日本のあけぼの 女帝の時代
古事記 (上・中・下 3巻) 稗田阿礼ー太安万侶 神代 → 推古天皇 712年 元明天皇 に撰上
日本書記 ( 30巻 ) 舎人親王 主幹 神代 → 持統天皇 720年 元正天皇 に撰上
皇紀2678年 万世一系 神武以降 125代 世界に類のない長期一系王朝 10代 8名の女帝 飛鳥ー平城に8代女帝(6名) 江戸時代ー2女帝
欽明 敏達 用明 崇峻 推古 舒明 皇極 持統 天武 天智 斉明 幸徳 文武 元明 元正 聖武 孝謙 淳仁 称徳 47代764年 29代531年 33代593年 欽明 敏達 用明 崇峻 推古 舒明 皇極 持統 天武 天智 斉明 幸徳 文武 元明 47代764年 元正 聖武 孝謙 淳仁 称徳 ↓ 光仁→ 桓武
欽明29 崇峻32 用明31 推古33 敏達30 厩戸皇子 (聖徳太子) 山背大兄 竹田皇子 押坂彦人皇子 中大兄 崇峻32 用明31 推古33 敏達30 厩戸皇子 (聖徳太子) 山背大兄 竹田皇子 押坂彦人皇子 古人大兄 舒明34 茅淳王 中大兄 大海人 皇極35 幸徳36 間人皇女 斉明37
推古の時代 聖徳太子(厩戸)摂政 遣隋使の派遣 日出ところの天子日没するところの天子に 冠位12階制定 憲法17条制定 天皇記・国記・・・伝なし 朝鮮 新羅、百済、高句麗 日本・・・百済を支援
天武(大海人皇子39) 天智(中大兄皇子38) 舒明34ー皇極35(斉明37) 幸徳36 皇極; 乙巳の変 ・・・蘇我本家滅亡(豪族の衰退) 舒明34ー皇極35(斉明37) 幸徳36 天武(大海人皇子39) 天智(中大兄皇子38) 皇極; 乙巳の変 ・・・蘇我本家滅亡(豪族の衰退) 幸徳; 大化の改新・・公地公民・班田収受・租庸調 難波遷都 斉明; 白村江の戦い 中大兄が皇太子として仕切る (中臣鎌足・大海人協力) 天智; 近江遷都
舒明・皇極(斉明) 大海人皇子 中大兄皇子(葛城皇子) 大伯皇女 大津皇子 草壁皇子 大友皇子 大田皇女 鸕野讃良皇女
額田王を巡って 大海人皇子 中大兄皇子 ① 額田王 十市皇女 ② ② ③ 大友皇子 太田皇女 鸕野讃良皇女
茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王 大海人皇子 額田王を巡るお話 茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王 紫のにほえる妹を憎くあら ば人妻ゆえにわれ恋ひめやも 大海人皇子
饒田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王
香久山は畝傍を愛しと耳成と相あらそひき神世よりかくにあるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき
壬申の乱 天智後継をめぐる大友vs大海人 天武の皇親政治 大臣を置かず 天皇と皇族を主体 吉野の盟約(吉野の誓い) 鸕野讃良皇后 草壁皇子17歳(天武2男) 大津皇子16歳(天武3男) 高市皇子25歳(天武1男) 忍壁皇子 (天武4男) 川島皇子22歳(天智2男) 志貴皇子 (天智7男)
天武ー持統 草壁皇子ー阿閉皇女(元明42) 氷高皇女(元正43) 光明子 - 首皇子(聖武44) 阿部内親王(孝謙45・称徳47) 天武ー持統 草壁皇子ー阿閉皇女(元明42) 軽皇子(文武41)-宮子 氷高皇女(元正43) 光明子 - 首皇子(聖武44) 阿部内親王(孝謙45・称徳47)
各種制度の構築 持統(689) 飛鳥浄御原令・・律令制構築の先駆的法典 文武(701) 大宝律令・・本格的な律令法典 令11巻 律 6巻 大宝律を諸国に頒布・明法博士を各地に派遣 元正(718) 大宝律令の修正補足(藤原不比等等が担当) 養老律令につづく 古事記 712年 日本書紀 720年
推古(聖徳太子) 中央豪族を中心とする、氏族制政治から 天皇専制による中央集中政権をめざす 天智(中臣鎌足) 大化の改新と豪族との拮抗 天武・持統(藤原不比等・橘三千代) 法令、官僚体制の整備 天皇を中心とする、中央集権政治による律令制・官僚制国家の基礎が確立
天武 天智 桓武天皇 (709~782年 6男) 大炊王 (733~765年 7男) 白壁王 淳仁天皇 (758年即位~764) 天武 天智 舎人親王(676~735年 6男) 志貴親王(?~716年 7男) 白壁王 (709~782年 6男) 光仁天皇 (770年即位~781) 桓武天皇 大炊王 (733~765年 7男) 淳仁天皇 (758年即位~764)