クライン学派の継承 精神病理の深化
フロイトが残した間隙 フロイトの不安信号説以降の、ナルシシズム論と対象関係論に伴うモデル変更は、二つの解釈が残る。 フロイトが残した間隙 フロイトの不安信号説以降の、ナルシシズム論と対象関係論に伴うモデル変更は、二つの解釈が残る。 不安に対して自我が重要な認知装置である。エスと自我と超自我モデル。 ナルシシズムと対象関係がもっとも重要な装置である。対象の布置が精神病をはじめ、多くを説明する。 ⇒後者はクライン学派の発展の契機になる
メラニー・クライン 1882-1960 1882年ウィーンに四人兄弟の末っ子として生まれる。 4歳時、二姉のシドニー(四歳上)が死去 メラニー・クライン 1882-1960 1882年ウィーンに四人兄弟の末っ子として生まれる。 4歳時、二姉のシドニー(四歳上)が死去 18歳時、父親モーリス肺炎で死去 19歳時に婚約 20歳時、兄のエマニュエル、心臓発作で死去 22歳時、長女メリッサを出産 24歳時、第二子(長男ハンス)妊娠時に抑うつ状態 27歳時、抑うつでスイスのサナトリウムに二ヶ月静養
32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死去。ハンガリーで分析家フェレンチィを尋ねる、精神分析を受ける。 36歳、国際精神分析会議でフロイトの発表を聞く。 37歳「誕生における家族ロマンス」を提出。 38歳、アブラハムに出会い、39歳、夫のスウェーデン移住を契機にベルリンに移住。メリッタはベルリン大学に入学。 41歳、ベルリン精神分析研究所の会員 42歳(1924) アブラハムとの教育分析開始。メリッタがシュミドバーグと結婚。 43歳、アブラハムの死。妻子あるジャーナリストとの交際、児童分析のセミナーをロンドンで開く。
クライン「子供の分析」 1921年「子供の心的発達」 フェレンチィに刺激を受けて、自分の息子エリックを分析したもの。「なぜ子供は生まれてくるの」などの問いの意味 →スモールトイ技法 おもちゃは自由連想における夢や連想と同じ役割を担う。
ロンドンへの移住によるクラインの発展 44歳(1926)、夫と正式に離婚。恋人との破局。ロンドンに招聘移住。アンナ・フロイトによる早期分析批判 おもちゃ=対象 アブラハムの指摘した対象関係 早期の不安を解釈すること ロンドンのブルームズベリー・グループ
フロイト-クライン論争 クラインとアンナの亀裂 1938年のフロイト家亡命という問題 論争の激化と収束 クライン学派の形成 フロイト-クライン論争 E.Sharpらのロンドン クラインとアンナの亀裂 1938年のフロイト家亡命という問題 論争の激化と収束 クライン学派の形成 1940年代の淑女協定までの間の感情的論争(母と娘の闘争) →独立学派の登場
論点 Ⅰ.当初の主な論点 1)児童分析における導入期の必要性 A.フロイト(以下A)=児童は自発的な決心で治療に訪れないし、病気に対して洞察を持たず、治療への意志を持たない。患者の気分に適応して、分析者を興味ある人物と思わせて、患者にその有用性を伝え、現実的な利益を確認させる「導入期」の必要性 M.クライン(以下M)=その必要性はない。子どもの治療は原理的に大人と一緒である。 2)児童分析における家族の参加 A=情報の収集や状態を把握するために、そして教育的な面でも有用 M=家族の葛藤を巻き込むためにマイナス
3)児童の感情転移 A=児童分析では治療者は鏡というよりも、積極的に働きかけていることが多い。しかも子どもは起源的な対象関係の神経症的な関係を発展させている途上にあるのであって、まだそれは実際の両親との間で現在進行中で、古い版になっていない。そのため感情転移は起こりにくい。 M=3才までに対象関係の原型は作られているので、それ以後においてはすべて起源の神経症を大人の神経症と同様に形成している。感情転移、特に陰性の感情転移こそ治療において重要である。 4)エディプス・コンプレックス A=3-6才の間に形成される。超自我はエディプス葛藤の解決によって形成される(攻撃者との同一化) M=早期エディプスコンプレックスの形成。3才までに完成している。これ以後の子どもは処罰不安を持っている理由はそのためである
5)児童分析での教育 A=教育的要素の必要性。児童は現在も自分のモデルを取り入れ中で、治療者が教育的な視点から「自我理想」であることが重要。 M=分析と教育は違う。早期から形成されている罪悪感や対象関係を深く扱うのが精神分析である。 6)死の本能 A=死の本能よりも自我と精神装置を重視 M=死の本能を理論の根幹に据える 7)解釈 A=自我から本能へ。防衛の解釈からイド解釈へ M=超自我を緩めるための深層解釈。象徴解釈を多用する。
さまざまな分析がクライン学派 1934年 シルビア・ペイン(9ヶ月) ジョン・リックマン(-1941) 1934年 シルビア・ペイン(9ヶ月) ジョン・リックマン(-1941) 1935年 ポウラ・ハイマン(1940) ウィニコットへのSV(1940) ウィニコットが次男エーリッヒの分析を行う(1939) 1945年 ウィルフレッド・ビオン(1953) sv クリフォード・スコット、ローゼンフェルドほか
クラインによる 1934(1935)年に発表された論文 抑うつポジション 抑うつ不安 内的対象internal object 57歳(1939)戦争のためケンブリッジに転居、夫アーサー、スイスで死去 58歳、姉エミリー、ロンドンで死去。スコットランドに疎開。 59歳、症例リチャードを治療。 1941年 アンナ・フロイト-クライン論争がはじまる
投影と摂取(取り入れ) 症例リチャードによる良い対象の取り入れ 抑うつの痛みを耐えるための メカニズム メリッタ、1924
精神病状況の理解 精神病を治療する精神科医たちがクラインからスーパーヴィジョンとワークショップでの議論をする。 クリフォード・スコット クリフォード・スコット ウィルフレッド・ビオン ハーバート・ローゼンフェルド ジョン・リックマンら →相互に関連性がないが、共通して精神病的な世界をクライン理論によって解明できると信じる
リックマン、J 1891-1951 1981年4月10日、クェーカー教徒の家に生まれる。 医師になると、第一次世界大戦が勃発。従軍を薦められるが、クェーカー教徒として拒否、ロシアに避難する。ロシア革命のなかアメリカに逃げ、英国に帰国する。 フロイトに連絡を取りウィーンへ(1920年)フロイトの薦めで、学会員になる。 1924年ジョーンズの英国精神分析協会設立を手伝う。クリニック解説に資力。1926年に医学博士。 1928年ブタペストのフェレンチィに分析を受けに行く。 1930年帰国。1934年医学部門の主任になる。 フロイト-クライン論争のなか、英国と米国の分離のときに指導的な役割を担う。
ローゼンフェルド、H 1910-1986 1910年7月2日 ニュールンベルグでユダヤ人の中流家庭に生まれる。 1910年7月2日 ニュールンベルグでユダヤ人の中流家庭に生まれる。 1934年 ミュンヘン大学の医学部、卒業。1935年にはロンドンへ。ジレスピのセミナーに参加する。 1937-42年 タヴィストック・クリニックで精神療法の訓練 1942- クラインから分析を受ける 1945年 イギリス精神分析協会会員 1947年 訓練分析家 1947年「離人症を伴った精神分裂病状態の精神分析」 1965年『精神病状態』 1964年「生と死の本能の精神分析理論の臨床的一考察」 自己愛、投影同一視、早期の外相などの理論化 1987年『治療の行き詰まりと解釈』
精神病における対象関係 スコットやローゼンフェルドの仕事から 悪い乳房 自我の分裂 スプリッティング 投影同一視 自己愛 自我の分裂 スプリッティング 投影同一視 自己愛 →妄想ー分裂ポジションへ 部分対象の世界
転移と逆転移の新しい理解 転移は過去の反復ではなく、今ここでの実演である。 逆転移は患者からの投影を引き受ける Heimannとの離別(1950) →技法論 1.過程である。解釈への反応を良く見る 2.転移を解釈することの中心性 3.乳児水準の機能にしっかりと根ざす 4.破壊性という全面的に広がる恐ろしいものは、愛情ある人物とバランスをとって焦点を当てる。 Paula Heimann
ビオン、W・R 1897-1979 1897年9月8日 生まれ。8歳までインドで過ごす。3歳下に妹、8歳で英国本土パブリック・スクールに入学。 戦車部隊に入隊し、英国戦車部隊がはじめて作戦を展開したCambaraiの戦いに参戦する。王ジョージ5世からDistinguished Service Order の名誉を与えられる。その後西部戦線の多くの戦いに参加し、多くの名誉に輝いた。 1919年一月から Oxford のQueen College に通う。そこで彼は歴史学(近代)を学ぶ。そこで哲学の教師H.J.Paton に会い、カント哲学などを学ぶ。Bishop Stortford Collegeに戻り、歴史とフランス語を教える。当時ラグビーの選手として名をはせ、水泳チームのコーチであった。ただ性的誘惑を疑われ退職。
精神分析に興味を持ち始め、1923年Londonの University College Hospitalで医学の勉強をはじめ、1929年に資格所得。 そこで外科の医者でグループ心理学に興味を持っていたWilfred Trotter(“Instincts of the Herd in Peace and War” の著者)に会い影響を受ける。 空軍での医官を少し勤め、その後1932年ロンドンで精神科を。
36-51歳(1933-)タビストック・クリニックに勤務(45-6年には所長)。1934-35年 サミュエル・ベケットの治療を行う。1937-39年にジョンリック・リックマンの分析を受ける。第二次世界大戦によって中断。1940年から45年まで医官になり、Northfield Military Hospitalの訓練病棟の主任になる。そこでグループの体験をし、グループについての独自の理論を展開し始める。戦後にタヴィストック に戻り、医学委員会Executive Committee の議長を勤める 43歳(1940) ベティ・ジャーデンと結婚。三年後、1943年に最初の子供、長女Parthenopeが生まれた直後、その最初の妻Betty が死亡する。当時J.Rickman との分析を終え、その紹介で.Klein に二度目の分析を受け始めるところであった。
グループ心性 →構成員の心理とか理性とは関係なく、グループメンバーの理性が阻害されるという事態が起こった。 陸軍病院で、リハビリにはグループが必要と考え、何百人もの人を組織管理するグループ治療を始める。 →構成員の心理とか理性とは関係なく、グループメンバーの理性が阻害されるという事態が起こった。 → グループを入れる容器であるグループ心性group mentality 一つの課題に向かっていく方向--- 後に仕事(作働)グループwork group + 共同cooperation 基底的想定basic assumption--- “protomental"あるいは原子価valency 1)依存基底的想定baD-ある人に絶対的期待や依存をする 2)闘争-逃走基底的想定baF-攻撃すべき敵と闘う、逃げる 3)つがい基底的想定baP---将来起こることの期待、希望 →グループ体験によってクラインの理論を理解する。
48-56歳 メラニー・クラインから分析を受ける。自ら終結。途中51歳 英国精神分析協会精神分析家資格所得、個人開業をする。 54歳(1951)、数年後Tavistock の人間関係研究所Institute of Human Relationsで会った女性Francescaと結婚し、その後二人の子供をもうける。今その子供のうち、Julianは医者であり、Nichola は言語学者である。 59-65歳(1956-62) London精神分析クリニックのDirectorを勤め、1962年から65年まで英国精神分析学会の会長であった。68歳から70歳、協会訓練委員会委員、出版委員会会長、クライントラスト委員長
精神病研究(1) 出発点 “Imaginary Twin"(1950) は、想像上の双子に迫害的不安に悩む患者についての分析。その双子は早期における乳房の観念からくるものである。 “Note on the theory of the schizophrenic"(1954) 言葉としての記号を獲得するには、 1)全体対象を把握する能力、 2)splitting が付帯する妄想-分裂ポジションを放棄すること、 3)splitsをまとめあげ抑うつポジションの水先案内をすること
精神病研究(2) splitting とContain “Language and the schizophrenic"(1955) “Development of schizophrenic thought"(1956) 分裂病は1)環境、2)人格の間の相互作用から生じる。転移には独特の特徴がある。投影同一化projective identification と衝動の噴出である。 患者は1)生の本能と死の本能の間に未決定の葛藤、2)破壊衝動の優勢、3)外的そして内的な現実への憎しみ、4)希薄なそれでいて執拗な関係性、を示す。 “contain”という言葉の使用。 前概念とその実現:Kleinの発展
精神病研究(3)人格の精神病的要素から思考理論へ “Differentiation "(1957) 精神病的人格----- 投影同一化が主 非精神病的人格----抑圧が主 人格の精神病的部分を想定する。「奇妙な対象bizzare object」 “On Arrogance" “On Hallucination"(1958) “Attack on Linking"(1960) 精神病についての統一的な理解とそれによる独自の「考えること」の理論へ。
精神病研究から思考の理論 2) 思考と感情の能力を破壊する時、攻撃されるものとしての(感覚と意識)結合することlinking を抽出したこと 1) 部分対象の考えを心の機能functionに広げる 2) 思考と感情の能力を破壊する時、攻撃されるものとしての(感覚と意識)結合することlinking を抽出したこと 3) 知覚を通じて係わる本能の働きに基づいて、「思い上がり」を含めた概念としてのエディプスコンプレックスを拡張 4) 「学ぶこと」を生むような結合の原型として、乳児-乳房の結合を定義 5) 「過度の」投影同一化というクラインの考えの特徴とその性質は明示的なものに
6) 意識とは「心的性質を知覚する器官」であるという理解 7) 「考えること」が「思考内容thoughts」を生むのではなく、存在する「思考内容」が「考える」ための装置を必要とする 8) 思考の領域に機能している万能感の概念という新しい性質を描写 9) 身体が食物を必要とするように、精神装置は真理を必要とする
ビオンの著作 1943年 (with Rickman) Intra-group tension in therapy. (in EG) 1946年 The leaderless group project. Bulletin of the Menninger Clinic 10:77-81 1948年 Psychiatry in a time of crisis. Br.j.Med.Pcychol. 21:81-9 1952年 Group dynamics:a review. (in EG)s 1961年“Experieces in Groups” London:Tavistock Experience"(LE) London:Tavistock 1963年“Elements of Psycho-Analysis"(EP) London:Heinemann 1965年“Transformation"(TR) London:Heinemann 1966年 Catastrophic change. UNPUBLISHED. 1967年 Notes on memory and desire. Psycho-Analytic Forum 2:272-3,279-80 - Second thought London:Heinemann 1970年“Attention and interpretation"(AI) London:Tavistock 1974年“Bion's Brazilian Lectures 1" Rio de Janeiro:Imago Editora Ltda. 1975年“Bion's Brazilian Lectures 2" Rio de Janeiro:Imago Editora Ltda. - “A Memoir of the Future:Book1:The Dream" Brazil:Imago Editora. 1977年“A Memoir of the Future:Book2:The Past Presented" Brazil:Imago Editora. - “Seven Servents”(LE,EP,TR,AI) New York:Joan Aronson. - Emotional disturbance. (in TP,CS) - On a quatation from Freud. (in TP,CS) - “Two Papers:The Grid and Caesura"(TP)Rio de Janeiro:Imago Editora Ltda. 1978年“Four Discussions with W.R.Bion" Perthsire:Clunie 1979年“A Memoir of the Future:Book3:The Dawn of Oblivion" Brazil:Imago Editora. 1980年“Bion in San Paulo and New York" Perthsire:Clunie 1982年“The Long Weelend,1897-1919" Abingdon:Fleetwood 1985年“All My Sins Rememberd and The Other Side of Genius" Abingdon:Fleetwood 1987年“Clinical Seminars and Four Papers"(CS) Abingdon:Fleetwood 他
思考の理論へ:経験から学ぶ “A theory of thinking" “Learning from Experience"(1962) 機能(function: 関数) と因子factor 精神病的人格は、外的、内的現実に基づいて考えることが障害されて、 感覚、情緒的な体験を「区別alfa-betize 」できない。 --αfunctionという一つの関数が人格に存在する--感覚的な印象や知覚された情緒体験に働き、それをα要素に変形する。
--β要素は変形されていない感覚印象や情緒体験、「ものそれ自体(Kant)」 β要素は精神病的人格に特徴。 β要素は精神病的人格に特徴。 [思考thought とは、初期において感覚的な印象や原初的な情緒体験で、ものそれ自体に関連した体験である] →情緒体験と思考体験は密接に関連している。 :自然な分割と分化の有機的なプロセスが前提にされている。
思考の理論1:否定と現実化 前概念preconception- 現実化realization: 乳児が現実の乳房を経験し、前概念(乳児の生来の期待)と現実化(現実の良い乳房の存在)が結合する。悪い乳房を取り除くために投影同一化によって、母親の中に悪い乳房を排除し、β要素が排出される。 →nothing の受容と改変によって、「乳房の不在」が思考となり、「思考を考える装置」が育つ。それに対して母親は悪い乳房(不快)を受け入れてくれるもの容器containerである。
思考の理論2:夢想と概念 → 夢想reverie の能力を持つ母親の存在--乳児の感覚を適切に受容する母親、空腹を満足へ、痛みを喜びに、孤独を交わりに、死の恐怖を平和な安心感に変形する。投影されたβ要素を解毒する母親。 → 概念conception:生来の欲求不満への耐性と母親の存在によって、否定的現実化における、対象の不在と欲求不満において解決すべき問題、つまり思考を考える装置が生じる。 --容器 container-内容contained(♂♀) のモデル 「幸運なカップルhappy couple」が乳児に内在化する。 --妄想-分裂ポジションと抑うつポジションの相互関係のモデル(Ps-D)
純化された思考モデル 知のための精神分析から、真実のための精神分析へ。 I Keep six honest serving-men: (They taught me all I knew) Their names are What and Where and When And How and Why and Who. I send them over land and sea, I send them east and west; But after they have worked for me, I give them all a rest. Rudyard Kipling “Elephant’s Child” Just So Verse 知のための精神分析から、真実のための精神分析へ。 「いかなる思考も、一度定式化されると、それは真実から離れる」 “Catastrophic Change"(1966) 考える人と観念(思考)の関係 1)共存的commensal---互いに影響を及ばさないで併存する。 2)共生的symbiotic---互いに影響し、成長、発展する。 3)寄生的parasitic---結合が-Kであり、互いに障壁となる嘘を言い合う。 “Attention and interpretation"(1970) 論考を社会にまで推し進める。 →合本:Seven Servants 『精神分析の方法」(福本修訳)法政大学出版
晩年の仕事:Oにおける精神分析 「記憶なく、欲望なく、理解なく」=直観に近いもの →信 Faith、信の行為=Oの状態を知覚できる。自分自身であること。 --精神分析面接の中で定式化されるものが、Kにおける変形ではなくOにおける変形でもたらされたものであれば、治療的な価値は大きい。 --精神分析の治療目標は、心の成長であり、精神分析の頂点である。 --進展とは、一見、支離滅裂で、無関係である一連の出来事が、直観によって結合した時に生じる。
--分析にとっては、新しい発見のために、作為的に盲目になることが有利である。 --精神分析において、分析家も患者も苦痛を減らそうと望んでいるにもかかわらず、分析体験は苦悩する能力を高める --二年間、三年間、四年間、週五回を永遠に、と続いている精神分析は唯一のアプローチでしょうか。そうあってほしくありません。しかしながら、もっと効果あるものに私は出会ったことがありませんし、精神分析をやり通したいと望むに見合うその効力を私は納得しています。けれども精神分析に満足することは危険です。
--私たちは精神的な産婆の現代版と言えるでしょう。 --精神分析は意味を探している言葉なのです。考える人を持っている思考なのです。内容を待っている概念なのです。 1979 Bion
ビオンの臨床 対象関係論への貢献 →母子関係のモデル 精神病理解への貢献 →精神病現象の説明 知的理解への貢献 →母子関係のモデル 精神病理解への貢献 →精神病現象の説明 知的理解への貢献 →思考:否定とグリッド、中断と中間休止 分析臨床への貢献 →精神分析のモデル 負の能力 negative capacity 達成の言語 language of achievement
精神分析の要素 ♂/♀ PS⇔D K-link noK –K L H –L –H Tolerance 洞察と理解 前概念と現実化 未飽和と飽和された要素 考える人のいない考えから思考 選択された事実 特徴的心性 誇張、広場恐怖と閉所恐怖 複眼と視点の反転 精神分析 Becoming O 直観 言葉での性交
晩年のビオン 1966年にLos Angeles に講演に出掛け、名誉による重荷、英国での「居心地のよい家庭生活」から逃れるために、Los Angeles に移住し、その地で12年間にわたって国際的なレベルで精神分析に広く影響を与え続けた。しばしば南米に出掛けたこともあって、彼の名前が南米で特に有名に。1979年に引退して、子供たちのいる英国に戻ったが、白血病のためにその年の11月8日に突如状態が悪化して亡くなった。
ビオンの人間観 Freud リビドが人を動かしている 本能が人を動かしている Klein 死の本能:不安と破壊衝動が人を動かしている 本能が人を動かしている Klein 死の本能:不安と破壊衝動が人を動かしている Bion Kが精神を成長させる 「知が精神の栄養である」 1978 Bion
ビック、E 1902-1983 1902年7月4日 オーストリアハンガリー帝国のウクライナ国境にあるガルシア地方に貧しいしかも問題の多いユダヤ人家庭に、生まれる。 ヘブライ語を学び、子供たちにそれを教えながら、第一次世界大戦で父親がシベリア送り、そこで亡くなるため、彼女が家庭を支えた。児童心理に関心を持つ。 ウィーンの友人によって、職を見つけ、1934年にはビューラーの研究室の助手になる。医師フィリップ・ビックと結婚。
1936年 博士論文を計画するが、ナチの侵攻によって不可能になる。姉をたよってロンドンに移住する。家政婦をしながら、分析を受けようとするが断念。経済的に援助してくれる人物が現れ、サルフォードで保育園を手伝い、そこでバリントに分析を受ける。1942-5年子供の治療を手伝い始める。 戦後、ロンドンに戻り、ケースワーカーであったベティ・ジョゼフとともに精神分析のトレーニングを受ける。ストレイチーとクラインからスーパーヴィジョン、そしてクラインの分析を受ける。 1948年精神分析家になる。ボウルビィのすすめで、タヴィストックの児童部門の主任になり、乳児観察をはじめる。
付着的同一化 adhersive identification=自己愛的同一化 乳幼児観察のセミナー → 第二の皮膚 second skin 付着的同一化 adhersive identification=自己愛的同一化 Esther Bick
ジョセフ、B 1917- 戦後、バリントらの近くでケースワークをしていたが、戦後、バリントのすすめで、ビックとともに、クラインに分析を受け始める。 1962年よりワークショップを開き、クライン派の指導的な立場になる。 クライン亡き後、70年代になると、自分の技法を確立。 1970年代より倒錯などの重症の人々との分析を通して、心的な変化を発見、解釈する技法を確立していく。 1989年『心的平衡と心的変化』
投影同一化の臨床的可能性を広げた。 →瞬時の介入―反応のなかで転移と解釈を行う技法を導入した。 全体状況のなかで、変化をとらえる。 「抑うつポジションに向かい、抑うつポジションの中へと到る動きの観点から、また自己のより大きな統合と対象とのより全体的で現実的な関係の観点から、長期の変化を考える」 だが→心的平衡 Psychic equilibrium =ある種の均衡に到達して変化しない。 結果として臨床像として 到達不能な患者 difficult to reachがいる
Betty Joseph 対象関係は精神分析作業の核心であり、転移の素材である。対象関係に関する私たちの理論がどんなものであれ、それは転移の性質についての私たちの理解に深く影響するに違いない。
ブリットン、R 1932- 1932年 6月3日、ロンチェスター生まれ。学者っぽい少年だった。18歳のときに、エリザベス女王奨学金をもらって、南ローデシア(今のジンバブエ)に留学、 帰国後、UCLで訓練、56年に医師資格取得。57年に結婚、軍の支援でトレーニングを受け、精神科医として研修をする。 1969-71年にタヴィストックで研修中1970年にクライン派のワデルWedelesに分析を受け始める。 1974年 リーセンバーグ・マルコムに10年間続く分析を受けはじて、精神分析研究所で訓練を始める。ベティ・ジョゼフとハナ・シーガルにスーパーヴィジョンを受ける。タヴィストックの児童親部門の仕事、コンサルタント、76年より主任になる。
1978年 「剥奪された子供」を発表する。タンタロス=父親の物語。 1981年 精神分析協会正会員。 1985年 「エディプス・コンプレックスと抑うつポジション」 1989年 『今日のエディプス・コンプレックス』 1998年 『信念と想像』 心的三角空間の理論
クライン的な乳児の世界では両親の結合が重要であり、それが出発点だが、それがどのように普通の全体対象との関係でのエディプス構造に結びつくのか? エディプス・コンプレックスは私たちの幻想と私たちの現実、そして心的生活にどのように関わるのか 離乳→去勢 信念 主観 客観 想像 幻想 主観と客観、信念をもたらすもの=心的な三角空間
メルツァー、D 1922-2004 1922年、アメリカ、ニュージャージーに三人の兄弟の末っ子として生まれる。ユダヤ人の温かい家族だったという。 エール大学、ニューヨーク医科、アルバート・アインシュタイン大学を卒業して、精神病的な子供との治療で有名な、ベルビュー病院で仕事をした。ここではじめてクラインの仕事を知る。 その後、ミズーリのワシントン大学で最初の分析を受けつつ、精神医学をおさめて、児童精神科に進むことを決めて、空軍での仕事をした後に、 1954年クラインの分析を求めて英国へ。
大人の訓練事例をスィーガルとローゼンフェルドに、児童の事例をベティー・ジョセフとエスター・ビックに、そして再びスィーガルにスーパーヴィジョンを受けた。周辺では理論的にビックやマニー・カイル、ビオンの強い影響を受けたと言う。 60年にクラインがなくなったときのアナリザンドのひとり。タヴィストックの児童家庭部門の主任になる。英国精神分析協会の指導的立場に。 1967年『精神分析的過程』 Psychoanalytic Process 児童分析の成果としてプロセスを記述した。
Sexual State of Mind:性心理の再考 1973年『心の性的状態』 Sexual State of Mind:性心理の再考 フロイトに始まる性心理学をクライン学派から再構成して、スプリッティングなどの原始的な防衛機制と対象関係から、そこでの心理状態を 戦慄や倒錯といったメカニズムで記述した。 1975年『自閉症研究』 Exploration in Autism:次元性 仲間とともにタヴィストックにおける自閉症研究の成果をまとめた。 1976年『共同体の中の家族の中の子供の精神分析的モデル』(当時の妻マルタ・ハリスとの共著) A Psychoanalytic Model of the child-in-the-family-in-the-community: タヴィストックの治療環境モデル
1978年『クライン派の発展』:理論的統合 The Kleinian Development. フロイト、クライン、ビオンを並列する。 1980年代、直感的で、伝統的でない解釈、および分析回数の削減などが外的な理由、そしておそらくは内的には政治的なイデオロギー上の対立から 1985年に訓練から外され、その後英国精神分析協会を除名される。 その後 1984年『メタ心理学の拡張』 Studies in Extended Metapsychology: 仲間とともに、ビオンのメタ心理学を発展させようとしている。
『夢生活』(邦訳あり) Dream-life:フロイトの夢をビオンの母子関係論を通して読み直す作業をしていく。 1988年『美の享受』 The Apprehension of Beauty:メルツァー理論の新展開 1992年『閉所』 The Claustrum:これまでの理論の総合したもの その他多数の著作や論文を世に送り、タヴィストックをはじめとして今も大きな影響力を持つ理論となっている(論文集『真正と他の仕事』) 定期的にバロセロナなどにスーパーヴィジンに出かけて、それが記録として残っている。
「だから私は実際、あらゆる種類の政治学に興味を失ったのだ。もはや自分を誠実にソシャリストと呼べなくなってしまったようだ。私はex-socailistなのだ。私は社会的ではない人間だ。 2004年8月13日に死去
投影同一化の拡張 クライン ビオン →自己の部分の排除と衝動の対象への投影とその対象の同一視 投影同一化の拡張 1965年に書かれた論文(1966)「投影同一化の肛門マスターヴェーションの関係」 IPAと著書Psychoanalytic Process(1967)における貢献 クライン →自己の部分の排除と衝動の対象への投影とその対象の同一視 ビオン →自己の一部の投影による心的状態の形成とコミュニケーションとしての外的対象への投影と取り入れ、それに対応してコンテイメントがある
過剰な投影同一化から内的対象を伴う侵入的同一化、そして病的な投影同一化モデル 過剰な投影同一化から内的対象を伴う侵入的同一化、そして病的な投影同一化モデル メルツァー →分離を否認するために内的対象への投影同一化が生じる。理想化された乳房を回復するために母親への身体への侵入が行われ、それが空想として肛門マスターヴェーションを形成する、それが内的母親への妄想的同一化も生み出すことがある。 過剰な投影同一化massive projective identification 侵入的投影同一化intrusive projective identification :偽成熟 Pseudo-maturity 失敗→付着的同一化 adhesive identification 過剰な相互投影→二人精神病 folie a deux
精神分析的過程(1967) 最初の設定:クラインと異なり、不安の緩和は転移の発展の結果生じる。分析家の態度と行為は、言語的なコミュニケーションよりも重要である。 いかなる外的影響も最小限に、同じ時間、一週間のすべてのセッションをする。患者の選択はできない。最初の三ヶ月は体験の時期である。 精神分析的態度が大人の部分と協力cooperationを結んで、乳幼児的な部分,アクティングインの断片と記憶や夢の行動化を寄せ集める。分析家が乳児的な部分をコンテインして大人の部分が意識という器官やコントロールをもたらし、自己分析のための能力を育てる。
1.転移の収束と深化 gathering and deepening of the transference (探索的解釈から分離不安から過剰な投影同一化) アクティングインをコンテインして耐え得る形にして返す、そして熱意や距離のなかで分析家の情緒が作り出す雰囲気とともに、そこでともに浮遊する分析家の探索的な思考がそれを実現する。 前もってできている転移prefomed transferenceに中も目する。 →収束に対して、週末、休暇などの分離が起き、それに対して過剰な投影同一化が生じる(深化)。 分離に耐える能力の欠如、万能的コントロール、あるいは羨望、独占的嫉妬、信頼の欠如、強度の迫害不安
対象の内部としてのプレイルームを使うこと 大人・子供役割の逆転 分析家への万能的な支配 分離の不安をもたらすさまざまな要因 分離に耐える能力の欠如(自閉症) スプリッティングと理想化の失敗による万能的コントロール クラインの言う羨望 原初的で独占的嫉妬 基本的な信頼の欠如 強度の迫害不安 自己の一部として分析家の身体を使うこと 対象の内部としてのプレイルームを使うこと 大人・子供役割の逆転 分析家への万能的な支配
2. 地理的混乱と自己と対象の区別(トイレット・ブレストから) 2. 地理的混乱と自己と対象の区別(トイレット・ブレストから) Geographical confusion and the differentiation of self and object(The”toilet-breast”) 肛門から内部への侵入をして、スピリットした部分対象を分析家に発見して、それをトイレのようにして使う。 トイレットブレストとしての分析者が転移の中で繰り返し現れる。 排泄としての治療、それの表象としてのトイレとしての分析家という組み合わせが、さまざまなプレイの中で実現する。 →セッションの連続性のなかでそれが繰り返される.
3.領域的混乱(水平スプリッティング) →分離不安や過剰な投影同一化から自由になる。 zonal confusion(horizontal splitting) 週末、一週間、一学期、休暇などの中断が生み出す分離の体験 →分離不安や過剰な投影同一化から自由になる。 欲望や嫉妬に支配されるようになり、前性器的な混乱を生じる。乳首やペニスや舌と同等に混乱する。 良い授乳する乳房と別のものへの区別:水平プリッティング エディプス的誘惑に抵抗すること、領域的混乱を整理すること、スプリッティグと理想化のプロセスを解釈すること →良い側面を取り入れること//自己愛組織化の断念
4.抑うつポジションへの入り口(行き詰まりから統合) The threshould of the depressive position(the impasse:toward integration) 分析の数年、四五年の間に、分析の成果が表れ始めており、終結と依存との間で行き来して、行き詰まりを生じる(ここでの3ヶ月から15か月面接回数を減らす提案をする?) 抑うつポジションの苦痛を体験できる方向に介入していく。 5.離乳(統合と取り入れ:直感的解釈) :自己分析へ The weaning process:integration;inspired interpretation
乳児:スプリッティングと理想化、そして投影同一化で説明する性 青年期:多様な部分対象化 大人:統合と摂取同一化 『心の性的状態』1973 乳児:スプリッティングと理想化、そして投影同一化で説明する性 青年期:多様な部分対象化 大人:統合と摂取同一化 倒錯:戦慄terror、迫害persecution、恐怖dreadから悪い対象への隷属→不適切なスプリッティング 分解対象、フェティッシュ対象 『クライン派の発展』1975 1.フロイトの理論と発展 2.クラインの児童分析 3.ビオンの理解 『夢生活』1984 『メタ心理学の拡張』1986
自閉症の探求1975 カナーの自閉症とポスト自閉症とを区別して、中核群は生得的な要因が強いとしているが、心的特性として 自閉症の探求1975 カナーの自閉症とポスト自閉症とを区別して、中核群は生得的な要因が強いとしているが、心的特性として 次元性の障害 impairment of dimensionality 原始的強迫 primitive obsessionality 分解対象 dismantling
一次元性:自己からの直線的ベクトル;タイムレス。 二次元性:付着的同一化;往復的、コンテナーとの関連で。 三次元性:対象を空間の次元で、循環的、投影同一化。 四次元性:連続体、将来の発達を視点に入れたもの、時間が連続している。 →自閉は一次元的ではあるが、二次元では付着的で、原始的な強迫性があるためつねに分解対象が連続しない。
Apprehension of Beauty 1988 存在する対象の内部の発見 審美的な葛藤 aesthetic conflict :謎めいた神秘の母親vs美の衝撃 審美的互恵関係 aesthetic reciprocity :ともに一目ぼれするような相互性 内部への探索:哲学、発達臨床、創造性の理論として、内部を発見する
閉所 claustrum 1992 閉所と神秘的なものについての表現できない戦慄 内的世界の小部屋 外的世界、外的対象の内部、内的世界、内的対象の内部、妄想的空間 地理ー領域的混乱から閉所:頭部・乳房での生活、性器の生活、直腸の中の生活、精神病の解体世界
審美的葛藤 地理的な混乱 領域的な混乱 閉所 審美的互恵性 解体 内部のない外部 ボッス「快楽の園:地獄」
赤ん坊は外的世界の審美的なインパクトによって圧倒され、自閉的な世界に撤退するかもしれない。 対象の内的性質についての疑惑と猜疑心は、個人を審美的葛藤から退却させ、対象の美を攻撃し、冷笑的、倒錯的、偽善的に世界を見る原因になるかもしれない。 審美的な葛藤は、侵入的投影同一化によって回避されるかもしれません。この場合、世界は対象内部から閉所恐怖的なところとして見られる。