源頼朝は なぜ鎌倉に幕府を開いたのか 6年藤組 根本真子
目次 鎌倉幕府の成立 三方が山、一方が海の地形 良質の砂鉄 京都から離れなければいけなかった 味方の多さ 滑川 その他 ご恩と奉公について 切り通しについて まとめ
鎌倉幕府の成立 それぞれの役目 頼朝は、鎌倉で政治をとるために侍所、政所問注所の3つの役所をおいた。 頼朝は、鎌倉で政治をとるために侍所、政所問注所の3つの役所をおいた。 それぞれの役目 侍所・・・守護(頼朝が治安をたもち武士をとりしま るために諸国においた職)や御家人(将軍 の家来。この場合は頼朝の家臣)の任命を する。 政所・・・幕府の政治の中心。地頭(頼朝が荘園な どの管理や税のとりたてのために諸国にお いた職)の任命をする。 問注所・・・訴えのあった裁判の下調べをする。 そして、頼朝は征夷大将軍になり、幕府を開いた。
幕府を開いた理由 1、三方が山、一方が海の天然の要塞だったから 鎌倉の周りには三方が山、一方が海という地形だったので敵から身を守りやすい地形だったからだと思う。(でもこれは最後には裏目に出る)この土地は、元々頼朝の先祖の土地で、源氏がここを選んだ条件の一つだった。さらに気候も温暖だった。山があると、色々便利だ。理由は、 1、高い木に登れば敵を見渡せることができる。 2、待ち伏せをして弓矢を放ったり、攻撃ができる。 3、油などをまけば、敵の軍隊の足を滑らせる事ができる。 4、山が険しいので、敵の軍隊の体力を減らす事ができるし、体力の回復に使う食料もなくせる。 5、違う道をつくり道を逆に歩かせることができる。 6、山が急なので馬が通りにくい。 という理由がある。
2、良質の砂鉄の産地だったから 稲村ケ崎には白と黒、2種類の砂がある。白い砂は、そこにある海岸の砂で、黒い砂は砂鉄。砂鉄は、武士が使う農具や武器、鍋などの日用品をつくることができるのでとても便利だ。なぜここに砂鉄があるのかというと、海の底に砂鉄の層があり、そこから砂鉄が浜辺にうちあげられるから。これも理由の一つと思われる。
3、京都から離れた方がよかった これには、理由がいくつかある。 1→京都には朝廷があったので、近くに敵がいて攻め られやすかったから。 1→京都には朝廷があったので、近くに敵がいて攻め られやすかったから。 2→京都では、お寺が政治に口出しをしているので、 頼朝の政治に口出しをさせないため。 3→平氏は、源氏に勝ったけど、調子にのって貴族の ような暮らしをし、最終的には武士としての能力 がなまってしまい源氏に負けてしまったので、そ ういった貴族化を防ぐため。 こういったことも考えられる。
4、味方の多さ 鎌倉の周りには強い武士団がいる。この武士団は頼朝の仲間で、周りの守りもかためられる。 鎌倉の周りには強い武士団がいる。この武士団は頼朝の仲間で、周りの守りもかためられる。 鎌倉のあった東国(今の関東地方あたり)は、元々は源氏の根拠地だったので、知り合いが沢山いた。 これも理由の一つと考えられる。
5、便利な滑川 滑川は、鎌倉で1番大きな川で鎌倉の中心を流れている。昔から人々に親しまれている。滑川は物資輸送にとても便利だったと考えられる。その他にも武士の生活用水や農業用水に使った。滑川は鎌倉一といっても小さく、川底もそんなに深くないので大きい船が入れない。だから、小さい船で材木などを運んだと考えられる。
6、交通上の要地 7、西日本からはなれる 8、地下水に恵まれていた 鎌倉は都からは遠く離れていたけど、東海道に近く大切な地域だった。鎌倉は、東海道と都のちょうど真ん中に位置していた。 7、西日本からはなれる 源氏は、平氏を西へ西へとおいやっていき、最後には勝ったので、西日本には平氏が沢山いた。だから、源氏である源頼朝は平氏がいる西日本に近づかず、そこから離れている東日本の方で政治を行おうとしたと考えられる。 8、地下水に恵まれていた 銭洗弁天などから出る井戸水が多量だった他にも『鉄の井』など鎌倉近辺の町中に数多く井戸があり、そこから沢山の生活に使う水をくむことができた。
ご恩と奉公 将軍 ご恩↑↓奉公 御家人 奉公・・・御家人が将軍のために命をかけて戦う 事。 将軍 ご恩↑↓奉公 御家人 奉公・・・御家人が将軍のために命をかけて戦う 事。 ご恩・・・将軍がお礼に御家人に新しい土地など 褒美をあげること。
切り通しについて 切り通しとは? 幕府は、鎌倉を取り巻く山々に切り通しを作り、鎌倉につながる街道と鎌倉をつなげた。当時の検問所のようなものだった。 鎌倉の七つの切り通しの名前 化粧坂/極楽寺坂/大仏坂/亀ヶ谷坂(かめがやつざか)/巨福呂坂(こぶくろざか)/朝比奈/名越坂(なごえざか) 切り通しの特徴 1・両側が切り立った崖であること 2・狭いこと(場所によっては人一人分の幅しかないものがある)
まとめ 私は源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由の中で1番大事だと思ったのは、『貴族化しないため』だと思います。平氏は、こういう事をしていたために源氏に負けてしまいました。だから、頼朝はそれを防ぐために鎌倉に幕府を開いたのだと思いました。