ー出世と愛情の板挟みー 作成者:何 資宜
+ 明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医 (軍医総監(中将相当))、官僚(高等官一等)。医学博士・ 文学博士。本名は森 林太郎(もり・りんたろう)。 + 藩医の嫡男として、幼い頃から論語や孟子やオランダ語などを 学び、藩校の養老館では四書五経を復読。当時の記録から、 9 歳 で 15 歳相当の学力と推測されており、激動の明治維新に家族と 周囲から将来を期待されることになった。 + 10 歳で父と上京。東京では、官立医学校(ドイツ人教官がドイ ツ語で講義)への入学に備え、ドイツ語を習得するため、同年 10 月に私塾の進文学社に入った。その際に通学の便から、政府 高官の親族西周(にし・あまね)の邸宅に寄食した。 + このような幼少期を過ごした鴎外は、ドイツ人学者にドイツ語 で反論して打ち負かすほど、語学に堪能であった。著作でドイ ツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引 用も少なくない。
+ 入校試問を受け、第一大学区医学校(現・東京大学医学部) 予科に実年齢より 2 歳多く偽り、 11 歳で入学。 19 歳で本科を 卒業(今後も破られないであろう最年少卒業記録)。卒業席 次が 8 番であり、文部省派遣留学生としてドイツに行く希望を 持ちながら、父の病院を手伝っていた。 + その進路未定の状況を見かねた同期生の小池正直(のち陸軍 軍医総監)は、陸軍軍医本部次長に鴎外を採用するよう長文 の熱い推薦状を出しており、鴎外に陸軍省入りを勧めていた。 結局のところ鴎外は、同年に陸軍軍医副(中尉相当)になり、 東京陸軍病院に勤務した。 + 入省して半年後、東京大学医学部卒の同期 8 名の中で最初の軍 医本部付となり、衛生学を修めるとともにドイツ陸軍の衛生 制度を調べるため、ドイツ留学を命じられた。ドイツでの留 学生活は、主として軍医学講習会に参加することだが、王室 関係者や軍人との交際も多く、王宮の舞踏会や貴族の夜会や 宮廷劇場などに出入りした。
+ ベルリンにいる鴎外は、大和会の新年会でドイツ語の講演を して公使の西園寺公望に激賞されており、留学を一年延長し た代わりに、地味な隊付勤務も経験し、そうしたベルリンで の生活はより「公」的なものであった。このベルリンは、鴎 外にとって生涯忘れがたい一人のドイツ人女性と出会った都 市でもあった。 + ドイツに 4 年間留学したが、鴎外が 26 歳の時に、医学部時代の 親友であった石黒(軍医本部次長)とともにベルリンを発ち、 帰国の途についた。 + 帰国後、鴎外は陸軍軍医学舎の教官になり、 11 月には陸軍大 学校教官の兼補を命じられた(出世コース)。 + なお帰国直後、ドイツ人女性が来日して一カ月ほど( 9 月~ 10 月)滞在して離日する出来事があり、小説「舞姫」の素材の 一つとなった。後年、文通をするなど、その女性を生涯忘れ ることは無かったとされる。
ドイツ三部作 (浪漫三部作) 《舞姫》、《うたかたの記》、《文づかひ》
+ 太田豊太郎 ー将来を嘱望されるエリート官 僚。在ベルリンの国費留学生。 + エリス ー下層階級に育った、ヰクトリア (ヴィクトリア)座の踊り子。父の姓はワイ ゲルト。 16 、 7 歳。 + 相沢謙吉ー 豊太郎の友人。天方伯爵の秘書 官。 + 大臣ー天方伯爵
+ 19 世紀末、ドイツ留学中の官吏、太田豊太郎は下宿 に帰る途中、通りの教会の前で涙に暮れる美少女エ リスと出会い、心を奪われる。 + エリスの遭遇を聞いた豊太郎は、お気の毒だと思い、 彼女の父の葬儀代を工面してやった。それをきっか けに、二人の清純な交際が始まったが、仲間の讒言 によって豊太郎は免職される。 + その後、豊太郎はエリスと同棲し、生活費を工面す るため、新聞社のドイツ駐在通信員という職を得た。 + こうして、二人の幸せの同棲生活がしばらく続けて ゆき、やがてエリスは豊太郎の子を身篭る。
+ だが、ちょうどその際、、、、、、、、、 + 豊太郎は医学部時代の友人である相沢謙吉の紹介で、大臣のロシア 訪問に随行する機会を手に入れ、さらに大臣の信頼も得ることがで きた。 + このチャンスにより、復職のめども立ち、また相沢の忠告もあり、 豊太郎は日本へ帰国することを約する。(出世コースへの道) + しかし、豊太郎の帰国を心配するエリスに彼は真実を告げられず、 その心労で人事不省に陥った。一方、友人の相沢からは豊太郎に代 わり、エリスに彼の帰国予定を告げた。※ 補足資料 + 衝撃の余り、エリスはパラノイアを発症したが、それにしても、治 癒の望みが無いと告げられたエリスに後ろ髪を引かれつつ、豊太郎 は日本に帰国する。 + 「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡 に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」豊太郎の心からの呟 きであった。 ※ 補足資料
(1) この作品を読んで最初に思ったのは何なのか。どん な気持ちになりますか。 → 授業中に答えてもらう。 (2) 豊太郎はどんな性格の人でしょうか。豊太郎と森鴎 外ははやり同一人物なのか。 → 授業中に答えてもらう。 (3) もしあなたが豊太郎ならどう決断しますか。 (自分の人生、他人の人生) (4) もしあなたが豊太郎な、友人の相沢を憎みますか。 (5) もしあなたがエリスなら、どうしますか。 (そのまま運命に翻弄されるか、愛情を守るため行動する か。) ( 6 ) グローバル化になる現在、出世と愛情(友情)の板 挟みになった自分は、どう対処すべきか。 (例:海角七 号)
(1) 主人公(太田豊太郎)には、作者(森鴎外)と いくつかの類似点がある。 (2) 舞姫論争ー最初の本格的な近代文学論争 森鴎外の 『舞姫』が明治 23 年 1 月 3 日に発表されて 一カ月後、石橋忍月は筆名「気取半之丞」で「舞姫」 を書き、主人公太田が意志薄弱であることなどを指摘 し批判。 これに対し、二ヶ月後、鴎外は相沢を筆名に使い、 「気取半之丞に与ふる書」で応戦。それによって、短 期間で激しい論争が交わされたが、忍月が筆を絶つこ とによって収束。 * 石橋忍月:日本の文芸評論家、小説家、弁護士、政 治家。本名は友吉。号は萩の門、気取半之丞、福洲学 人など。
(1)石橋忍月の主張 ・「舞姫」発表の翌月、同じ『国民の友』で反論する。 ・太田の性格と行動は支離滅裂である。(冷酷な人間ではないのに、 独断で帰国を決意した) ・太田は小心臆病な人物であるはず、エリスを弄び発狂させる冷酷 な人間ではない。 ・人物設定からは、豊太郎は功名を捨てて恋愛を取らせるべきで あった。あるいは、そういう人物を主人公にすべきであった。 (2)森鴎外の反論。 ・もし、太田が病気にかからず、エリスが発狂せずに話し合ってい たら、帰国を断念していた。そして、大臣に対する謝罪として自殺して いた。エリスにとっても、豊太郎にとっても不幸な結末になる。 ・豊太郎の意識の中に立身出世と帰国の気持が働いていたことは、 本文中に明記されている。(冷酷ではなく、自分の夢・信念を貫くた め) ※この文学論争は内容が具体的に展開されることなく終わったが、明治二十 年代にふさわしい時代的な論争であった。