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マリア マザレロ.

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1 マリア マザレロ

2 マリア・マザレロの 生涯は、わずか44年間の短い 生涯でした。

3 M.マザレロ は、モルネーゼで1837年5月9日、10人兄弟姉妹の最初の子どもとして誕生しました。兄弟姉妹の何人かは早くに亡くなりました。

4  労働、信仰、教会の活動への積極的な参加などの特徴を備えた農業を生業(なりわい)とする普通の環境で育ちました。
 そこは、突出した特別なできごとがあるような環境ではありませんでした。

5  M.マザレロの将来への方向付けとそのキリスト者としての円熟に同伴したのはペスタリーノ神父様でした。
 神父様は、27年の間M.マザレロの 聴罪司祭、霊的指導者でした。

6  M.マザレロは、18歳のとき無原罪の聖母信心会会員となりました。
 この信心会は、村の数名の少女たちの提案によって始められました。その会則は、アンジェラ・マッカーニョによる試案をフラシネッティ師が見直したものです。

7 その後、チフスに罹患(りかん)した親戚の看病により、マリアもチフスに感染してしまい、抱いていたプロジェクトは壊されてしまいました。

8  健康が損なわれ、畑で働くことができなくなったので、農業を放棄し、村で裁縫を習い、少女たちにそれを教えることを決断しました。
 村の仲間の若者たちもM.マザレロの理想を分かち合い、この道を進みました。すぐに、それを必要とする少女たちもやってきました。

9  この慎ましい裁縫学校では、小さな孤児院、主日のオラトリオも始まり、教育活動が開始されていきました。
 そして、この教育活動は、この時期にトリノでサレジオ会を創立したドン・ボスコが1864年にモルネーゼを訪問した時から充実していきました。

10  ドン・ボスコは、モルネーゼでのM.マザレロたちの霊的にも教育的にも充実した活動に目をとめ、女子教育に献身する女子修道会を始めるためにこのグループを選びました。

11 ドン・ボスコが「扶助者聖母の娘たちの会」と呼ぶことを望んだ修道会で
1872年8月5日、最初の15名が、 ドン・ボスコが「扶助者聖母の娘たちの会」と呼ぶことを望んだ修道会で 修道誓願を立てました。

12 この新しい修道会の堅固な土台をつくりあげていくため、Sr. M

13 最初の家、モルネーゼ、そして1879年に 本部として移転したニッツアで総長として働きながら、 Sr.M.マザレロは、霊的、教育的な重要な痕跡(こんせき)を残しました。

14 M.マザレロは、小さなモルネーゼの村で少女たちに出会いました。
しかし、そこに止まるのではなく、国境を越えていくまでの勇敢さをもって、宣教の理想を実現していこうとしました。

15 Sr. M.マザレロは、本会の初期の頃に、ご自分のたくさんの娘たちが、フランス、ウルグワイ、アルゼンチンに出発して行くのを目にしました。そして、それに続く姉妹たちが教育事業をはじめていくのでした。

16 最初の扶助者聖母の娘、Sr.M.マザレロは重症な肋膜炎を患い、1881年5月14日、本会の豊かな使徒的実りを願って、ご自身のいのちを神に奉献しました。

17 M.マザレロは、霊性や教育学に関する著書は残していません。それを著す意図も時間も持っていませんでした。また、それを書くだけの教養も有していませんでした。(35歳で書くことを学んだのです!).

18 とは言え、遺された 68 通の手紙のおかげで、M. マザレロは、卓越した「教育者」として認められるようになりました。事実、M

19 聖マリアへの信仰と使徒的な熱意に秀でた無原罪聖母信心会に根をおいたM.マザレロの霊性は、
修徳(人間の努力)と神秘(神の側からの恵み)が統合された霊性、生き方でした。

20 M.マザレロの生き方、霊性の根本的な中核は、キリスト中心、マリアの自分の子どもたちに向かうにあたって敏捷で母性的な存在、教会への忠誠、そして青少年に対するキリスト的な教育への献身です。

21 M.マザレロの生き方、霊性は、家庭にあって修道者のように生きる生き方でもなく、小教区教会の事業に献身するのでもなく、キリスト的教育に邁進することを選択した生き方、霊性です。

22 M.マザレロにとって、生きるとは青少年たちに善をなすことです。それは、理論的に練り上げた ものではなく、単純素朴で、実生活の中で実際的な 方法で生き抜かれた霊性です。それは、カテキズモの中に凝結されたキリスト的基盤の上に立てられた生き方、霊性です。

23 M.マザレロは、農家の娘としての体験と福音的な文化に結ばれた実際的感覚から自分と他の人の心の庭のなかで、絶えず芽を出し、成長し続ける「雑草」を見分けることができました。虚栄心、自己中心、憂鬱、二心、自分に閉じこもること等の雑草を強い心をもって引き抜くのでした。

24 M.マザレロの素晴らしさや倫理的水準の高さなどは、教会の中で、また扶助者聖母会の中で、早くに理解されたとはいえません。

25 ゆっくりと、慎重に、段階を経てM.マザレロの素晴らしさが知られるようになりました。それは、その死から30年後の1911年に列副調査が開始されたことから分かります。

26 M.マザレロが亡くなった後、イタリアでは、単純で特異なことのなかった彼女の記憶はすたれていき、彼女を過小評価していったのに対して、南米では、モルネーゼでM.マザレロを識った初期の宣教女やサレジオ会員たちがその聖性の思い出を保持し続けていました。そしてずっと後になって、M.マザレロの精神とカリスマについて、いっそう深められて話されるようになりました。

27 本会の中で展開していったM.マザレロの役割、本会の創立の時の特別な貢献、本会を強化していった大きな働きなどに関しても、1938年の列副、1951年の列聖の機会に次第に明らかにされていきました。

28 共創立者としての承認 (1935年)、そして何よりも帰天百周年 (1981年)と生誕150周年 (1987年) の記念にあたり、M

29 サレジオ会員とサレジアン・シスターズのいるところ、イタリアをはじめ世界中で、聖M.マザレロへの崇敬が増していっています。

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