうる。「委員会の論理」等)
写本と印刷本の対比 写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性 (G写本時代、カトリック、聖書解釈の権利独占という見方もありうる。「委員会の論理」等) 印刷本・・・抽象化され、視覚優位→一方向性 このような一方向性ゆえ、文字言語を発する者を支配者、権力者、スターに仕立てあげる メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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マクルーハンのイメージする「現代」・・・相互依存の時代 「現代」で必要とされるメディア・・・もう一度包括的な感覚を開くメディア
印刷のような断片化のメディア→電信のような包括的なマス・メディア 線形思考→非線形思考 メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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線形の思考・・・一つの感覚(この場合、視覚)優位であるから成立する
複数の感覚が働き、包括的に人間が世界にかかわるのなら、線形思考は減ってくる。 ハイパーテキストに親和的なマクルーハンの発想とされる。 「WWWのビューワーとして知られている「モザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニアという意味でマクルーハンが使っていたものだ」(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137) メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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モザイク→ネットスケープ→Mozilla Firefox
メディア社会文化論(後藤嘉宏・筑波大)
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