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第2章・補足 ソシュールの言語学 構造主義と記号論 記号の恣意性.

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1 第2章・補足 ソシュールの言語学 構造主義と記号論 記号の恣意性

2 ・「ことばとは「ものの名前」ではない。」
ソシュールの言語学 ・「もの」がありそれに名前を付けただけたものが言語であるという言語観を「名称目録的言語観」「カタログ言語観」という。ソシュールはこれを否定した。 ・「ことばとは「ものの名前」ではない。」 ・フランス語の mouton は英語の sheep とほぼ同じだが、料理して卓上に供されたものを英語では mouton と言うように、意味の幅が違う。 ・言語活動はちょうど星座を見るように、もともとは切れ目の入っていない世界に人為的に切れ目を入れて、まとまりをつけることである。(分節と呼ぶ) ・言葉が与えられることによって、はじめて(意識の上での)認識が可能になる。 2

3 象徴 (symbole) 記号=(シニフィアン、シニフィエ) 違う 意味するものSignifian
意味されるものSignife シニフィエ、    Man Ferfi 男性 Hommes 実体 Woman No 女性 Damen .. 実体 対応は恣意的で、物理的必然性がない。それぞれの言語、社会の構造の中でのみ意味を持つ。「言語」こそ、記号論で言う記号の代表例である。 物理的必然性がある 3

4 記号(言語)の恣意性 「ある言葉が指すものは、世界にある実物ではない。その言葉が世界から勝手に切り取ったものである(分節)。言葉が何を指すかは社会的・文化的に決まっているだけである。自然自身の中にそれを必然とする根拠があるわけではない。こういう特徴をソシュールは言語の「恣意性」と呼んだ。」 外来語が入ってくる前には、日本にはデスクもテーブルも存在しなかった! Desk Table 4

5 (内田樹「寝ながら学べる構造主義」文春新書)
構造主義: 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど自由に、主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、私たちの思索の主題になることもない。 (内田樹「寝ながら学べる構造主義」文春新書) 5

6 田中克彦「言語学とは何か」岩波新書 (1993) ☆☆☆ 田中克彦「ことばと国家」岩波新書 (1981)
参考文献:ソシュールの言語学と構造主義 田中克彦「言語学とは何か」岩波新書 (1993) ☆☆☆ 田中克彦「ことばと国家」岩波新書 (1981) 内田樹「寝ながら学べる構造主義」 文春新書(H14) ☆☆☆ 橋爪大三郎「はじめての構造主義」講談社現代新書 (1988) 池上嘉彦「記号論への招待」岩波新書 (1984) (面白くない本) 贈り物は孤立している。 恩恵も感謝も贈り物にかかわりをもたない。 魂は贈り物に感染しない。 (ロラン・バルト「表徴の帝国」ちくま学芸文庫 p.103.)    (表徴の帝国=記号の王国=日本) 6


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