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Published by引 阮 Modified 約 5 年前
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古代から第一次世界大戦までの 生物戦 講義 その2 本講義に関する追加の情報は、以下のスライドに設けられた右のリンクボタンより参照可能です。
講義 その2 本講義に関する追加の情報は、以下のスライドに設けられた右のリンクボタンより参照可能です。 追加情報
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1. 目次 科学以前の生物戦 初期の生物戦 科学的な生物戦の始まり スライド ( 1 - 8 ) スライド (9 - 16 )
スライド ( ) 注釈:この講義の目的は過去において敵対的な目的で生命科学が不正に利用された歴史を受講者に紹介することである。つまり、将来受講者が不正利用の可能性を理解することができるように、彼らが関わる科学分野の隠された歴史を紐解くことが目的である。 Ref: Geissler, E., and van Courtland Moon, J. (Eds.), (1999) Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. 追加情報
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2. 史実と考えられている生物戦 Thun l’Evequeにおける包囲攻撃 (1340)
城の護衛を退去させるため馬の屍骸を城内に投げ入れる際に包囲攻撃兵器が使用されたことが示唆されている。 カファにおける包囲攻撃 (1346) と「黒死病」 モンゴル軍により疫病患者が要塞化されたジェノバの都市Caffa(現在ウクライナのフェオドシア)に捕捉され、生存者の脱出により疫病(ペスト)がヨーロッパに広がったことが示唆されている。 注釈: 幾つかの歴史的事例(以下の参考文献より)を使うことにより印象的かつ興味深い方法で講義を始めることができる。 Ref: Other examples in Wheelis’s chapter are available if you want to extend the introduction. For the second example the events in Caffa are described in the quote on page 14 of Wheelis, M. (1999) “Biological Warfare before 1914”, Geissler, E., and van Courtland Moon, J. (Eds.), Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. pp 追加情報
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3. 史実であったかどうかの評価の基準 (i) 政治的及び歴史的につじつまが合うこと 評価に値する十分に詳細な内容を備えていること
主張された事実が、出来事が起こった当時の科学的知識の文脈から考えて技術的に実行可能であること。 注釈:本スライドと次のスライドによりウィーリス(スライド2参考文献参照)が彼の担当する章で紹介した基準を使い、歴史的な生物兵器使用の記述・主張に関する慎重な評価を行う。重要な点として、本講義がこの講義のシリーズにおいて適切な科学的アプローチをとる最初の講義内容となることである。この目的において、本スライドの第3の項目に特に注目し、これらの事例が記された当時の感染症に関する前科学的な知識の状況を受講者は慎重に確認する必要がある。 追加情報
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4.史実であったかどうかの評価の基準 (ii)
4. 報告された(疫病の)発生が主張の対象となった戦闘のもっともな結果であること 5. 主張の根拠が明確に文書化されていること 6. 主張を補足する幾分かの証拠を備えていること 注釈: ウィーリスは彼の分析対象である生物兵器使用に関する歴史的な主張の基となった原文献を参照している。これらは受講者が小論文の作成時に必要な場合Wheelis, M. (1999)において再検討することもできる。
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5. ピット砦 1763 (i) 不用意に戦線を拡大した英軍に対し、(米)ポンティアックインディアンが反乱を起こした。ニューヨークからヴァージニアまでの部族を統合し、8つの英軍要塞を制覇し多くの移民が殺害されるか捕捉された。 ピット砦において天然痘が発生する。 民兵司令官のウィリアム・トレントはインディアンとの会合の後、日記に興味深い記述を残している。 注釈: 1763年の天然痘は英軍によって明確に認識されており、この生物剤の作用原理が理解さていなかったにせよ、インディアンがこの疾病に非常に脆弱であることは確認されていた。 Ref: Volwiler, A. T. (ed.), ‘Willium Trent’s Journal at Fort Pitt, 1763’, Mississippi Valley Historical Review, vol. 11 (1924), pp Cited at p. 22 in Wheelis, M. (1999) ‘Biological Warfare before 1914’, In Geissler, E., and van Courtland Moon, J. (2001) Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. pp 追加情報
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6. ピット砦 1763 (ii) トレントの日記は次のように記した。 ピット砦の司令官台帳は次のように記した。
「我々の敬意の印として、天然痘病院から二枚のブランケットと一枚のハンカチを(インディアンに)贈った。これが期待された効果をもたらすことを祈る」 ピット砦の司令官台帳は次のように記した。 「インディアンに天然痘を運ぶため、病院の患者から徴収した雑貨は同対価の物と交換される」 注釈: ウィーリスによる歴史的事例の評価基準を用いると、スライド 2で紹介された2つの歴史的事例に関する主張が疑わしいものとなり、ピット砦における英国の活動が本格的な生物兵器使用の試みた強力な事例として示唆される。この英国の事例は非常にまれであり、(生物兵器使用に関する)比類の無い明白性を示している点を強調しておくことは重要である。 Ref: Wheelis, M. (1999) ‘Biological Warfare before 1914’, In Geissler, E., and van Courtland Moon, J. (2001) Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. pp at p. 23. 毛布2枚 単価20シリング 計 2ポンド 0シリング 0ペンス 絹ハンカチーフ1枚 単価10シリング およびシーツ1枚 単価3シリング6ペンス 計 0ポンド 13シリング 6ペンス
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7. 生物兵器としての天然痘 (i) アメリカインディアンの間で蔓延した天然痘は感染した部族の50パーセント以上を殺傷した。
牛痘への感染が天然痘への感染を防ぐことを証明した1796年のジェナーの発表によりワクチンが広まった。 世界保健機関による1967年から1977年の世界的な働きかけにより天然痘は根絶され、現在一般的にワクチンの投与は行われていない。 注釈: 本スライドと次のスライドは、 Henderson, D.A. et al (1999) Smallpox as a Biological Weapon. JAMA,281, を基にしている(以下参考文献参照)。ここでの目的は、今日においていかに天然痘生物兵器が深刻であるかということを示すことにある。ここでのデータは「講義その4」及び、数トンの天然痘(の細菌)が兵器化されていたと言われている冷戦期のソ連の攻撃的生物兵器計画と照らして精査されるべきである。 追加情報
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8. 生物兵器としての天然痘 (ii) 感染用に必要なウイルス量は低く、一人の感染例からしばしば10から20例の二次的感染が発生する。
12-14日間の潜伏期に加え、天然痘特有の発疹が確認されるまでさらに数日かかることが予想される。 現在多くの人々は免疫を持たないと考えられる。 追加情報
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9. コッホの4原則 疾病の全ての例において病原菌が関係しており、健康な生物からは(病原菌が)確認できないこと。
疑わしい病原菌が分離され、純粋培養できること。 健康な宿主に病原菌を接種すると、それが原因で疾病が起こること。 同じ病原菌が罹患した宿主から再び分離できること。 注釈:19世紀の終わり、正確な科学的方法の応用 (コックの有名な仮説に要約されている) が一連の感染症を惹き起こした生物剤の解明を可能にした。 追加情報
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10. 「細菌学の黄金時代」 「黄金時代」において微生物が原因とされた感染症 炭疽、1876 鼻疽、1882 波状熱、1887
ペスト、1894 ボツリヌス毒素、1896 野兎病、1912 注釈: この期間に様々な感染症を惹き起こした細菌は感染量、環境下での安定性、生産の容易性及び保存と伝染性といった幾つかの異なる性質を備えていたことが解明された。そのうち幾つかの性質が、特定の細菌とそれらの副産物が生物兵器剤としての使用に適したものであることを示した。 追加情報1 追加情報2 追加情報3
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11. 第一次世界大戦期における生物兵器 (i) ドイツは戦時において貴重な騎兵隊や馬のような役畜が敵対する連合国に輸送されるのを防ぐ目的で、鼻疽菌や炭疽菌を使用し、広範囲にわたる妨害工作を実行した。 ここでの妨害工作は、 対人間生物兵器のみを規制する初期の(国際的)合意をおそらく認識していた参謀によって指揮された。 米国における生物剤による妨害工作は貴重な戦争物資の供給を阻止するというより大きな活動の一環であった。 活動の中心人物はドイツ人の両親をもち、米国生まれではあるが、生後の大半をドイツにて過ごした外科医アントン・ディルガーである。 イギリスの封じ込めにより米国に逃げ場を失った ドイツ人船員により東海岸港湾部において、培養された生物剤が馬に投与された。 注釈:炭疽菌と鼻疽菌はドイツによりもたらされ、アメリカの外科医ディルガーにより大量生産された。彼の専門知識は作戦全体にとって不可欠であった。 後のアメリカの調査により彼の生物兵器を使用した破壊工作の多くが確認されている。 追加情報
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12.第一次世界大戦期における生物兵器 (ii)
妨害工作はルーマニアにも拡大した。1916年にルーマニアが連合国入りした際、いくつかの培地が発見された。 また、馬やトナカイという役畜を攻撃するためノルウェーにて作戦が実行された。炭疽菌は毛細管に包まれ角砂糖に埋め込んだ後、動物に与えられた。驚くべきことに、警察の保管庫において当時の角砂糖の1つが最近発見され、現代のポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法において同炭疽菌であることが確認された。 妨害工作の試みはアルゼンチンにおける供給路に対しても行われた。 ドイツほど良く知られてはいないが、フランスも西部戦線において対動物用攻撃を行っていた。 注釈:科学的分析が幾つかの感染症の原因を示した直後に、その知識が第一次世界大戦の両者にとって利用されたことは明白である。これは受講者が踏まえるべき重要な点であると思われる。平和目的で獲得された知識が戦時において深刻な方法で応用された。 Ref: Redmond, C., Pearce, M. J., Manchee, R. J., and Berdal, B. P., (1998) Deadly Relic of the Great War’, in Nature 393. pp Available from 追加情報
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13. 生物兵器としての炭疽菌(i) 炭疽菌は好気性のグラム陽性桿菌で、芽胞形成非運動性種であるといった生物兵器の計画者にとって非常に重要な特徴を有している。 炭疽菌はその生命サイクルにおいて、まず宿主(通常は草食動物)の体内で栄養増殖し、やがて生産された毒素で宿主を死に至らしめる。 宿主動物が死亡した際、細菌は環境抵抗性の高い芽胞を形成し、次の宿主・被害動物に移るまで細菌を保護する。 炭疽菌芽胞は、環境中の分離に非常に耐性が強く、また致死率が高いため、理想的な生物兵器剤である。 注釈: もし炭疽菌芽胞が口や肌から摂取された場合炭疽菌は疾病を発症させる。しかし、人間に対するエアロゾル散布された炭疽菌攻撃は肺を通じて感染し、特に致命的である。 追加情報
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14. 生物兵器としての炭疽菌(ii) 1979年にスベルドロフスクの軍事施設において、エアロゾル化された炭疽菌芽胞が放出される事故があった。結果的に79例の炭疽病と68例の死亡につながったことは炭疽菌吸入の危険性を示している。 肺に沈着した芽胞はマクロファージ(大食細胞)により取り込まれ、 リンパ節に運ばれる。発芽まで長いと60日もかかることがあるが、一旦発芽すれば発病は非常に早い。 注釈:スベルドロブスクでの事件はアメリカとロシアの科学者によって慎重な調査が行われ、炭疽菌を使用した実際の生物兵器攻撃で何が起こりうるカを鮮明に示唆している。 Ref: Meselson, M., Guillemin, J., Hugh-Jones, M., Langmuir, A., Popova, I., Shelokov, A and Yampolskaya, O. (1994) ‘The Sverdlovsk Anthrax Outbreak of 1979’, Science 266, pp Available from
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15. 生物兵器としての炭疽菌(iii) 霊長類からのデータでは、 LD50(半数致死量:暴露した人間の50%を致死させるに十分な量) は2,500 から 55,000個の炭疽菌芽胞の吸入であると予測された。 病原性には抗食菌性の莢膜と3つの毒素成分(防御抗原、 致死因子そして 浮腫因子)を必要とする。 注釈:炭疽菌に関しては大量の研究が行われており、実際には自然に炭疽菌を吸入した例が殆ど無いにも関わらず炭疽菌の性質そのものに関しては多くが確認されている。 追加情報 スライド13参照
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16.生物兵器としての炭疽菌(iv) 芽胞は通常37度の培地で容易に育ち、非常に特徴的な外観を示す。それゆえ、菌の同定は簡単であるが、最近の微生物学者のほとんどは炭疽菌を見たことがないであろう。疾病の早期の兆候は非特異的で診断を困難にする。 ひとたび芽胞が発芽し感染が急激に進行する場合、 被害者の治療には効果的な抗生物質を早期に投与することが必要不可欠である。 炭疽菌に対する予防接種は可能であるが、全人口への投与は非現実的な提案である。 2001年米国における少量の「炭疽菌郵送」攻撃において証明されたように、エアロゾル化された炭疽菌による攻撃の除染は難題である。 注釈: 2001年米国に於ける炭疽菌入り封筒による攻撃も受講者が炭疽菌に関する危険を学習するために必要な事例である。特に(その除染に関して)、おそらく米国の生物兵器防衛施設から流失したと考えられるごく少量の炭疽菌の散布に対する除染費用は数百万ドルを要した。 Ref: Los Angels Times (2002) Contractors’ Cost Overruns from Anthrax Cleanup: $50 Million, 11 September. p. A-33 in printed edition [Online] Available from 追加情報
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17. 1925年ジュネーブ議定書 第一次世界大戦に先立ち、 一連の国際的合意により、毒性兵器に対する規制が制定されていた。
大戦後は国際連盟により追加的な規則に関する議論がなされた。 大戦中大規模に化学兵器が使用されたことから、これらの規制は化学兵器に対するものが中心であった。 1925年にポーランド政府により行われた主張に基づき、ジュネーブ議定書では生物兵器の(戦時に於ける)使用の禁止が規制の対象となった。 注釈:「細菌学の黄金時代」の直後にポーランドによって展開された議論を、本講義の受講者は慎重に確認しておく必要があるかもしれない。 Ref: League of Nations, Report of the Temporary Mixed Commission for the Reduction of Armaments, League of Nations document A IX, Geneva, 30 July 1924, p. 29 cited at Mierzejewski, J. W., and van Courtland Moon, J. E. (Eds (1999) ‘Poland and Biological Weapons’, in Geissler, E., and van Courtland Moon, J. E. (Eds,). (1999) Biological and Toxin Weapons Research, Development and Use from the Middle Ages to 1945 (SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies No. 18). Oxford: Oxford University Press. pp 追加情報
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18. 第一次大戦後のフランスによる 生物兵器の準備 (i)
生物兵器に対する懸念は「戦時に於ける細菌兵器の使用」と題された1922年のTrillant報告書で示された。(本報告書は、) 「…フランスによる計画の急速な拡大の動機と根拠に関する詳細な理解を可能にするだけではなく、計画における科学的な基盤も明らかにしている。」 「…特に(部隊)動員期間において、 一般市民といった標的に対して、都市部中心地、 部隊の集合地点、兵舎、駅、工場もしくは工業用地における生物兵器の有効性を示唆した…」 注釈: 戦時における生物剤使用に関する軍事的分析を補佐する科学的な研究をTrillant報告書から明白に確認できる。おそらくそれらの分析の幾らかは第一次世界大戦期における生物剤の使用よりも前に行われていたと思われるが、それに関する記録は見つかっていない。ゆえにフランスによる(生物兵器に関する)研究が我々がまず注目すべきものである。 Ref: Lepick, O. (1999) French activities related to biological warfare, In: Geissler, E. and van Courtland Moon, J. (eds.) Biological and Toxin Weapons: Research, Development and Use from the Middle Ages to SIPRI Chemical & Biological Warfare Studies, no.18. Oxford: Oxford University Press. Cited at p. 71
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19.第一次大戦後のフランスによる 生物兵器の準備 (ii)
Trillant報告書は、 「軍事的役割を果たしうる微生物疾患の評価を行うと同時に、 黄熱病、 ペスト、ブルセラ病(波状熱)、そして口蹄疫が使用可能なものとしてリスト化された」。 「実験研究に関して報告したセクションは、細菌剤の空輸と、細菌剤の散布に対するさまざまな因子の影響とに関するTrillantの所見を掲載している」。 「…自然の雲の物理的性質を全て備えた人工的な微生物の雲を作り出すことが可能であると、実験室での試験が示したことをTrillantは強調した」。 注釈:ここで我々は(生物剤使用の)可能性の分析から実験室で何が可能かを発見するための実験的な作業への移行を確認する。次のスライドは受講者を兵器化の最終段階へと案内する。
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20.第一次大戦後のフランスによる 生物兵器の準備 (iii)
「1925年秋、陸軍省は、 「『輸送機で空輸される特別な装薬(培養微生物)を備えた爆弾』の開発に向けた研究計画を決定した。着地の衝撃時に病原性効果を生む能力のある微生物を含んだ雲を作り出す装置の開発が目的であった」 「1926年9月に全面的な実験が行われた海軍の海上飛行機・ゴリアテより9つの爆弾が投下された。これらの実験結果は 『有効』であっただけではなく、 もっとも重要な(実験室レベルでの)基礎資料の検証を可能にした」。 注釈:ここで我々は生物兵器の完成に向けた科学の応用の始まりを確認する。世界大戦間期において、ソ連、ハンガリー及び日本といった諸国がそのような攻撃的計画を推進し始めたと知られている。次の「講義その2」は第二次世界大戦期における生物兵器計画に注目する。
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