1 経済学とシミュレーション&ゲーミング 「ネットワーク・エコノミクス」 京都大学経済学部・経済学研究科 依田高典 2002 年度 日本シミュレーション & ゲーミング学会秋季全国大会 シミュレーション&ゲーミング学の現状と可能性
2 ネットワーク・エコノミクス (Network Economics) 電気通信・放送のような情報通信産業、電力・ガスのようなエ ネルギー産業、あるいは鉄道・航空のような交通産業の総称で あるネットワーク産業の理論・実証の分析 古くは公的規制のかかった公益事業と呼ばれてきたが、現在で は民営化・自由化・規制緩和の取り組みの中で経済成長の牽引 役として期待される主導産業 経済学は最近どのように変わってきているのか ネットワーク産業の経済分析を題材に、ゲーミング & シミュ レーションが受容されるようになってきた背景を説明する。 具体的事例は明日のセッション「進化経済学の話題から」 をご参考下さい。
3 産業組織論 (Industrial Organization Theory) 古い産業組織論 ・ハーバード学派 (Harvard School) SCP パラダイムと呼ばれる構造 → 行動 → 成果という因果関係を想定し 、市場集中度の高い市場では利潤率が高いと考える立場。厳しい反ト ラスト政策を主張し、分離分割による構造的措置が必要と考える。 ・シカゴ 学派 (Chicago School) ノーベル賞学者スティグラー (G.J.Stigler) を中心とし、市場メカニズム を強く信奉し、市場価格理論の分析を堅く保持する立場。競争の自然 淘汰をくぐり向けた企業こそ適者生存の具現であるので、裁量的な政 府の介入は基本的に不要なばかりか有害であると考える。 新しい産業組織論の登場 二つの学派はそれぞれ激しく拮抗しながら、 1950 年代から 1980 年代に かけて米国はじめ各国の実際の産業政策・反トラスト政策に大きな影 響を及ぼしてきた。しかし、二つの学派とも完全競争と独占 ( せいぜい 不完全競争 ) を分析対象とする古いミクロ経済学を基礎に置いていたた めに、巨大な多国籍企業が研究開発から製造・広告まで争う現代の寡 占的な市場を十分に分析出来なくなってきた。
4 公益事業規制 (Public Utilities Regulation) 自然独占性 (Natural Monopoly) ネットワーク産業は巨大な固定資本・インフラ設備を必要とするの で、複数の企業が競争するのが本質的に困難であり、また社会的に も非効率的であると考えられてきた。 公益事業規制 政府は自然独占企業に営業免許を付与する代わりに、価格規制を行 い、資源配分の効率化を図る。 「限界費用価格設定」「平均費用価格設定」「二部料金価格設定」等 規制の失敗 規制企業は費用最小化の誘因を持たず、非効率的な経営に陥る。被 規制企業の事業報酬は事業資産に応じて決定されるので、必要でも ない資本に投資を行う。そして、公益事業の特権を保持しようとし て、官民癒着が発生する。
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6 コンテスタビリティ理論 (Contestability Theory) 需要や費用がすべての企業で等質的であり、市場から退出する際に回収不能と なるような「埋没費用 (Sunk Cost) 」が存在しないような市場をコンテスタブル 市場と呼ぶ。 コンテスタブル市場では、常に新規産業が虎視眈々として、既存企業が超過利 潤を貪ろうものならば、電撃的に参入・退出 (Hit and Run) して利潤をかすめ取 るので、既存企業は超過利潤を享受できず、せいぜい平均費用価格設定に甘ん じなければならない。 それ故に、市場がコンテスタブルであるならば、潜在的参入圧力によって、自 動的に社会厚生上望ましい資源配分が実現するので、参入・退出を制限する公 益事業規制は不要である。 コンテスタビリティ理論の頑健性批判 現実の市場はコンテスタブルではない。市場が僅かでも不完全コンテスタ ブルならば、同理論は成立しない。
7 ボトルネック独占問題 ネットワーク産業の特徴は巨大な資本設備・インフラを必要とすることで ある。電話でいえば、市内交換機から各端末までの市内通信回線網。電力 でいえば、発電所から各需要家までの送電・配電網。ガスでいえば、天然 ガス基地から各需要家までのパイプライン。 このような設備は従来競争の頸木という意味で、「ボトルネック (Bottleneck) 」あるいは「不可欠設備 (Essential Facility) 」と呼ばれてきた 。既存企業がボトルネックや不可欠設備を所有し、新規参入事業者がそれ を利用してサービスを提供する場合、両者の間で公正有効な競争条件を担 保するような政策をとらなければ、競争は期待できない。
8 アクセス・チャージ ボトルネック独占設備を共有する際に支払うべき料金。 増分費用ルール (Incremental Cost Rule) 例えば、既存企業の市内通信網を新規参入事業者に開放する場合に追加 的に発生する保守・管理・運用のような費用のみを単価割して料金を設 定する方式。特に、フォワード・ルッキングといって、過去の投資時に は合理的であっても現行の最新技術から見て合理的とは言えない歴史的 費用の回収を認めない方式が用いられる。アクセス・チャージの下限。 単独採算費用ルール (Stand Alone Cost Rule) N が単独で一から市内通信を建設する場合の資本・設備から保守・管理 ・運用までの全ての費用を単価割して料金を設定する方式。アクセス・ チャージの上限。 無線や CATV のような代替的アクセス技術の登場により、従来のようにボト ルネック独占型の産業構造が急速に崩れつつある。光ファイバー・アクセス 網や次世代形態電話網の建設のような新しいインフラのための投資誘因と両 立できるようなアクセス・チャージ・ルールの策定が火急の課題。
9 ネットワーク外部性 ネットワーク産業には、加入者の需要及び便益がシステムの加入者数やネット ワークの規模のそれ自体に依存する性質。ネットワーク外部性が存在する場合 、需要側に規模の経済性が発生する。もしも消費者がある企業規格やネットワ ークが優位になると予想すれば、消費者はその規格やネットワークに対する支 払意志額を高め、実際その規格やネットワークが優位になる。 過剰慣性 (Excess Inertia) 非効率的な旧技術が既得基盤を持つために、効率的な新技術の採用が阻害 される場合。 過剰転移 (Excess Momentum) 非効率的な新技術が将来普及すると予想されるために、効率的な旧技術を 駆逐してしまう場合。
10 標準化競争 スポンサー無し標準 (Unsponsored Standards) 特定の創業者あるいはそれに準ずるものが財産権を有するわけではないが 、社会的に良く典拠付けられた形式で存在している標準。 スポンサー付き標準 (Sponsored Standards) 単一ないし複数のスポンサーが間接あるいは直接の財産権を有し、他企業 に対して採用を推奨する標準。 合意標準 (Agreement Standards) 米国国立標準協会 (ANSI) に所属する組織のような自主的な標準設定機関に よって制定される標準。 強制的標準 (Mandated Standards) 規制権限を持っている政府機関によって制定される標準。 前二者のタイプの標準は市場競争を経て形成されるものであり、「デファクト ( 事実上の ) 標準 (de facto Standards) 」と呼ばれる。第一の例としてはキーボー ドの QWERTY 配列、第二の例としては VTR の VHS やパソコン OS の Windows が 挙げられる。 後二者のタイプの標準は標準制定委員会の裁量や法令の制定を経て形成される ものであり、「デジュリ ( 公的 ) 標準 (de jure Standards) 」と呼ばれる。
11 ネットワークの経済性 供給側の規模の経済性である「ボトルネック独占」 供給側の規模の経済性の源泉は、規模・範囲・密度の経済性、生産の学習 効果、情報複製のゼロ費用等である。そして、それらの多くは埋没費用・ 取引費用を伴うので、一度発生すると非可逆的な参入・退出障壁を作り出 し、企業に先行者利得を許すことになる。 需要側の規模の経済性である「ネットワーク外部性」 対して、需要側の規模の経済性の源泉は、垂直的・水平的なネットワーク 効果、消費の学習効果、評判効果、顧客適合性等である。そして、それら の多くは消費者の選択変更のスイッチング費用を作り出すので、やはり非 可逆性を生む。
12 複雑系の経済学 ネットワークの経済性をどの企業が占有できるかは予測不可能であり、初 期時点の「ゆらぎ」が大きく影響する。また、ネットワークの経済性は正 のフィードバックを持つが故に、市場の独り勝ち的構造は「ロックイン」 し、長期間持続する。 ネットワーク社会では、従来の主流派経済学が想定する静的・最適な一般 均衡状態のような楽観主義は通用しない。正のフィードバックが故に、複 数均衡の中の最適な均衡に収束する保証はなく、歴史的なゆらぎで早期に クリティカル・マスを獲得した非最適な戦略や技術が採用され ( 過剰転移 ) 、さらに長期間ロックインする ( 過剰慣性 ) からである。 進化論的アナロジー・シミュレーション・実験経済学の重要性の高まり 明日 9/29 午後のセッション「進化経済学の話題から」