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冷戦期における生物兵器 講義 その4 本講義に関する追加の情報は、以下のスライドに設けられた右の各リンクボタンより参照可能です。 追加情報.

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1 冷戦期における生物兵器 講義 その4 本講義に関する追加の情報は、以下のスライドに設けられた右の各リンクボタンより参照可能です。 追加情報

2 1. 目次 第二次世界大戦の終わり アメリカの生物兵器計画 アメリカの対植物(剤)に関する活動 ソ連の生物兵器計画 スライド 2 - 3
スライド アメリカの対植物(剤)に関する活動 スライド ソ連の生物兵器計画 スライド 注釈:この講義の目的は冷戦期における攻撃的生物兵器計画の重要な局面を端的に概観することである。これまでの講義では主要な生物剤に関する近年の視点を参照してきた。 しかし、特に注目に値する3つの問題は、アメリカとソ連による大規模な生物兵器計画と対植物用生物兵器である。ここで記しておくべきことは、特にソ連の計画に関しては公に公開されていない情報がまだかなり残っているということである。 第二次世界大戦後の初期において進められたイギリスやフランスといった国における計画、若しくは後のイラクや南アフリカの計画に関してはここでは言及しない。それら全ての事例はウィーリス(以下参考文献参照)において再検討されている。 Ref: Mark Wheelis, M., Rózsa, L., and Dando, M. R. (Eds.), (2006) Deadly Cultures: Biological Weapons since 1945, Massachusetts: Harvard University Press. 追加情報

3 2. 第二次世界大戦の終わりに カナダの懸念 「1944年春、諜報報告はドイツ軍が貯蔵武器にボツリヌス毒を追加したと示唆した」。
「カナダ軍首脳部はいかにボツリヌス毒が効果的な生物兵器として使用できるかを証明した実験に強い印象を持った」。 注釈:第二次世界大戦の末期、主要な戦勝国は全て生物兵器が深刻な脅威であると認識した。この例はSIPRI No 18 Donald Avery’sによるカナダの生物兵器計画の分析から引用された(以下の参考文献参照)。カナダは連合国のヨーロッパ大陸への上陸に対するドイツによるボツリヌス毒の使用を懸念した。これらの恐怖は結果的に払いのけられ予防的トキソイドは行われなかったが、ボツリヌス毒は潜在的な生物兵器として残り、今日の一般市民に対して使用された場合、多くの問題を惹き起こすことは明白である。 Ref: Avery, D (1999) ‘Canadian biological and toxin warfare research, development and planning, 1925–45’, In Geissler, E., and van Courtland Moon, J. (Eds.) Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. pp

4 3. 生物兵器としてのボツリヌス毒 「ボツリヌス毒は最も強毒な物質として知られており、ボツリヌス毒はニューロンの小疱体がアセチルコリンを神経筋接合部に放出する1つもしくはそれより多くの融合タンパク質を開裂する亜鉛性タンパク質分解酵素である」。 「ボツリヌス中毒症が大量発生する場合、人工呼吸器、 救急医療ベッドそして熟練人材の必要量が地域当局の能力の限界を直ちに上回り、それは数週間もしくは数ヶ月続く」。 注釈:ここでの引用は「生物兵器としてのボツリヌス毒 」in JAMA vol 285 no 8 , 1059 – による。毒素が生物兵器として使用される場合、直接的に飲食物の汚染若しくは呼吸器管を通じたエアロゾル散布が使用されうる。 追加情報

5 4. 米国生物兵器計画の段階 研究と計画 (1946 – 49) 朝鮮戦争期における計画の拡大 (1950 – 53)
4. 米国生物兵器計画の段階 研究と計画 (1946 – 49) 朝鮮戦争期における計画の拡大 (1950 – 53) 計画再編 (1954 – 58) 限定戦争期 (1959 – 62) 暴動への適応 (1963 – 68) 軍縮と段階的縮小 (1973 – 77) 注釈:これより先の、アメリカの生物兵器計画に関するスライドは、「米国生物兵器計画における陸軍の取り組み」と題された1977年二月の米陸軍報告書(L.L.Laughlin, Jr.著)の情報公開に基づく。このスライドに示された計画の諸段階のまとめから明白なことは、軍事目的による生物兵器生産のための取り組みは25年間継続したというてんである。 Ref: Laughlin L.L., (1977) U.S. Army Activity in the U.S. Biological Warfare Programs, Volume 1, p Cited in Simon Whitby (2001) ‘The Potential Use of Plant Pathogens against Crops’, Microbes and Infection, 3. pp

6 「第二次世界大戦終了時、 CWS (米国化学兵器サービス) は報復的な文脈に限定して化学兵器及び生物兵器の主要な準備任務を整えていた」。 「生物兵器剤と防衛的側面に関する研究にその活動は集中していた。それらは散布装置に関する応用研究、 第二次世界大戦中に大規模に実施された研究開発成果の照合と分析、 そして堅実な研究と開発計画の枠組みの構築」。 注釈:強調しておくことが2点ある。まず、政策は報復目的専用(つまり抑止)であり、第二に大戦期に行われた大規模な計画作業に基づいて、新たな研究開発計画の構築がなされた。つまり本計画は小規模で一時的な取り組みではないということである。

7 年 – 1953年 「最初の限定的な生物兵器による報復能力は1951年に対植物爆弾が開発され、実験され、そして空軍により生産されたときに達成された」。 「最初の広範囲にわたる脆弱性実験は擬似ブチレングリコール、 そして蛍光粒子を使用して、 1950年9月サンフランシスコ湾で実施された」。 注釈:いうまでも無く、冷戦期において、大規模実験が実施された地域の住民に事前的な情報提供はなされなかった。

8 年– 1958年 (i) 「1953年7月、 パインブラフ造兵廠 (PBA)における生物兵器生産施設の建設はほぼ完成していた。1954年の春にはブタ流産菌 (波状熱の起因因子)の最初の生産と共に稼動していた。致死因子野兎病菌 (野兎病の起因因子) の大規模生産はその翌年に始まった」。 注釈:ごく僅かな種類の病原体や毒素が生物兵器に適していると考えられるが、前世紀おいて公表された攻撃的計画に関する慎重な諸研究が、幾つかの国は(それらの限られた種類の生物剤を)有益な兵器用剤として仕上げる準備を整えていたという結論を継続的に示していた。これは受講者が理解すべき重要な点である。

9 年 – 1958年 (ii) 「文民の生物兵器防衛に関する作業グループは、その極度な感染力と散布が容易であることから、 F tularensis(ツラレミアの起因因子) が潜在的に危険な生物兵器になり、疾病と死亡をもたらす実質的な能力を備えていると考えた」。 「1950年代と1960年代において、米軍はF tularensisをエアロゾル散布できる兵器を開発した」。 注釈:ここでの引用はJAMA, vol 285, no 21, 2763 – 2773 における「生物兵器としてのツラレミア」による。明白に、エアロゾル散布された生物剤は呼吸を通じて感染し、救急医療が利用できない場合多くの場合死に至る。さらに、後のソ連による研究は耐性型の生物剤を生産したと言われている。 追加情報

10 年 – 1962年 「1959年の終り、 化学兵器部隊の作戦に関する関心は第二次世界大戦期と比べても前例の無いほどの高まりを見せた。 航空機用の散布装置、ミサイル、無人飛行機そしてその他の下位兵器システムを含む生物兵器用軍需品の要望書を軍部は提出した」。 「1960年夏、国家の生物化学兵器政策では1958年3月から変更されていた 『報復専用』政策が再び有効になった」。 注釈: この当時、限定的戦争に対する懸念が高まり、小規模な紛争において被害者を減少させるため身体不能力をもたらす化学・生物剤に対する関心が高まった。この関心はそれから何度か関心の的となり、最近では「非致死」剤と名前を変えて呼ばれる。

11 年 – 1958年 (iii) 「ソ連の発表は化学・生物兵器が将来の戦争において大量破壊目的に使用されるという見解を明確に示していた。1956年、 通常の戦争における軍事的効果の強化のために生物・化学兵器の使用を米国が準備していると考えた結果、生物・化学兵器政策に改正が行われた」。(太字は原文による) 注釈:生物兵器を学習したことの無い多くの人々は生物兵器が仮想的であると信じがちであるが、ここにそれとは逆の公式見解がある。

12 年 – 1968年 「ベトナム戦争への援助として、この時期の防衛計画において強調されたことは、主要な生物兵器の生産需要が対人及び対農産物の計画に向けられたことであった。パインブラフ造兵廠の生産施設は完成し、1964年と1967年の間、異なる種類の植物性生物兵器剤が生産された。 異なる種類の生物戦用軍需品がPBAに輸送され、補充されそして貯蔵された」。 注釈:1960年代の終わりにさしかかり米国は生物兵器の否定を始め最終的にBTWCが1970年代の初頭に交渉された。しかし、ルイセンコの失敗において遺伝子分野のコミュニティーを破壊していたことから当時のソ連は大規模な攻撃的生物兵器計画において近代的生物学の再建を決定した。ベトナム戦争においてアメリカが合成植物成長調整剤を使用し農産物を攻撃した点は受講者が理解すべき重要な点である。生体制御剤が、生物兵器剤及び化学兵器剤と同様に将来において脅威となる可能性を考えるとアメリカによる計画そのものを注目する前に学習すべき点である。

13 12. アメリカにおける計画の 対農作物的側面 起源 研究 実験 生物剤(特定から生産) 標的
注釈:農産物に対する生物剤の効果を評価するために糸状菌、細菌及び後には病原体を含む、異なる種類の対農産物生物兵器剤 が実験された。25年続き米国軍部の日々の行動と機構に配備できる能力(生物剤と軍需品)を統合するに至ったこの計画の正しい評価は起源、研究、実験、生物剤及び標的といった計画の各側面の分析から展開することができる

14 13. 米における対農作物計画 – 起源 ヨーロッパの農業にたいするドイツの生物兵器による攻撃の可能性を示唆する諜報とメディアの推測は、アングロサクソン系アメリカ人の報復的な対農作物用生物兵器開発の緊要性を高めた。 そのような準備を更に進める推進力となったのは第二次世界大戦後のソ連の対農産物用生物戦能力に関する米国諜報部で報告された懸念であった。 注釈:諜報報告書はドイツの意図と能力及び旧ソ連の大戦直後の生物兵器能力を過大評価していた。にもかかわらず、第一次大戦期におけるドイツの対動物及び対植物生物兵器攻撃は将来の攻撃計画の意図をほのめかす不吉な兆候として認識されていた。

15 14.米における対農作物計画- 研究 1940年代より以後25年に渡って米国において継続された微生物を用いた対農作物計画は次のようにまとめることが出来る。 「菌株の選定、最適成長環境の開発と収穫技術、そして散布に適した方法の準備」。 注釈:英国と米国による対植物生物兵器剤の研究及び開発は、生物剤の選定という点において幾らかの類似性を見せた。英国計画は相対的にかなり小規模で研究所における基礎研究に集中していたが、両国における計画は例えば潜在的な化学・生物兵器使用の研究を行い、生物兵器に関しては菌性植物病原体の潜在的破壊力の研究が行われていた。 Ref: Whitby, S., and Rogers, P. (1997) ‘Anti-crop Biological Warfare – Implications of the Iraqi and US Programs’, Defense & Security Analysis, 13(3), pp. 303 – 317.

16 15.米における対農作物計画- 生物剤と軍需品 1949年までに植物病原菌の生産は米国において可能であると報告された。 「1トンの芽胞が80エイカーの感染した成長作物から収穫することができ、報復的攻撃に必要な十分な量の植物病原菌を6ヶ月以内に確保できる可能性がある」。 5種類の菌性の対農作物病原体が生産され貯蔵することが出来る。 その配備には微粒子爆弾、気球爆弾、クラスター弾といった多種にわたる兵器が使用可能である。 注釈:米国計画にまつわる秘匿性により、スライドで示された5つの病原体の内2種類については一般に公開されいない。それらの全てが、即座に拡散し一定の条件が整えば単一の成長期間に蔓延する菌性の植物病原体である可能性が高いと理解されている。この生物剤の選定は世界において最も重要な食料及び現金作物を考慮しておこなわれている。研究は細菌使用の実施可能性を考察した後、特定の植物病原体の使用にまで進んだ。

17 16.米における対農作物計画- 標的 1950年代までには、ソ連や中国といった共産主義諸国との対抗において、米国の計画能力は戦略的優位と抑止の両方の目的を達成できると考えられた。 ソ連に関してある報告書は、「もし小麦が攻撃された場合、大規模な割合の日常食が脅威にさらされる」とした。 別の報告書は、 「対稲作物攻撃において、中国本土は極度に脆弱的である」とした。 注釈:当時のアメリカの能力は深刻な戦略的及び報復的抑止能力を備えていると考えられた。しかし、21世紀においてもし攻撃的能力を使用した場合、 このタイプ(対農産物)の兵器は大規模な単式農法に頼っている先進国を含む多くの諸国にとって、植物病理学事業が未発達の発展途上国にとって、主要農産物の消費に対する国内的な過剰依存状態にとって驚異的であり、また外来病原体株に脆弱な農産物にとって、特に懸念すべきものである。

18 17. ソ連の計画 (i) 「ソ連の計画は最大でありどの国よりも広範囲にわたる生物兵器計画を進めていたと一般的に考えられた。ソ連共産党の中央委員会の1973年決議に基づく秘密性の高い計画は1992年の3月6日まで続けれた。その計画は、戦術的及び戦略的両方の生物兵器システムの開発と配備を含んでいたと報告されている。計画に雇用された人員のおおよその計算は一般的に2万5千人から6万人とされている」。 注釈:公開文献においてソ連の生物兵器計画に関する全体的な研究は発表されていない。このスライドでの引用はDeadly Cultures John Hartの章(以下参考文献参照)による。 Ref: Cited at p. 132 in Hart, J. (2006) ‘The Soviet Biological Weapons Program’, In: Mark Wheelis, M., Rózsa, L., and Dando, M. R. (Eds.), (2006) Deadly Cultures: Biological Weapons since 1945, Massachusetts: Harvard University Press. pp

19 18.ソ連の計画 (ii) 「20年の期間をかけた我々の秘密計画を通じて、米国と西側同盟国に対する攻撃用に数百トンの炭疽菌、数十トンのペスト菌そして天然痘をモスクワ近郊に貯蔵した」。 「Biopreparat’s 研究所での計画は最も厳重に隠蔽された冷戦の秘密である」。 注釈:入手可能な公開文献は当時の計画に携わった人間の自伝的説明である。これらの引用はKen Alibeck’s の著書「Biohazard」とそれよりは知名度の低いIvor Domaradskij の著作「Biowarrior」(以下の参考文献)による。もちろん、これらの文献における説明は注意深く検証することが重要であるが、大規模な計画が遂行されていた事実は疑いの無いことである。 Ref: Domaradskij, I. V., and Orent, W. (2003) Biowarrior: Inside the Soviet/Russian Biological War Machine, New York: Prometheus Books. Alibek, K., and Handelman, S. (1999) Biohazard: The chilling True Story of the largest Covert Biological Weapons Program in the World—Told from Inside by the Man Who Ran it. New York: Delta 追加情報

20 19.ソ連の計画 (iii) ペスト 「ソ連の科学者は大規模な量の生物剤を兵器に搭載させることができた。ソ連時代に10を超える研究所や数千の科学者がペストを取り扱っていたと報告されている」。 「ロシアの科学者が多薬耐性型のペスト菌株 Y pestisを計画したという主張があるが、これを証明する科学的な公表はなされていない」。 注釈:アメリカの計画は冷戦の前半期に実施された。ソ連の計画の大規模な拡張は冷戦の後半にもたらされた。後者はアメリカの計画とは明確な違いがあった。ソ連計画においては感染性生物剤の兵器化が行われ、それらが遺伝子改変の対象であったという主張がある。ここでの引用はJAMA, vol 283, no 17, 2281 – 2290 「生物兵器としてのペスト」による。病原体の遺伝子改変に関しては、Pomerantsev, A.P. et al (1997) Expression of cereolysine AB genes in Bacillus anthracis….Vaccine, vol 15, no 17/ 及びBorzenkov, V.M. et al (1993) Additive synthesis of regulatory peptide in vivo: the introduction of the vaccine strain of Francisella tularensis producing Beta-Endorphin. Bulletin of Experimental Biology and Medicine, vol 116, no 8, 942 – 944を参照のこと。両文献は西側諸国において懸念を喚起したと考えられる。 追加情報

21 20.ソ連の計画 (iv) 「旧ソ連は大規模な量のマールブルグ病、 エボラ出血熱、ラッサ熱、そして新世界アレナ・ウィスルを生産した。ソ連の研究者はエアロゾルによるマールブルグ病の感染性をサルを使って数値化し、発症にはごく微量の散布で足りることを付き止めた。効果的な抗ウイルス剤とワクチンが欠如していたことがこれらのウイルス開発を危険すぎる行為にし、その兵器化が行われなかったという議論は歴史的な記録により証明されていない」。 注釈:ここでの引用はJAMA, vol 287, no 18, 「生物兵器としてのHemorrhagic Fever Viruses」による。継続的な攻撃的生物兵器計画が兵器の開発に先端生命科学研究を利用した点を、歴史的記録が示唆していることは非合理なことではない。 追加情報

22 参考文献と質問 参考文献 例題


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