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監督 野村克也 監督 星野仙一 を 設計分析する ちょっと一休み(12)Rev.-1 031110 今回の「ちょっと一休み」は、 です。 031110 ちょっと一休み(12) ちょっと一休み(12)Rev.-1 031110 今回の「ちょっと一休み」は、 です。 監督 野村克也 監督 星野仙一 を 設計分析する 【引用文献・参考文献・引用写真】 ・2003年9月16日(火)の朝日新聞(夕刊)から抜粋
「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督・野村克也 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督・野村克也 近年、阪神タイガースの監督と言えば、野村克也・前阪神監督と、現・星野仙一監督である。(031030現在) 「男・星野」を阪神タイガースに推したのは良く知られているように、野村克也・前阪神監督である。野村は、監督として日本一経験三回、阪神優勝の「井戸を掘った男」・・・その、ノムさんである。 野村監督は、例えば、西武の松坂大輔投手の投球フォームから全ての投質を見破ることができる凄い監督。 奥さんは「サッチー」。 ■監督・星野仙一 18年振り。待ちこがれるファンの声が連日響き渡る甲子園球場。 星野仙一、56歳。阪神の再生を託された。 星野監督は選手の1/4を解雇し、就業2年目で優勝に導く。 監督曰く、「改革、改革と言うけれど、改革に血は流れます。無血改革などと言うそんな格好の良いものはありません。」 ちょっと一休み(11)からの抜粋 【引用文献・参考文献】 ・ 2003年9月20日(土)のNHKスペシャルから抜粋
「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督の権限とは 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督の権限とは 阪神電鉄会長で球団オーナーの久万 俊二郎氏(82歳)曰く、 「監督と言うのは本来、与えられた戦力を使って優勝を目指して戦うものでしょう。 これがGM(General Manager)なら、その選手が投資に見合った働きをしなければ会社として責任を問いますが、星野は監督であってGMじゃない。監督は選手補強の責任は問われないのです。」 一般企業の開発・設計の現場もこれとほぼ同様の組織体です。 GM(General Manager)の下に PM(Product Manager)が存在する。 監督とは、この場合、PMに相当するのでしょう。
「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■星野流 とは さらに、 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■星野流 とは さらに、 「星野には役に立つと思う選手を連れてくる能力、つまり、スカウト能力がありました。先ず、どこにどういう選手がいるか発見する力がある。そして、どこから話を持っていって、どういう方法を取ればその選手が乗ってくるかを知っている。 星野監督は、GMとPMの仕事を成し遂げたのですね。 その上で『ちょっと高くつくけどお願いします。』と言うてきて全部獲ってはるんです。 これはもう単なる監督やないですわ。私も、やるだけやらしてやれと、星野が欲しいという選手は全部獲りました。」 ただ、GMに求められる選手補強の責任はとっていないように見えます。 選手補強の責任とは・・・ 何億、何十億というお金の出費と回収です。 球団経営の最も難しい部分です。
範を示せ! キツイ言葉ですね! 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督 野村と星野の相違(その1) 一方、 リーダとは、改革者とは・・・ プロジェクト・リーダーとは・・・ 技術、教育だけではダメ!というかもしれません。 もしかしたら、星野監督の場合は、ちょっと一休み(10)に記載した「範を示せ!」を実行したのでしょうか? 「野村前監督は選手の教育はできるし、良く選手を見たと思います。しかし、じゃあウチにと、引っ張ってくるだけの政治力はなかった。 星野は、それがやれる人なんです。自ら前に出て行って色んな話もし、条件も詰めていくことが出来る。そこが二人の最大の違いだと思います。」 範を示せ! キツイ言葉ですね! 監督は、最もファンを意識する現場監督だ。 ユニフォームを着てファンの目にさらされ、日々の試合の勝敗責任を負うがゆえにファンの反応を身をもって感じ、大きなストレスを受ける立場にある。 野球監督って大変ですね! 上からはオーナーやGM、下からコーチや選手達に責められます。 頭に来るのは、「監督自身より遥かに若い選手達が、自分の年棒より遥かに多い年棒を獲っている事です。」と聞いたことがあります。 一般企業もそうだというかも知れませんが、苦労のレベルが違いますよ。
「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督 野村と星野の相違(その2) 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督 野村と星野の相違(その2) そこで、どうやって戦力を整えるかだが・・・ 迷いますね! 「どうやって戦力を」とのことですが、当然、設計や設計改革でいう「Q、C、D」を含んでいますよ。 仮に、5年もかかる「どうやって戦力を」では、話になりません。 (阪神の場合) ① 自前の若い選手を育てるという方法(≒野村流) ② 出来上がっていて計算できる選手を獲ってくる方法(≒星野流) がある。 久万オーナーが 前者① を重んじているのは明らかだ。インタビューの中ではこんなことを言っていた。 若きエンジニアの皆さんは、「野村派」か「星野派」のどちら?
「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督 野村と星野の相違(その3) 031110 ちょっと一休み(12) 「監督 野村と星野」を設計分析する 週刊文春 2003年10月30日号のから抜粋 著者の設計分析 ■監督 野村と星野の相違(その3) 久万オーナー曰く・・・ 「野村を監督に呼んだことに後悔はありません。選手の欠点を注意深く追って、ここを直せばこう良くなるというようなことを見る目は、さすがに野村はすばらしかった と思うてます。」 82歳、久万俊二郎オーナーの云わんとしていることが良くわかりません。 「星野も選手を見る目は間違いがありませんが、一方で、選手を育て上げて使うというタイプではないのかな、とも思うのです。 そういう意味では、野村とは反対ですね。」 さらに・・・
確かに、GEのジャックウェルチ元会長は、社長就任から、約20年もかけて改革を継続してきたといいます。 031110 ちょっと一休み(12) 【著者の所感】 確かに、GEのジャックウェルチ元会長は、社長就任から、約20年もかけて改革を継続してきたといいます。 「テキスト第6部」を復習してみましょう。 「改革、改革」と口先ばかりの「改革」が横行していますが、今の日本で、10年、20年も掛かる改革では相手にされないでしょう。従って、阪神の改革も、監督を野村から星野へ変えて、その結果が仮に5年後では遅すぎるのです。 ですから、野村流の「欠点指摘」→「じっくり教育」では、時代が許してくれないのです。そこで、星野監督が採った手段は、いや、間違えました、野村監督を含む阪神経営陣が採った手段は、 ① 先ず、監督交代(野村→星野)で管理職の偏差値を向上させ、 ② その監督が、「じっくり観察」→「選手交代」を実行し、一層の総合偏差値向上を急展開 したのです。しかも、注目すべきは一年間でです。(ちょっと一休み(11)を参照) ここで、開発・設計へ話をもっていきます。 旋盤を扱う職人には「一級」「二級」とランクがあります。フライス盤を扱う職人にも「一級」と「二級」のランク付けがあります。
終わり 設計者でも建築家になると「一級」と「二級」があるのはご存知でしょう。 031110 ちょっと一休み(12) 設計者でも建築家になると「一級」と「二級」があるのはご存知でしょう。 しかしながら、一般企業の機械系、電気系、ソフト系、企画系には何らランクがありません。存在するのは、技量に無関係な管理職階級です。 これら技量に無関係なランク付けの職業、例えば、設計者や医者などにはどうしても危機感や競争心が薄れてきます。その証拠に、各種のリコールや医療ミスの事件が後を絶ちません。 講師がかつて勤務していた大手コンピュータメーカでは、設計者は全てランク付けされていました。 何故でしょうか? 「勝つための設計」だからです。 どのようにしてランク付けするのでしょうか? 講義にて説明いたしますが、ヒントは本リンクサイト「シリーズ:著者の回答 (004)」にあります。 当時、その設計部のGM は “星野監督” でした。 【引用文献・参考文献・引用写真】 ・ 2003年9月20日(土)のNHKスペシャルから抜粋 ・ 週刊文春 2003年10月30日号から抜粋 ・ 週刊東洋経済 2001年1月31日号 表紙 ・ テキスト第6部:NHKスペシャルを見る:國井良昌著 終わり