1班 安達太郎、池田愛理、石原麻由子、稲葉季詩子、乾奈月 京都の三大祭 1班 安達太郎、池田愛理、石原麻由子、稲葉季詩子、乾奈月
葵祭
葵祭とは 京都の三大祭のひとつ。 最も優雅で情趣に富んだ祭として知られている。 毎年5月15日に行われる。 平安貴族の姿で総勢500名以上の風雅な行列が 京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社に向かう。 画像:Googleの画像検索より http://www.kyokanko.or.jp/3dai/aoi.html
名前の由来 かつては賀茂祭と呼ばれていた。 江戸時代の1694年に祭が再興されたのち、当日の 内裏寝殿の御簾をはじめ、牛車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬に至るまですべて葵(フタバアオイ)の葉で 飾られるようになり葵祭と呼ばれるようになった。 使用された葉は毎年両神社から御所に納められる。 フタバアオイ 画像:Googleの画像検索より http://wadaphoto.jp/maturi/index11.htm
フタバアオイについて ・ウマノスズクサ科の多年草 ・山地の林下に生える ・地下茎から出る短い地上茎に2枚の心臓形の葉をつける ←徳川家の家紋 フタバアオイについて ・ウマノスズクサ科の多年草 ・山地の林下に生える ・地下茎から出る短い地上茎に2枚の心臓形の葉をつける ・茎の先端に葉を2枚対生するのでこの名前がついた ・春に紅紫色鐘状の花をつける ・古来、賀茂神社の葵祭に用いた ・別名は賀茂葵(かもあおい)、かざしぐさ、日陰草、 二葉草、両葉草(もろはぐさ)で夏の季語となっている ・徳川家の家紋はこの葉を3枚組み合わせたもの 画像:Googleの画像検索より http://wadaphoto.jp/maturi/index11.htm
時代祭
時代祭とは 平安遷都1100年である1895(明治28)年 3月に平安神宮が創建される これを盛大に祝おうと、 京都が都だった時代の風俗の変遷を 表現する時代行列が提案される 第1回の祭は同年10月25日に挙行 (翌年から10月22日に改められた)
京都が都だった時代 ・藤原時代 ・鎌倉時代 ・吉野時代 ・室町時代 ・安土桃山時代 ・江戸時代 ・明治維新時代 平安時代から明治維新まで ・延暦寺代 ・藤原時代 ・鎌倉時代 ・吉野時代 ・室町時代 ・安土桃山時代 ・江戸時代 ・明治維新時代 http://www.hankyu-com.co.jp/tokk/feature/101001/index.phpより
巡行順序マップ 京都御所 (12:00) 出発 烏丸丸太町 (12:25) 烏丸御池 (12:50) 河原町御池 (13:20) 京阪三条 (13:40) 三条神宮道 (14:10) 平安神宮 (14:30) 到着 http://www.hankyu-com.co.jp/tokk/feature/101001/index.phpより
平安神宮の草木 半夏生(はんげしょう) 半夏生は夏至から数えて11日目の「半夏生」の日にゆかりのある植物で、この頃になると葉先が白くなる。不思議なことにこの日を過ぎるとおしろいがはげるように再び緑に戻る。 しかし、半夏生は半分白い葉を見て病気と間違われるようになってしまい、 今ではほとんどが姿を消してし まった。 平安神宮の半夏生は、南神苑の 片隅にひっそりと生えていてる。
橘(たちばな) 橘は蜜柑科に属す。初夏には白地で5弁の小花をつけ、さわやかな香気を放つ。 橘は蜜柑科に属す。初夏には白地で5弁の小花をつけ、さわやかな香気を放つ。 その実は蜜柑に似て小さく1寸(2・3センチ)程で冬には黄色く熟す。 平安朝の頃より、平安神宮の 大極殿前に往時そのままに植栽 されている「左近の桜」と「右 近の橘」がある。
梛(なぎ) 梛は槙科の常緑樹で、古くから「神様の宿る神聖な木」という信仰があり、神社の神木とされてきた。 葉は長さ3~8cm程だが、表面には光沢があり、多くの葉脈が縦にまっすぐにのびている。また、縦の葉脈のおかげで横に裂けにくいため、「弁慶伐らず」(弁慶の力 でも切れない)や「千人切り」(千 人でやっと切れる)の異名もあり、 嫁入り道具の鏡台の鏡の裏に入れて 「ご縁が切れませんように」と縁結 びのお守りにされてきた。
祇園祭
祇園祭りとは 八坂神社の祭礼 七月一日から、一か月行われる 「宵山」「山鉾巡行」「神輿渡御」が有名
宵山 http://gigazine.jp/img/2010/07/17/gion2010_yoiyama/gion2010_yoiyama_top.jpg
山鉾巡行 digistyle-kyoto.com blog.livedoor.jp plat-kyoto.cocolog-nifty.com
神輿渡御 www5d.biglobe.ne.jp blog.goo.ne.jp blogs.yahoo.co.jp gottuan7.blogspot.com
祇園祭の歴史 869年(貞観11)の、病魔退散祈願が起源 この時66本の鉾を立てた 室町時代には、町衆が山鉾を作る 1,000年の歴史がある
鉾について 本体は主に檜、車輪には赤樫 釘、ネジ等金具は一切使わない。 祇園祭山鉾会館に多くは保存 原型は剣鋒。(長い棒の先に剣(鉾)が取り付けられた祭具) 重さは0.3tから11.88t http://shugakuin.blogzine.jp/blog/haaan/ http://ameblo.jp/nanao320/entry-10152852311.html 京都新聞 2008.7.18 剣鋒
鉾の位置と名前 1長刀鉾 2芦刈山 3 油天神山 4 綾傘鉾 5 霰天神山 6 岩戸山 7 占出山 8 役行者山 9 郭巨山 10 函谷鉾 1長刀鉾 2芦刈山 3 油天神山 4 綾傘鉾 5 霰天神山 6 岩戸山 7 占出山 8 役行者山 9 郭巨山 10 函谷鉾 11 菊水鉾 12 北観音山 13 黒主山 14 鯉山 15 四条傘鉾 16 浄妙山 17 鈴鹿山 18 太子山 19 月鉾 20 木賊山 21 蟷螂山 22 鶏鉾 23 伯牙山 24 白楽天山 25 橋弁慶山 26 八幡山 27 船鉾 28 放下鉾 29 保昌山 30 孟宗山 31 山伏山 32 南観音山
鉾の立て方 道路上に4本の柱を立て、それぞれの柱に貫、桁を差し込む。 柱にはホゾがあけられ鉄の板で補強し、筋交いを入れ、強度を持たせてある。 部材の固定には縄がらみと呼ばれる手法が用いられる。
荒縄は一度巻いては木槌でたたかれる。縄は、縦巻と横巻を交互に行って締め上げていくため、非常に美しくなる。 縄の結び方、縄目には鉾正面が雄蝶、側面が雌蝶、石持の部分が海老といった独特に名前がついている。
櫓の組み立てと同時に、真木の組み立てが行われていく。真木は2本から3本の丸太を金輪と麻縄で接ぐ。鉾頭が付く真木の先端は、竹と木部の接合部を割竹で補強し上から布を巻く。 真木を差し込むために、大梃子を仮に取り付け、櫓を横に倒す。
カムロ柱を取り付ける。真木を支えるための四本の柱で自然に緩やかに反った木材を選んで用いる。このカムロ柱は真木を支えるとともに揺れる力を吸収する働きがある。榊は、町内の人々によって白幣で飾られている。 真木を持ち上げ、櫓に差し込む。 真木は、櫓の下部に取り付けた真木受のホゾに差し込まれ固定されている。 真木の長さは鉾によって異なるが、およそ20メートルから25メートル。
左右一対の石持が取り付けられる。石持の上に渡された、音頭取りが乗るための横木と、車軸が縄がらみで固定されている。 舞台がくみあがったら車方による車輪の取り付けです。車輪は1輪約500キロある。 檜の上に舞台を作る。さらにその上に屋根をくみ上げる。
鉾が完成すると、町内の人びとをはじめ、待ちかまえていた人びとがこぞって参加し、“曳き初め”が行われる。この曳き初めに限り、女性や子どもを含め、誰もが参加することができる。 完成。山鉾巡行まで道路上に建てられる。 参照:http://www.kyoto-meguri.com/hokotate.html
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