阪神・淡路大震災の記憶 活動体験と教訓 元・神戸市生田消防署長 大 西 康 弘
LPガス漏れ 6日間爆発の危険 半径20km以内の市街地 火の海の危険が!
あの地震が もし夏の夕方近くに起こっていたら “災害体験の一般化の過信は要注意” あの地震が もし夏の夕方近くに起こっていたら “災害体験の一般化の過信は要注意” 暗くなり全ての活動が困難となる 特に救出・救助活動が・・ 近所に助け合える若者 壮年者がいない・・・ 勤務先や学校などに行って家族はバラバラ・・・ 高層ビル等が激しい揺れで机・事務機器等が落下・飛び交いオフィスやデパート等で多数の死傷者が・・・ 新幹線や電車が脱線転覆して多数の死傷者が・・・ 高速道路から自動車がアラレのように振り落ちる 市外からの通勤・通学者等が多く 多くの身元不明者が・・・ 蒸し暑い避難所生活・食中毒・トイレと悪臭・風呂・洗濯・・・ 漏洩LPガスに引火爆発していたら・津波が起きていたら・・・
消防職員の心のわだかまり 消防は結果が全て! 地震後 ほぼ3日間家族の安否不明のまま現場活動 「十分な消火・救助・救急活動ができなかった」という自責の念と無力感にさいなまれた・・・ 地震後しばらくの間 制服で街を歩くと聞くに堪えないような罵声を浴びせられた 市民に申し訳がないという気持ちと 市民のやり場のない怒りが分かるので弁解がましいことは一切口にしなかった 震災シンドローム
炎上拡大する市街地 全焼失面積64ha 約7千棟焼失 炎上拡大する市街地 全焼失面積64ha 約7千棟焼失
倒壊した高速道路 橋梁が落下した新幹線
座屈した「神戸市庁舎」と「西市民病院」
座屈・損壊したビルや共同住宅
約25万棟全・半壊 約46万世帯被災 1981年(昭和56年)以前の建物が大きな被害 約25万棟全・半壊 約46万世帯被災 1981年(昭和56年)以前の建物が大きな被害 推定される被害要因 ・地震の規模が大きかった ・築20年以上で老朽化 ・脆弱な地盤・基礎の不適 ・壁量不足・不適切な壁配置 ・柱・土台の結合力不足 ・筋交い端部の不適切接合 ・湿気による腐朽・白蟻害等 以上2~3つの要因が重複
震災死高齢女性に多く 死者の60%以上は60歳以上 死者 6,434人 男性 2,720人(42.7%) 女性 3,705人(57.6%) 行方不明者 3人 負傷者 43,792人 重傷 10,683人 中・軽傷 33,109人 直接死と関連死 直接死 5,512人(85%) 間接死 922人(15%)
震災死の1割 家具が原因 家具類の転倒・転落防止策の必要性裏づけ 震災死の1割 家具が原因 家具類の転倒・転落防止策の必要性裏づけ ・建物の下敷きによる死亡 76.2% ・家具が原因の死亡 11.5% (内訳) タンス・水や・本棚などが身体の上に転倒 9.0% ピアノが倒れた・テレビなどの重いものが身体の上に落下 2.5% ・その他 12.3% ※神戸市東灘区の死亡者122人の家族のアンケート調査結果 出典:人的被害研究会調査
地震発生直後 消防本部管制室 “目が見えず 耳が聞こえず ものが言えない”状態に 地震発生直後 消防本部管制室 “目が見えず 耳が聞こえず ものが言えない”状態に 監視テレビ 伝送系停電のため映像が得られず 119番通報が以外に少ない NTT回線が地震で異常 ヘリコプターの発進遅れ 県の防災無線故障のため災害 状況の通報できず ※通信設備等のトータルシステムを過信 フェールセーフ・バックアップの認識が低かった
地震直後 3~4時間「情報空白」 以後の災害救援活動に大きく影響 地震直後 3~4時間「情報空白」 以後の災害救援活動に大きく影響 05:46 兵庫県南部地震発生 06:00 119番 火災・救助・救急の通報「0」件 (既に火災60件) 07:00 119番 火災の通報「11件」(この時点で既に火災68件) 07:10 災害集計「火災24件(うち、炎上中19件) 死者30人」 09:05 県に被害状況報告(第一報) 09:24 ヘリコプター離陸 情報収集開始 10:30 自治省消防庁発表 「死傷者 1名」 11:30 兵庫県災害対策本部発表 「死者数 96名」 13:40 大阪市消防局 ポンプ隊10隊 神戸市に到着 10:00 市長から知事へ「消防広域応援」「自衛隊災害派遣」要請