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お父上が大正初期本多道場で体験された秘話 師範 谷口彰一郎氏提供
流祖利実翁と利時宗家の記録帳実話 お父上が大正初期本多道場で体験された秘話 師範 谷口彰一郎氏提供
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谷口幸之助氏体験談 鋭い離れ はげしい音と、的中音で胸躍る。 高的中率 生弓会の道場にあった的中記録帳、利実流祖、利時二代宗家のものは、何ページめくっても的中の丸印ばかりで、抜きマークを探すのに苦労した。 掬い上げる手の内 離れは、押し上肩から肘下側に強く働くので、掬い上げる手の内が特徴。堂射に向く。
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激しい弓返り 流祖利実翁の弓返りは向こう弦で止まっていた。
あるとき見物人がこれをとがめた所が、流祖の前腕裏側には弦の中った赤いミミズ腫れがあった。 弦は腕にあたり、向こう弦の位置まで跳ね返っていた。 激しい弓返りの為、しばしば落弓した。当時本多では押し手を強くする修行が行われ、幹部の1人が武徳殿の新築落成の矢渡しの際、落弓して新築の道場の中央に大きな傷をつけ、弓はくるくる回っていて、しばらくして身体の方に倒れてきて、静かに受け止め射礼を何事もなかったように続けた。 流祖の弓返りは、激しい押し手の骨の力の延長である。
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谷口幸之助氏略歴 明治30年 富山県生れ 大正 初期 小山悟楼家(埼玉大宮)に書生として 住み込み、10数年勤務 昭和 2年 結婚
明治30年 富山県生れ 大正 初期 小山悟楼家(埼玉大宮)に書生として 住み込み、10数年勤務 昭和 2年 結婚 昭和 3年 彰一郎氏(現生弓会師範)誕生 昭和 5年 生弓会本部道場(巣鴨)新築移転 昭和 7年 生弓会大森支部(平松先生)隣にて谷口弓具 店開業 昭和 8年 東京渋谷広尾(国学院大学隣)にて谷口弓具 店開業(本多利時、柳原、石岡氏等と接触) 昭和28年 横浜保土ヶ谷に転居 昭和54年 没
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新宿抜弁天の本多道場大正10年頃 谷口幸之助氏の見た新宿抜弁天の道場(往時流祖は西久保八幡神社の祠宮に選出され13年に亘って奉職)では、四天王と言われる方々の修行は極めて激しい矢行きで、射場の方々を唸らせた。 飛中貫は口先だけでなく、心に触れるものがあった。 柳原先生も学生時代、この抜弁天での稽古の空気に魅せられて、ついに一生の弓道人を志す切っ掛けとなった。 現代には高木先生の言う剃刀の射を出せる人は居ない。当時は身体の潜在エネルギーが真の離れを作っていた。 これが口伝の成果であった。
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谷口幸之助氏写真
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