山梨県の原始~古代遺跡 次へ 旧石器→縄文→弥生→古墳→律令国家 金 峰 山 八ヶ岳 甲武信ケ岳 雲取山 多摩川 駒ヶ岳 北岳 桂川 富士山 富士川
日本のはじまり 旧石器時代 次へ 人類が誕生した更新世は氷河期、 大陸と陸続きの日本へ渡ってきた ナウマン象や大角鹿などをおって 人間(我々の祖先)が渡来した。 打製石器(県立考古博物館蔵) 丘の公園第2遺跡出土 取扱注意後掲 群馬県岩宿遺跡 日本の旧石器文化 最初の発見地 (戦後の1949年) 次へ
次へ 旧石器時代 旧石器時代の遺跡分布地域 桂川 多摩川 雲取山 甲武信ケ岳 金 峰 山 八ヶ岳 駒ヶ岳 北岳 富士山 富士川 八ヶ岳山麓の高原 丘の公園遺跡 ナウマン象化石の発見 山梨市兄川(1961年) ナウマン化石県内2例目 甲府市北部相川(1983年) 釈迦堂遺跡 甲府盆地南縁部 盆地縁辺部の洪積台地上 釈迦堂・立石遺跡など 立石遺跡 一杯窪遺跡(都留) 郡内唯一道志への山中 ●更新世は今から1万年前に終わるが、氷河時代で海面は現在より海面は100m下がっていた。アジア大陸と陸続きとなった日本列島にマンモスやナウマン象、 大角鹿を追いかけて人類がやって来た。我々日本人の祖先であった。県内でもナウマン象の化石の発見は2例あるが、人骨はまだ発見されていない。 ●この先土器時代と呼ばれる人類最初の文化である旧石器時代の存在が、日本で初めて確認されたのは戦後の1949(昭和24)年、アマチュアの考古愛好者の相沢忠洋氏が群馬県岩宿の関東ローム層から黒曜石の打製石器を発見したことによってである。県内では1953(昭和28)年米倉山遺跡が初見。 ●天神堂遺跡は静岡との県境の万沢小学校校庭で、1970(昭和45)年に4年生が1個の石器を拾ったことがきっかけであった。ナイフ形石器、槍先形尖頭器、石刃、石錘、石核などの石器や石屑が多量に発見されている。原材のなかの黒曜石は約140km離れた長野県和田峠産のものであった。 天神堂遺跡(富沢) 1970年発見 多数の石器が出土 長野県和田峠産の黒曜石も 旧石器時代の遺跡分布地域 県南部の天神堂遺跡を中心に 富士川右岸の河岸段丘上 次へ
土器がつくられた 縄文時代 次へ 全国の代表的な縄文遺跡 三内丸山遺跡 亀ケ岡遺跡 (青森) 尖石遺跡 (長野) 津雲貝塚 (岡山) 大森貝塚 (東京) 尖石遺跡 (長野) 津雲貝塚 (岡山) 次へ
次へ 山梨県縄文遺跡 扇状地や丘陵の盆地周縁部の 豊かな森林のなかに集落を形成 桂川 多摩川 雲取山 甲武信ケ岳 金 峰 山 八ヶ岳 駒ヶ岳 北岳 富士山 富士川 坂井遺跡 重郎原遺跡 宮谷遺跡 中原遺跡 古屋敷遺跡 御料平遺跡 六科丘遺跡 花鳥山遺跡 上石田遺跡 善光寺北遺跡 青木遺跡 天神遺跡 柳坪遺跡 上野原遺跡 大月遺跡 神取遺跡 池之元遺跡 上北田遺跡 原平遺跡 一の沢遺跡 牛石遺跡 山梨県縄文遺跡 金生遺跡 釈迦堂遺跡 自然の恵みを受ける狩猟採集生活で 扇状地や丘陵の盆地周縁部の 豊かな森林のなかに集落を形成 次へ
縄文時代とは? 次へ ★旧石器時代と狩猟生活は同じだが、狩りでは より安全な弓矢が使用されたり、磨製石器や 縄文土器(金の尾遺跡出土) 山梨県立考古博物館蔵 縄文土器 (上野原遺跡出土) 以上 県立考古博物館蔵 取扱注意後掲 石鏃(弓矢)頭無遺跡出土・県立考古博物館蔵 磨製石斧(柳坪遺跡出土) 山梨県立博物館蔵 竪穴住居 ★旧石器時代と狩猟生活は同じだが、狩りでは より安全な弓矢が使用されたり、磨製石器や 新しく縄文土器がつくられ豊かな食生活となり、 竪穴住居に住むなど大きな進歩がみられた。 次へ
釈迦堂と金生遺跡 次へ 縄文時代 ★生活の進歩は、自然の恵みへの感謝とその 驚異への恐れから、呪術的な感覚(心の形成) 釈迦堂遺跡博物館所蔵 の土偶 取扱注意後掲 金生遺跡の配石遺構 ★生活の進歩は、自然の恵みへの感謝とその 驚異への恐れから、呪術的な感覚(心の形成) を生み出した。釈迦堂の土偶や金生の配石は そんな先祖の高度な精神生活を伝えている。 次へ
大陸からの新文化 弥生時代 次へ 全国の代表的な弥生遺跡 荒神谷遺跡 (島根) 唐古・鍵遺跡 (奈良) 板付遺跡 (福岡) 弥生町遺跡 登呂遺跡 (静岡) 吉野ケ里遺跡 (佐賀) 弥生町遺跡 (東京) 荒神谷遺跡 (島根) 板付遺跡 (福岡) 唐古・鍵遺跡 (奈良) 次へ
弥生時代とは? 次へ ★大陸の中国や朝鮮の影響をうけて、 新しい文化が生まれた。弥生式土器 と金属器(青銅器や鉄器)が使われ、 新しい文化が生まれた。弥生式土器 と金属器(青銅器や鉄器)が使われ、 水稲耕作が始まった。狩猟から農業 へ変わり、飢えの恐怖からの解消へ。 水稲耕作 弥生式土器 (上の平遺跡出土) 以下県立考古博物館蔵 農耕用具・木鍬 (身洗沢遺跡出土) 土器・銅鏃・銅環・木鍬 以上山梨県立考古博物館蔵 取扱注意後掲 ↑銅鏃と銅環↓(東山北遺跡出土) 次へ
次へ 山梨県弥生遺跡 農耕が開始されると、生活基盤が 今までの盆地周縁の丘陵部から 盆地内部の低地へと移り、次第に 鵜の島遺跡河口湖 米倉山B遺跡中道 金の尾遺跡敷島 中田小学校遺跡韮崎 住吉遺跡甲西 六科丘遺跡櫛形 身洗沢遺跡八代 中尾条里遺跡一宮 音羽遺跡甲府 下大内遺跡明野 一条氏館跡遺跡:方形周溝墓群 方形周溝墓群 西田遺跡:方形周溝墓群 上の平:方形周溝墓群 農耕が開始されると、生活基盤が 今までの盆地周縁の丘陵部から 盆地内部の低地へと移り、次第に 平等な共同生活が変化していく。 次へ
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/ より 貧富の差の拡大と古墳文化の発生 鉄製太刀 (稲荷塚古墳出土) 県立考古博物館蔵 取扱注意後掲 高床倉庫(登呂遺跡) 物見櫓と環濠(吉野ケ里) 出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/ より ねずみ返し 貧富の差の拡大は支配者を生み、戦いをくり返すなかで、やがて日本全体を支配する大和政権が誕生した。古墳文化である。 次へ
ヤマト政権の全国支配 古墳時代 次へ 全国の古墳分布 伝仁徳天皇陵 =大仙陵古墳 (大阪・堺) 造山古墳 (岡山) 江田船山古墳 稲荷山古墳 石舞台古墳 (奈良・飛鳥) 江田船山古墳 (熊本) 稲荷山古墳 (埼玉) 造山古墳 (岡山) 高松塚古墳 次へ
次へ 古墳時代前~中期の遺跡 銚子塚古墳など 山梨県における中央の影響を受け た古墳文化の発祥地は盆地南部の 岡銚子塚八代 大塚三珠 物見塚櫛形 亀甲塚御坂 銚子塚古墳など 曽根丘陵の古墳群 山梨県における中央の影響を受け た古墳文化の発祥地は盆地南部の 曽根丘陵(中道町)からはじまる。 (多くは巨大な前方後円墳である) 次へ
曽根丘陵地域の古墳分布 次へ (県内で最初で最大の古墳分布地域) 丸山塚古墳 銚子塚古墳 小平沢古墳 大丸山古墳 上の平遺跡 この地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。(承認番号 平16総複、第589号) 曽根丘陵地域の古墳分布 (県内で最初で最大の古墳分布地域) かんかん(茶)塚古墳 円墳で全長26m 丸山塚古墳 最大の円墳:全長72m 銚子塚古墳 最大の前方後円墳4世紀末 全長169m高さ15m:関東でも有数 県立考古博物館 小平沢古墳 県内で最古の古墳 唯一の前方後方墳 大丸山古墳 4世紀末の前方後円墳 丘陵の事前地形を利用し築造 上の平遺跡 方形周溝墓群 台地上に124基が密集 天神山古墳 規模NO2の前方後円墳 次へ
銚子塚古墳(前方後円墳) 古墳発祥地の曽根丘陵 上の平方形周溝墓群 丘陵から見た銚子塚古墳 丸山古墳(円墳) 次へ
次へ 経塚一宮 山梨県内の後期古墳群は2ツのグループとなる。 ★姥塚古墳に代表される盆地東南部の御坂一宮地域 古墳後期(群集墳・横穴式石室)の遺跡 三之蔵明野 経塚一宮 おつき穴白根 強瀬子の神大月 湯沢須玉 二ツ塚双葉 横根・桜井 積石塚古墳群 国分・長田・四ツ塚古墳群 湯村古墳群 春日居・岩下古墳群 千米寺古墳群 米倉山古墳群 加牟那塚甲府 姥塚御坂 山梨県内の後期古墳群は2ツのグループとなる。 ★姥塚古墳に代表される盆地東南部の御坂一宮地域 ★加牟那塚古墳を代表とする湯村千塚から盆地北部。 次へ
後期古墳の特色=小さな円墳が集まる群集墳と横穴式石室 山梨の後期古墳の代表=姥塚古墳と加牟那塚古墳 姥塚古墳(御坂町) 加牟那塚 古墳 (甲府湯村) 次へ
次へ 山梨の古墳の分布 前中期→後期 銚子塚古墳など 山梨の古墳文化は前中期の巨大な前方後円墳の 姥塚御坂 国分・長田・四ツ塚古墳群 湯村古墳群 横根・桜井 積石塚古墳群 千米寺古墳群 加牟那塚甲府 銚子塚古墳など 曽根丘陵の古墳群 岡銚子塚八代 物見塚櫛形 大塚三珠 山梨の古墳文化は前中期の巨大な前方後円墳の 盆地南部の曽根丘陵地域から、盆地の北方に拡大し 横穴式石室と群集墳を特色とする後期古墳へと変わる。 次へ
次へ 大丸山・銚子塚古墳 同氾鏡出土分布 同じ鋳型で製作された鏡による ヤマト王権の勢力伸張範囲 群馬県三本木古墳 銚子塚古墳出土 同氾鏡出土分布 同じ鋳型で製作された鏡による ヤマト王権の勢力伸張範囲 三角縁神人車馬画像鏡 (銚子塚古墳出土) 県立考古博物館蔵 取扱注意後掲 群馬県三本木古墳 大丸山古墳出土 三角縁日月銘獣文帯三神三獣鏡 銚子塚古墳出土 三角縁神人車馬画像鏡 岡山県車塚古墳 福岡県藤崎遺跡 ヤマト王権 静岡県寺谷銚子塚古墳 岐阜県打越遺跡 次へ
次へ 古代律令国家での甲斐 山梨郡 巨摩郡 甲斐国府の所在地 都留郡 (主な3説) ★春日居町国府 ★一宮町国分付近 八代郡 ★御坂町国衙 根拠:国府(こう)の地名 寺本廃寺の遺跡 鎮目という軍団地名 国衙 水市 ★一宮町国分付近 根拠:国分寺、一ノ宮の存在 小城、矢作、鷺堂→ 軍団や国学跡関連 八代郡 河口 ★御坂町国衙 根拠:国衙(こくが)地名 和名抄の記載→ 八代郡にありと 加古 次へ 駅制=都からの使者は東海道の一国としての甲斐国へ (調などを納めに都までの日数:行き25日、帰り13日)
甲斐国府の所在地(主な3説) 春日居町(寺本廃寺) 御坂町(国衙址) 一宮町(国分寺・国分尼寺跡) 次へ
参考文献と写真の取扱注意事項 ☆写真の取扱注意 ・「山梨県立考古博物館」「釈迦堂遺跡博物館」所蔵の 『図説山梨県の歴史』 磯貝正義編 河出書房新社 『山梨県史』 山梨県(山梨県史編さん委員会) 『山梨県の歴史』 飯田文弥・秋山敬他 山川出版社 『甲州風土記』 上野晴朗 NHKサービスセンター甲府支所 ☆写真の取扱注意 ・「山梨県立考古博物館」「釈迦堂遺跡博物館」所蔵の もので、教育以外の目的また個人で使用する場合は 必ず当該の博物館で許可を得てください。 ・ IPA「教育用画像素材集サイト」 のものは教育外での使用禁止 終了